3-1 旧美術棟
七月九日の土曜、僕は誰もいない校舎の二階を歩いていた。
夏休みまであと十日ほどで、補習も部活もない土曜の校舎は空いている。グラウンドからサッカー部の声が上がってくるほかは、廊下に人の気配がなかった。窓を全部閉めきってあるせいで空気が重い。歩くたびに床のワックスが靴の裏に少しだけ貼りつく。
渡り廊下を渡って、特別教室の並ぶ棟に入る。
美術室の前を通り、音楽室の前を通り、突き当たりまで来て、僕は足を止めた。二か月前に彼女を見失った場所だった。そこから右へ、幅の狭い短い渡り廊下が伸びている。屋根はあるけれど両側は柵だけで、雨が降れば濡れる造りになっていた。
その先に、古い建物がある。
二階建てで、外壁のモルタルがところどころ剥げていて、窓のサッシが今の校舎のものより一回り細い。二階の窓の何枚かはガラスが割れたままで、内側から板が打ちつけてある。玄関にあたる部分の上に、消えかけたペンキで文字が残っていた。近づいてようやく読めた。美術棟、とだけ書いてある。
こんなものが自分の学校にあるということを、僕はこの日まで知らなかった。
地図の上では見たことがあったのかもしれない。防災の避難経路の図で、校舎の裏側に四角がひとつ余分に描かれていた気もする。ただ、生徒が行く理由のない場所に、生徒は本当に一度も行かない。一年以上ここへ通っていて、僕にとってこの建物は最初からなかったのと同じだった。
渡り廊下を進むと、途中に立入禁止の札が下がっていた。
黄色い地に黒い字で、老朽化のため立入を禁ずと書かれた札が、針金で柵に括りつけられている。日に焼けて表面が白っぽくなっていて、括った針金も錆びていた。何年も前からそこにある札だということが、見ればわかる。
僕はそれをまたいだ。
またぐという言い方が正しいのかどうかはわからない。札は柵の高さで下がっているだけで、通路そのものを塞いではいなかった。ただ、通っていい場所でないことは明らかで、その明らかさの上を一歩進むときに、僕の心臓はまた少し速くなった。
札をまたいで一歩進んだところで、僕の足元から青が消えた。
立ち止まって見下ろす。三本とも、生えていない。踵を返して一歩だけ戻ると、スニーカーの爪先からまた三本が伸びて、本校舎のほうへ流れていく。もう一度またぐと、消える。
何度か往復して、僕はようやく理解した。線が地面に敷いてあるのではない。この先へ進んだ僕がどうなるのかを、システムが計算していないのだ。ここへ来る人間の記録が存在しないから、出せるものが何もない。
境目の上で、僕はしばらく自分の足元を見下ろしていた。
扉は木製で、ノブの真鍮が黒く曇っていた。
鍵はかかっていない。押すと、蝶番が長く鳴った。
中は暗かった。窓の板と割れたガラスのあいだから光が細く差し込んでいて、埃がその筋の中でゆっくり回っている。入ってすぐは物置になっていて、積み上げられた机と椅子、丸めた模造紙、脚の折れたイーゼルが壁際に寄せてあった。石膏像が三体、布もかけずに並んでいる。どれも顔の一部が欠けていた。
石膏像の一体は、僕が一年のときに美術室で描かされたものと同じ形をしていた。あのときは部屋に三十人いて、全員が同じ角度から同じ顔を描いていた。同じものがここでは布もかけられずに、割れた顎のまま立っている。捨てられたというより、捨てる手続きを誰も踏まなかったのだろう。
奥へ進むと、空気が変わった。
物が片づけられている。机も椅子も壁際まで寄せられて、床の真ん中が広く空いていた。そこにビニールシートが敷いてあって、その上に絵の具の缶と、刷毛の入ったバケツと、ローラーと、新聞紙の束が置かれている。使われている場所だった。使われていることを隠していない場所でもある。
昼休みに彼女が消える四十分は、ここで使われていたのだと、そのときようやく繋がった。本校舎からここまで往復するだけで十分近くかかる。残りの三十分で何ができるのかはわからないけれど、毎日三十分を二か月積み上げれば、それなりの量にはなるはずだった。
顔を上げて、僕は息を止めた。
奥の壁が、一面すべて絵になっていた。
