5-1 鶴巻の証言
八月二十五日、僕は昼前から美術準備室の前に立っていた。
鶴巻先生が戻るのは午後だと聞いていた。何時なのかは訊かなかったので、確実に会うには待つしかない。廊下の窓から差す光が床に長い帯を作っていて、そこに僕の影だけが落ちている。青は一本もない。
三時を過ぎたころ、階段のほうから足音がした。
先生は書類の入った紙袋を抱えていて、僕を見ても驚かなかった。鍵を開けて、中へ入って、袋を机に置いてから、こちらを振り返った。
「星野、来なくなったでしょう」
僕はうなずいた。
「昨日から」
「そう」
先生は椅子を引いて、座らずに背もたれに手を置いた。準備室の中は絵の具と油の匂いがして、壁際に画用紙の束と、一年の授業で使う石膏像の小さいものが並んでいる。
先生の口ぶりには、驚きがなかった。
来なくなるかもしれないと思っていたのか、来なくなったら僕がここへ来るとわかっていたのか。どちらにしても、この人は昨日か一昨日のうちに、今日のこの場面を一度は想像している。
僕は封筒を出した。中の紙は出さずに、封筒ごと机の上に置いた。
先生はそれを見て、手に取らなかった。
「読まないんですか」
「あの子が浅野くんに宛てたものでしょう。私が読むものじゃない」
そう言ってから、先生は初めて椅子に座った。
「星野さんが鍵を借りに来たの、四月なんですか」
先に出たのは、そんな質問だった。
「四月の終わり。敷設の期間が終わって、しばらくしてから」
先生は答えて、それから少しだけ間を置いた。
「あの子、鍵をくださいとしか言わなかった。何をするのかも、なんで旧美術棟なのかも、一言も説明しない。私も訊かなかった」
訊かなかったんですか、と僕は言った。
「訊いてたら、貸してないと思う」
どういう意味なのかを確かめる前に、先生は椅子の上で姿勢を変えて、こちらへ向き直った。
「何が訊きたいの」
知りたいことは山ほどあった。どこにいるのか。何があったのか。線がないのはなぜなのか。消えると言ったのはどういう意味なのか。並べているうちに、どれも先生に答えられる質問ではない気がしてきて、僕は結局いちばん遠いところから訊いた。
「星野さんのお母さんのこと、教えてください」
先生はしばらく黙っていた。
机の上の紙袋を横へずらして、書類を一冊ずつ出して、また積み直した。話したくないのではなくて、どこから話すかを決めているのだとわかる間の取り方だった。
「澪っていうの。星野澪。私と同じクラスだった」
その名前を、僕はそのとき初めて聞いた。
「絵は、私なんかよりずっとうまかった。学年で一番だったし、たぶんあの年代の県内でも上のほうだったと思う。美術部じゃなかったんだけどね。部には入らないで、勝手に描いてた」
勝手に、という言葉の使い方が、娘のそれとよく似ていた。
「旧美術棟の壁は、三年の夏に描き始めたの。当時は普通に使ってる建物で、二階が美術室だった。壁に描いていいって許可を、当時の校長から本人が直接もらってきた。そういうことができる子だったのよ」
先生は少し笑った。懐かしむというより、呆れているときの笑い方に近い。
「敷設は、その年の秋」
僕は顔を上げた。
「今と制度が違うんですか」
「全然違う。導入されたばかりで、うちの学年が最初の対象だった。今みたいに四月に全員まとめてじゃなくて、十七歳になった順に呼ばれるの。だから十月とか十一月とか、ばらばらだった」
制度が変わった話は、星野からも聞いている。ただ、それを外側から語る人の口で聞くのは初めてだった。
「澪の順番が来て、受けて、戻ってきて」
先生はそこで言葉を切った。
「三本出たって言ってた」
僕は自分の足元を見そうになって、やめた。
四月に僕が受け取ったのも三本だった。同じ数字から始まって、片方は一週間で筆を捨て、もう片方は四か月かけて一本ずつ減らした。並べたところで意味のある偶然ではない。それでも、耳に入った瞬間に喉の奥が詰まった。
「三本とも、絵と関係のない仕事だった。何だったかまでは覚えてない。ただ、あの子はそれを聞いて、一週間くらい黙ってて、それから筆を全部捨てた」
「全部」
「そう全部。私がもらったのもある。まだ使える面相筆を、要らないからって五本くれた」
先生は手を止めて、引き出しのほうを見た。開けはしなかった。
「壁はそのまま。輪郭だけ引いた状態で、あの子は二度とあそこへ行かなかった。卒業して、県外の専門に行って、そこも途中でやめて、事務の仕事について、結婚した」
それは、星野から聞いた話と重なっていた。
「線のとおりに生きたんですか」
「たぶんね。年賀状のやりとりだけはあったから、だいたいは知ってた。子どもが生まれたのも、家を建てたのも、年賀状で知った」
先生の声に、そこで少し別の色が混じった。
「十年くらい、何も問題がなかったのよ」
問題がない、という言い方を、僕はうまく受け取れなかった。
「そのあと、また描き始めたんですね」
「そう。四十の少し前。連絡が来たの。展示を見に来てって」
先生は一度だけ深く息をした。
「行ったわよ。市民ギャラリーの、小さい部屋。作品は四点だけだった。私はね、正直に言うと、そのときの絵が好きじゃなかった」
思いがけない言葉だった。
「高校のときのほうがよかった。技術は上がってるの。上がってるのに、何を描きたいのかがわからなかった。二十年ぶんの遅れを一年で取り返そうとしてる人の絵って、そういう感じになるのよ」
言いながら、先生は自分で顔をしかめた。
「こんなこと、あの子の娘には言えないけどね」
その言葉を、僕も星野には言えないだろうと思った。
「そこから一年くらいで、線がどんどん細くなったって。仕事も変わって、家の中もうまくいかなくなって、最後は病気で死んだ」
病気のところだけ、先生は事務的に言った。
それから、僕の顔を見た。
「浅野くん、たぶん今、どっちが悪かったのかを知りたいでしょう」
図星だった。
「システムが絵の道を出さなかったから、あの子は二十年を無駄にしたのか。それとも、システムを無視して描き始めたから壊れたのか。どっちなのかを知りたい」
はい、と僕は答えた。
「どっちでもないと思う」
先生は机の上の封筒を、指先で少しだけ動かした。
「あの子の母親は、システムに殺されたわけじゃない。線を信じたことと、信じるのをやめたこと、その両方で削れていっただけ」
両方で、という部分が、しばらく僕の中で回っていた。
「信じたら削れて、信じなかったら削れて、じゃあどうすればよかったんですか」
「わからない」
あっさりしていた。
「わからないから、私は誰にも助言しないことにしてるの。鍵を渡すくらいはするけど、それ以上は言わない」
七月に鍵をもらったときのことを、僕は思い出した。あのとき先生は理由を訊かなかった。訊かれなかったから僕は助かって、助かったことを、この人は最初から計算していたのだろう。
「先生は、星野さんの家のこと、知ってるんですか」
訊いてから、踏み込みすぎたと思った。先生は嫌な顔をしなかった。
「父親が一人いる。単身赴任で、こっちにはいない。今は別の人がいるって聞いてる」
別の人、という言い方を、先生はそれ以上ほどかなかった。
「葬式で一度だけ会ったの。澪のね。十二歳だった。あの子、あの日ずっと立ってた。座りなさいって言われても座らないで、最後まで立ってた」
その光景を、僕は想像しようとした。
想像しかけて、やめた。想像したところで、それは僕が勝手に作った絵でしかない。
準備室を出るとき、僕は一度だけ振り返った。
「星野さんがどこにいるか、先生は知ってますか」
「知らない」
先生は書類の束を開いていた。
「本当に知らないの。知ってたら、たぶん浅野くんには言わないけど、知らないものは知らない」
言わない、と言い切った。
その正直さが、かえって信じられる理由になった。
5-2 姉
家に帰ってから、僕は机の一番下の引き出しを開けた。
葉書はそのままそこにある。二十日の夜に机の上に出して、翌朝また戻したものだ。三年前の日付が入っていて、印刷された転居の挨拶があって、その下に県名から始まる住所が並んでいる。市の名前は聞いたことがあったけれど、行ったことはない。
電車で二時間、と地図の画面には出た。
次の日、僕は始発に近い電車に乗った。
母には、図書館へ行くと言った。もう嘘をつくことに抵抗がなくなっている自分に気づいて、そのことを少しだけ考えて、それから考えるのをやめた。二十日の夜以来、あの家で誰も僕の予定を訊かない。
乗り換えを二回した。
窓の外を、線の生えた人たちが流れていく。ホームで待っている人にも、改札を抜けていく人にも、階段を上がっていく人にも、足元には必ず青がある。僕の足元にだけないという状態が、この三日でもう普通になりかけていた。
目的の駅は、思っていたより大きかった。
駅前に商業施設があって、バスのロータリーがあって、人が普通に多い。葉書の住所は駅から徒歩十五分ほどの場所で、僕はそこまで歩いた。着いたのは古いアパートで、外階段の錆びた、二階建ての建物だった。
部屋番号のところに表札はなかった。
インターホンを押した。応答がない。もう一度押して、待って、それでも何もない。平日の午前だから、当たり前といえば当たり前だった。
僕は階段を下りて、建物の前で突っ立っていた。
三年前の葉書を頼りにここまで来ること自体が、たぶん無茶だった。引っ越しているかもしれないし、そもそも住んでいないかもしれない。それでも、他に行く場所がなかった。
一階の郵便受けを見に行った。
部屋番号の下に、手書きの小さなシールが貼ってある。名字だけが、ボールペンで書かれていた。僕と同じ名字だった。
そこで僕は、近くのコンビニで飲み物を買って、アパートの向かいの駐車場の縁石に座った。
待つ以外にできることがなかった。
戻ってきたのは、午後の四時を過ぎたころだった。
自転車を押した人が、アパートの前で止まった。髪を後ろで結んでいて、黒っぽいシャツを着ていて、エコバッグを前かごに入れている。顔を見るまで、僕はそれが誰なのかわからなかった。
最後に見たのは十四のときだ。
