レンズ越しの彼らは恋を知らない


 ●〇●〇


 巡視を終えてしばらくすると昼休憩に入った。
 昼食場所は決まっていないが、暑いので校舎に戻る生徒が多い。僕もいつも通り教室で食べるつもりで、校舎に戻ろうとしていると……

「まーなせっ!」

 背後からポンッと背中を叩かれる。振り返ると叩いたのは鴫原くんで、両隣に御崎くんと影石くんもいた。全員クラスは違うはずだが、なぜかAG班勢揃いだ。

「俺ら今から飯食うんだけど、真瀬も一緒しない?」
「しない」
「また秒殺かよ!」

 悩むまでもなく断ると、鴫原くんがむくれる。芝居じみた表情だ。僕が断ることなんて予想していただろうに。

「休憩終わったら部活対抗リレーだろ? だからランチ兼、成功祈願すんの。真瀬もいなきゃっしょ」
「なんで? 僕がいる必要ないだろ」

 そう返すと、御崎くんが苦笑した。

「相変わらずつれないなー、真瀬」
「だって、一緒に走るわけでもないのに」
「けど、真瀬も製作過程を見てきて、完成の瞬間に立ち会った一人だろ。もう仲間みたいなもんじゃん」

 鴫原くんがずいっと間を詰めて食い下がってくる。

「全然違うだろ。僕はただ監視してただけだよ」

 それだけで仲間扱いって、どんなに緩いくくりなのかと思う。でも……

「嘘だね、俺は忘れてないよ。屋上で最終検証が成功した時の、真瀬のあの笑顔! 共に喜びを分かち合った仲じゃんか」

 鴫原くんに意地悪い笑みで覗き込まれ、僕は視線を逸らした。

「何度も人の表情の話持ち出さないでよ。これまで散々失敗を見てきたから、あの時はちょっと興奮しちゃっただけで……」

 ガラじゃなかったとは自分でも思っている。だから蒸し返されるとむずがゆい。
 部員でもないのに、『仲間』なんて言って誘われるのも……。

「細かいことどうでもよくね。後半はずっと4人だったんだから、真瀬も来れば」

 いたたまれなくてうつむいた僕に、ぼそっと告げたのは影石くんだった。

「影石くん……」

 僕はまじまじと彼を見返す。他の2人のようにノリがいいタイプじゃない影石くんは、今も無表情で傍に立っているだけだった。部活の時も実験第一で、基本真顔で、僕のことも単なる雑用係としか思ってなさそうだったのに。
 こんなふうに言うなんて意外だった。
 ……もしかして本当に、彼らは僕に向けて、境界線を緩めてくれているんだろうか。僕が思っている以上に。

「ほら、影の王者の匡もこう言ってる。行こうよ、真瀬」

 鴫原くんがぐいっと僕の右腕を掴んだ。

「その言い方やめろ」

 低い声で影石くんがツッコむ。

「間違ってないだろ~」

 笑ってかわす鴫原くんの手を、僕はやんわりほどいた。

「わかったよ、行くよ」
「やった♪」

 鴫原くんの瞳が輝く。さっそく軽い足取りで歩き出す横顔を、僕はため息混じりに眺めた。
 ──おちゃらけ眼鏡め。今の嬉しそうな顔も、どこまで本気かわからないのに。
 この顔を見ていると、どうにも調子が狂ってしまう。


 とにもかくにも、4人で昇降口まで戻ってきた。靴を履き替えるため、各自の靴箱に分かれようとしていた時──

「真瀬くん?」

 廊下のほうから名前を呼ばれ、僕はそちらを振り仰ぐ。

「……会長」

 3年で生徒会長の日野(ひの)真理花(まりか)が、凛とした立ち姿でこちらを見ていた。
 上は半袖の生徒が多い中、上下長袖のジャージに身を包んでいる。艶のあるボブヘアと、きりっとした目つきが印象的な人だ。
 日野会長はその目で、僕たち4人を舐めるように見てから言った。