高さは三メートル近くあって、横は教室の黒板の倍よりも長い。色は全体に褪せていて、灰色がかった下地の上に、大きな曲線が何本も走っている。人の体のようにも、波のようにも、風の流れのようにも見えた。輪郭だけが引かれていて、中が塗られていない部分が多い。塗られているところも、色が薄く一度だけ置かれているだけで、完成しているようには見えなかった。
見上げているうちに、首の後ろが痛くなった。教室の黒板を見るのとは使う筋肉が違う。これだけの面積を人間の手で埋めるということが、どれくらいの時間を要するのかを、僕はそのとき何ひとつ想像できていなかった。
絵の下のほうに、脚立が立っている。
その上に、星野ユキがいた。
制服ではなかった。灰色のTシャツに、絵の具のついたジャージのズボンで、髪を後ろで一つにまとめている。片手に小さな筆を持って、壁の一点に顔を近づけていた。僕が入ってきたことに、たぶん最初から気づいている。
彼女は振り返らなかった。
「鍵、鶴巻先生から借りてるから」
声が、思っていたより広い場所に響いた。天井が高いせいだと、あとで気づいた。
僕は何と答えればいいのかわからないまま、扉の内側で突っ立っていた。足元には何も生えていない。建物に入ってからずっとそうだった。
ここへ来た理由を説明しろと言われても、二か月前に見失った場所の先を確かめたかった、としか言えない。それが人の作業場に無断で入る理由になるとは、自分でも思わない。
脚立の上で、彼女がようやくこちらを見た。
叱られるのだと思った。何しに来たのと訊かれるか、出ていってと言われるか、そのどちらかを僕は覚悟していた。彼女は筆を持った手を下ろして、僕の顔と、それから足元のあたりを順番に見た。見たところで何もないことを、たぶんこの人は知っている。
「閉めて」
それだけ言って、彼女は壁へ向き直った。
閉めて、というのが、外から閉めろという意味なのか、中に入って閉めろという意味なのかは、言い方からは判別できなかった。たぶん、どちらでもいいのだろう。どちらを選んでも彼女の手は止まらない。
僕はノブに手をかけた。
埃の匂いと、乾いた絵の具の匂いがする。背中側の廊下は明るくて、こちら側は暗い。境目に立ったまま、僕は三秒か四秒迷っていた。
扉を閉めたのは、内側からだった。
3-2 許可
その日、僕は結局ほとんど何もしなかった。
中に入ったところで、何を手伝えばいいのかがわからない。壁のどこがどういう状態なのかも、道具の名前も、彼女が今やっていることの目的も、僕は何ひとつ知らなかった。
手伝うと言ったわけでもないのに中に入ってしまった以上、突っ立っているわけにもいかなくて、僕は床の新聞紙を集めたり、乾いた刷毛を洗いに行ったりした。水は出なかった。建物の水道は元栓が閉められていて、彼女は本校舎の手洗い場からバケツで運んでいるのだという。それを教わったのも、訊いたからではなくて、僕が蛇口をひねって首を傾げているのを見た彼女が、脚立の上から一言そう言っただけだった。
帰り際に、僕はようやく口をひらいた。
「星野さん、これ、毎日やってるの」
「毎日ではない」
彼女は道具をまとめながら答えた。それ以上の説明はない。
訊きたいことは他にいくらでもあった。なぜここなのか、なぜあの絵なのか、あの絵はもともと誰が描いたのか。どれも喉のあたりまでは来るのに、言葉にする直前で引っかかって出てこない。出てこないのは、訊いたところで自分に関係のある話ではないからだった。関係ない話だと言われてから、まだひと月しか経っていない。
次の火曜、僕は職員室へ行った。
美術の鶴巻先生は、窓際の奥の席にいた。四十代の半ばくらいで、いつも袖をまくっていて、手の甲や指に何かしらの色がついている。授業を受けたのは一年のときだけで、直接話したことはほとんどなかった。
僕が名前を名乗って、旧美術棟の鍵を貸してほしいと言うと、先生は書類から顔を上げた。
「星野に聞いたの」
「いえ。……勝手に見にいって、それで」
嘘をつくべきだったのかもしれない。とっさに出たのは事実のほうで、言ってしまってから、これは怒られる流れだと思った。
鶴巻先生は、少し長めに僕の顔を見ていた。
何をしているのかとも、どういうつもりなのかとも訊かれなかった。理由を説明する準備を僕はそれなりにしてきていて、その準備が全部いらなくなった。