向こうが先に気づいた。自転車のスタンドを立てた姿勢のまま、二秒くらい動きを止めて、それから僕の足元を見た。
「あんた、線は」
それが三年ぶりの第一声だった。
「ない」
「いつから」
「三日前」
姉は、それを聞いて笑った。
声を出して、本当におかしそうに笑った。僕はその反応をまったく予想していなくて、縁石から立ち上がったまま、何も言えずにいた。
姉は荷物を置くと、夜の勤務に出るからと言って、駅前のビルの二階にあるカフェへ僕を連れていった。
勤務が始まるまでのあいだ、僕は従業員用の狭い部屋に入れてもらった。パイプ椅子が二脚あって、小さな冷蔵庫が置いてあって、壁の一面がロッカーで埋まっている。姉は自分のロッカーから水のペットボトルを出して、僕に一本くれた。
「親には」
「言ってない」
「まあ、そうだろうね」
姉は自分のぶんの蓋を開けた。
なんで家を出たのか、と僕は訊いた。
三年間ずっと訊きたかったことのはずなのに、口に出してみると、驚くほど普通の質問だった。
「大学が合わなかったの」
答えも、同じくらい普通だった。
「経済学部に入って、二年の終わりでもう無理だってわかった。それで、やりたいことがあるって言ったわけじゃないのよ。やりたいことなんかなかった。ただ、このまま四年やって就職するのが、どうしても体が受けつけなかった」
やめたんだ、と僕は言った。星野の話を聞いたときと同じ相槌になってしまった。
「やめた。それで、線が示してない仕事に就いた。今の店じゃなくて、最初のとこね。半年で線が消えた」
「それで、家を出たんだ?」
「うん。でも、出されたわけじゃないよ。出たの、自分で」
姉は少し早口になった。そこだけ、用意してあった言い方に聞こえた。
「あの家にいると、毎日ごはんの時間に線の話になるでしょ。お父さんもお母さんも、悪気があって言ってるわけじゃないの。心配してるだけ。心配してるだけの言葉を毎日聞いてると、だんだん自分が家の中の問題みたいになってくるのよ」
僕はうなずいた。うなずけてしまう自分が少し怖かった。
「葉書、出したよね」
姉は一瞬だけ動きを止めた。
「届いてたんだ?」
「捨てられてたけど、拾って持ってる」
それを聞いて、姉は何も言わなかった。言わないまま、ペットボトルの蓋を開け直して、また閉めた。
劇的なことは何も言わなかった。この三年間どうしていたのかを訊くと、最初の一年は保証人がいなくて部屋が借りられなかった話と、今の店に入るまでに三か所変わった話を、事務的な調子で並べただけだった。
「脱線した人って、どうなるんですか」
敬語になってしまった。姉にではなく、脱線した人に向けて訊いていた。姉はそれを指摘しないで答えた。
「どうにもならない。不便なだけ」
「不便」
「保険が高い。部屋が借りにくい。カードが作れない。就職のときに説明を求められる。全部、不便ってだけ。誰も追いかけてこないし、何も奪われない」
それだけなのか、と僕は訊いた。
「それだけ。ただ、その不便が毎日あるから、だんだん疲れる。何かやろうとするたびに一枚多く紙を書くの。三年もやってると、書くのが面倒で諦めることが出てくる。それが、みんなの言う破滅だと思う。破滅っていうほど劇的なものじゃないけど」
僕はうなずいた。
うなずきながら、掲示板で読んだものを思い出していた。あの人たちが書いていたのは、もっと恐ろしい形のものだった。半年で消えるとか、話を聞かなくなるとか。実際にここにいる人は、疲れていて、それなりに笑って、ペットボトルの水を飲んでいる。
「お父さんたち、元気なの?」
姉が訊いた。訊き方がずいぶん軽かったので、僕は逆に答えにくくなった。
元気だと思う、と僕は言った。父は相変わらず新聞を読んでいて、母は保護者の画面を一日に何度も開いている。三年前と何も変わっていない。変わったのは、食卓の椅子が一脚空いたことと、その椅子に調味料の籠が置かれたことくらいだ。
籠の話をすると、姉は笑った。
「そういうとこ、お母さんらしいわ」
笑ってから、姉は真顔に戻った。
「あんた、たぶん今、あの家で二人目になりかけてるでしょ」
僕は答えなかった。
「私のときと同じ顔になってるよ、きっと。鏡で見たらわかる」
そこで僕は、本題を出した。
クラスに線のない子がいること。四月からずっと足元に何もないこと。消えると言われたこと。夏のあいだ一緒に壁を塗っていたこと。一昨日いなくなったこと。
姉は最後まで黙って聞いていた。
聞き終えてから、最初に言ったのはこれだった。
「その子、脱線じゃないでしょ」
僕は顔を上げた。
「四月から一本もないんでしょ。脱線は減っていって消えるの。あんたみたいに」
姉はペットボトルを机に置いた。
「それに、四月に受けた子が四月中に脱線するわけないじゃない。信頼度って、記録が動かないと下がらないのよ。敷設した直後に動く記録なんかない。あんただって、消えるまで四か月かかったでしょ」
言われてみれば、そのとおりだった。
「最初からゼロなら、それは脱線じゃない」
「じゃあ、未敷設ってことか。でも、受診率は九十九・九パーセントって書いてあった」
「その〇・一が何なのか、考えたことある?」
なかった。
四月にあのページを読んだとき、僕はその数字を、受けられなかった人の割合として読んだ。事故とか、病気とか、事情があって行けなかった人たち。
「受けなかった人がいるの」
僕が黙っているのを見て、姉は言った。
「受けられなかったんじゃなくて、受けなかったほう。制度の上でちゃんと認められてる。同意書を出さないだけ。それだけで敷設は行われない」
「そんな人、いるの?」
「年に何十人か。うちの県だと、一年に数人いるかどうかだと思う。私が知ってるのは、大学で一緒だった子に一人いたから」
自分の顔がどうなっているのかを、僕は把握できていなかった。
「みんな知らないのよ。知らないから、線がない子を見ると全部同じに見える。脱線も、未敷設も、受けなかった人も、全部まとめて、線のないやつ」
姉は水を一口飲んだ。
「それで、勝手に死ぬって話にする」
僕は膝の上で手を組んでいた。
四月にあの掲示板を読んだ夜のことを、順番に思い出していた。公式のページを二度読んで、俗説を見つけて、否定する文章を探して、見つからなくて、そこで探すのをやめた。やめた地点から先に、この話があった。
誰も嘘をついていない。書いていないだけだ。
しばらくして、姉がまた口をひらいた。
「その子、たぶん四月の時点でもう決めてたんだよ。十七になる年に、同意書を出さないって決めた子なの。周りが全員受けるのを見ながら、自分だけ出さなかった」
その光景を、僕は初めて具体的に想像した。
四月の第一週、学年の全員が保健センターの廊下に並んだ。前の人が出てくるたびに、全員が足元を見た。あの週のどこかに、行かなかった人が一人いる。行かないという選択をして、それを誰にも説明しないまま、翌週の教室に座っていた。
「聞いてると、あんた、その子のこと助けようとしてたみたいね」
姉は僕の顔を見ていた。
「何から助けるつもりだったの?」
答えられなかった。
「死ぬと思ってたから、死なせないようにしようとした。そうでしょ」
うん、と僕は言った。
「じゃあ、その子から見たら、あんたは何をしてる人に見えてたと思う?」
僕は何も言えずにいた。
姉は時計を見て、立ち上がった。勤務の時間になったのだと、その動きでわかった。
「帰りの電車、調べてあげる」
それだけ言って、姉はロッカーからスマートフォンを取り出した。
5-3 0.9%
帰りの電車は、行きより空いていた。
窓の外はもう暗くなりかけていて、海沿いの区間に入ると、ガラスに自分の顔が映るようになった。膝の上でスマートフォンを開いて、僕は市の公式サイトをもう一度呼び出した。
四月に読んだページだった。
軌道が表示されない場合について。脱線の説明が一段落、未敷設の説明が一段落。そのあとに、九月一日をもって当該年度の未敷設が確定するという注意書き。
僕は今度、その少し先まで読んだ。
制度の概要というページに、システムの精度についての項目がある。四月に保健センターの廊下で見た数字と同じものが、そこにも書いてあった。予測精度九十九・一パーセント。
その下に、小さい文字で注記があった。
当該精度は、予測された軌道と実際の帰結との一致率を示すものであり、対象者の主観的満足度、創造的成果、または軌道からの逸脱による成功例については、評価指標に含まれておりません。
僕は同じ二行を三回読んだ。
含まれておりません、と書いてある。
予測できない、とは書いていない。予測しにくい、でもない。評価指標に含まれていないという書き方をしている。つまり、それは最初から数えられていないということだ。
残りの〇・九パーセントは、外れた分ではなかった。
外れたかどうかを判定しないと決めた領域だった。
僕は窓のほうを向いた。
四月の朝、横断歩道で線が止まって、僕は足を引いて、自転車が目の前を走り抜けた。あのとき僕は、線のおかげだったのか偶然だったのかを判別できないと思った。判別できないと思ったまま、四か月が過ぎた。
判別できなかったのではない。
システムのほうが、判別する気がなかった。線に従って助かった場合も、従わずに助かった場合も、どちらも同じように記録される。どちらであっても、精度の数字には一致として計上される。それだけの話だった。
あの一致率は、僕の人生が線と同じ形になったかどうかしか見ていない。
線と同じ形になった人生が、その人にとってどうだったのかは、最初から欄がない。
六月に星野が言ったことを、僕はそこで思い出した。
あいつら、人の気持ちなんか見てないもん。
あの一言は比喩ではなかった。制度の設計として、そう書いてある。公式のページに、こちらから探しにいけば読める場所に、小さい文字で。
嘘はどこにもついていない。
九十九・一という数字は正しい。注記も正しい。ただ、その注記を読まないまま、僕らはあの数字を人生の当たり率として受け取っている。四月の掲示物には、精度九十九・一パーセントとだけ大きく書いてあった。含まれておりませんの二行は、あのポスターには載っていなかった。
載せていないだけだ。
