レンズ越しの彼らは恋を知らない


 風紀委員の務めは、校内の秩序を保つことだ。
 だから秩序を乱す生徒がいると相談を受ければ、真摯に対応する。
 それが問題行動の現行犯中なら、もちろん即座に現場へ駆けつける。 

「で、どうしてこんなことになったんですか、鴫原(しぎはら)くん」

 6月上旬の木曜日、放課後。ここ、私立森宮(もりみや)高校、特別教室棟にある理科室、前の廊下。
 2年5組の生徒であり風紀委員長である真瀬(まなせ)亜樹(あき)、つまり僕は、眼前に立ちはだかる男をじっと見つめた。

「だーから、ちょっと薬品の分量を間違えただけだって。想定違いだったの。あるだろ、そういうこと」

 眼前の男、鴫原(しぎはら)(ひじり)は悪びれた様子もなく答える。
 2年2組所属。科学部部長。目視でいくと身長は180㎝。176㎝の僕とは4㎝差か。
 いや、別にどうでもいいことなんだけれど、すぐに正確な答えを出したくなるのは僕の性分だ。数字とか、正式な名称とか、きっちりした回答を求めたくなる。

 だから個人的にも役職的にも、鴫原くんの着崩した制服も気になっている。

 森宮高校の夏服は白シャツにグレーチェックのボトム、えんじストライプのネクタイ、必要に応じアイボリーのベストだ。僕はすべてを規格通りに着用しているが、鴫原くんはシャツをボトムインしていないし、ネクタイの結び目も緩い。規格はあれどそこまで服装にうるさい校風ではないので、着崩し程度では注意しないけれど。

「俺らで後始末もしたから、もう問題ないよ。煙なんか出てないだろ? 匂いはまだちょっと残ってるけど」

 背後の閉ざされたドアをちらっとうかがいつつ、弁明する鴫原くん。僕は正直、信用しきれないでいた。

 そもそも彼は、どうにも胡散くさい印象がある。
 色素薄めで、ややウェーブがかった長めの髪(色もクセも天然らしいので校則違反ではないが)。
 そして、顔が抜群に整っている。すっと伸びた眉と鼻筋、薄い唇。形のいいアーモンド形の目に、瞳はこげ茶。で、そこにワインレッドフレームのスクエア眼鏡をかけていた。
 この眼鏡と張りついたような笑顔が、彼の胡乱な印象を強めている──と、同じ眼鏡でも黒メタルフレームのウェリントン型を愛用している僕は思う。ちなみに僕は頭も黒髪センター分けのストレート、瞳も黒だ。

 まあ、見た目で人柄を決めつける気はないのだけれど。鴫原くんに関しては、言動や前科も影響しているわけで。

「たしかに今は落ち着いたようですが、30分ほど前には異様な色の煙が漏れ出ていたと報告がありました。匂いもかなり強かったと」

 今もほんのり漂う、何かが焦げたような腐ったような、なんともいえない匂い。意識して嗅いだせいで、一瞬だけわずかに眉をひそめてしまう。

「うーん、まぁ、ヤバい匂いではあったけど。人体に害はないから。全然、安全な煙よ?」

「煙と異臭が出ている時点で安全な実験になってないです。科学部の活動中にこういった異臭や異音の相談が入って僕が駆けつけたのは、今年度に入ってこれでもう4回目──その認識はありますか?」

「そりゃね。4月から、ここ2カ月での話だし」

「昨年度までこんなことはありませんでした。鴫原くんが部長になってからです。活動内容を見直して、重々注意してください、とその都度言ったはずです」

「うん」

「うん、じゃなくて。なのにまた同じようなことになってるのはどうしてなんですか」

「だからちょっとした計算違いだって。初めて挑戦することにトラブルは付き物でしょ。真瀬は毎回同じ実験を繰り返してるとでも思ってんの?」

「そんなことは思ってませんが、トラブルを『付き物』で片づけてもらっては困ると言ってるんです」

「反省はしてるよ。でも、しちゃったもんは仕方ないじゃん」

「…………」

 とても反省しているようには見えない、という言葉は、言うだけ無駄だと思ったのでやめておいた。
 駄目だ、やっぱりどう注意しても鴫原くんの態度は変わらない。同じような会話を毎回している。
 僕は気持ちを落ち着けるため指で額をトントンと叩いてから、再び口を開いた。

「改めて確認ですが、今回はどういう実験をしてたんですか」

 それを聞くと、鴫原くんは楽しそうに瞳を輝かせた。『よくぞ聞いてくれました』とでも言うように。

「今さ、体育祭の部活対抗リレー用の準備してんだよね」
「ああ……」

 体育祭は6月下旬に控えている。あと2週間ほどだ。
 部活対抗リレーは速さを競うより部のアピールがメインなので、毎年各部、様々な衣装やデモンストレーションを準備して臨んでいた。

「なっ? 真面目な、大事な活動だろ? 大目に見てよ~」

 甘えるような猫撫で声で、鴫原くんが肩を組んでくる。ガバッと勢いよく来られたせいで、軽くふらついた。慌てて足に力を入れる。

「くっつかないでください」

 言いながら肩に回された腕を掴み、下ろした。
 ちなみにこの台詞も今回が初めてじゃない。鴫原くんは人との距離感がちょっとおかしいというか、スキンシップ過多だ。初めて駆けつけた日から、同じようなことをされた。
 こういう妙にフレンドリーなところも、彼のナンパなイメージを高めている。目や髪の色といい、ひょっとしたら外国人の血でも入っているのかもしれない。