「星野はそれでいいって言ってるの」
答えに詰まった。追い出されなかったというだけで、いいと言われた覚えはない。黙っている僕を見て、先生は短く息を吐いた。
「絵の具は、二階の第二準備室にまだ残ってるから使っていい。業務用のやつ。刷毛も同じところ。あとは自分で買って」
先生は引き出しを開けて、札のついた鍵をひとつ取り出した。
「水はこっちの手洗い場から運ぶこと。電気は一階だけ生きてるけど、ブレーカーは触らないで。上には上がらないように。床が抜ける」
注意事項を並べるときの口調は早くて、何度も言い慣れている人のものだった。星野にも同じことを言ったのだろう。
「星野には私から訊く。だめだって言われたら返してもらうから」
僕が鍵を受け取ろうとすると、先生は一度だけ手を止めて、札の面をこちらへ向けた。油性ペンで旧美術棟と書いてある。字は薄くなっていて、書かれてから相当な年数が経っていた。
鍵を受け取りながら、僕は訊いていいのかどうかを迷って、結局訊いた。
「あの、いいんですか。立入禁止って」
「九月に重機が入る」
先生はそう言って、書類に目を戻した。
「それまでは、あそこは誰のものでもない」
その言い方には、許可を出しているという響きがなかった。責任を引き受けるつもりもないし、止めるつもりもない。ただ、九月に消えるものについては誰も管理していないのだという事実を、そのまま口にしただけに聞こえた。
職員室を出てから、僕は鍵を握ったまま廊下を歩いた。
鍵は思ったより重かった。真鍮の札がついているせいで、ポケットに入れると太腿に当たる。歩くたびに当たるものを持ち歩くというのは、それだけで妙な緊張を連れてくる。
同じ週のうちに、僕は三つのことをした。
ひとつは、部活の退部届を出したことだ。一年の春から名前だけ置いていた文芸部で、月に一度集まって短い作品を持ち寄るだけの部だった。行かなくなって半年以上経っていたから、届を出すのは形式でしかない。それでも書類の上では、僕はその日から無所属になった。
ふたつめは、夏期講習の申し込みを取り下げたことだ。六月に母が申し込んだ予備校の短期講習で、八月の前半に十日間の日程が入っていた。窓口へ行って、家の事情でと言えば、それ以上は訊かれなかった。返金の手続きは母の名義だったから、書類をもらって帰って、机の引き出しに入れた。
みっつめは、通学路を変えたことだった。
旧美術棟へ寄るには、学校の裏門から入るほうが早い。表門から昇降口を通ると、どうしても人に会う。裏門を使うために、僕は坂道ではなく海沿いの道を通るようになった。六月に実験でやったのと同じ道を、今度は実験ではなく必要のために毎日歩く。
このみっつめだけは、何の意味も持たない。道を変えたところで数字が一桁も動かないことは、六月にさんざん試して確かめてある。
前のふたつは違った。どちらも窓口で紙を出して、判子を押してもらって、それで終わる手続きだ。誰かに宣言したわけでも、喧嘩をしたわけでもない。それでも紙の上では、僕の所属と、この夏の予定が、はっきり書き換わっていた。
母には、夏期講習はやめて自分で勉強すると言った。
言ってから、自分が旧美術棟のことを一度も口にしなかったことに気づいた。嘘は言っていない。講習をやめたのは本当だ。ただ、やめた理由のほうを、僕は落としていた。母は少し不満そうにして、それでも僕が自分で決めたのならと言って引き下がった。
その週の土曜の朝、洗面所で顔を洗って、鏡の前で足元を見た。
二本だった。
一本足りない。見間違いかと思って、床のタイルの上に足を置き直した。やはり二本しかない。三本並んでいたときの間隔を覚えているから、真ん中の一本がなくなっているのがすぐにわかった。
残った二本の太さは、前と変わっていない。
僕はその場に立ったまま、洗面台の縁を握っていた。
六月に三日間かけて逸れようとしたときは、数字が一桁も動かなかった。今回は、何をしたわけでもない。部をやめて、講習をやめた。それだけだ。誰にも迷惑をかけていないし、法律にも校則にも触れていない。
触れていないのに、記録は動いた。
