旧美術棟が完全になくなったのは、九月の終わりだった。
更地になったところに、来年からプレハブの部室棟が建つらしい。渡り廊下は途中で切られて、柵がついた。立入禁止の札は、いつのまにか外されていた。
美術準備室の壁に、写真が一枚貼られたのは十月だ。
僕はそれを、鶴巻先生に呼ばれて見た。
A4くらいの大きさで、プリンターで出したものらしく、色が少し沈んでいる。壁の全体が入っていて、下の深い青から中央の曲線、右上の黄色、そしてその上の白い空まで、全部が一枚に収まっていた。
投光器と車のライトで照らされた、夜の壁だった。
「あの日、来てたんですか」
「外から見てた」
先生はそう言って、写真の端を指で押さえた。
「浅野くんが降りて、五人で壁を見てるところ。あそこで撮った。入ろうかとも思ったんだけど、あれは私が入る場面じゃないから」
僕は写真を見ていた。
撮らないと決めたのは僕で、撮ったのはこの人だった。そのことについて、文句を言う気はまったく起きなかった。
「星野に送ろうかと思ったんだけど」
写真の端から指を離して、先生が言った。
「住所、知らないの。あの子から連絡もない」
僕もです、と答えた。
先生は写真を貼り直して、傾きを少し整えた。準備室の壁は掲示物で埋まっていて、その一角に、何の説明書きもないまま一枚だけ足された形になっている。誰かに訊かれたら答えるつもりなのか、訊かれても黙っているつもりなのかは、わからなかった。
九月から十月まで、連絡は一度もなかった。電話番号も住所も知らないままで、島の名前だけを知っている。調べれば、たぶん祖母の家はわかる。手紙も出せる。
それでも、僕はまだ一通も出していない。
出さない理由を、僕は自分でうまく説明できない。ただ、あの桟橋で、あの人は振り返らずに船へ入っていった。振り返らなかったことには意味があるのだろうと思う。
三年になって、僕は文系のクラスに入った。
選んだのは自分だった。相変わらず線はない。推薦はもう取れないので、一般で受けることになる。成績は落ちた。落ちた分を秋から詰めて、冬にもう一度落ちて、また詰めた。
軌道の再表示の手続きについては、一度だけ調べた。
所定の手続きを踏めば、線は戻る。戻せば、閲覧サービスにはまた進路の一覧が並ぶ。書類を印刷するところまでやって、僕はそれを机の一番下の引き出しに入れた。葉書と、置手紙の封筒が入っている場所だった。
入れたまま、一年半が過ぎた。
陸とは、三年でクラスが分かれた。
向こうは推薦が通って、四月から県外の大学でバレーを続けることになっている。線は一本のまま太い。廊下ですれ違えば話すけれど、あの夏のことをあいつは一度も話題にしなかった。僕も出さない。
三年の秋に一度だけ、体育館の裏ですれ違ったときに、あいつがこう言ったことがある。俺はまだ間違ってると思ってるけどな、と。前置きも後ろの説明もなかった。僕はうなずいて、それで終わった。
母が再表示の書類のことを訊いたのは、二年の冬だった。
戻さないのか、と。戻さない、と僕は答えた。母はそれ以上何も言わず、その話は二度と出なかった。食卓の椅子は四脚のままで、一脚には今も調味料の籠が置いてある。ただ、今年の正月に姉から年賀状が届いて、母はそれを捨てなかった。
卒業式の翌日、僕は港にいた。
三月の海は、八月のそれよりずっと硬い色をしている。風が冷たくて、待合所の中にストーブが出ていた。切符売り場の窓口で、僕は御崎島までの片道を買った。
片道にした理由は、自分でもよくわからない。
帰ってこないつもりはない。四月からは県内の大学に通うことになっていて、入学式の日程も決まっている。それでも、僕は往復を買わなかった。
乗船の列に並ぶ。
前に立っている人の足元から青が伸びている。その隣にも、そのまた隣にも。何本もの線が、船のほうへ向かって流れていく。
僕の足元からは、何も伸びていない。
一年半、一度も生えていない。生えないことに、もう慣れた。慣れたというより、これが僕の視界の形になった。
汽笛が鳴る。
通路を渡って、デッキに出る。手すりのところまで行って、街のほうを振り返る。坂の上に学校の屋根が見える。その裏側に、もう建物はない。
船が岸を離れる。
海が広くなっていく。防波堤を抜けると、視界を遮るものが何もなくなった。水平線がまっすぐに通っていて、その上に空がある。三月の空は薄くて、少しだけ黄色を含んでいる。
あの色に、僕は近いものを混ぜたことがある。
壁の前に二人で並んで、題名を聞いた日のことを思い出す。
あの日、僕らの未来は目視できた。
そう言えるのは僕だけだ。あの人は一度も自分の未来を見ていない。四月からずっと、足元に何もない世界を歩いていて、それを選んだのは本人だった。
それでも、僕は僕らと言いたい。
船が進む。
足元には何もない。顔を上げると、舳先はあかるいほうを向いている。
