*
放課後。
オレは瑠花の暮らすアパートへ出向いた。
瑠花は高校を卒業して大学に通い始める頃、一人暮らしを始めていた。
今日は午前で講義が終わるとかで、昼から部屋にいるらしい。
玄関のチャイムを鳴らす。
「律!」
ドアが開いた途端、瑠花がオレに抱きついた。
「待ってたよ」
「あ、ああ」
「ん? どうかした?」
「いや、別に」
「なら、いいけど」
いつものように笑う瑠花。
その顔を見ると、胸が苦しくなった。
これから自分が告げる言葉で、この笑顔を曇らせるかもしれない。そう思うだけで、胸の奥に重い罪悪感が沈んでいく。
部屋に通されたオレは、ローテーブルの前に腰を下ろした。
瑠花が冷蔵庫から麦茶を出し、グラスをオレの前に置く。
「はい」
「ありがと」
一口飲む。
冷たいはずなのに、喉が妙に乾いていた。
グラスを握る指先に力が入り、なかなか緊張が抜けなかった。
「ねえ、今年のクリスマスさ」
向かいに座った瑠花が、楽しそうに話し始める。
「今年はどっか行かない? 去年は結局、家でケーキ食べただけだったじゃん」
「……うん」
「イルミネーションとか見たいな。律、人混み嫌い?」
「別に」
「じゃあ決まりね。あとさ、お正月も――」
「瑠花」
「ん?」
「話がある」
瑠花の言葉を遮った。
さっきまで楽しそうだった表情が、少しだけ曇る。
その変化を目にして、もう後戻りできないのだと、嫌でも思い知らされた。
「……なに?」
「オレ、留学することになった」
「留学?」
「うん」
「え、すごいじゃん!」
一瞬で顔が明るくなった。
「どこ? アメリカ? ドイツ?」
「オーストリア」
「オーストリア……」
「ウィーン」
「えっ、すご!」
瑠花が身を乗り出す。
「音楽の街じゃん! 律にぴったりじゃん!」
「……うん」
「いつから?」
「今年の秋」
「秋かあ。じゃあ、それまでにいっぱい――」
「二年なんだ」
「……え?」
「留学期間」
瑠花の動きが止まった。
「二年?」
「うん」
「……そっか」
俯いた。
ほんの一瞬だった。
すぐに顔を上げて笑ったけれど、オレにはわかった。
笑おうとしているだけで、その奥に隠しきれない痛みがある。
寂しいんだ。
そう思った瞬間、罪悪感がさらに強くなった。
オレの夢のために、瑠花に二年間の寂しさを背負わせることになる。
「でも、すごいよ」
瑠花は笑う。
「律、ずっとプロのヴァイオリニストになるって頑張ってたもんね。お父さんみたいに」
「……うん」
「絶対行ったほうがいいよ」
あっさり言った。
「こんなチャンス、そうそうないでしょ?」
「瑠花」
「ん?」
「オレたち……」
言葉が喉につかえた。
別れよう。
たった五文字。
それだけなのに、口にしようとすると胸が締めつけられ、声が出てこない。
言えない。
「どうしたの?」
「……オレがいなくなったら、寂しいだろ」
「そりゃ寂しいよ」
即答だった。
「二年も会えないんだぞ」
「うん」
「会いたいときに会えない」
「うん」
「何かあっても、すぐに来られない」
「……うん」
瑠花の返事を聞くたびに、胸が痛んだ。
わかっているのに、それでも自分は行こうとしている。その事実から逃げられなかった。
「だから」
握っていたグラスから手を離した。
「別れたほうがいいと思う」
部屋が静まり返った。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。
放課後。
オレは瑠花の暮らすアパートへ出向いた。
瑠花は高校を卒業して大学に通い始める頃、一人暮らしを始めていた。
今日は午前で講義が終わるとかで、昼から部屋にいるらしい。
玄関のチャイムを鳴らす。
「律!」
ドアが開いた途端、瑠花がオレに抱きついた。
「待ってたよ」
「あ、ああ」
「ん? どうかした?」
「いや、別に」
「なら、いいけど」
いつものように笑う瑠花。
その顔を見ると、胸が苦しくなった。
これから自分が告げる言葉で、この笑顔を曇らせるかもしれない。そう思うだけで、胸の奥に重い罪悪感が沈んでいく。
部屋に通されたオレは、ローテーブルの前に腰を下ろした。
瑠花が冷蔵庫から麦茶を出し、グラスをオレの前に置く。
「はい」
「ありがと」
一口飲む。
冷たいはずなのに、喉が妙に乾いていた。
グラスを握る指先に力が入り、なかなか緊張が抜けなかった。
「ねえ、今年のクリスマスさ」
向かいに座った瑠花が、楽しそうに話し始める。
「今年はどっか行かない? 去年は結局、家でケーキ食べただけだったじゃん」
「……うん」
「イルミネーションとか見たいな。律、人混み嫌い?」
「別に」
「じゃあ決まりね。あとさ、お正月も――」
「瑠花」
「ん?」
「話がある」
瑠花の言葉を遮った。
さっきまで楽しそうだった表情が、少しだけ曇る。
その変化を目にして、もう後戻りできないのだと、嫌でも思い知らされた。
「……なに?」
「オレ、留学することになった」
「留学?」
「うん」
「え、すごいじゃん!」
一瞬で顔が明るくなった。
「どこ? アメリカ? ドイツ?」
「オーストリア」
「オーストリア……」
「ウィーン」
「えっ、すご!」
瑠花が身を乗り出す。
「音楽の街じゃん! 律にぴったりじゃん!」
「……うん」
「いつから?」
「今年の秋」
「秋かあ。じゃあ、それまでにいっぱい――」
「二年なんだ」
「……え?」
「留学期間」
瑠花の動きが止まった。
「二年?」
「うん」
「……そっか」
俯いた。
ほんの一瞬だった。
すぐに顔を上げて笑ったけれど、オレにはわかった。
笑おうとしているだけで、その奥に隠しきれない痛みがある。
寂しいんだ。
そう思った瞬間、罪悪感がさらに強くなった。
オレの夢のために、瑠花に二年間の寂しさを背負わせることになる。
「でも、すごいよ」
瑠花は笑う。
「律、ずっとプロのヴァイオリニストになるって頑張ってたもんね。お父さんみたいに」
「……うん」
「絶対行ったほうがいいよ」
あっさり言った。
「こんなチャンス、そうそうないでしょ?」
「瑠花」
「ん?」
「オレたち……」
言葉が喉につかえた。
別れよう。
たった五文字。
それだけなのに、口にしようとすると胸が締めつけられ、声が出てこない。
言えない。
「どうしたの?」
「……オレがいなくなったら、寂しいだろ」
「そりゃ寂しいよ」
即答だった。
「二年も会えないんだぞ」
「うん」
「会いたいときに会えない」
「うん」
「何かあっても、すぐに来られない」
「……うん」
瑠花の返事を聞くたびに、胸が痛んだ。
わかっているのに、それでも自分は行こうとしている。その事実から逃げられなかった。
「だから」
握っていたグラスから手を離した。
「別れたほうがいいと思う」
部屋が静まり返った。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。