そのことに気づいたとき、僕の中に湧いてきたのは恐怖ではなかった。
嬉しいのとも違う。強いて言えば、通じたと思った。六月にどれだけ道を変えても無視され続けていたものが、今度はこちらを見た。見た上で、一本ぶんだけ僕の未来を引っ込めた。
顔を上げると、鏡の中に自分の顔があった。
いつもと同じ顔をしている。三本が二本になったところで、たぶん今日一日、誰も僕の変化に気づかない。気づく可能性があるのは、家に一人だけだ。
母が保護者の画面をひらくまで、どれくらいの猶予があるのかを、僕はそのとき初めて考えた。
3-3 下地
夏休みに入ると、僕は毎日そこへ通うようになった。
朝の九時に裏門から入って、渡り廊下の札をまたいで、鍵を開ける。彼女はたいてい先に来ていた。何時から来ているのかを訊いたことはない。訊いても、たぶん毎日ではないという類の答えが返ってくる。
建物の中は外より三度ほど涼しくて、そのぶん湿っていた。窓を開けられる箇所が二つしかないので、扇風機を第二準備室から運んできて、壁のほうへ向けて回した。羽の音がして、外で蝉が鳴いて、スクレーパーが壁を削る音がする。その三つだけが一日じゅう続いた。
七月の下旬は、ひたすら壁を掃除する日々だった。
まず、剥離した塗膜を落とす。褪せた絵の表面は、場所によっては指で押すだけでぼろぼろと落ちた。落ちる部分と落ちない部分の境目を見極めて、落ちるところだけを削り、残るところは傷つけないようにする。スクレーパーを寝かせて、壁と平行に近い角度で当てるのだと彼女は言った。立てて当てると下地まで持っていく。
僕は三時間で腕が上がらなくなった。
脚立の下から高さ一メートル半までの帯を、僕が横へ横へと進めていく。彼女はその上の段を受け持った。同じ作業をしているのに、彼女の進みは僕の倍近く速い。速いのに雑でもなくて、彼女が通ったあとの壁は面が均一になっていた。
削っているあいだ、頭の中はほとんど空になった。
削れる場所と削れない場所の境目を探して、角度を決めて、力を入れて、粉を払う。それだけを何百回も繰り返していると、進路のことも、母の顔も、九月一日という日付も、どこかへ行ってしまう。壁のこの区画をあと何センチ進めるか、それ以外に考えることがなくなる。
昼は食べたり食べなかったりした。
僕がコンビニで買ってきたパンを差し出すと、彼女は当たり前の顔で受け取った。礼を言われた記憶はないけれど、断られたこともない。二人でビニールシートの端に座って、壁を見上げながら食べる。話すことがないので、たいていは無言だった。
壁を削りはじめて三日目の昼に、僕はようやく訊いた。
「これ、誰が描いたの」
彼女はパンの袋を膝の上でたたみながら、少しのあいだ黙っていた。答えないのだろうと思って、僕が別のことを言おうとしたときに、口をひらいた。
「うちの母親が描きかけたやつ」
僕は顔を彼女のほうへ向けた。
壁のほうを見たままの横顔は、いつもと変わらない。何かを打ち明けている人の顔ではなかった。
「ここの卒業生なの。二十年以上前。卒業する前に描き始めて、途中でやめて、そのまま出ていった」
やめた理由は言わない。僕も訊けなかった。
彼女は立ち上がって、シートの上のスクレーパーを拾い、脚立のほうへ戻っていく。会話が終わったのだということを、その動きが知らせていた。
それでも、その日から壁の見え方が変わった。
二十年前に十七か十八だった誰かが、この場所に立って、この高さに手を伸ばして、この曲線を引いた。輪郭だけを引いて、中を塗らないまま、途中でやめた。やめたときの壁が、二十年たった今もそのまま残っている。誰も消さなかったし、誰も完成させなかった。
残っている理由は、たぶん誰も気にしなかったからだ。
美術室が新しい棟へ移って、この建物が物置になって、鍵がかかって、それきりになった。壁を塗り直す必要がないから塗り直されず、消す理由がないから消されないまま、二十年が過ぎた。大事にされたわけではない。忘れられただけで残ったものを、僕は今、削って磨いている。
建物ごと捨てられたおかげで、それは残った。
そして九月に、建物ごと壊される。
