レンズ越しの彼らは恋を知らない


「寒くなったよな。ここでシャボン玉飛ばした時は、まだ夏前だったのに」

 澄んだ空を見上げながら鴫原が言う。
 文化祭も無事に終わった11月中旬の昼休み。たしかにここ数日でまた冷え込み、もう冬が目前に迫っている空気だ。人気のない屋上を吹き過ぎていく風もひんやりと冷たい。

「そう思うなら屋内で食べたらいいんじゃないか」

 カラになった弁当箱に蓋をしながら、僕はつっけんどんに返した。すると隣に座る鴫原は、拗ねたような顔をこちらに向ける。

「えー、真瀬が注文多いからだろ」
「注文なんかしてないよ」
「したじゃん。人の気配があるところでくっつくと怒る。廊下で足音するだけで部屋までは絶対入ってこないのに、それでも嫌がるじゃん」
「それは、君が……!」

 言いかけた抗議を途中でのみ込んだ。
 最近の鴫原はしょっちゅう二人きりになりたがるし、なるとあれやこれやと色んなことを仕掛けてくるのだ。
 いくら人が来ない(はずの)室内では二人きりだろうが、ハラハラしないわけがない。つい詳細に思い出してしまって頬が熱くなる。

「……当たり前だろ。学校で」

 ぶすくれてそれだけ言うと、鴫原はすすっと間隔を詰めて腰に腕を回してきた。

「俺んち来てくれるなら放課後まで我慢できるよ?」
「……行かない」

 お腹の位置にある手の甲をペシッと叩いた。鴫原は「いて」とこぼしたものの手は離さない。

「足掻くな~」
「……うるさい」

 わかってる。本当に、最後の最後の意味もない足掻きをしているだけだというのは。
 文化祭で忙しくてそれどころじゃないという期間もしばらくあったけれど、今はもう落ち着いた。それでも前に理科室で話した日からきちんとした返事をしていないのは──やっぱり、悔しいからだ。

「……君は、素直でいいよな」

 言葉にするつもりはなかったのだが、気づくと声が漏れていた。言ってから「あ」と思ったけれど、しっかり鴫原の耳にも届いたようで彼はパチッと瞬きをする。

「思ってること言ってるだけだし、言わない理由もないでしょ?」

 唇で頬に触れながら聞いてきた。互いの眼鏡のフレームが軽くぶつかって、カチと音を立てる。

 ──簡単に言ってくれるよな。余計に自分が情けなく思えてくる。
 自分でもみっともないとは思っているのだ。理科室で話したあの時から、僕はただ、素直になれていないだけ。もうちゃんと自覚はある。この気持ちがどういうものなのか。
 そして鴫原は多分、そんなのは全部わかったうえで待ってくれている。まぁ返事を待ってくれているだけで、行動はあんまり抑えられていないけど。

 優しいのか優しくないのか……そんなことを考えていたら、耳たぶにキスをした鴫原が少しだけかすれた声で囁いた。

「真瀬も素直になってよ」
「……!」

 ドクンと胸が鳴るのを感じながら、僕は首を引いて鴫原の顔を見る。

「そろそろ、答え合わせしてもよくない?」

 レンズ越しの瞳には、焦れたような色があった。
 しまった、自分からきっかけを与えてしまっただろうか。
 ……いや、違う。鴫原が焦れているのなんてもうずっとだ。出さないでいてくれただけだ。

「俺らの関係、ちゃんとした名前付いてないよ。真瀬、そういうの好きじゃないだろ」

 言いながら、鴫原は僕の眼鏡を外して床に置いた。もう何度かしている行為なので、手つきも慣れたものだ。
 わかってる。鴫原の言う通り、すぐに正確な答えを出したくなるのが僕の性分だ。数字とか、正式な名称とか、きっちりした回答を求めたくなる。
 それなのに、中途半端な状態をずいぶん長く続けた。わかってる。僕らしくない。

「優等生らしく、きちんとケジメつけませんか、真瀬くん」

 じっと僕を見て言ってから、鴫原は自分の眼鏡も外した。
 眼鏡がなくなると、顔の綺麗さが際立つなといつも思う。印象が柔らかくなるのも嫌いじゃない。思わず見入ってしまって、左胸の辺りがキュッと締まる。

 ──いいかげん限界かもしれない。降参する時期が来ているのかもしれない。

 そっと唇を重ねた後、ゆっくり深めて、徐々に熱っぽく触れ合って。
 濡れた音を立てて離れてから、鴫原はコツンと額をぶつけて聞いた。

「俺はこれからも、こういうふうに真瀬に触れたいんだけど。真瀬は嫌?」
「……嫌な相手にこんなことさせるか」

 嫌だったらとうに張り倒しているし、誘われて二人きりの場所に行ったりしない。

「そっか。それってどういうことだと思う? どういう感情?」

 あの日と同じような質問が繰り返される。
 さすがにもう逃げられないし、逃げるべきじゃないなと思った。

 最初の頃はとんだトラブルメーカーだと思っていた科学部部長。見下していたわけじゃないけど、正直厄介者の枠に入っていた。
 そんな男と深く関わるようになって、それまでの生活や、自分の概念を奔放に搔き乱された。『なんて男だ』と憤慨したことも数えきれないくらいあったのだ。
 でも気づけば、それは僕にとってもプラスになることで……いつの間にか鴫原に引っ掻き回されるのも、嫌じゃなくなっていた。それどころか、心地よくなっていた。

 人との深い関りなんて求めないし、独りで平穏に日々を過ごせればいい。それが一番気楽で生きやすい。そういう信条だったはずの僕が、こんなふうに変えられてしまうなんて。
 シャクだ。悔しい。でももうそんなこと言っている場合じゃない。悔しい以上に、僕はきっとこの男のことが……。

「『せーの』で同時に言おうよ」

 額を合わせたまま、鴫原はやんわりと僕の背中を抱く。
 そうだな。優等生たる者、わかっている回答を書かないなんて馬鹿なことはそろそろ終わりにするべきか。

 覚悟を決めてすっと息を吸うと、鴫原も続いた。
 鴫原は嬉しそうに弾んだ声で。僕はきっと真っ赤になっているのを仏頂面でごまかしつつも、観念して正解を口にする。


「「好き」」




 〇END●