載せていないことを、嘘とは呼べない。
電車が駅に着いて、僕はホームへ降りた。
改札を抜ける人たちの足元から、青が伸びていく。階段の下で束になって、それぞれの出口へ流れていく。四月の朝に校門で見たのと同じ光景だった。あのとき僕は、その眺めが嫌いではないと思った。
今は違う見え方をした。
この人たちのうちの何人が、あの注記を読んでいるのだろう。読まないまま線に従って、従ったことが正しかったかどうかを一度も確かめずに、四十代で持ち家を買うのだろう。確かめる方法がないから、誰も確かめない。確かめられないものは、幸福だったことにするしかない。
僕は改札を出て、海沿いの道へ折れた。
坂を上らずにそちらへ行くのは、七月からの癖になっている。潮の匂いがして、堤防の向こうで波の音がした。
フェリー乗り場の明かりがついていた。
夜の便があるのだということを、八月の泊まり込みの夜に僕は初めて知った。遠くから見ると、桟橋の照明と、待合所の窓と、停まっている船の輪郭がわかる。人が何人か並んでいて、その足元から青が伸びていた。
あの人には、あれがない。
どこにいても、どこへ行っても、足元には何も生えない。四月からずっとそうで、たぶんこれから先もそうだ。そして本人は、そのことを最初から知っていた。知っていて、進路希望票に何も書かず、決めないという意味だと担任に言った。
脱線ではない。
最初からゼロで、それは受けなかったということで、受けなかったのは本人が同意書を出さなかったからだ。
姉はそう言った。年に何十人か。県内なら一年に数人。
その数人の一人が、あの教室の窓際にいた。
あの人が同意書を出さなかったのは、母親を見ていたからだ。
線を信じて二十年をやめた人と、信じるのをやめて二年で削れた人を、同じ一人の中で見ている。どちらが正しかったのかは本人にもわからないと、堤防の上でそう言った。わからないから、三つ目を選んだ。信じるのでも信じないのでもなく、最初から受け取らないという選び方を。
僕は堤防の縁に手をついて、しばらく海のほうを見ていた。夏の終わりの風は、八月の頭より少しだけ涼しい。足元には何もなくて、そのせいで、自分がどこに立っているのかが体の感覚だけでわかった。
消えるから、とあの人は言った。
僕はそれを死ぬという意味に取った。取ったうえで、勝手に怖がって、勝手に助けようとした。助けようとしてくれてありがとう、という一行目は、たぶんそのことを指している。
では、本当の意味は何だ。
九月一日、という日付が頭に浮かんだ。
四月に読んだ注意書きの中で、あの日付だけが妙に具体的だった。当該年度に敷設を受けなかった方については、九月一日をもって未敷設が確定し、以後の敷設は原則として行われません。
確定する。
その日を境に、あの人は制度の上で、二度と線を持てない人間になる。
そして同じ日に、旧美術棟へ重機が入る。
偶然なのだろう。九月一日は二学期の始まる日で、学校の工事がその前後に組まれるのは普通のことだ。役所が未敷設の確定日をそこに置いたのも、年度の区切りとして自然な位置にあるからでしかない。
偶然が二つ重なっただけの日に、あの人の何かが二つとも終わる。
僕は堤防から離れて、家のほうへ歩き出した。
残っているのは六日だった。
あの人がどこにいるのかを、僕はまだ知らない。鶴巻先生も知らない。連絡先も住所も知らない。それでも、今日わかったことがひとつだけある。
あの人は死なない。
死なないのだとしたら、消えるという言葉には別の意味がある。別の意味があるのなら、その意味は本人が決めた何かで、四月からの四か月、僕はそれを一度も訊いていない。
訊ける場所が、ひとつだけ残っていた。
家だ。
住所を知らないと僕は思っていた。けれど、知らないのは僕であって、学校は知っている。この街に星野という家が何軒あるのかも、調べればすぐにわかる。そこまで思いついてしまえば、今まで思いつかなかったことのほうが不自然だった。
思いつかなかったのではない。
行ったら知ってしまうのが怖かったのだと、歩きながら僕は認めた。
5-4 母
八月二十七日の夕方、僕が玄関を開けると、母が廊下に立っていた。
待っていたのだと、その立ち方でわかった。台所から出てきたところでもないし、何かを取りに来たところでもない。玄関の正面に立って、僕が靴を脱ぐのを見ている。
「昨日、どこへ行ってたの」
図書館だと僕は答えた。
「そう」
母はそれ以上追及しなかった。
台所へ入って、僕は水を一杯飲んだ。母はうしろについてきて、流しの前で立ち止まった。
「星野さんのところに行ってたんじゃないの?」
コップを持つ手が止まった。
「なんで名前」
僕は振り返った。
「僕、名前は言ってない」
二十日の夜に、僕は母にこう言った。クラスの子と二人で、九月に取り壊される建物の壁に、その子の母親が描きかけた絵を完成させようとしている。クラスの子、としか言っていない。星野という名字も、ユキという名前も、一度も出していない。
母は流しの縁に手を置いたまま、こちらを見なかった。
それから、ゆっくり息を吐いた。
「会いに行ったのよ」
水道の蛇口から、一滴だけ落ちる音がした。
「いつ」
「二十三日」
二十三日。
僕が職員室で推薦を取り下げて、昼から壁を塗って、三時に彼女が早く帰ると言った日だった。あの日、彼女が帰ってから僕は六時まで一人で塗っていた。あの三時間のあいだのどこかで、この人は彼女に会っている。
僕は椅子に座った。座らないと立っていられなかった。
「どこで」
「あの子の家の前。夕方に帰ってくるところを待ってた」
母の声は落ち着いていた。この人は昨日か一昨日から、この会話の準備をしていたのだろう。
「何を言ったの」
母はそこで初めてこちらを向いた。
「うちの子の線が、あなたと会うようになってから消えていってる、って」
陸が僕に言ったのとほとんど同じことを、母は彼女に面と向かって言ったことになる。
「それだけよ。怒鳴ってないし、泣いてもいない。土下座もしてない。あの子の前に立って、そう言って、離れてくださいって頼んだ。それで帰ってきた」
頼んだ、という言葉を、母はまっすぐに使った。
脅したとも、責めたとも言わない。実際、この人は脅せる性格ではない。静かに、正確に、事実を並べて、それから頼む。四月に同意書の署名を一画ずつ丁寧に書いた人の、同じ手つきが浮かんだ。
それが、いちばん効く。
僕はその場面を想像しようとした。家の前の道に母が立っていて、鞄を持った彼女が帰ってくる。息子の名前を出されて、線が消えていると言われて、離れてくださいと頼まれる。逃げ場のない形だった。言い返せば加害者になるし、黙っていれば認めたことになる。
あの人は黙るほうを選んだのだろう。
「あの子、何て」
「ほとんど何も言わなかった」
母は流しに背中を預けた。
「一回だけ、わかりましたって。それだけ」
わかりました、と彼女は言った。
陸にそんなやつと呼ばれたときも、あの人は脚立の上から振り向きもしなかった。言われ慣れてるから、とあとで言っていた。母の前でも、同じ顔でそれだけを言ったのだろう。
それだけ言って、彼女は家に入ったのだと母は言った。
ドアが閉まる音を聞いてから、母はその場を離れた。帰り道のことは覚えていないという。夕飯を作って、僕が帰ってくるのを待って、二十三日の夜はいつもどおりだった。
あの夜、僕は公園のベンチで自分の線が消えたのを確かめていた。同じ時間に、母は台所にいた。
そして翌朝、置手紙を残して彼女はいなくなった。
絵のことを一行も書かずに。
「なんで」
声が掠れた。
「なんで、そんなことしたの」
「あなたが二人目になるからよ」
即答だった。
母は少しだけ声を大きくした。
「三年前に、私は何もしなかったの。茜が大学をやめるって言ったとき、お父さんは怒って、私は黙ってた。そのあと線が消えて、家にいづらそうにしてるのも見てた。見てて、何も言わなかった。出ていく日も、止めなかった」
母の手が、流しの縁を握っていた。
「同じことを二回やるわけにいかないでしょう」
僕は反論の言葉を探した。
探して、見つからなかった。この人のやったことは、間違っている。間違っているのに、動機のどこにも悪いところがない。息子の線が一本ずつ減っていくのを保護者の画面で毎日確かめていて、一か月以上黙っていて、我慢しきれなくなって、相手の家の前で待って、頼んだ。
三年前に何もしなかったから、今度は何かをした。
それだけのことだった。
僕は訊いた。
「名前も家も、どうやって知ったの」
母は少し黙った。
「桐山くん」
その名前が出た瞬間、八月十七日の光景が戻ってきた。
扉の手前で一度だけ振り返って、陸はこう言った。じゃあ、俺は俺のやり方でやるから。あのときの僕は、それを別れの挨拶の変わった言い方だと思った。
「あの子がうちに来たの、二十二日。学校の帰りだって言って、玄関のところで」
母は言葉を選んでいた。
「浅野が変なところに毎日通ってる、おばさんから止めたほうがいいって。それで、相手の子の名前と住所を紙に書いて置いていった」
紙に書いて。
名前は、あの日僕が自分で口にした。そんなやつじゃなくて星野さん、と。住所のほうは、名簿を見たのか誰かに訊いたのか、どちらでもいい。陸は自分のやり方でやると宣言して、宣言したとおりのことをやった。友達を止めるために、いちばん効く場所へ情報を運んだ。
悪意はどこにもない。
誰にも、一箇所もない。
母は僕の線が消えるのを止めたかった。陸は友達が人生を棒に振るのを止めたかった。二人とも正しくて、二人とも善意で、二人がやったことの結果として、一人の人間が七割の絵を置いて街から消えた。
三年前の食卓のことを、僕は思い出していた。
あのころ、壁越しに聞こえてくる声があった。将来はどうするのかとか、そんなことでは食べていけないとか。あの声の中に、母のものはあまり混じっていなかった気がする。黙っていた、と本人が今そう言った。黙っていたことを、この人は三年間ずっと自分の失敗として数えていた。
数えていた人が、二人目を出さないために、他人の家の前に立った。
僕は立ち上がった。
