「鴫原っ!?」
僕は井口くんと理科室へ駈け込んだ。入るや否や、焦げ臭い匂いが鼻を突く。
「真瀬くん」
声を返してきたのは鴫原ではなく、副委員長の浅香さんだ。ドア付近に立っている。
そして部屋の中央辺りにAG部の3人と、科学部顧問の男性教師、小川先生がいた。
傍のテーブルに実験器具があり、天板が黒ずんでいる。あそこが火元だろう。
「では、影石くんが……を……だね?」
距離があってきちんと聞き取れないが、小川先生が3人に状況を聴取しているようだ。口調は重く厳しい。小川先生はとても温厚で『菩薩』なんてあだ名もあるほどの人なのだが、今日は張りつめた空気が如実に伝わってくる。
AG部3人も一瞬こちらを見たものの、すぐに視線を戻した。僕が会話に入っていける雰囲気ではない。
「何があったのかわかる?」
僕は小声で浅香さんに尋ねた。来るまでの道で井口くんから、大きな被害ではないこととすでに鎮火していることは聞いている。
たまたま聞きつけた浅香さんと井口くんが駆けつけた時にはもう対処は終わり、小川先生もいた。僕にも報告をと、井口くんが探しに来てくれたのだという。
「詳しくは不明だけど、実験をしてたのは御崎くんと影石くんの2人みたい。火が出てすぐ、消火も2人でしたって」
「2人で……?」
じゃあ、鴫原は出火時にはいなかったっていうことか? 改めて会話中の4人を見やる。鴫原も他の2人と同じように、神妙な顔で目を伏せていた。
鴫原があんな顔をするなんて……。いったい何があったんだろう。詳しく知りたい。
ヤキモキしながら見守ること数分、ようやく区切りをつけたらしい小川先生がこちらを振り返った。
「ああ、風紀委員長も来てくれたのか。心配をかけてすまなかったね」
「いえ……それであの、状況は……?」
「俺と御崎が無茶しすぎたんだ。この間から2人で進めてた作業があって、今日は部活日じゃないけど勝手にやってた。ごめん」
誰より先に影石がそう話し、僕たちへ頭を下げた。
「ごめん」と御崎も続く。そんな2人へ、鴫原が諭すように告げた。
「おまえらだけの責任じゃないって言ってるだろ」
「けど──」
影石が何か言おうとする。しかし、その続きは新しく入ってきた足音に遮られた。
「とうとう火を出したって?」
「会長……!」
険しい表情で現れたのは日野生徒会長だった。入口からこちらまでズンズン進んでくると、鋭い目でAG班3人を見る。
彼女のほうが低いという身長差を、微塵も感じさせない威圧感が漂っていた。仁王立ちする憤怒像さながらに、彼女は視線を鴫原に定める。
「鴫原くん」
「……はい」
低く感情のない返事をした鴫原に、日野会長は一切気迫を弱めず続けた。
「いつかこうなるんじゃないかと危惧していたけど、やっぱりそうなったわ。火を出して、設備にも修復不能な損害を与えて。一歩間違えれば大事故だったのよ? この責任をどう取るつもり?」
「生徒会長、鴫原は──!」
影石が前に出ようとする。でもそれを、鴫原が腕で押しとどめた。
「すみませんでした。どうやったら責任を取れるかは、これから考えたいと思っています」
「鴫原!」
「聖、おまえが──!」
「いいから、黙ってろ」
事実を伝えようとする2人を、鴫原は頑として黙らせる。
苛立たしげにそれを見ていた日野会長も、やり取りを阻むように再び口を開いた。
「こんなことになっては、あなたの部長としての資質も疑わざるを得ない。享楽的でいいかげんな人間のくせに、なまじ頭が切れる──そういうのが一番タチが悪いわ。知識を利用して悪ふざけするのはもうやめて」
「っ……」
突き刺すような声に、御崎と影石がグッと息を詰めた。
僕も、無意識のうちに拳を強く握り込んでいる。
あんまりな言い様だ。たしかに鴫原は『面白いことをやりたい』が口癖の、退屈を嫌って楽しいことを追求したがる男だけど。でもけっしていいかげんじゃないし、AG班の活動もふざけているわけじゃない。
