レンズ越しの彼らは恋を知らない


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 その後もこれといったことなく、夏休みは終了した。
 新学期に入って数日が経過したある日。昼休みが間もなく終わろうかという頃、

『今日、2学期最初のAG班招集日。理科室おいでよ』

 鴫原からのメッセージに、僕はふっと苦笑を漏らす。
 ──文面だけ見たら、僕もう完全にAG班員だな。
 実際には違うし、行く理由も義理もないのだけれど。

『わかった』

 すぐに返信をしてスマホをしまう。
 登校日に会わなかったので、御崎と影石には1カ月ほど顔を合わせていない。鴫原とも数日前に通話したのが最後だ。
 『久しぶり』の挨拶くらいはしに行こう。渋々ではなく、普通にそう思うようになっていた。


 そして放課後。
 さっそく理科室に足を運ぶと、いつにない光景が目に飛び込んでくる。

「御崎、そっちの反応どう?」
「変化なし。こっちは無理っぽいな」
「うーん、そうか。次は亜鉛で試してみるか……」

 御崎と影石が、2人で熱心に何かしていた。影石だけでなく、珍しく御崎も白衣姿だ。
 で、鴫原はそんな2人を横で見ていたようだが、僕に気づくなり足早にこちらへやってくる。

「真瀬、久しぶり」
「うん、会うのは久しぶり」
「こっちこっち。匡と俺のお土産あるから食べよ」
「え?」

 壁側の席に引っ張って行かれ、僕は戸惑いながら椅子に座った。

「実験は?」

 今も御崎と影石は、2列離れたテーブルで何やら話し合っている。影石の持つノートを見つつ、真剣な顔つきだ。没頭しているようで、僕が来たことにすら気づいていない。

「鴫原はやらないでいいのか?」
「いいのいいの。俺の今日の目的はこっちだから」

 にこやかに告げ、鴫原は僕の隣に座った。そして机上に置かれていた複数の菓子箱を引き寄せる。

「北海道と鎌倉のお土産。おいしいよ、はい」
「どうも」

 饅頭とクッキーと煎餅を次々渡された。鴫原は最後にもう一度饅頭を手に取ると、包装を解いて自分で食べ始める。

「誕生会が楽しかったから、その後夏休みつまんなすぎてさ。早く学校始まってほしくて仕方なかったわ」
「……そうなんだ」
「うん。けど部活も始まったし真瀬にも直接会えたし、今日はいい感じ。あ、それで今日聞こうと思ってたんだけど、真瀬ってここに来ない日の放課後は何してんの? 俺部活以外にもいろいろ誘ってい? 饅頭食べなよ、こしあんあっさりめでうまいよ。あ、つぶあんのがよかった?」
「ちょ、ちょっと待って」
「え、何? もしや白あん派?」
「違う。一気に話すな、情報量が多すぎる」
「あ、ごめん。久々に直接会えたの嬉しくてテンション上がってるわ」

 平然と言って、饅頭の残りをポイと口に放り込む。
 いつも通り飄々とした態度だ。けれど発語量の多さからすると、テンションが上がっているのは本当っぽい。なんだ、さっきの怒涛の畳みかけ。
 いくつも質問されたし、なかなかにさらりと看過できない内容が含まれていた気がする。とはいえ、とりあえず最も答えやすいものから答えておこう。

「ええと……こしあんでいい、後で頂く」
「そか」

 コクンと嚥下しながら鴫原もうなずいた。
 問題はこれ以外だ。なんて言っていた?

 僕に直接会えたから今日はいい感じ。
 僕が理科室に来ない日は何をしているか?
 部活以外にも色々と誘っていいか? 

「……なんだか、現状よりもっとたくさん会いたいって言われてるような気がするんだけど」
「うん、言ってるけど」
「…………」

 僕は手に載せたままだったお菓子を机上に置いた。
 鴫原からは、返事を待つ期待の眼差しが注がれている。明らかに、関わり始めた頃にはなかった熱を持って。
 ──デコチューの件以来、何度か考えてはその都度放棄してきたことを、やはり聞いたほうがいいのかもしれない。
 否(いな)、聞くしかない。聞かない限り、僕には到底答えが出せない。

「鴫原」
「はいはい」
「会いたいと言われるのは……その、ありがたいことだとは思うんだけど。僕からも質問していいか?」
「いいよ、どうした?」
「鴫原は、どうしてそんなに僕と会いたいんだ?」