母を責める言葉が出てこなかった。責める資格がないからでもあるし、責めたところでこの人が壊れるだけだとわかっていたからでもある。
この家は、一度娘を失っている。
失ったあとの三年間が、どういうものだったのかを、僕はこの家の中でずっと見てきた。写真が減って、椅子に籠が置かれて、名前が呼ばれなくなる。母にとって、それをもう一度やることは、たぶん死ぬより難しい。
「住所、教えて」
母は動かなかった。
「教えて。行くから」
しばらくして、母は台所の引き出しを開けた。予備校の封筒を入れたのと同じ引き出しだった。中から小さく折った紙を出して、僕に渡した。
陸の字だった。名字が書いてあって、その下に住所と番地が続いている。
僕はそれを受け取って、ポケットに入れた。
「浅野くんのお母さんが悪いんじゃないって、あの子は言うと思う」
紙を渡した手を下ろして、母が言った。
僕は玄関のほうを向いたまま、返事をしなかった。
言うと思う、ではない。あの人は本当にそう言う。そう言って、誰も悪くないことにして、自分ひとりが荷物を持って出ていく。四月からずっとそういう人だった。
5-5 ユキの部屋
行くと言ったのに、その夜、僕は玄関から先へ出なかった。紙をポケットに入れたまま部屋へ上がって、それから二日間、その住所へは行かなかった。
二十八日は一日じゅう部屋にいた。二十九日は旧美術棟へ行って、右側の余白の残りを塗った。手だけが動いて、頭はずっと同じところを回っている。
行けば知ってしまう。
この何日か、知りたくて走り回ってきたはずなのに、行き先が具体的な番地になった途端、足が重くなった。行って、何を訊くのか。会えなかったらどうするのか。会えたとして、僕は何を言えばいいのか。助けようとしてすみませんでした、と言うのか。
二十九日の夕方、塗り終えた右側の余白を見上げて、僕は自分がここで時間を潰していることに気づいた。
この面を塗り終えても、絵は完成しない。上の三分の一が白いままでは、下がどれだけ埋まっても意味がない。それでも僕は、朝から決まっている場所だけを塗っていた。決まっている場所を塗るのは楽だ。四月からずっと、僕はそれをやってきた。
三十日の夕方、僕はようやくその住所へ向かった。
残り二日になっていた。
紙に書かれていたのは、学校から自転車で十五分ほどの住宅地だった。二階建ての、どこにでもある家が並んでいて、その中の一軒に表札が出ている。星野、とだけ書いてある。
インターホンを押すまでに、僕は五分かかった。
出てきたのは、四十くらいの女の人だった。エプロンをつけていて、化粧はしていなくて、僕を見て少し警戒した顔をした。
「学校の者で……」
言いかけて、自分が先生のような名乗り方をしていることに気づいた。
「同じクラスの浅野といいます。星野さんのことで」
女の人の表情が変わった。警戒が抜けて、代わりに別のものが乗った。困惑に近いものだった。
「ユキちゃんのお友達?」
ちゃん、という呼び方に、微妙な距離があった。
中には入れてもらえなかった。玄関の三和土に立ったまま、僕は話を聞いた。母屋の奥からテレビの音がしている。
その家には、生活の音がちゃんとあった。
台所のほうで何かを炒める音がして、廊下の壁に小さい子の描いた絵が貼ってある。玄関の棚には家族の写真立てが二つ並んでいて、どちらにも写っているのは三人だった。三人のうちに、僕の探している人はいない。
「あの子、二十四日から帰ってきてないんですよ」
僕が来る前から、この人はそのことを誰かに話したがっていたのだろう。訊いてもいないことが、次々と出てきた。
「警察には行きました。でも、書き置きがあって、自分の意思で出たってわかるから、事件性がないって。それで終わり」
書き置き、と僕は言った。
「机の上に。心配しないでください、って一行だけ」
僕のところにあったのは三行だった。この人のところには一行。
「お父さんは」
「単身赴任です。連絡はしました。帰ってこないです」
その言い方には、諦めと、諦めきったあとの平坦さがあった。
「あのね」
女の人は少しだけ声を落とした。
「あの子、敷設を受けてないんですよ。知ってます?」
知っています、と僕は答えた。
「そう。……あのね、受けられなかったんじゃないんですよ。自分で決めて、受けなかったんです」
こちらの返事を待つ言い方ではなかった。
同意を求めているのではなくて、この何か月か、誰かに一度そう言いたかっただけなのだろう。
「同意書、うちの人が空欄のまま送り返してきたんです。四月に。書いてくださいって何回も言ったのに、あの子が要らないって言ってるからって、そのまま」
僕は黙って聞いていた。
それから、訊きにくいことを訊いた。
「二十三日に、誰かこの家に来ませんでしたか」
女の人は少し考えた。
「二十三日。……いえ、どなたも」
「玄関の前で、誰かがユキさんを待ってたとか」
「わかりません。私、夕方は下の子の習い事で出てるので」
知らないのだと、その顔でわかった。
僕の母は、この家の前に立って、息子の名前を出して、離れてくださいと頼んだ。頼まれた人はその晩ここで夕飯を食べて、翌朝いなくなった。同じ屋根の下にいた人は、何も知らないままでいる。
「私は他人ですから、書けないんです。実の親じゃないと」
他人ですから、という言葉が、その人の口からずいぶん自然に出た。
「ユキちゃんのこと、嫌ってるわけじゃないんです」
こちらが黙っていると、その人は言い足した。
「ただ、どう扱えばいいのかわからなくて。話しかけても、べつに、しか返ってこないでしょう。五年もそれが続くと、こっちも話しかけなくなるんです」
べつに、という言葉を聞いて、僕は少しだけ笑いそうになった。
笑いそうになった自分を、すぐに恥じた。この人が五年かけて受け取り続けたものを、僕は四か月で慣れただけだ。慣れたことを親しさだと思っていた。
「部屋、見せてもらえますか」
僕がそう言うと、女の人は少し迷って、それから階段のほうを指した。
「散らかってますけど。私、火を使ってるので、一人で上がってください」
二階の、いちばん奥の部屋だった。
六畳ほどの部屋は、驚くほど物が少なかった。机があって、ベッドがあって、本棚がひとつ置いてある。壁には何も貼っていない。絵を描く人の部屋だと言われなければ、誰の部屋なのかわからない。
ベッドの上の布団はきちんと畳んであった。机の上には何も出ていない。椅子は机の下に入れてあって、床には塵ひとつ落ちていない。
出ていく前に片づけたのだと、見ればわかる部屋だった。
画材がなかった。
筆も、絵の具も、描きかけの紙も、何ひとつ置いていない。全部あの建物に運んであったのだと、僕はそこで気づいた。この部屋には、彼女の一日のうちの寝る時間しか置かれていなかったことになる。
本棚の下の段に、大きめのスケッチブックが立てかけてあった。
表紙は色が褪せていて、角が擦り切れている。新しいものではない。開くと、鉛筆の線が細かく走っていた。方眼ではなく画用紙で、描いてあるのは人の手や、木や、窓の枠や、途中でやめたらしい顔だった。
紙の質感が古い。
僕は最初のページに戻った。右上の隅に、小さく名前が書いてある。
星野澪。
母親のものだった。
途中から、壁画の下絵が始まった。何度も同じ構図を描き直している。中央の曲線の角度が少しずつ違っていて、四枚目でようやく今の形になった。右上の隅には、確かに三種類の線が引いてある。三つとも薄くて、どれにも力が入っていない。
その次のページの余白に、一行だけ文字があった。
鉛筆で、小さく、走り書きに近い字だった。
空の色はあとで決める。いちばん最後でいい。
字は丸くて、勢いがあった。この下絵を描いていたころの母親は、今の僕たちと同じくらいの年だったはずだ。
僕はその一行を、長いこと見ていた。
あの白い面は、忘れられていたのではなかった。最後に塗るつもりで、意図して残されていた。そして、あとで決めると書いた人は、決めに戻ってこなかった。
二十年以上、あの壁の上三分の一は空いたままだった。
娘もそこを塗らなかった。塗る色を配合表に書いてもいなかった。
スケッチブックを閉じて、僕は机のほうを見た。
引き出しを開けるのは、さすがにためらった。それでも開けた。中には文房具と、封筒がいくつかと、折りたたんだ紙が入っていた。
封筒のひとつに、御崎島という消印があった。
差出人は星野トキ。中の便箋は、年配の人の字で書かれている。読むべきではないと思いながら、僕は最初の数行だけ目を通した。
部屋は片づけておくこと。こちらは端末がないので、来てもあの線は出ないこと。急がなくていいから、決まったら電話をよこすこと。
あの線、と書いてあった。
御崎島の名前を、僕は聞いたことがあった。授業で一度、非接続地域の例として出てきた。端末網の維持が採算に合わない離島や過疎地は、行政の特例で指定から外れている。指定から外れた場所では、誰の足元にも線が出ない。
誰も、他人の足元を見ない場所だった。
封筒の下に、印刷した紙が一枚あった。
フェリーの時刻表だった。ウェブのページをそのまま印刷したもので、御崎島行きの便が並んでいる。一日に三便。朝と、昼と、夜。
紙の隅に、鉛筆の計算の跡があった。
数字がいくつか並んでいて、足したり引いたりした形跡がある。運賃と、それ以外の何かの金額を足しているらしかった。答えの数字にだけ、丸がついていない。
夜の便のところに、ボールペンで丸がついていた。
八月三十一日、二十二時十分発。
明日だった。
僕はその紙を持ったまま、しばらく動けなかった。
この丸は、いつつけられたのか。
鉛筆の計算と、ボールペンの丸は、書かれた時期が違うように見えた。計算のほうは何度も消しては書き直した跡があって、紙の端が毛羽立っている。丸だけが、一度で迷わずに引かれていた。
祖母の手紙には、急がなくていいと書いてあった。決まったら電話をよこすこと、とも。
つまり、それまでは決まっていなかった。考えて、計算して、決めきれずにいた人が、ある晩ボールペンで丸をつけて、翌朝には荷物を持って家を出た。そのあいだに起きたことを、僕は一つしか知らない。
僕の母が、この家の前に立った。