それなのにこんな、鴫原の人格自体を貶めるような言い方。
しかも会長は、今回の状況も正しく把握していない。出火は鴫原のいない時に起こったんだ。鴫原はそれを言おうとしないけれど……
「会長、お言葉ですが」
僕は会話に割って入った。『止めるなよ』という意思を込めて、鴫原を見ながら続ける。
「火が出た時に、鴫原くんはこの場にいなかったそうです。正式な部活日ではなく、2名が自主的に活動していたと」
途端、御崎と影石が少し安堵するのがわかった。やっと実情を伝えられたからだろう。
鴫原はなんともいえない曖昧な表情をしている。ごくかすか、苦笑のようなものが唇の端に浮かんでいた。
「ありがとう、真瀬」
抑えた声で告げ、一度目を閉じると、今度は会長を見据える。
「ですが、すべての責任は部長の自分にあります。本当に申し訳ありませんでした」
きっぱり言い切り、腰を折って頭を下げた。
こんな真摯な態度を取られるとは想像していなかったのか、日野会長の頬に戸惑いが浮かぶ。
「ええ、言うまでもなく部長の責任よ。それに謝って済む問題じゃないから」
鼻白みつつも、怒り冷めやらぬ様子で突き放す日野会長。その視線が宙を漂ったすえ、僕に止まった。
「あなたも、風紀委員長としてもっと考えてちょうだいね」
「……え?」
言われた意味が即座にのみ込めず、僕は頭をかたむける。その態度が気に障ったのか、会長はスッと眉間を寄せた。
「体育祭の時には、自分がしっかり監督したようなことを言ってたけど。それ以降は、すっかり慣れ合ってたみたいじゃない。あなたが彼らを甘やかして調子に乗らせたから、こんなことになったんじゃないの」
え──……
「真瀬は関係ないだろ!」
ぽかんとする僕の耳に、鋭い鴫原の声が飛び込んでくる。ハッとして見ると、終始神妙だった鴫原の顔は明らかな怒りに歪んでいた。
「……科学部と俺の問題です。真瀬は一切、関係ない」
会長相手に叫んだことを後悔してか、今度は声量を抑えて低く続ける。けれど声にも表情にも、隠せない怒りがまだ残っていた。
怒っているのは会長もだ。形のいい眉がキリキリと吊り上がっていく。
「何よさっきから、美しい庇い合いのつもり? やっぱりずいぶん仲良くなったみたいね」
鴫原と僕を交互に見て、彼女は忌々しげにまくし立てた。
「以前よりひどい被害を出してるのが何よりの証拠じゃない。真瀬くんがきちんと指導できていれば起こらなかった事態じゃないの? 風紀委員長ともあろうあなたが、風紀を乱す張本人と慣れ合うなんて。あなたはもっと責任感のある生徒だと思ってたわ」
「っ、だから真瀬は──!」
たまりかねたように鴫原が足を踏み出す。
「まあまあ、もうそのへんにしておきなさい」
手で制してそれを止めたのは、今まで黙っていた小川先生だった。鴫原と日野会長の間に立ち、ぐるりと周囲を見回す。
「みんな、落ち着いて。今後の対応については、まず学校側で話し合うから」
穏やかだが教師の威厳を滲ませた声で言うと、次に日野会長を見て続けた。
「日野くん、生徒会長として事態を危ぶむ気持ちはわかるけれど、あんな言い方は君らしくないよ。冷静になりなさい」
「っ……」
日野会長は唇を噛んで床に視線を落とした。自覚はあるのかもしれない。やがて顔を上げると、「すみませんでした」と謝って部屋を出ていく。
「鴫原、影石、御崎。改めてだが、君たちも反省するように」
「……はい」
3人は再び項垂れ、重い声を落とした。
●〇●〇
正門へ続く道を、AG班の3人と歩いていく。
理科室で場が解散となった後、浅香さんや井口くんとは廊下で別れた。
3人の表情は暗く、言葉もない。こんなに落ち込んでいる姿を目にしたら放っておけなかった。
でも、僕も正直どう言葉をかけたらいいかわからない。もう数分沈黙が続いている。
「真瀬、ごめんな」
間もなく校門という位置で、足を止めて沈黙を破ったのは鴫原だった。
合わせて立ち止まりながらも僕は戸惑う。今のは何に対する謝罪だ?