「珍しい組み合わせね。あなたたち、そんなに親しかった?」
「別に親しくはないです」

 問いは僕に向けられていたので、即座にそう答える。
 突っ込まれても説明がややこしい。どうやってあしらおう……と考えながら。

「あ、そう。ならいいけど」

 日野会長は片頬を持ち上げた。
 その冷たい笑みに、言いたいことの大半が表れている。
 つまり、『トラブルメーカーとなんか慣れ合うなよ』だ。
 彼女は以前から問題を起こす科学部AG班を疎んじていた。『あなたがしっかりやってね』と対応を任されていた僕は、それを誰よりよく知っている。

 日野会長はけっして差別的な人ではない……と思う。けれど責任感と愛校心が強すぎるのか、潔癖な性格なのか、校内の平穏を乱す生徒に対しては厳しい。

「科学部部長の鴫原聖くん、だったかしら」

 そんな彼女が直接鴫原くんに話しかけたので、僕は内心でひやりとした。

「ここ最近の騒動は、体育祭準備の活動で起こったものだと聞いてるけれど。準備はきちんと整ったの?」
「はい、おかげさまで。バッチリですよ」

 日野会長から漂う明らかな威圧を、鴫原くんは普段通りのへろりとした笑顔で受け止める。その態度が気に障ったのか、日野会長の眉がピクッと動いた。

「信用していいの、それは? 本番で事故なんてあってはならないことなのよ? わかってる?」
「もちろんわかってますよ。そのために試行錯誤してきたんですから。事故なんて起こりません」
「……どうだか。これまでを考えると、説得力がないわ。顧問の小川先生がおっしゃっていたけど、あなたの口癖、『とにかく面白いことをやりたい』だそうじゃない。自分たちが楽しければ、安全性や周囲の迷惑なんて考えてないんじゃないの?」
「っ、おい……!」

 たまりかねたように突っかかろうとしたのは御崎くんだ。でもそれを、隣の影石くんが手で制して止める。
 鴫原くんは変わらず微笑んでいた。その態度に、日野会長の温度が上がったのが目に見えてわかる。

「あなたたちのいいかげんな活動で体育祭を台無しにされてはたまらないの。おかしなことを企んでるなら、部活対抗リレーは辞退して。もし何かあった時は──」
「日野会長」

 前に出て鋭い声を発した僕に、全員の視線が集まった。
 会長は話を切られた不快を浮かべ。鴫原くんは、笑顔の張り付いた中途半端な表情できょとんとしている。

 僕は半分慌て、半分憤っていた。
 何をしているんだ。生徒会長の話を遮って、割って入るなんて。こんなことをしたら彼女がどう感じるかもよくわかっている。自分の行動に自分でも驚いていた。
 けれど、黙って聞いていられなかった。絶対にそれは違うと、知ってるから。

「彼らのリレー用のデモンストレーションについては、僕が完成まで立ち会って見届けました。安全面で心配はありません」

 いいかげんなんかじゃない。彼らは彼らなりに、常に真剣だった。自分たちも周りも楽しませたい、その一心で。

「今日も絶対に、周囲に迷惑がかかるような問題は起こしません。僕が責任を持ちます」

 きっぱり言い切った僕の傍らで、鴫原くんが「真瀬……」と呆けたようにつぶやく。
 でも僕はそちらを見ず、日野会長を見据えたままでいた。
 立てつくようなことを言ってしまった。さて、どう返されるか。
 張りつめた沈黙を、じっと耐える。

「本当に大丈夫なのね?」

 苛立ちを封じ込めた声で、会長が僕に念を押した。

「大丈夫です」
「……わかったわ」

 瞑目して言い、背を向ける。そのまま、スタスタと廊下を歩き去っていった。
 どう考えてもいい気分ではなかっただろう。後でまた呼び出され、お叱りを食らうかもしれない。
 でもとりあえず、言いたいことは言ったし、リレーを辞退なんて話にもならずにすんだ。