八月二十五日、僕は昼前から美術準備室の前に立っていた。
鶴巻先生が戻るのは午後だと聞いていた。何時なのかは訊かなかったので、確実に会うには待つしかない。廊下の窓から差す光が床に長い帯を作っていて、そこに僕の影だけが落ちている。青は一本もない。
三時を過ぎたころ、階段のほうから足音がした。
先生は書類の入った紙袋を抱えていて、僕を見ても驚かなかった。鍵を開けて、中へ入って、袋を机に置いてから、こちらを振り返った。
「星野、来なくなったでしょう」
僕はうなずいた。
「昨日から」
「そう」
先生は椅子を引いて、座らずに背もたれに手を置いた。準備室の中は絵の具と油の匂いがして、壁際に画用紙の束と、一年の授業で使う石膏像の小さいものが並んでいる。
先生の口ぶりには、驚きがなかった。
来なくなるかもしれないと思っていたのか、来なくなったら僕がここへ来るとわかっていたのか。どちらにしても、この人は昨日か一昨日のうちに、今日のこの場面を一度は想像している。
僕は封筒を出した。中の紙は出さずに、封筒ごと机の上に置いた。
先生はそれを見て、手に取らなかった。
「読まないんですか」
「あの子が浅野くんに宛てたものでしょう。私が読むものじゃない」
そう言ってから、先生は初めて椅子に座った。
「星野さんが鍵を借りに来たの、四月なんですか」
先に出たのは、そんな質問だった。
「四月の終わり。敷設の期間が終わって、しばらくしてから」
先生は答えて、それから少しだけ間を置いた。
「あの子、鍵をくださいとしか言わなかった。何をするのかも、なんで旧美術棟なのかも、一言も説明しない。私も訊かなかった」
訊かなかったんですか、と僕は言った。
「訊いてたら、貸してないと思う」
どういう意味なのかを確かめる前に、先生は椅子の上で姿勢を変えて、こちらへ向き直った。
「何が訊きたいの」
知りたいことは山ほどあった。どこにいるのか。何があったのか。線がないのはなぜなのか。消えると言ったのはどういう意味なのか。並べているうちに、どれも先生に答えられる質問ではない気がしてきて、僕は結局いちばん遠いところから訊いた。
「星野さんのお母さんのこと、教えてください」
先生はしばらく黙っていた。
机の上の紙袋を横へずらして、書類を一冊ずつ出して、また積み直した。話したくないのではなくて、どこから話すかを決めているのだとわかる間の取り方だった。
「澪っていうの。星野澪。私と同じクラスだった」
その名前を、僕はそのとき初めて聞いた。
「絵は、私なんかよりずっとうまかった。学年で一番だったし、たぶんあの年代の県内でも上のほうだったと思う。美術部じゃなかったんだけどね。部には入らないで、勝手に描いてた」
勝手に、という言葉の使い方が、娘のそれとよく似ていた。
「旧美術棟の壁は、三年の夏に描き始めたの。当時は普通に使ってる建物で、二階が美術室だった。壁に描いていいって許可を、当時の校長から本人が直接もらってきた。そういうことができる子だったのよ」
先生は少し笑った。懐かしむというより、呆れているときの笑い方に近い。
「敷設は、その年の秋」
僕は顔を上げた。
「今と制度が違うんですか」
「全然違う。導入されたばかりで、うちの学年が最初の対象だった。今みたいに四月に全員まとめてじゃなくて、十七歳になった順に呼ばれるの。だから十月とか十一月とか、ばらばらだった」
制度が変わった話は、星野からも聞いている。ただ、それを外側から語る人の口で聞くのは初めてだった。
「澪の順番が来て、受けて、戻ってきて」
先生はそこで言葉を切った。
「三本出たって言ってた」
僕は自分の足元を見そうになって、やめた。
四月に僕が受け取ったのも三本だった。同じ数字から始まって、片方は一週間で筆を捨て、もう片方は四か月かけて一本ずつ減らした。並べたところで意味のある偶然ではない。それでも、耳に入った瞬間に喉の奥が詰まった。
「三本とも、絵と関係のない仕事だった。何だったかまでは覚えてない。ただ、あの子はそれを聞いて、一週間くらい黙ってて、それから筆を全部捨てた」
「全部」
「そう全部。私がもらったのもある。まだ使える面相筆を、要らないからって五本くれた」
先生は手を止めて、引き出しのほうを見た。開けはしなかった。
「壁はそのまま。輪郭だけ引いた状態で、あの子は二度とあそこへ行かなかった。卒業して、県外の専門に行って、そこも途中でやめて、事務の仕事について、結婚した」
それは、星野から聞いた話と重なっていた。
「線のとおりに生きたんですか」
「たぶんね。年賀状のやりとりだけはあったから、だいたいは知ってた。子どもが生まれたのも、家を建てたのも、年賀状で知った」
先生の声に、そこで少し別の色が混じった。
「十年くらい、何も問題がなかったのよ」
問題がない、という言い方を、僕はうまく受け取れなかった。
「そのあと、また描き始めたんですね」
「そう。四十の少し前。連絡が来たの。展示を見に来てって」
先生は一度だけ深く息をした。
「行ったわよ。市民ギャラリーの、小さい部屋。作品は四点だけだった。私はね、正直に言うと、そのときの絵が好きじゃなかった」
思いがけない言葉だった。
「高校のときのほうがよかった。技術は上がってるの。上がってるのに、何を描きたいのかがわからなかった。二十年ぶんの遅れを一年で取り返そうとしてる人の絵って、そういう感じになるのよ」
言いながら、先生は自分で顔をしかめた。
「こんなこと、あの子の娘には言えないけどね」
その言葉を、僕も星野には言えないだろうと思った。
「そこから一年くらいで、線がどんどん細くなったって。仕事も変わって、家の中もうまくいかなくなって、最後は病気で死んだ」
病気のところだけ、先生は事務的に言った。
それから、僕の顔を見た。
「浅野くん、たぶん今、どっちが悪かったのかを知りたいでしょう」
図星だった。
「システムが絵の道を出さなかったから、あの子は二十年を無駄にしたのか。それとも、システムを無視して描き始めたから壊れたのか。どっちなのかを知りたい」
はい、と僕は答えた。
「どっちでもないと思う」
先生は机の上の封筒を、指先で少しだけ動かした。
「あの子の母親は、システムに殺されたわけじゃない。線を信じたことと、信じるのをやめたこと、その両方で削れていっただけ」
両方で、という部分が、しばらく僕の中で回っていた。
「信じたら削れて、信じなかったら削れて、じゃあどうすればよかったんですか」
「わからない」
あっさりしていた。
「わからないから、私は誰にも助言しないことにしてるの。鍵を渡すくらいはするけど、それ以上は言わない」
七月に鍵をもらったときのことを、僕は思い出した。あのとき先生は理由を訊かなかった。訊かれなかったから僕は助かって、助かったことを、この人は最初から計算していたのだろう。
「先生は、星野さんの家のこと、知ってるんですか」
訊いてから、踏み込みすぎたと思った。先生は嫌な顔をしなかった。
「父親が一人いる。単身赴任で、こっちにはいない。今は別の人がいるって聞いてる」
別の人、という言い方を、先生はそれ以上ほどかなかった。
「葬式で一度だけ会ったの。澪のね。十二歳だった。あの子、あの日ずっと立ってた。座りなさいって言われても座らないで、最後まで立ってた」
その光景を、僕は想像しようとした。
想像しかけて、やめた。想像したところで、それは僕が勝手に作った絵でしかない。
準備室を出るとき、僕は一度だけ振り返った。
「星野さんがどこにいるか、先生は知ってますか」
「知らない」
先生は書類の束を開いていた。
「本当に知らないの。知ってたら、たぶん浅野くんには言わないけど、知らないものは知らない」
言わない、と言い切った。
その正直さが、かえって信じられる理由になった。
5-2 姉
家に帰ってから、僕は机の一番下の引き出しを開けた。
葉書はそのままそこにある。二十日の夜に机の上に出して、翌朝また戻したものだ。三年前の日付が入っていて、印刷された転居の挨拶があって、その下に県名から始まる住所が並んでいる。市の名前は聞いたことがあったけれど、行ったことはない。
電車で二時間、と地図の画面には出た。
次の日、僕は始発に近い電車に乗った。
母には、図書館へ行くと言った。もう嘘をつくことに抵抗がなくなっている自分に気づいて、そのことを少しだけ考えて、それから考えるのをやめた。二十日の夜以来、あの家で誰も僕の予定を訊かない。
乗り換えを二回した。
窓の外を、線の生えた人たちが流れていく。ホームで待っている人にも、改札を抜けていく人にも、階段を上がっていく人にも、足元には必ず青がある。僕の足元にだけないという状態が、この三日でもう普通になりかけていた。
目的の駅は、思っていたより大きかった。
駅前に商業施設があって、バスのロータリーがあって、人が普通に多い。葉書の住所は駅から徒歩十五分ほどの場所で、僕はそこまで歩いた。着いたのは古いアパートで、外階段の錆びた、二階建ての建物だった。
部屋番号のところに表札はなかった。
インターホンを押した。応答がない。もう一度押して、待って、それでも何もない。平日の午前だから、当たり前といえば当たり前だった。
僕は階段を下りて、建物の前で突っ立っていた。
三年前の葉書を頼りにここまで来ること自体が、たぶん無茶だった。引っ越しているかもしれないし、そもそも住んでいないかもしれない。それでも、他に行く場所がなかった。
一階の郵便受けを見に行った。
部屋番号の下に、手書きの小さなシールが貼ってある。名字だけが、ボールペンで書かれていた。僕と同じ名字だった。
そこで僕は、近くのコンビニで飲み物を買って、アパートの向かいの駐車場の縁石に座った。
待つ以外にできることがなかった。
戻ってきたのは、午後の四時を過ぎたころだった。
自転車を押した人が、アパートの前で止まった。髪を後ろで結んでいて、黒っぽいシャツを着ていて、エコバッグを前かごに入れている。顔を見るまで、僕はそれが誰なのかわからなかった。
最後に見たのは十四のときだ。
向こうが先に気づいた。自転車のスタンドを立てた姿勢のまま、二秒くらい動きを止めて、それから僕の足元を見た。