「鴫原くんは理数系でトップクラスの成績を誇る、優秀な生徒だと聞いてます。その君が主導でやっていて、どうしてこんなにトラブルが多発するんですか」

 そう。ちゃらけたイメージと対照的に、彼は学業では秀才と評される生徒なのだ。だからこれは苦言半分、純粋な疑問半分で聞いた。

「それは、未知の領域にも果敢に挑むチャレンジ精神があるからだよ。文系でトップクラスの成績を誇る、秀才の真瀬くん」

 鴫原くんは腕を組み、にんまりと口を弧にして胸を張る。自信満々に言っているけど、未知すぎる実験を部活動でやることがまず問題じゃないだろうか。安全がまったく保障されていないことになる。

「はぁ。とにかく、今回も顧問の先生には──」

 報告して指導をお願いしますから、と続けようとした時。
 理科室の中からボフッと音がして、直後に「わー!」という声があがった。

「うわ、またか」

 すぐに鴫原くんが真後ろのドアを開けて中に入る。僕も後に続いた。

「え、わっ……!?」

 思わず声が漏れてしまう。室内には暗緑色というのか、重苦しい緑系の煙が漂っていた。なんて不気味な色だ。さっきまでとはまた違う異臭もする。
 出どころは机に置かれたフラスコで、僕がそれを見るとほぼ同時に、誰かがバサッとタオルで覆った。

「発生源封殺OK! (たすく)、換気急げ!」
「もうしてる。あ、鴫原、向こうの窓も開けて!」
「ハイ了解!」

 頼まれて鴫原くんは奥の窓を開けに走った。室内に元からいた2人がうちわでバッサバッサと扇いで、怪しい色の煙を外に散らしていく。

「やっぱりまだ続けてたんですね……」

 僕は呆れと疲れで肩を落とした。鴫原くんだけが廊下に出てきてすぐドアを閉めたので、そうじゃないかと懸念はしていたのだ。いつもの3人のうち、残る2人は懲りずに同じ作業を続けているんじゃないか、と。

「だいじょぶだいじょぶ、これくらいものの20秒で消えっから!」

 いつものもう1人、御崎(みさき)(みつる)がやたら爽やかに告げながらうちわ二刀流を披露している。
 鴫原くんよりさらに3㎝ほど高身長で、さらに制服を着崩した生徒だ。ノンネクタイ、シャツの前を留めず、中にいつも派手な色のTシャツを着ている。
 髪も染めていて、後ろは尻尾のようにちょろっと結んでいた。そして左耳にピアス。この出で立ちは個人的に見るたび気になるし、このままでは服装チェックもアウトだ。

「ほらもう消えた! 匡、仕上げ」
「おう」

 いつもの最後の1人、影石(かげいし)(たすく)がファ〇リーズをシュッシュと宙に噴射しながら歩き回り始める。
 彼は外見だけでいえば、鴫原・御崎の2人とはタイプが違う。身長170㎝ほどで、制服はきちんと着用。髪型には無頓着なようで、染めたりもしていない。ただし無頓着すぎて、前髪で目が隠れ気味だ。でもよく見ると二重で切れ長の、綺麗な目をしている。
 総じて純朴そうに見える生徒なのだが、どうやら彼こそが3人のうちでは一番の科学オタクらしい。今も彼だけがしっかり白衣を着ていた。

 と、この3人がトラブルを起こす時のイツメン。科学部は化学、生物、物理といった分野によってチーム別で活動していて、詳しくは知らないが、彼らでひとつのチームを結成しているらしい。

「こんなもんか」

 鴫原くんが言った。後始末完了と、3人はそれぞれ安堵の息をついている。
 あっけにとられた僕は傍観者と化していた。でも、性懲りもなく実験を続けて再発させるなんて由々しき事態だ。気を取り直し、これまで以上に厳しく注意しなければ、と息を吸った。
 ところが3人は、僕の存在なんて忘れているかのように集まって話を始める。

「やっぱ次々と七色に色を変えるってのは無理じゃね、聖?」
「無理かー。いやでも、それくらいの派手さ欲しいだろ。どうにかならない、匡?」
「もう5敗してるからな……他の素材で考えたほうがいいかも。それよりも強度の問題をどうするかだ」
「そっちもあるな。あー、課題は多い……」

 最後に鴫原くんがつぶやいて、全員でうーんと唸った。

「あの」

 僕は少し離れた位置から彼らに呼びかける。真っ先に御崎くんがパッとこちらを見た。

「あ、真瀬。まだいたんだ」
「いますよ……」
「ごめんごめん、そうだった」

 と、へらっとした笑顔で謝るのは鴫原くん。影石くんは無言で面倒くさそうな視線を向けてくる。

「2回もゴメンナサイ。今日はもうこれ以上作業しないから許してください。今後も気をつけます」

 話しながら鴫原くんが僕の傍まで歩いてきて、最後にぴょこっと頭を下げた。レンズ越しの瞳には、言葉ほど猛省の色は見えない。けれどさすがに、態度はしおらしくなっていた。

「絶対に、今後はこれまで以上に注意してください。顧問の先生にも報告して、改善しないようなら活動制限や停止も視野に、対応を検討してもらいますから」

 深いため息の後にそう告げて、僕は理科室を後にした。