〈了〉
更地になったところに、来年からプレハブの部室棟が建つらしい。渡り廊下は途中で切られて、柵がついた。立入禁止の札は、いつのまにか外されていた。
美術準備室の壁に、写真が一枚貼られたのは十月だ。
僕はそれを、鶴巻先生に呼ばれて見た。
A4くらいの大きさで、プリンターで出したものらしく、色が少し沈んでいる。壁の全体が入っていて、下の深い青から中央の曲線、右上の黄色、そしてその上の白い空まで、全部が一枚に収まっていた。
投光器と車のライトで照らされた、夜の壁だった。
「あの日、来てたんですか」
「外から見てた」
先生はそう言って、写真の端を指で押さえた。
「浅野くんが降りて、五人で壁を見てるところ。あそこで撮った。入ろうかとも思ったんだけど、あれは私が入る場面じゃないから」
僕は写真を見ていた。
撮らないと決めたのは僕で、撮ったのはこの人だった。そのことについて、文句を言う気はまったく起きなかった。
「星野に送ろうかと思ったんだけど」
写真の端から指を離して、先生が言った。
「住所、知らないの。あの子から連絡もない」
僕もです、と答えた。
先生は写真を貼り直して、傾きを少し整えた。準備室の壁は掲示物で埋まっていて、その一角に、何の説明書きもないまま一枚だけ足された形になっている。誰かに訊かれたら答えるつもりなのか、訊かれても黙っているつもりなのかは、わからなかった。
九月から十月まで、連絡は一度もなかった。電話番号も住所も知らないままで、島の名前だけを知っている。調べれば、たぶん祖母の家はわかる。手紙も出せる。
それでも、僕はまだ一通も出していない。
出さない理由を、僕は自分でうまく説明できない。ただ、あの桟橋で、あの人は振り返らずに船へ入っていった。振り返らなかったことには意味があるのだろうと思う。
三年になって、僕は文系のクラスに入った。
選んだのは自分だった。相変わらず線はない。推薦はもう取れないので、一般で受けることになる。成績は落ちた。落ちた分を秋から詰めて、冬にもう一度落ちて、また詰めた。
軌道の再表示の手続きについては、一度だけ調べた。
所定の手続きを踏めば、線は戻る。戻せば、閲覧サービスにはまた進路の一覧が並ぶ。書類を印刷するところまでやって、僕はそれを机の一番下の引き出しに入れた。葉書と、置手紙の封筒が入っている場所だった。
入れたまま、一年半が過ぎた。
陸とは、三年でクラスが分かれた。
向こうは推薦が通って、四月から県外の大学でバレーを続けることになっている。線は一本のまま太い。廊下ですれ違えば話すけれど、あの夏のことをあいつは一度も話題にしなかった。僕も出さない。
三年の秋に一度だけ、体育館の裏ですれ違ったときに、あいつがこう言ったことがある。俺はまだ間違ってると思ってるけどな、と。前置きも後ろの説明もなかった。僕はうなずいて、それで終わった。
母が再表示の書類のことを訊いたのは、二年の冬だった。
戻さないのか、と。戻さない、と僕は答えた。母はそれ以上何も言わず、その話は二度と出なかった。食卓の椅子は四脚のままで、一脚には今も調味料の籠が置いてある。ただ、今年の正月に姉から年賀状が届いて、母はそれを捨てなかった。
卒業式の翌日、僕は港にいた。
三月の海は、八月のそれよりずっと硬い色をしている。風が冷たくて、待合所の中にストーブが出ていた。切符売り場の窓口で、僕は御崎島までの片道を買った。
片道にした理由は、自分でもよくわからない。
帰ってこないつもりはない。四月からは県内の大学に通うことになっていて、入学式の日程も決まっている。それでも、僕は往復を買わなかった。
乗船の列に並ぶ。
前に立っている人の足元から青が伸びている。その隣にも、そのまた隣にも。何本もの線が、船のほうへ向かって流れていく。
僕の足元からは、何も伸びていない。
一年半、一度も生えていない。生えないことに、もう慣れた。慣れたというより、これが僕の視界の形になった。
汽笛が鳴る。
通路を渡って、デッキに出る。手すりのところまで行って、街のほうを振り返る。坂の上に学校の屋根が見える。その裏側に、もう建物はない。
船が岸を離れる。
海が広くなっていく。防波堤を抜けると、視界を遮るものが何もなくなった。水平線がまっすぐに通っていて、その上に空がある。三月の空は薄くて、少しだけ黄色を含んでいる。
あの色に、僕は近いものを混ぜたことがある。
壁の前に二人で並んで、題名を聞いた日のことを思い出す。
あの日、僕らの未来は目視できた。
そう言えるのは僕だけだ。あの人は一度も自分の未来を見ていない。四月からずっと、足元に何もない世界を歩いていて、それを選んだのは本人だった。
それでも、僕は僕らと言いたい。
船が進む。
足元には何もない。顔を上げると、舳先はあかるいほうを向いている。
〈了〉