「あんた、線は」
それが三年ぶりの第一声だった。
「ない」
「いつから」
「三日前」
姉は、それを聞いて笑った。
声を出して、本当におかしそうに笑った。僕はその反応をまったく予想していなくて、縁石から立ち上がったまま、何も言えずにいた。
姉は荷物を置くと、夜の勤務に出るからと言って、駅前のビルの二階にあるカフェへ僕を連れていった。
勤務が始まるまでのあいだ、僕は従業員用の狭い部屋に入れてもらった。パイプ椅子が二脚あって、小さな冷蔵庫が置いてあって、壁の一面がロッカーで埋まっている。姉は自分のロッカーから水のペットボトルを出して、僕に一本くれた。
「親には」
「言ってない」
「まあ、そうだろうね」
姉は自分のぶんの蓋を開けた。
なんで家を出たのか、と僕は訊いた。
三年間ずっと訊きたかったことのはずなのに、口に出してみると、驚くほど普通の質問だった。
「大学が合わなかったの」
答えも、同じくらい普通だった。
「経済学部に入って、二年の終わりでもう無理だってわかった。それで、やりたいことがあるって言ったわけじゃないのよ。やりたいことなんかなかった。ただ、このまま四年やって就職するのが、どうしても体が受けつけなかった」
やめたんだ、と僕は言った。星野の話を聞いたときと同じ相槌になってしまった。
「やめた。それで、線が示してない仕事に就いた。今の店じゃなくて、最初のとこね。半年で線が消えた」
「それで、家を出たんだ?」
「うん。でも、出されたわけじゃないよ。出たの、自分で」
姉は少し早口になった。そこだけ、用意してあった言い方に聞こえた。
「あの家にいると、毎日ごはんの時間に線の話になるでしょ。お父さんもお母さんも、悪気があって言ってるわけじゃないの。心配してるだけ。心配してるだけの言葉を毎日聞いてると、だんだん自分が家の中の問題みたいになってくるのよ」
僕はうなずいた。うなずけてしまう自分が少し怖かった。
「葉書、出したよね」
姉は一瞬だけ動きを止めた。
「届いてたんだ?」
「捨てられてたけど、拾って持ってる」
それを聞いて、姉は何も言わなかった。言わないまま、ペットボトルの蓋を開け直して、また閉めた。
劇的なことは何も言わなかった。この三年間どうしていたのかを訊くと、最初の一年は保証人がいなくて部屋が借りられなかった話と、今の店に入るまでに三か所変わった話を、事務的な調子で並べただけだった。
「脱線した人って、どうなるんですか」
敬語になってしまった。姉にではなく、脱線した人に向けて訊いていた。姉はそれを指摘しないで答えた。
「どうにもならない。不便なだけ」
「不便」
「保険が高い。部屋が借りにくい。カードが作れない。就職のときに説明を求められる。全部、不便ってだけ。誰も追いかけてこないし、何も奪われない」
それだけなのか、と僕は訊いた。
「それだけ。ただ、その不便が毎日あるから、だんだん疲れる。何かやろうとするたびに一枚多く紙を書くの。三年もやってると、書くのが面倒で諦めることが出てくる。それが、みんなの言う破滅だと思う。破滅っていうほど劇的なものじゃないけど」
僕はうなずいた。
うなずきながら、掲示板で読んだものを思い出していた。あの人たちが書いていたのは、もっと恐ろしい形のものだった。半年で消えるとか、話を聞かなくなるとか。実際にここにいる人は、疲れていて、それなりに笑って、ペットボトルの水を飲んでいる。
「お父さんたち、元気なの?」
姉が訊いた。訊き方がずいぶん軽かったので、僕は逆に答えにくくなった。
元気だと思う、と僕は言った。父は相変わらず新聞を読んでいて、母は保護者の画面を一日に何度も開いている。三年前と何も変わっていない。変わったのは、食卓の椅子が一脚空いたことと、その椅子に調味料の籠が置かれたことくらいだ。
籠の話をすると、姉は笑った。
「そういうとこ、お母さんらしいわ」
笑ってから、姉は真顔に戻った。
「あんた、たぶん今、あの家で二人目になりかけてるでしょ」
僕は答えなかった。
「私のときと同じ顔になってるよ、きっと。鏡で見たらわかる」
そこで僕は、本題を出した。
クラスに線のない子がいること。四月からずっと足元に何もないこと。消えると言われたこと。夏のあいだ一緒に壁を塗っていたこと。一昨日いなくなったこと。
姉は最後まで黙って聞いていた。
聞き終えてから、最初に言ったのはこれだった。
「その子、脱線じゃないでしょ」
僕は顔を上げた。
「四月から一本もないんでしょ。脱線は減っていって消えるの。あんたみたいに」
姉はペットボトルを机に置いた。
「それに、四月に受けた子が四月中に脱線するわけないじゃない。信頼度って、記録が動かないと下がらないのよ。敷設した直後に動く記録なんかない。あんただって、消えるまで四か月かかったでしょ」
言われてみれば、そのとおりだった。
「最初からゼロなら、それは脱線じゃない」
「じゃあ、未敷設ってことか。でも、受診率は九十九・九パーセントって書いてあった」
「その〇・一が何なのか、考えたことある?」
なかった。
四月にあのページを読んだとき、僕はその数字を、受けられなかった人の割合として読んだ。事故とか、病気とか、事情があって行けなかった人たち。
「受けなかった人がいるの」
僕が黙っているのを見て、姉は言った。
「受けられなかったんじゃなくて、受けなかったほう。制度の上でちゃんと認められてる。同意書を出さないだけ。それだけで敷設は行われない」
「そんな人、いるの?」
「年に何十人か。うちの県だと、一年に数人いるかどうかだと思う。私が知ってるのは、大学で一緒だった子に一人いたから」
自分の顔がどうなっているのかを、僕は把握できていなかった。
「みんな知らないのよ。知らないから、線がない子を見ると全部同じに見える。脱線も、未敷設も、受けなかった人も、全部まとめて、線のないやつ」
姉は水を一口飲んだ。
「それで、勝手に死ぬって話にする」
僕は膝の上で手を組んでいた。
四月にあの掲示板を読んだ夜のことを、順番に思い出していた。公式のページを二度読んで、俗説を見つけて、否定する文章を探して、見つからなくて、そこで探すのをやめた。やめた地点から先に、この話があった。
誰も嘘をついていない。書いていないだけだ。
しばらくして、姉がまた口をひらいた。
「その子、たぶん四月の時点でもう決めてたんだよ。十七になる年に、同意書を出さないって決めた子なの。周りが全員受けるのを見ながら、自分だけ出さなかった」
その光景を、僕は初めて具体的に想像した。
四月の第一週、学年の全員が保健センターの廊下に並んだ。前の人が出てくるたびに、全員が足元を見た。あの週のどこかに、行かなかった人が一人いる。行かないという選択をして、それを誰にも説明しないまま、翌週の教室に座っていた。
「聞いてると、あんた、その子のこと助けようとしてたみたいね」
姉は僕の顔を見ていた。
「何から助けるつもりだったの?」
答えられなかった。
「死ぬと思ってたから、死なせないようにしようとした。そうでしょ」
うん、と僕は言った。
「じゃあ、その子から見たら、あんたは何をしてる人に見えてたと思う?」
僕は何も言えずにいた。
姉は時計を見て、立ち上がった。勤務の時間になったのだと、その動きでわかった。
「帰りの電車、調べてあげる」
それだけ言って、姉はロッカーからスマートフォンを取り出した。
5-3 0.9%
帰りの電車は、行きより空いていた。
窓の外はもう暗くなりかけていて、海沿いの区間に入ると、ガラスに自分の顔が映るようになった。膝の上でスマートフォンを開いて、僕は市の公式サイトをもう一度呼び出した。
四月に読んだページだった。
軌道が表示されない場合について。脱線の説明が一段落、未敷設の説明が一段落。そのあとに、九月一日をもって当該年度の未敷設が確定するという注意書き。
僕は今度、その少し先まで読んだ。
制度の概要というページに、システムの精度についての項目がある。四月に保健センターの廊下で見た数字と同じものが、そこにも書いてあった。予測精度九十九・一パーセント。
その下に、小さい文字で注記があった。
当該精度は、予測された軌道と実際の帰結との一致率を示すものであり、対象者の主観的満足度、創造的成果、または軌道からの逸脱による成功例については、評価指標に含まれておりません。
僕は同じ二行を三回読んだ。
含まれておりません、と書いてある。
予測できない、とは書いていない。予測しにくい、でもない。評価指標に含まれていないという書き方をしている。つまり、それは最初から数えられていないということだ。
残りの〇・九パーセントは、外れた分ではなかった。
外れたかどうかを判定しないと決めた領域だった。
僕は窓のほうを向いた。
四月の朝、横断歩道で線が止まって、僕は足を引いて、自転車が目の前を走り抜けた。あのとき僕は、線のおかげだったのか偶然だったのかを判別できないと思った。判別できないと思ったまま、四か月が過ぎた。
判別できなかったのではない。
システムのほうが、判別する気がなかった。線に従って助かった場合も、従わずに助かった場合も、どちらも同じように記録される。どちらであっても、精度の数字には一致として計上される。それだけの話だった。
あの一致率は、僕の人生が線と同じ形になったかどうかしか見ていない。
線と同じ形になった人生が、その人にとってどうだったのかは、最初から欄がない。
六月に星野が言ったことを、僕はそこで思い出した。
あいつら、人の気持ちなんか見てないもん。
あの一言は比喩ではなかった。制度の設計として、そう書いてある。公式のページに、こちらから探しにいけば読める場所に、小さい文字で。
嘘はどこにもついていない。
九十九・一という数字は正しい。注記も正しい。ただ、その注記を読まないまま、僕らはあの数字を人生の当たり率として受け取っている。四月の掲示物には、精度九十九・一パーセントとだけ大きく書いてあった。含まれておりませんの二行は、あのポスターには載っていなかった。
載せていないだけだ。
載せていないことを、嘘とは呼べない。