図書室で彼女が言っていたことを、僕はそこで思い出した。壁画はどこにも行けない、建物の都合で残ったり消えたりする、自分ではどうにもできない。あのとき彼女は、惜しんでいるようにはまったく聞こえなかった。今ならわかる。惜しむとか惜しまないとかいう段階を、この人はとっくに通り過ぎている。
七月の終わりに、陸からメッセージが来た。
夏の大会の日程と、会場の名前と、来られるなら来いという短い文面だった。去年も同じものが送られてきて、去年の僕はちゃんと見にいっている。今年は、その日に旧美術棟にいる予定が入っていた。
行けたら行く、と僕は返した。
送信してから、その六文字が何も意味していないことに気づいた。陸はそういう返事をする人間ではない。行けないなら行けないと言うし、理由も言う。僕はスマートフォンを裏返して、シートの上に置いた。
八月に入る前の週から、僕は一日に何度もスマートフォンを見るようになった。
母から何か来ていないかを確かめている。三本が二本になったことに気づけば、母は必ず何か言ってくる。今のところ、届くのは夕飯の買い物を頼む短い文面ばかりだった。気づいていないのか、気づいていて泳がせているのかは判断がつかない。
あの人が保護者の画面をひらく頻度を、僕は四月から知っている。知っていて、毎日この建物へ通っている。
八月に入る直前、下地打ちが終わった。
最後の一角を塗り終えて、僕がローラーをバケツに戻したとき、壁は灰色に近い白で一様になっていた。二十年ぶんの汚れと、剥がれかけた古い層が消えて、残っているのは彼女の母親の引いた輪郭だけだ。下地を薄く溶いて塗ったので、鉛筆よりは太く墨よりは薄い線が、白の下から透けたまま、大きくうねりながら走っている。
彼女は脚立を降りて、壁から五メートルほど下がったところに立った。
僕も隣に立った。
そこから見ると、輪郭の全体が初めて一枚の絵として繋がった。中央の大きな曲線は人の背中に見えるし、その周りを囲んでいるものは波にも布にも見える。右上の隅にだけ、細かい線が密集した領域があって、そこだけ何を描こうとしているのかがわからなかった。
「決まってないの」
僕の視線を追ったらしく、彼女が言った。
「下絵のその部分だけ、線が三種類あって、どれで行くか決めてない。決める前にやめたんだと思う」
じゃあ、どうするのか、と僕は訊いた。
彼女は右上の隅を見上げたまま、少しだけ首を傾げた。
「私が決める」
言い方は軽かった。重大な宣言をしている調子ではまるでない。それでも、僕はその一言を聞いたときに、この人がここで何をしているのかをようやく理解した気がした。
なぞっているのではない。
母親が引いた線を保存しようとしているのでも、遺したものを大事にしようとしているのでもない。決まっていなかった部分を、自分の判断で決めて、終わらせようとしている。
その日の帰り、彼女が扉に鍵をかけながら言った。
「来月、何日か泊まる」
泊まる、という言葉の意味を掴みかねて、僕は彼女の横顔を見た。彼女は鍵を抜いて、ポケットに入れて、それから当たり前の調子で続けた。
「往復の時間がもったいない。八月の半ばに三日くらい。来る来ないは勝手にして」
行く、と僕は答えた。考える前に口が動いていた。
夕方、道具を片づけて外へ出ると、まだ空が明るかった。
渡り廊下の札をまたいで本校舎側へ戻ると、そこで足元にまた青が生まれた。二本ある。一歩の差で生えたり消えたりするものを、この一か月、僕は毎日またいでいた。
その二本を見ながら、僕は頭の隅で計算していた。
九月一日まで、あと一か月しかなかった。
3-4 死んだ目
八月に入ってからの数日は、色を作ることに費やされた。
第二準備室から運び出した業務用のアクリルは、缶の蓋を開けると表面に膜が張っていて、竹べらで剥がしてから練り直す必要があった。原色に近い色ばかりで、そのまま壁に置ける色はひとつもない。彼女は空いた缶の蓋の裏をパレット代わりにして、そこで何度も混ぜては、板の切れ端に塗って乾かしていた。
缶の数は思っていたより少なかった。赤に近いものが二つ、黄色が一つ、青が二つ、白が大きいのが一缶と、黒が小さいのが一缶。これだけで壁一面を塗るのだと言われて、僕は正直なところ足りるのかと思った。足りる、と彼女は言った。足りないのは色ではなくて、混ぜる手間のほうなのだという。
