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数日後の、部活停止期間に入った初日。僕は鴫原に指定された空き教室で、机をくっつけて彼と向かい合っていた。
「わざわざこんなところに来なくても、図書室でよかったんじゃ?」
「ダメ、図書室じゃ話できない」
教科書をパラパラとめくりながら、鴫原は涼しい顔で即答する。
彼が僕と2人で勉強会をしたいと言うので、結局望まれるままOKしたけれど……。
「話って。勉強するんだからな?」
「またそういう顔する。雑談とは言ってないだろ」
ややむくれつつ、鴫原は教科書を繰る手を止めた。開いたページをぐぐっと手の腹で押して固定する。
「数学、わかんないとこは教えるからなんでも聞いて」
あ、そういう意味か。鴫原が開いたページは、事前に聞かれて伝えておいた僕のテスト範囲だ。理数系の鴫原の範囲とは、多分違う。
「ごめん、邪推した」
最初は『真瀬が俺と遊んで』なんて言い方をしていたけど、どうやらちゃんと勉強会をするつもりはあるらしい。
「うん。ま、こんな機会滅多にないし俺も多少はやるよ」
言って、鴫原は別の参考書を取り出す。そのままそれを黙読し始めたので、僕も勉強を始めた。
まず何の教科からやりたいかと聞かれて、数学と言ったのも僕だ。理数系も頑張っているが、僕の弱点ではある。
「……そこ、計算順変えたほうが解きやすいよ」
「え?」
せっせと教科書の問題を解いていた僕は、手を止めて顔を上げた。いつからこちらを見ていたのか、紙面に鴫原の長い指が伸びてくる。
「こっちの計算式を先にやんの。応用の考え方になるけど定理的には──」
「あ、そうか。ここの値はちゃんと出るんだ。ということは次に──」
「そうそう。このほうがスムーズでしょ」
「うん。僕、無駄にややこしい解き方してたんだな。全然気づいてなかった、ありがとう」
目からウロコだったので思わず声を弾ませると、鴫原はニコッと微笑んだ。
「どういたしまして」
さすが理数系の秀才というべきか。素直に感服した僕はそれ以降、悩んだところは自分から鴫原に質問した。鴫原はどの質問にもすらすら答えてくれる。
2時間弱で、僕は問題集のページをやり終えた。予定ではもうしばらくかかる想定だったのだけれど。
「鴫原のおかげではかどった、ありがとう」
改めて礼を言うと、鴫原も「よかったね」と口元を緩める。
「でも、僕は助かるけど、これ鴫原にメリットあるか?」
少し気になったので尋ねてみた。鴫原は暇つぶしに参考書を流し見しているようにしか見えず、ほぼ僕の個別指導状態だ。
すると、鴫原は持っていた参考書を机に置いて、
「まぁ、できればもっと面白いことしたいけど。真瀬は勉強したいんだろ。俺は真瀬といるだけでもけっこう楽しいから、いいよ」
また、飾り気のない笑みでするりとそんなことを言う。
「……そうか」
僕はたっぷり数秒溜めてからぼそっと答えた。
いつの間に、と思う。
いつの間に鴫原は、こういう感じになっていただろう。
今みたいな顔を、最初の頃に見たことはなかった。彼は以前からよく笑っていたけれど、もっと白々しいというか、あからさまな笑みで。いつもかすかに、胡散臭さが漂っていた。
でも今は、そういうものがない。
それに……懐かれているよな、すごく。2人で勉強会したいとか言うくらいなんだから。
「まだ数学やんの?」
尋ねられ、僕は一拍遅れて「うん」とうなずいた。
「今日は数学に集中するつもり」
「そか。んじゃ、他の教科は今度な」
「今度?」
「うん。物理とかも今回、ちょっと難しいって言ってなかった?」
「言ったけど」
次は物理を教えてくれるつもりなのか。今日だけじゃなくて。
「真瀬、明日も空いてる?」
「……空いてる」
どうしてこんなに懐かれたのかわからない。きっかけは、渋々始めた部活のお目付け役でしかなかったはずなのだが。
彼らの努力を目にして、僕の感情に変化があったからだろうか。
いつ騒動を起こすかわからない問題児ではあるものの、感心する部分や称賛する部分もあって。AG班3人が集まった時の騒々しさも、もう顔をしかめるほどの居心地悪さはない。
今、鴫原とこうして2人でいるのも苦痛ではなくて……むしろ、勉強会なんてものも慣れていないはずなのに、不思議と心地いい。
遠慮のない鴫原にはこっちも遠慮不要だ。気を遣わなくていいから気楽だと、鴫原も思っているのかもしれない。