 それなりの思い切りを持って尋ねると、鴫原は最初、意図を掴みかねたようにほけっとした。そして1秒後、『なんだそんなことか』というように相好を崩す。

「もちろん、楽しいからだよ。真瀬といると退屈しない」
「……退屈」

 それは、鴫原がとても嫌っているものだ。これまでの経験もあって、彼は退屈な学校生活に辟易している。
 でも彼には御崎や影石もいて、この部活動で刺激を見出せているんじゃないのか。僕個人に固執される理由がわからない。
 ……と思っていたら、問うまでもなく鴫原が言葉を続けた。

「俺、真瀬の表情変わるの見てるとすごい楽しいんだよな。掘り出し物ゲットした、って気分になるっていうか」
「いや、掘り出し物って」

 僕の顔は骨董市のレア品か。妙な例えに憮然とすると、鴫原はなだめるように微笑した。

「だって、真瀬って最初の頃、あんま表情なかっただろ。いつも無感情な冷めた目して、俺らのことなんか下に見てるんだろうなと思ってたし。まぁ誤解だったってわかったけど」

 そう、それは誤解だ。敬語で話していたこともあってそんな印象を与えていたと知り、あの時は僕も反省した。

「でも、刺激があれば案外コロコロ表情変わって、いろんな顔するんだよな。それわかったら、今まで知らなかった顔見れんのがすげー楽しいの。プレゼント交換した時に照れてたのも、ゲーセンでムキになったりビビったり、はしゃいでんのも超よかった」
「は? ビビったりはしてな──」
「してただろ。シューティングでゾンビに襲いかかられて」
「うっ」

 ……そういえばそんなこともあったかもしれない。醜態を思い出し、頬が熱くなってきた。
 反論できずに黙っていると、鴫原がふっと吐息で笑う。

「それだよ。今のそういう顔も、なんか刺さる」
「え……」

 こぼすように落とされた声の質感が今までと少し違った気がして、彼を見た。
 ──同時に、ちょうど伸ばされてきた右の指先が、僕の頬に触れる。

「!」

 僕はピクッと震えて硬直した。
 なんで触ってくるんだ……そう思っているのに、絡んだ視線に射止められたように動けない。

「……なんだろ。俺、真瀬の表情フェチなのかも」

 じっと僕を見ながら、鴫原は触れた指先をゆっくり滑らせた。くすぐったくて、またかすかに震えてしまう。

「もっと新しい表情が見たい、引き出したいって思うんだよな」
「フェチって……」

 口にしたものの、それ以上は言葉が続かなかった。
 こんなことを言われたのは人生で初めてだ。どう受け取り、どう反応したらいいのかさっぱりわからない。
 そもそも表情フェチなんて本当にあるのか? 僕限定で?

「だからさ、こないだのゲーセンみたいに、普段真瀬が行かない場所とか」

 困惑している僕の様子すら楽しむように、鴫原が軽やかな声で言いかけた時。
 ──ボフッ!

「わっ!?」
「!」

 突然大きな音がして、僕たちは同時に肩を跳ね上げた。

「な、何!?」
「うわ、大丈夫か?」

 音の発生源は御崎と影石の実験台からだ。見れば彼らの周りには薄い白煙が漂い、2人の顔や髪も白く汚れている。

「あー、大丈夫大丈夫、ただの薄力粉だから」

 ケホッと咳込みながら御崎が説明した。
 ああ、この白煙は粉じんか。ほっとしながら鴫原と二人でそちらに歩み寄る。

「びっくりした……はい、顔拭けば」

 顔の汚れがひどい御崎にハンカチを差し出すと、彼も「サンキュ」と受け取った。
 鴫原は影石の髪についた粉を払ってやっている。

「気をつけろよー?」
「ああ、わかってる。悪かった」
「僕、ホウキ取ってくる」

 床にはけっこうな範囲で薄力粉が薄い膜を張っていた。さっそく全員で掃除を始めたが、実験器具の粉汚れを落とすのにかなり骨が折れる。
 結局、最終下校時間までかかって……鴫原との会話も中断したまま、最後は慌ただしく解散することになってしまった。


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 図書室にいた僕の元へ風紀委員の井口くんが駆け込んできたのは、それから数日後の放課後だった。

「真瀬先輩、大変です! 理科室で科学部がボヤ出したって──!」