その疑問を察したのか、鴫原は続けて、
「俺たちのせいで、真瀬まで会長にあんなこと言われて」
「それは鴫原が謝ることじゃない」
僕は即座に答えた。ボヤを出したことや学校設備を破損させたことなら、同じ校舎を使う生徒として受け止める。でも日野会長の件はまったくの別問題だ。
「鴫原が気に病むことじゃない。もちろん御崎も、影石も」
視線を移しながら言うと、御崎と影石は申し訳なさそうに弱く微笑んだ。
けれど、鴫原は真剣な瞳で僕を見つめてくる。
「でも俺たちと仲良くならなければ、あんなふうに言われることはなかった。……もしかしたら会長以外にも、似たようなことを思ってる生徒がけっこういるのかもしれない」
レンズ越しの瞳が、一瞬揺らいだ気がした。何かがピンと張りつめた顔で、鴫原は次の言葉を継ぐ。
「あんまり一緒にいると、風紀委員長の肩書きに傷をつけちゃうかな」
口角を上げ、困ったような笑みを作っていた。けれど声には、いつもの軽妙さも明るさもない。普通を装いつつも不安に揺れているような……そんな問いかけ。
適当に答えちゃいけない。そう感じたから、僕は考えた。実際に想像してみた。
僕と鴫原たちが一緒にいることを、周囲はどう思っているだろうか。会長が言うように『慣れ合った』とか、僕が問題児に感化されたと思う生徒はいるだろうか。親しくなったから僕が甘い対応をしていると思う生徒はいるだろうか。
……いないとは言い切れない。でも──
「もうやめよっか、仲良くするの」
「!」
抑揚のない声に、僕は肩を震わせる。
鴫原はさっきまでよりはっきりした笑みを浮かべていた。ニッコリという表現が似合う、綺麗な……今ほど関わりのない頃、注意する僕を穏やかに受け流していた時のような笑顔。
その瞬間、僕は気づいた。
今は考えるより何より、即答しないといけなかったんだ。事実なんかより真っ先に言うべきことがあった。鴫原もそれを期待してくれてたはず。
でも僕はそっちをためらって、考えるほうを選んだ。そのためらいが、鴫原にも伝わってしまった。
「鴫原……」
「聖、そんな極端な……」
「落ち着けよ、鴫原。今日は誰も冷静じゃないし……」
体を強張らせる僕を助けるように、御崎と影石が取り成そうとしてくれる。
けれど鴫原は2人の言葉も笑顔でかわした。
「だって、風紀委員長様にこれ以上風評被害出しちゃ申し訳ないでしょ」
「鴫原、僕は──」
「な、そうしよ」
ポンと肩に手が載る。
「そのほうがいい。……つらい顔させたいわけじゃないし」
最後の言葉は目線を外し、ぼそっとつぶやくように落として。肩に触れていた手もすぐに離れていった。
そうして鴫原は、御崎と影石のほうを向く。
「充、匡、おまえらもな。これ部長命令だから。今日の無茶反省してるなら言うこと聞け」
「っ……」
「聖……」
2人は返す言葉なく黙り込む。
鴫原は言い出したら聞かない。僕も含め、全員が知っていること。
誰も、何も言い返せず……重苦しい空気のなか校門を出て、その場で別れた。
──どうして僕はすぐに答えなかったんだ。
周りがどう思うかと、僕が鴫原たちといて楽しい気持ちはなんの関係もないって。周囲の目なんて気にしないって。
……後悔しても、時間はもう取り返せない。



