レンズ越しの彼らは恋を知らない


 6月中旬に入った、ある日の昼休み。
 いつも通り教室の自席で弁当を食べ終えた僕は、いつも通り読書をしていた。
 朝のHRまでの時間も、昼休みも、僕は基本的に独りで過ごす。特に、雑談に興じるような友人はいない。
 というか、そういう過ごし方を望まない。昔から騒がしいのは苦手だし、複数で群れることの必要性や楽しさもわからない。運動も得意じゃないので、独りで本を読んでいるのが一番好きだった。

 他者とのコミュニケーションは必要な時に、必要な範囲でだけすれば充分。それ以上はなくても、別に僕の人間関係は円滑に動いていく。口数は多くなくても言うべきことは言うから、今だって風紀委員長の務めも問題なくやれている。成果はまた別として、委員たちに不信任を訴えられてはいない、という意味でだけど。
 小中学生の頃には、「暗いやつ」だとか「オタクかよ」だよか「寂しくねーの?」なんて、からかいや要らぬ気遣いを向けられることもあった。けど、高校生にもなればもうそんなことをわざわざ言ってくる人もいない。

 とにかく、僕はそういう個体で。今で非常に満足しているので、これからも静かに過ごせればいい、過ごさせてください、と願っている。
 周りが僕のことをどう思っていようと、僕は僕の毎日が平穏ならそれでいい。

 そんなわけで、今日も先日買った小説を黙々と読み進めていたのだけれど──

「風紀委員長、いますか!?」

 ふいに廊下のほうから聞こえてきた声に、僕は嫌な予感を覚えながら本を閉じた。
 見覚えのない男子生徒がドアのところに立っている。1年生のようだ。

「何かあった?」

 席を立って歩み寄ると、男子生徒は緊張気味の声で告げた。

「さっき、理科室でガラスが割れたみたいな音がして。しかも1回じゃなくて、何回も……。科学部の人が、また何かやってるみたいなんです」

 ──やっぱりか。
 予感が的中して、つい重い息を吐く。
 我が校は偏差値も高めの進学校で、しょっちゅう問題を起こすようないわゆるヤンキー系の素行不良児はいないのだ。こんなふうに呼び出される心当たりなんて他になかった。まさか昼休みにまでやり始めたのか、とは思ったけれど。

「わかった、行く」

 今度はガラス破損か。でもそうなると……

「怪我人は? 先生には報告した?」

 僕は男子生徒と廊下を歩きながら尋ねた。

「怪我はないみたいです。てか、ドアに鍵かかってて入れなくて。中から『大丈夫大丈夫~』って明るい声で言ってるんですけど、念のため風紀委員に報告しようって誰かが言って」

 その場にいた中で、1人だけ後輩だった自分が伝達役に走ったのだと彼は話した。大丈夫と言われているのに告げ口になるようで、先生には報告していないらしい。その判断も僕に任せたいのだろう。

「ありがとう。後は僕が引き受けるから、君は戻ってくれていいよ」

 そう伝えると、男子生徒は安心した顔で去っていった。僕は一人で特別教室棟に入り、理科室を目指す。
 到着してドアに手をかけると、聞いた通り施錠されていた。ノックをして中に呼びかける。

「風紀委員の真瀬です。破損音がしたと報告があって来ました。開けてください」
『真瀬? あー、来ちゃった?』

 中から声がする。鴫原くんだ。
 続いて足音が近づき、カチャッとロックを外す音がした。僕は即座にドアを開け、室内へ入る。前寄りのテーブル付近で、影石くんがホウキで床を掃いていた。御崎くんは別テーブルの水道で何かを洗っている。

「ガラスが割れる大きな音がしたと聞きました。怪我はないですか?」

 一応きちんと確認しないと心配で、まず尋ねた。傍らに立つ鴫原くんがひらひらと手を振って、

「してないしてない。誰も近くにはいなかったから」
「そうですか。よかった」
「心配してくれんだ? 優しいね」
「するでしょう。当たり前です」

 毎回、ヒヤヒヤしながら駆けつけているというのに。相変わらず当事者は暢気なものだ。
 前回のトラブルからまだ1週間も経っていない。かなり念押ししたし、顧問にもさすがに厳しく指導してほしいと頼んだのだが、この状態。
 さらにきつく言うべきなんだろうか。でも、言葉をきつくしたところで彼らに響くとはもう思えない。
 昼休みだからあまり時間もない。今は必要最低限の対応をすることにして鴫原くんを見た。

「何があったのか端的に説明してください」
「ある調合をしてたら予想以上の反応が出て、急激な内圧変化に耐えられなかった容器がいくつか割れました、ってとこだな。今回も有害物質は発生してません、ご安心ください」
「……これも、部活対抗リレーの準備ですか?」
「うん、そうそう」
「昼休みに?」
「放課後は生物班がこの部屋使うから。でも俺たちも進行遅れてて、進めないとヤバくてさ。ちゃんと部屋の使用許可は取ってるよ」