電車が駅に着いて、僕はホームへ降りた。
改札を抜ける人たちの足元から、青が伸びていく。階段の下で束になって、それぞれの出口へ流れていく。四月の朝に校門で見たのと同じ光景だった。あのとき僕は、その眺めが嫌いではないと思った。
今は違う見え方をした。
この人たちのうちの何人が、あの注記を読んでいるのだろう。読まないまま線に従って、従ったことが正しかったかどうかを一度も確かめずに、四十代で持ち家を買うのだろう。確かめる方法がないから、誰も確かめない。確かめられないものは、幸福だったことにするしかない。
僕は改札を出て、海沿いの道へ折れた。
坂を上らずにそちらへ行くのは、七月からの癖になっている。潮の匂いがして、堤防の向こうで波の音がした。
フェリー乗り場の明かりがついていた。
夜の便があるのだということを、八月の泊まり込みの夜に僕は初めて知った。遠くから見ると、桟橋の照明と、待合所の窓と、停まっている船の輪郭がわかる。人が何人か並んでいて、その足元から青が伸びていた。
あの人には、あれがない。
どこにいても、どこへ行っても、足元には何も生えない。四月からずっとそうで、たぶんこれから先もそうだ。そして本人は、そのことを最初から知っていた。知っていて、進路希望票に何も書かず、決めないという意味だと担任に言った。
脱線ではない。
最初からゼロで、それは受けなかったということで、受けなかったのは本人が同意書を出さなかったからだ。
姉はそう言った。年に何十人か。県内なら一年に数人。
その数人の一人が、あの教室の窓際にいた。
あの人が同意書を出さなかったのは、母親を見ていたからだ。
線を信じて二十年をやめた人と、信じるのをやめて二年で削れた人を、同じ一人の中で見ている。どちらが正しかったのかは本人にもわからないと、堤防の上でそう言った。わからないから、三つ目を選んだ。信じるのでも信じないのでもなく、最初から受け取らないという選び方を。
僕は堤防の縁に手をついて、しばらく海のほうを見ていた。夏の終わりの風は、八月の頭より少しだけ涼しい。足元には何もなくて、そのせいで、自分がどこに立っているのかが体の感覚だけでわかった。
消えるから、とあの人は言った。
僕はそれを死ぬという意味に取った。取ったうえで、勝手に怖がって、勝手に助けようとした。助けようとしてくれてありがとう、という一行目は、たぶんそのことを指している。
では、本当の意味は何だ。
九月一日、という日付が頭に浮かんだ。
四月に読んだ注意書きの中で、あの日付だけが妙に具体的だった。当該年度に敷設を受けなかった方については、九月一日をもって未敷設が確定し、以後の敷設は原則として行われません。
確定する。
その日を境に、あの人は制度の上で、二度と線を持てない人間になる。
そして同じ日に、旧美術棟へ重機が入る。
偶然なのだろう。九月一日は二学期の始まる日で、学校の工事がその前後に組まれるのは普通のことだ。役所が未敷設の確定日をそこに置いたのも、年度の区切りとして自然な位置にあるからでしかない。
偶然が二つ重なっただけの日に、あの人の何かが二つとも終わる。
僕は堤防から離れて、家のほうへ歩き出した。
残っているのは六日だった。
あの人がどこにいるのかを、僕はまだ知らない。鶴巻先生も知らない。連絡先も住所も知らない。それでも、今日わかったことがひとつだけある。
あの人は死なない。
死なないのだとしたら、消えるという言葉には別の意味がある。別の意味があるのなら、その意味は本人が決めた何かで、四月からの四か月、僕はそれを一度も訊いていない。
訊ける場所が、ひとつだけ残っていた。
家だ。
住所を知らないと僕は思っていた。けれど、知らないのは僕であって、学校は知っている。この街に星野という家が何軒あるのかも、調べればすぐにわかる。そこまで思いついてしまえば、今まで思いつかなかったことのほうが不自然だった。
思いつかなかったのではない。
行ったら知ってしまうのが怖かったのだと、歩きながら僕は認めた。
5-4 母
八月二十七日の夕方、僕が玄関を開けると、母が廊下に立っていた。
待っていたのだと、その立ち方でわかった。台所から出てきたところでもないし、何かを取りに来たところでもない。玄関の正面に立って、僕が靴を脱ぐのを見ている。
「昨日、どこへ行ってたの」
図書館だと僕は答えた。
「そう」
母はそれ以上追及しなかった。
台所へ入って、僕は水を一杯飲んだ。母はうしろについてきて、流しの前で立ち止まった。
「星野さんのところに行ってたんじゃないの?」
コップを持つ手が止まった。
「なんで名前」
僕は振り返った。
「僕、名前は言ってない」
二十日の夜に、僕は母にこう言った。クラスの子と二人で、九月に取り壊される建物の壁に、その子の母親が描きかけた絵を完成させようとしている。クラスの子、としか言っていない。星野という名字も、ユキという名前も、一度も出していない。
母は流しの縁に手を置いたまま、こちらを見なかった。
それから、ゆっくり息を吐いた。
「会いに行ったのよ」
水道の蛇口から、一滴だけ落ちる音がした。
「いつ」
「二十三日」
二十三日。
僕が職員室で推薦を取り下げて、昼から壁を塗って、三時に彼女が早く帰ると言った日だった。あの日、彼女が帰ってから僕は六時まで一人で塗っていた。あの三時間のあいだのどこかで、この人は彼女に会っている。
僕は椅子に座った。座らないと立っていられなかった。
「どこで」
「あの子の家の前。夕方に帰ってくるところを待ってた」
母の声は落ち着いていた。この人は昨日か一昨日から、この会話の準備をしていたのだろう。
「何を言ったの」
母はそこで初めてこちらを向いた。
「うちの子の線が、あなたと会うようになってから消えていってる、って」
陸が僕に言ったのとほとんど同じことを、母は彼女に面と向かって言ったことになる。
「それだけよ。怒鳴ってないし、泣いてもいない。土下座もしてない。あの子の前に立って、そう言って、離れてくださいって頼んだ。それで帰ってきた」
頼んだ、という言葉を、母はまっすぐに使った。
脅したとも、責めたとも言わない。実際、この人は脅せる性格ではない。静かに、正確に、事実を並べて、それから頼む。四月に同意書の署名を一画ずつ丁寧に書いた人の、同じ手つきが浮かんだ。
それが、いちばん効く。
僕はその場面を想像しようとした。家の前の道に母が立っていて、鞄を持った彼女が帰ってくる。息子の名前を出されて、線が消えていると言われて、離れてくださいと頼まれる。逃げ場のない形だった。言い返せば加害者になるし、黙っていれば認めたことになる。
あの人は黙るほうを選んだのだろう。
「あの子、何て」
「ほとんど何も言わなかった」
母は流しに背中を預けた。
「一回だけ、わかりましたって。それだけ」
わかりました、と彼女は言った。
陸にそんなやつと呼ばれたときも、あの人は脚立の上から振り向きもしなかった。言われ慣れてるから、とあとで言っていた。母の前でも、同じ顔でそれだけを言ったのだろう。
それだけ言って、彼女は家に入ったのだと母は言った。
ドアが閉まる音を聞いてから、母はその場を離れた。帰り道のことは覚えていないという。夕飯を作って、僕が帰ってくるのを待って、二十三日の夜はいつもどおりだった。
あの夜、僕は公園のベンチで自分の線が消えたのを確かめていた。同じ時間に、母は台所にいた。
そして翌朝、置手紙を残して彼女はいなくなった。
絵のことを一行も書かずに。
「なんで」
声が掠れた。
「なんで、そんなことしたの」
「あなたが二人目になるからよ」
即答だった。
母は少しだけ声を大きくした。
「三年前に、私は何もしなかったの。茜が大学をやめるって言ったとき、お父さんは怒って、私は黙ってた。そのあと線が消えて、家にいづらそうにしてるのも見てた。見てて、何も言わなかった。出ていく日も、止めなかった」
母の手が、流しの縁を握っていた。
「同じことを二回やるわけにいかないでしょう」
僕は反論の言葉を探した。
探して、見つからなかった。この人のやったことは、間違っている。間違っているのに、動機のどこにも悪いところがない。息子の線が一本ずつ減っていくのを保護者の画面で毎日確かめていて、一か月以上黙っていて、我慢しきれなくなって、相手の家の前で待って、頼んだ。
三年前に何もしなかったから、今度は何かをした。
それだけのことだった。
僕は訊いた。
「名前も家も、どうやって知ったの」
母は少し黙った。
「桐山くん」
その名前が出た瞬間、八月十七日の光景が戻ってきた。
扉の手前で一度だけ振り返って、陸はこう言った。じゃあ、俺は俺のやり方でやるから。あのときの僕は、それを別れの挨拶の変わった言い方だと思った。
「あの子がうちに来たの、二十二日。学校の帰りだって言って、玄関のところで」
母は言葉を選んでいた。
「浅野が変なところに毎日通ってる、おばさんから止めたほうがいいって。それで、相手の子の名前と住所を紙に書いて置いていった」
紙に書いて。
名前は、あの日僕が自分で口にした。そんなやつじゃなくて星野さん、と。住所のほうは、名簿を見たのか誰かに訊いたのか、どちらでもいい。陸は自分のやり方でやると宣言して、宣言したとおりのことをやった。友達を止めるために、いちばん効く場所へ情報を運んだ。
悪意はどこにもない。
誰にも、一箇所もない。
母は僕の線が消えるのを止めたかった。陸は友達が人生を棒に振るのを止めたかった。二人とも正しくて、二人とも善意で、二人がやったことの結果として、一人の人間が七割の絵を置いて街から消えた。
三年前の食卓のことを、僕は思い出していた。
あのころ、壁越しに聞こえてくる声があった。将来はどうするのかとか、そんなことでは食べていけないとか。あの声の中に、母のものはあまり混じっていなかった気がする。黙っていた、と本人が今そう言った。黙っていたことを、この人は三年間ずっと自分の失敗として数えていた。
数えていた人が、二人目を出さないために、他人の家の前に立った。
僕は立ち上がった。