──そんなわけで、翌日以降も僕たちは何度か一緒に勉強会をした。
やがてテストが始まり、土日をはさんで翌週に迎えた最終日。
「真瀬!」
HRが終わって帰り支度を整えていると、廊下から呼ばれた。見れば、鴫原が一直線にこちらへ歩いてくる。
「どうした?」
「決まってんじゃん。部活動解禁日だよ、部活やるよ」
鴫原は当然だろと言わんばかりの顔で胸を逸らした。
「は? なんで僕を迎えに来るんだよ」
僕は科学部員じゃないし、お目付け役ももう終えている。迎えに来られる覚えがない。
けれど鴫原は焦れたように僕の手首を取って、
「久々に見学おいでって誘ってんの。真瀬が言うからちゃんと活動停止守っただろ。こっちのお願いも聞いてよ」
話しながら、すでに歩き出そうとしている。僕は引っ張られる手を急いで振り払った。教室でこんなことされたら目立つ。
「わかったよ、行くから」
彼の強引な誘いにもかなり慣れてしまった。予定もなかったので、早々に折れる。今回、理数系の勉強を見てもらった恩もあるし。
さっそく上機嫌の鴫原と理科室に向かった。御崎と影石はすでに来ている。影石は一人で何かの培養らしい作業をしているが、御崎はパリポリとスナック菓子を食べていた。スナック菓子好きだな、彼。
と、そんな御崎が僕に気づき、ニカッと白い歯を見せる。
「おー、真瀬じゃん! 久しぶり!」
「久しぶり」
そのやり取りで、影石も顔を上げて僕を見た。
「なに、鴫原に連れてこられた?」
「あー、うん」
「やっと部活できるって思ったら、なんか真瀬も呼びたくなってさ」
言いながら、鴫原は僕を御崎の隣の椅子に促す。そして自分はもうひとつ隣に座った。僕を真ん中にして3人横並びだ。で、御崎のスナック菓子を一緒に食べ始める。
「……部活は?」
「今日は匡の個人研究の日。俺らも見学なの」
なんだそれ。部活っていうのか?
呆れるも、彼らにとってはこういうのもよくあることらしい。影石がせっせと作業する傍で、残る2人はお菓子タイム。勧めてくるので僕も少し頂いた。鴫原と御崎の雑談に、時々影石くんも言葉を挟む。
「いよいよ夏休みだな~」
御崎が言うと、影石が思い出したように作業の手を止めた。
「そういえば例の日程、8月7日でいい? そこなら1日空きそう」
「7日な、おっけおっけ」
「んじゃ場所の手配おまえに任せていいの、充?」
「おー、任せろ」
鴫原に問われ、御崎が得意げに親指を立てる。
「……なんの話?」
僕が尋ねると、御崎が再びニッと笑って、
「3人で集まる話。聖のお誕生会すんの」
「お子ちゃまみたいな言い方ヤメテ。普通に集まって遊ぶだけだよ、充と匡のおごりで」
「……そうなんだ」
「誕生日は8月3日なんだけどね。全員の予定が合う日、なかなかなくて」
そう話した後で、鴫原は悪戯っぽい目になって僕に少し顔を寄せた。
「てか、真瀬も俺の誕生日祝ってくれる?」
「…………」
「え、何その微妙な表情。地味にショックなんだけど」
「そりゃおまえの誕生日なんかどうでもいいだろ」
影石のツッコミに、鴫原が「ひどっ」と嘆きの声を出す。
「あ、えっと、そういう意味じゃなくて……」
どうしよう。言うか言わないか、数秒迷った。でも、黙っていたとしても居心地悪くなりそうだ。
「その……8月7日、僕の誕生日で」
「え」
鴫原が目をパチッと瞬き。
「ほぉ」
影石が淡白な声を漏らし。
「マジかよ。んじゃもう合同誕生会するっきゃなくね!?」
御崎が喜々として立ち上がった。
……うん、やっぱりそう来たか。
「えー、そっかそっか、知らなかった。俺ら誕生日4日違いなんだ。へぇ~」
きょとんとしていた鴫原も一転、楽しげにニヤニヤしている。
「7日空いてんの? 空いてるなら一緒に遊ぼ」
「いや、別にそういうつもりで言ったわけじゃないから僕にはお構いなく──」
「構うだろ。言ったらこうなるのわかってただろ、真瀬も」
「…………」
その通りだ。展開は読めていたけれど、自分で言ってしまった。
「……夜は毎年家族が祝ってくれるから。夕方までなら空いてる」
ぼそっと告げると、鴫原は満足げに口の端を持ち上げた。
「決まりな。充、真瀬はスポーツ系アレだからそういうの以外で頼むわ」
悪かったなアレで。
「りょーかい。4人で楽しめるとこ探すから期待しといて」
御崎が自信満々に請け負う。
こうして17歳の誕生日は、人生初の合同誕生日会開催が決定した。