 とりあえず無断使用でなかったことには安堵した。彼の言葉を借りるなら、一応今回も『真面目で大事な』活動の一環というわけだ。

「わかりました。ですが前回、これまで以上に注意してほしいとお願いしたはずです。そのたった数日後にまたこの事態になったことを、鴫原くんはどう考えていますか」
「あの配分じゃうまくいかないってわかったから、次は配分変えたらきっと成功するって考えてる。もう割れることもないよ、多分」

 出た、エジソン構文。やっぱりだ。失敗を失敗とも思わないこのスタンス。
 それとも熱心な研究家ってみんなこうなのか。掃除を終えたらしい御崎くんと影石くんは、こちらを気にすることもなくテーブルでまた何か始めているし。
 さて、なんと言おう。多分じゃ困るんだということを、この浮世離れした部長にどう話せばわかってもらえるのか。
 悩んでいるうちに、鴫原のほうが「それよりさぁ」と口を開いた。

「前から気になってたんだけど、真瀬はなんでいつも敬語なの? 俺らのこと見下してる?」
「え?」

 予想もしていなかった質問をされ、僕はきょとんとしてしまう。
 見下す? どうしてそんな話になるんだ?

「見下してなんかいませんが。敬語だと、何かおかしいですか?」
「いやだって、俺らタメっしょ。普通でいいじゃん」
「はぁ……たしかに同学年です。でも今は、風紀委員長として話をしてるので」

 僕は今、委員の仕事で彼と話している。そういう時は、誰が相手でも敬語で接していた。風紀委員の定例会議を敬語で司会進行するのと同じ感覚だ。
 特に意識していなかったけれど、単に仕事モードに入っただけ。別に『風紀委員』や『委員長』であることが、それ以外より偉いとも思っていない。僕はそういう役割だというだけのこと。
 けれど鴫原くんは、どこか拗ねたような表情で切り返してきた。

「でも、俺みたいに『同じ生徒なのに対等じゃない感じだな、もしかして下に見られてんのかな』って感じる相手もいるかもよ。なぁ、充、匡?」

 最後は後ろを振り仰いで、御崎くんと影石くんに呼びかける。2人が実験の手を止めて顔を上げた。

「だな~。お高く留まってるように思われるかも。俺はそこまで気にしてないけどね」
「硬いしな」

 聞いていないようで、ちゃんとこっちの話も聞いていたらしい。御崎くんの後に、影石くんも同意した。

「な? 真瀬、基本無表情でスンッてしてるし。その顔で冷たく言われたら、見下されてるような気になる人もいるかもねって話」

 最後にもう一度鴫原くんが言う。僕は困惑して、眼鏡のテンプルに右手を触れながら言葉を探した。

「いや、本当にそんなつもりはなくて……『スンッ』ていうのもよくわからない。僕はいつもこういう顔だから」

 むしろ、独りを好む自分のほうが異端なのだという認識はある。自由時間、賑やかな教室の中で浮いているのは僕のほうで。からかわれたりはしないものの、奇異の眼差しを感じることはたまにあるし。
 僕はあくまで、『違い』を認識しているだけなのだけれど。でももしかしたらそれが、鴫原くんたちが言うような印象を与えてしまうこともあるんだろうか。
 権力をひけらかすような人間だと思われていたのなら、僕としても不本意なことだ。

「顔のことはわからないけど……ごめん。今までそういう発想は持ててなかった」

 僕は背筋を伸ばして順に3人を見た。

「敬語はやめる。指摘してくれてありがとう。表情はちょっと、現状どうしようもないから我慢してほしいんだけど」

 そう話すと、3人は一様にぽかんとする。そして音もなく顔を見合わせた後、最初に鴫原がふっと笑いを漏らした。

「えー、意外。怒られるかと思ってたわ」
「怒るって……なんで。不快な思いをさせてたのは僕のほうなんだろ」
「や、不快は大げさだから真瀬もそこまで気にしないで。てか、そっか。もっと頭でっかちの堅物かと思ってたけど、案外素直なんだ」

 頭でっかちの堅物……。
 まあ、探求心旺盛な天才肌の彼からしたら、校則の権化よろしく毎回説教しにくる僕(しかも話し方が気に食わなかった)は、そんなふうに思われても仕方ないのかもしれない。

「風紀を正すのが僕の仕事だから。でも、人にはそれぞれ事情もあるし、僕自身は偉くもなんともないし……頭でっかちにはなりたくない……と、思ってる」

 こんな、心構えみたいな心情を話すのはあまりないことなので、気恥ずかしくて後半は軽く視線が泳いだ。それでも言い切ると、

「なんだよ~、話せばわかるヤツなんじゃん、真瀬ー!」

 テーブルを離れた御崎くんがずんずん歩いてきて、バシッと僕の上腕を叩く。痛いな。
 影石くんは動かないけれど、僕を見る口元が少し緩んでいた。

「俺も誤解してたわ、ゴメンな~」

 鴫原くんが、例によって馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。

「でもこれで和解成立だ。てわけで、今回も大目に見て?」

 甘え声でパチッとウインクされた。とはいえ、もちろん返答は。

「それとこれとは別問題」

 例によって、さっさと腕を振り払った。