乾くと色が変わる。
それを知ったのは二日目だった。塗った直後はいい色だと思ったものが、三十分後には別の色になっている。濡れているあいだは深く見えて、乾くと一段明るく、白っぽくなる。だから彼女は必ず試し塗りをして、乾かして、それから壁へ持っていくかどうかを決めていた。
僕の仕事は、板を並べて乾かすことと、番号を書くことだった。
板の裏に番号を振って、何をどれだけ混ぜたかを紙に控える。控えておかないと二度と同じ色が作れない。地味な作業で、間違えると彼女の半日が無駄になるので、僕はその紙をずいぶん丁寧に書いた。
三日目には、板が四十枚を超えた。
壁際に並べて乾かしていると、床の一角が色見本の展示みたいになる。ほとんど同じに見える二枚が、番号を確かめると配合の違う別物だったりした。彼女はその微妙な差を平気で見分けて、こっちの十七番、と番号で指示を出すようになった。
八日までのあいだに、板は六十枚を超えた。
混ぜて、塗って、乾かして、番号を書く。その繰り返しだけで一週間が過ぎていく。壁にはまだ一色も置いていない。何もしていないのと同じに見えるのに、紙の上の配合表だけが厚くなっていった。
八月八日は、陸の大会の日だった。
朝、僕はいつもどおり裏門から入った。会場は電車で四十分の市民体育館で、去年はそこまで行って、二回戦の途中まで見て帰っている。今年は行かなかった。
昼前にメッセージが届いた。負けた、という三文字と、あとで写真が何枚か送られてきて、それきりだった。僕は既読をつけたまま、何も返さなかった。返す言葉が見つからなかったからではない。何を送っても、行かなかったという事実の上に嘘を重ねることになる気がした。
写真は五枚あって、どれもコートの上の誰かが写っていた。陸が写っているものは一枚もない。撮ったのが陸なのだから当然で、それでも僕はその五枚を何度か開き直した。
去年の僕は、当たり前のように会場にいた。誘われたから行った、というだけの理由で、それ以上のことは考えていない。今年の僕は誘われて、当たり前のように行かなかった。何が変わったのかを一言で言えるほど、僕はまだ自分の状態を把握できていなかった。
その日の昼、僕は壁を見上げながらパンを食べていた。
外の蝉が一度途切れて、また鳴き出す。扇風機が首を振って、壁のほうへ風を送り、戻ってくる。彼女は板の並んだ床を見ていて、乾き具合を指の腹で確かめていた。
「浅野くんって、なんでここにいるの」
唐突だった。
僕はパンを持った手を止めて、彼女のほうを見た。彼女はこちらを見ていない。板の色に触れたまま、独り言のような調子で続けた。
「最初に入ってきた日に、閉めてって言ったでしょ。あれ、半分は帰れって意味だったんだけど」
半分は、という言い方に、僕は少しだけ救われた気がした。
「帰らなかったけど」
「うん。帰らなかったから、まあいいかと思った」
彼女は指を離して、ようやくこちらを向いた。
「べつに邪魔じゃないよ。色の記録、私がやるとすぐ雑になるし」
それで終わるのだと思った。実際、会話としてはそこで切れてもおかしくない。彼女は立ち上がって、乾いた板を一枚拾って、壁の前まで持っていって、光の当たる角度で見比べはじめた。
そして、壁のほうを向いたまま言った。
「線の上を歩いてるときのあなた、すごく死んだ目してた」
僕は返事ができなかった。
「四月とか、五月とか。廊下で何回か見たけど、あの目、覚えてる。何かを見てるんじゃなくて、見なくていいから楽してるって感じの目」
悪意はなかった。人を傷つけようとしている人間の声ではない。板の色を見比べながら、思い出した順に事実を並べているだけの調子で、そのぶん逃げ場がなかった。
そんなことはない、と言おうとした。
言おうとして、口をひらいて、声が出なかった。出なかったのは、反論の材料が何ひとつ思いつかなかったからだ。
材料を探すかわりに、いくつかの場面が勝手に浮かんできた。