「やるじゃん、真瀬!」

 御崎くんに背中をバシッと叩かれ、僕は会長から傍らの3人に目を移す。御崎くんが続けて言った。

「『僕が責任を持ちます』って、かっけー! さすが風紀委員長だな!」
「いや……」

 僕は言い淀んだ。風紀委員長として称賛されると、抵抗がある。
 さっきのあの言葉を言う時、僕は……

「別に、風紀委員長として言ったわけじゃない」

 まぁ実際、風紀委員長の僕の言葉だから、会長も引き下がってくれたわけだが。それでも僕自身が職務を意識していたかといえば、そうじゃなかった。

「……じゃあ、なんで?」

 尋ねてきたのは鴫原くんだ。会長と対峙している時には浮かんでいた笑みが、今は消えている。あの時よりよほど真剣に見える真顔で問われ、戸惑いつつも僕は答えた。

「委員だからというより……単に、僕は知ってたから。君たちはいいかげんどころか、すごく一生懸命だったって。安全性も重視してたし」

 会長の勘繰りは間違っていた。だから言った。

「それに……」

 そこでまた、続きを口にするかどうかためらう。でも鴫原くんに目線で促され、思い切って告げた。

「これから成功祈願して本番に臨むのに、君たちだってやる気に水差されたくないだろ。だからさっさと終わらせたかっただけ」
「真瀬ー!」

 御崎くんがガバッと抱きついてくる。僕は面食らって目を瞬いた。

「ちょっと、離して。暑苦しい」
「んだよおまえ、ツンデレかよ~」
「はぁ? 何言ってんの……本当に暑いし重いって」
「はいはい離れようなー、充」

 鴫原くんが苦笑しながら御崎くんを引きはがしてくれる。ほっと息をついた時、鴫原くんと目が合った。

「……正直、真瀬があんなふうに庇ってくれるとは思ってなかったわ。サンキュ」

 最後の『サンキュ』を言う時、ふっと目を細める。はにかんだような笑みだった。
 それが今まで見たことのない表情だったので、思わずドキリとする。
 こんな照れたような顔もするんだ。
 僕の表情がどうこうとよく口にするけれど、自分だってそんな、意外な顔を隠し持ってるんじゃないか。

「……うん」

 なんだか彼のはにかみが伝染して、僕もぎこちなくうなずいた。

「時間なくなる、行くぞ」

 影石くんに言われ、そうだったと壁の時計を見やる。ちなみに僕らを追い立てて歩き出した影石くんも、嬉しそうに見えた。口の端が少し上がっているのでわかる。


 その後、理科室で弁当を食べて、成功祈願に鴫原くんが持ってきたキッ〇カットも食べ、円陣を組んで声を掛け合った。
 キッ〇カットを見た時には思わず「これ効くの?」と冷めた目になってしまい、御崎くんに「全受験生敵にまわすぞ!」怒られたけれど。
 まぁ、こういうのは気の持ちようだって言う。3人の士気が上がったのなら、それでいいのかもしれない。


 そして、部活対抗リレー本番。
 巡視の時間には重なっていなかったので、僕はクラス席で見学していた。

『午後の部1種目目は恒例の部活対抗リレー! 選手の入場です!』

 放送部のアナウンスで、入場門からぞろぞろと入ってくる生徒たち。それぞれユニフォームに身を包み、いろんなアイテムを手にしているので、もはや仮装パーティーの様相だ。
 クラス別チームの得点にも影響しないので、完全なお祭り種目。観客席にもそれを楽しむ賑わいが広がる。

 科学部は全員が白衣を着て入場してきた。班ごとに出走するので、もちろんAG班以外の生徒もいる。他班が第1から第4走者で、第5と、アンカーである第6走者がAG班だと聞いていた。
 列の最後尾で、鴫原くんと御崎くんが例の特製バブルマシンを手にしている。
 部活数が多いので3レースあり、最初の2レースに科学部はいなかった。
 そして3レース目。白衣を着た科学部の1人がコースに入っていく。

 ──うまくいきますように。
 ここまできたら、思うことはそれしかない。
 無言で見守る中、号砲が鳴ってスタートが切られた。
 ボールをリフティングしながら走るサッカー部。レシーブで繋ぎながら走るバレー部のペア。防具フル装備で必死に走る剣道部。演奏しながら走る吹奏楽部。

 そんな中で、科学部の他班もパフォーマンスしながら順を繋いでいく。ペットボトルの中の水が変色した。あれはきっとBTB溶液だろう。爆発したカツラを被って笑いをとったり……虫取り網を持って走るのは生物班か。
 ウケているけれど、今からAG班のやることを知っている僕としてはレベルが違うなと感じてしまう。
 それは部員たちも承知なのだろう。第5走者の御崎くんが前走者のタッチを受けた時、科学部員たちからは「行けー!」と大きな声があがった。