母を責める言葉が出てこなかった。責める資格がないからでもあるし、責めたところでこの人が壊れるだけだとわかっていたからでもある。
この家は、一度娘を失っている。
失ったあとの三年間が、どういうものだったのかを、僕はこの家の中でずっと見てきた。写真が減って、椅子に籠が置かれて、名前が呼ばれなくなる。母にとって、それをもう一度やることは、たぶん死ぬより難しい。
「住所、教えて」
母は動かなかった。
「教えて。行くから」
しばらくして、母は台所の引き出しを開けた。予備校の封筒を入れたのと同じ引き出しだった。中から小さく折った紙を出して、僕に渡した。
陸の字だった。名字が書いてあって、その下に住所と番地が続いている。
僕はそれを受け取って、ポケットに入れた。
「浅野くんのお母さんが悪いんじゃないって、あの子は言うと思う」
紙を渡した手を下ろして、母が言った。
僕は玄関のほうを向いたまま、返事をしなかった。
言うと思う、ではない。あの人は本当にそう言う。そう言って、誰も悪くないことにして、自分ひとりが荷物を持って出ていく。四月からずっとそういう人だった。
5-5 ユキの部屋
行くと言ったのに、その夜、僕は玄関から先へ出なかった。紙をポケットに入れたまま部屋へ上がって、それから二日間、その住所へは行かなかった。
二十八日は一日じゅう部屋にいた。二十九日は旧美術棟へ行って、右側の余白の残りを塗った。手だけが動いて、頭はずっと同じところを回っている。
行けば知ってしまう。
この何日か、知りたくて走り回ってきたはずなのに、行き先が具体的な番地になった途端、足が重くなった。行って、何を訊くのか。会えなかったらどうするのか。会えたとして、僕は何を言えばいいのか。助けようとしてすみませんでした、と言うのか。
二十九日の夕方、塗り終えた右側の余白を見上げて、僕は自分がここで時間を潰していることに気づいた。
この面を塗り終えても、絵は完成しない。上の三分の一が白いままでは、下がどれだけ埋まっても意味がない。それでも僕は、朝から決まっている場所だけを塗っていた。決まっている場所を塗るのは楽だ。四月からずっと、僕はそれをやってきた。
三十日の夕方、僕はようやくその住所へ向かった。
残り二日になっていた。
紙に書かれていたのは、学校から自転車で十五分ほどの住宅地だった。二階建ての、どこにでもある家が並んでいて、その中の一軒に表札が出ている。星野、とだけ書いてある。
インターホンを押すまでに、僕は五分かかった。
出てきたのは、四十くらいの女の人だった。エプロンをつけていて、化粧はしていなくて、僕を見て少し警戒した顔をした。
「学校の者で……」
言いかけて、自分が先生のような名乗り方をしていることに気づいた。
「同じクラスの浅野といいます。星野さんのことで」
女の人の表情が変わった。警戒が抜けて、代わりに別のものが乗った。困惑に近いものだった。
「ユキちゃんのお友達?」
ちゃん、という呼び方に、微妙な距離があった。
中には入れてもらえなかった。玄関の三和土に立ったまま、僕は話を聞いた。母屋の奥からテレビの音がしている。
その家には、生活の音がちゃんとあった。
台所のほうで何かを炒める音がして、廊下の壁に小さい子の描いた絵が貼ってある。玄関の棚には家族の写真立てが二つ並んでいて、どちらにも写っているのは三人だった。三人のうちに、僕の探している人はいない。
「あの子、二十四日から帰ってきてないんですよ」
僕が来る前から、この人はそのことを誰かに話したがっていたのだろう。訊いてもいないことが、次々と出てきた。
「警察には行きました。でも、書き置きがあって、自分の意思で出たってわかるから、事件性がないって。それで終わり」
書き置き、と僕は言った。
「机の上に。心配しないでください、って一行だけ」
僕のところにあったのは三行だった。この人のところには一行。
「お父さんは」
「単身赴任です。連絡はしました。帰ってこないです」
その言い方には、諦めと、諦めきったあとの平坦さがあった。
「あのね」
女の人は少しだけ声を落とした。
「あの子、敷設を受けてないんですよ。知ってます?」
知っています、と僕は答えた。
「そう。……あのね、受けられなかったんじゃないんですよ。自分で決めて、受けなかったんです」
こちらの返事を待つ言い方ではなかった。
同意を求めているのではなくて、この何か月か、誰かに一度そう言いたかっただけなのだろう。
「同意書、うちの人が空欄のまま送り返してきたんです。四月に。書いてくださいって何回も言ったのに、あの子が要らないって言ってるからって、そのまま」
僕は黙って聞いていた。
それから、訊きにくいことを訊いた。
「二十三日に、誰かこの家に来ませんでしたか」
女の人は少し考えた。
「二十三日。……いえ、どなたも」
「玄関の前で、誰かがユキさんを待ってたとか」
「わかりません。私、夕方は下の子の習い事で出てるので」
知らないのだと、その顔でわかった。
僕の母は、この家の前に立って、息子の名前を出して、離れてくださいと頼んだ。頼まれた人はその晩ここで夕飯を食べて、翌朝いなくなった。同じ屋根の下にいた人は、何も知らないままでいる。
「私は他人ですから、書けないんです。実の親じゃないと」
他人ですから、という言葉が、その人の口からずいぶん自然に出た。
「ユキちゃんのこと、嫌ってるわけじゃないんです」
こちらが黙っていると、その人は言い足した。
「ただ、どう扱えばいいのかわからなくて。話しかけても、べつに、しか返ってこないでしょう。五年もそれが続くと、こっちも話しかけなくなるんです」
べつに、という言葉を聞いて、僕は少しだけ笑いそうになった。
笑いそうになった自分を、すぐに恥じた。この人が五年かけて受け取り続けたものを、僕は四か月で慣れただけだ。慣れたことを親しさだと思っていた。
「部屋、見せてもらえますか」
僕がそう言うと、女の人は少し迷って、それから階段のほうを指した。
「散らかってますけど。私、火を使ってるので、一人で上がってください」
二階の、いちばん奥の部屋だった。
六畳ほどの部屋は、驚くほど物が少なかった。机があって、ベッドがあって、本棚がひとつ置いてある。壁には何も貼っていない。絵を描く人の部屋だと言われなければ、誰の部屋なのかわからない。
ベッドの上の布団はきちんと畳んであった。机の上には何も出ていない。椅子は机の下に入れてあって、床には塵ひとつ落ちていない。
出ていく前に片づけたのだと、見ればわかる部屋だった。
画材がなかった。
筆も、絵の具も、描きかけの紙も、何ひとつ置いていない。全部あの建物に運んであったのだと、僕はそこで気づいた。この部屋には、彼女の一日のうちの寝る時間しか置かれていなかったことになる。
本棚の下の段に、大きめのスケッチブックが立てかけてあった。
表紙は色が褪せていて、角が擦り切れている。新しいものではない。開くと、鉛筆の線が細かく走っていた。方眼ではなく画用紙で、描いてあるのは人の手や、木や、窓の枠や、途中でやめたらしい顔だった。
紙の質感が古い。
僕は最初のページに戻った。右上の隅に、小さく名前が書いてある。
星野澪。
母親のものだった。
途中から、壁画の下絵が始まった。何度も同じ構図を描き直している。中央の曲線の角度が少しずつ違っていて、四枚目でようやく今の形になった。右上の隅には、確かに三種類の線が引いてある。三つとも薄くて、どれにも力が入っていない。
その次のページの余白に、一行だけ文字があった。
鉛筆で、小さく、走り書きに近い字だった。
空の色はあとで決める。いちばん最後でいい。
字は丸くて、勢いがあった。この下絵を描いていたころの母親は、今の僕たちと同じくらいの年だったはずだ。
僕はその一行を、長いこと見ていた。
あの白い面は、忘れられていたのではなかった。最後に塗るつもりで、意図して残されていた。そして、あとで決めると書いた人は、決めに戻ってこなかった。
二十年以上、あの壁の上三分の一は空いたままだった。
娘もそこを塗らなかった。塗る色を配合表に書いてもいなかった。
スケッチブックを閉じて、僕は机のほうを見た。
引き出しを開けるのは、さすがにためらった。それでも開けた。中には文房具と、封筒がいくつかと、折りたたんだ紙が入っていた。
封筒のひとつに、御崎島という消印があった。
差出人は星野トキ。中の便箋は、年配の人の字で書かれている。読むべきではないと思いながら、僕は最初の数行だけ目を通した。
部屋は片づけておくこと。こちらは端末がないので、来てもあの線は出ないこと。急がなくていいから、決まったら電話をよこすこと。
あの線、と書いてあった。
御崎島の名前を、僕は聞いたことがあった。授業で一度、非接続地域の例として出てきた。端末網の維持が採算に合わない離島や過疎地は、行政の特例で指定から外れている。指定から外れた場所では、誰の足元にも線が出ない。
誰も、他人の足元を見ない場所だった。
封筒の下に、印刷した紙が一枚あった。
フェリーの時刻表だった。ウェブのページをそのまま印刷したもので、御崎島行きの便が並んでいる。一日に三便。朝と、昼と、夜。
紙の隅に、鉛筆の計算の跡があった。
数字がいくつか並んでいて、足したり引いたりした形跡がある。運賃と、それ以外の何かの金額を足しているらしかった。答えの数字にだけ、丸がついていない。
夜の便のところに、ボールペンで丸がついていた。
八月三十一日、二十二時十分発。
明日だった。
僕はその紙を持ったまま、しばらく動けなかった。
この丸は、いつつけられたのか。
鉛筆の計算と、ボールペンの丸は、書かれた時期が違うように見えた。計算のほうは何度も消しては書き直した跡があって、紙の端が毛羽立っている。丸だけが、一度で迷わずに引かれていた。
祖母の手紙には、急がなくていいと書いてあった。決まったら電話をよこすこと、とも。
つまり、それまでは決まっていなかった。考えて、計算して、決めきれずにいた人が、ある晩ボールペンで丸をつけて、翌朝には荷物を持って家を出た。そのあいだに起きたことを、僕は一つしか知らない。
僕の母が、この家の前に立った。