四月の朝、保健センターを出て、線に足を合わせて歩いた。あのとき僕が感じたのは確かに安堵で、それはもう自分で決めなくていいという種類の安堵だった。進路希望票を二分で書き終えたときも、書いた内容について何ひとつ想像していないと気づきながら、そのまま提出した。模試の判定を受け取ったときには、ほっとした以外の感情がひとつも湧いてこなかった。
どれも、僕が自分で選んだつもりでいた瞬間だ。
「僕は」
言いかけて、続きが出てこない。
僕は何を否定したいのか。死んだ目をしていたという指摘なのか、それとも楽をしていたという部分なのか。どちらも、自分の中で否定しきれるものがなかった。
彼女は板を下ろして、それでもこちらを見なかった。
「悪い意味じゃないよ。うちの母親も、そういう目をしてた時期があったから、なんかわかるってだけ」
その一言のほうが、さっきの言葉よりも重かった。
僕は壁を見上げた。二十年以上前に、ここに立っていた人の話が、また出てきた。絵を途中でやめた人が、そのあと何をしていたのかを、僕はまだ何も知らない。
その日の午後は、二人とも口をきかなかった。
気まずかったわけではないと思う。彼女は言うべきことを言い終えた顔で作業に戻ったし、僕のほうも、言われたことをどこへ置けばいいのかを探すのに手一杯だった。板に番号を書く手だけが、いつもより丁寧に動いていた。
夕方、道具を片づけながら、僕はずっと同じことを考えていた。
傷つきたくない、と思ったことは何度もある。失敗したくない、恥をかきたくない、面倒なことになりたくない。そういうふうに考えて、そのつど無難なほうを選んできた。選んだ結果として、僕は今まで一度も大きく転んでいない。
転ばなかったことと、何も起きなかったことを、僕はずっと同じ意味だと思っていた。
安全な場所にいれば、傷はつかない。傷がつかない状態のことを、僕は幸せだと呼んでいたのだろう。呼んでいたというより、それ以外の呼び方を知らなかった。
鍵を閉めて、渡り廊下を戻る。
いつもの境目を越えたところで、足元に青が二本生えた。
二本になった日から三週間以上が過ぎたのに、これ以上は減っていない。部をやめて、講習をやめて、それで記録が一度だけ動いて、そこから止まったままになっている。
僕はそれを見下ろして、しばらく立っていた。この二本がどこへ向かっているのかは、閲覧サービスを開けばいつでも文字で読める。読めば安心する。安心して、たぶん明日も同じ顔をして生きていく。
その顔のことを、あの人は死んだ目と呼んだ。
僕は振り返った。旧美術棟の窓には、もう光がついていない。あの建物の中では、僕の足元から何も生えない。生えないぶん、あそこでは自分がどこへ向かっているのかを誰も教えてくれない。
教えてくれない場所のほうが、息がしやすかった。
その事実を、僕はこの夏になるまで一度も知らずにいた。
3-5 泊まり込み
八月十二日から十四日まで、僕たちは旧美術棟に泊まった。
母には、友達の家に泊まると言った。
どこの誰なのかは訊かれなかった。講習をやめると言ったときに、母はそれ以上詮索しないことを選んだらしく、あれから僕の予定について何も訊かなくなっている。三日分の着替えを鞄に詰めているとき、廊下からタオルを余分に入れなさいと言っただけだった。
寝袋は前の日のうちに運んでおいた。家の押し入れから出して、鞄に入らないので自転車の荷台に括りつけて、裏門から旧美術棟まで往復した。父が昔使っていた古いもので、二つとも押し入れの奥にあったから、当分は誰も気づかない。
初日の昼、僕は着替えだけを詰めた鞄で家を出た。
扉を開けると、昨日置いていった寝袋が二つ、壁際にそのまま積んであった。片方を彼女に渡すと、彼女はそれを受け取って、広げて、匂いを嗅いで、少しだけ顔をしかめた。それから何も言わずに自分の荷物の横に置いた。
初日の夕方、僕たちは床の一角を片づけて寝る場所を作った。
ビニールシートを二重に敷いて、その上に寝袋を並べる。あいだは一メートルほど空けた。空けたことについて、どちらも何も言わなかった。彼女は自分の荷物から薄いタオルケットを出して寝袋の上に重ね、それで支度を終えた。
泊まるといっても、設備は何もない。