 御崎くんのバブルマシンは小さなシャボン玉を作る用だ。走り出すと同時に、御崎くんはバズーカ型のバブルマシンを両手で掲げ持つ。口からぽんぽんと、拳大のシャボン玉が数えきれないほど生まれて宙に舞った。
 中に充満しているスモークは最初薄紫だったけれど、すぐに色を変えていく。しかも割れない。地面に落ちてもまだ色を変えながら転がるシャボン玉を見て、この出し物のすごさに気づいた観客席からは大きなどよめきが起こった。

 いや、それだけじゃない。
 僕は御崎くんを見ていて気づくのが遅れたけれど、トラックの反対側にはアンカーを務める鴫原くんと影石くんが立っている。その鴫原くんが、すでに自分のバブルマシンで大きなシャボン玉を作り始めていた。どよめきの半分はそっちを見てのものだ。

 どんどん大きくなるシャボン玉。屋上で試した時よりも大きい。中のスモークは赤紫、赤と色を変えていっている。
 やがて御崎くんが完走し、影石くんにバブルマシンをパスした。

「ぶちかませっ、匡、聖!」 

 御崎くんに送り出され、鴫原くんと影石くんが走り出した。鴫原くんは特大シャボン玉を支え、影石くんが再び小玉を連射していく。
 もはや観客席は歓声の渦で、全員が科学部のアンカーに注目していた。立ち上がっている生徒もたくさんいる。他の走者ですら、ちらちら鴫原くんの特大シャボン玉を気にして、唖然としながら走っていた。

「なにあれ、すごっ! 全然割れないじゃん!」
「あっ、また色変わったぞ! どうなってんの!? マジすげーんだけど!」

 僕の周りでも興奮した声が飛び交っている。

 ──すごい。

 一体になるって、こういうことを言うのだと身をもって実感した。
 今この場にいる全員が同じものを見て、同じ高揚に包まれている。

 その先にいるのは鴫原くんだ。シャボン玉を気にしつつも、彼は笑顔で、とても楽しそうに見えた。最初は距離が遠かったけれど、トラックの反対側から僕のいる側へ走ってきているので、徐々に表情まで見えるようになってくる。
 ああ、やっぱり楽しそうだ。今の笑顔は、昇降口で日野会長に向けていたものとは違う。
 もっと明るい、弾けるような……きっと今は、本心からの笑顔だ。

 すごい、すごい。僕もバブルマシンになったように、その言葉を連発することしかできない。
 体の中が『すごい』でいっぱいになった頃、鴫原くんと影石くんがゴールラインに飛び込んできた。

 ひときわ大きな歓声があがる。鴫原くんのシャボン玉はまだ割れていない。彼は歓声に応えるようにバブルマシンを持ち上げ、もう一方の手でビシッとシャボン玉を弾いた。デコピンのやり方だ。
 シャボン玉が割れた。そこでもまた歓声があがる。なるほど、割って『ちゃんとシャボン玉でしたよ』というデモンストレーションをして終了ということか。

「……すご。本当にやりきった」
  
 緊張に張り詰めていた体の力を抜いた時。
 グラウンドに立つ鴫原くんと、目が合った。
 距離はけっこうあったのに、はっきりそうわかる。
 鴫原くんは僕を見て笑った。客席に向けていたものとは違う、『ニコッ』という感じの、嬉しそうで柔らかい顔で。

「……っ」

 僕はなぜか、胸を突かれたような息苦しさを覚えて口を閉じた。
 なんだろう、この感じ。なんか今、ぐっときてしまった。

 鴫原くんはヒラリと手を挙げて、影石くんと一緒にトラック内へ向かっていく。選手はこの後、集合して退場だ。
 僕の何列か前でクラスメイトが数人、不思議そうにこちらを振り返っていた。
 鴫原くんが微笑みかけ、手を振っていたのが誰か気になっているようだ。

 ああ、そうか。この感じ……もしかしたら『誇らしい』なのかな。

 これだけ会場を盛り上げた鴫原くんが、『仲間』として僕に笑いかけてくれたから。
 デモンストレーションの成功とその笑顔が、僕は予想以上に嬉しかったのかもしれない。