水道は止まっている。飲み水はスーパーで二リットルのボトルを六本買って、二人で分けて運んだ。トイレは本校舎の一階のものを使えることになっていて、そこまで行くには暗い渡り廊下を往復する必要がある。風呂はない。汗は濡らしたタオルで拭くだけで、三日目には自分の匂いがわかるようになった。
夕食はカップ麺だった。
湯はカセットコンロで沸かす。彼女がどこからか持ってきた小さなもので、ガス缶の残りを気にしながら使った。麺をすする音と、外の虫の声だけがする夕方の作業場は、昼よりずっと広く感じられる。
初日の夜、扉の外に段ボールが一箱置かれていた。
僕が気づいたのは、トイレから戻ってきたときだった。中を見ると、レトルトのカレーと、パックの白米と、缶詰と、スポーツドリンクのペットボトルが六本入っている。上に置き手紙も、名前を書いた紙もなかった。
彼女はそれを見て、一言だけ言った。
「鶴巻先生」
なんでわかるのか、と僕が訊くと、彼女は箱の底のほうを指した。緩衝材の代わりに敷いてあるのが、美術室で使う版画用の紙だった。
僕らはそのカレーを二日目の昼に食べた。
先生は三日間、一度もこちらへ顔を出さなかった。様子を見にも来ないし、片づけろとも言わない。置いていっただけで、置いていったことすら知らせない。その距離の取り方が、あの人なりの何かなのだということは、僕にもなんとなくわかった。
夜の建物は、昼とは別の音を出した。
風が吹くたびに、二階のどこかで板の軋む音がする。上には上がるなと鶴巻先生に言われている天井の向こうで、何かが小さく動く音が何度かした。鳥かもしれないし、鼠かもしれない。彼女はその音に一度も反応しなかったから、たぶん前から知っているのだろう。
蚊は多かった。
建物の隙間から入ってくるので、蚊取り線香を三つ買ってきて、離れた場所に置いた。それでも刺される。夜になると投光器を点けて作業を続けるから、光に虫が集まってくる。羽虫が投光器の熱で焼ける小さな音が、何分かおきに聞こえた。
夜の壁は、昼とまるで違って見えた。
投光器の光は強くて一方向からしか当たらないので、下地のわずかな凹凸が影になる。昼には平らに見えていた面に、細かい起伏があるのがわかった。二十年前の輪郭も、影がついたぶんだけ立体的に浮かび上がる。
「夜のほうが、下絵ははっきり見える」
彼女はそう言って、光の角度を何度も変えていた。
二日目の夜、僕らは建物を出た。
裏門から出て、五分ほど歩くと海に出る。堤防の上は歩けるようになっていて、コンクリートの縁に座ると、正面に暗い海が広がった。左手のずっと先に、フェリー乗り場の明かりが小さく見える。夜の便があるのだということを、僕はそこで初めて知った。
風は生ぬるかった。
彼女はペットボトルの水を一口飲んで、膝を抱えた。海のほうを見たまま、しばらく何も言わない。僕も黙っていた。話すことがないのではなくて、訊きたいことが多すぎて、どれから出せばいいのかがわからなかった。
先に口をひらいたのは、彼女のほうだった。
「母親の話、してもいい」
どうぞ、としか僕は答えられなかった。
「絵しか描いてない人だったの。高校のときは、その学年で一番うまかったらしい。鶴巻先生が同級生だから、そこは本当だと思う」
先生と母親が同級生だという話を、僕はそのとき初めて聞いた。あの鍵の渡し方の意味が、遅れて腑に落ちた。
「それで、十七で敷設を受けた。当時は今と制度が違って、導入されたばかりで、その学年が最初だったって言ってた」
彼女は水のボトルの蓋を、指先で回したり戻したりしていた。
「線は、絵の道を出さなかった」
出さなかったというのが具体的にどういうことなのかを、僕は自分の画面で想像できた。並んでいるのは、進学先の候補と、就職先の業種と、想定される居住地域と、年収の推定値だ。絵を描くという言葉が、あの一覧のどこにも入らないことだけはわかる。
「それで、描くのをやめたの。卒業まであと少しってところで、壁をあのままにして、筆を全部捨てて、出ていった」
やめたんだ、と僕は言った。言ってから、ずいぶん間の抜けた相槌だと思った。
「うん。やめた。しばらく普通に働いて、結婚して、私が生まれて、それでもやめたままだった」
彼女は少し間を置いて、続けた。
「でも、私が小学校の高学年くらいのときに、また描き始めた」
夜の海の音が、堤防の下で規則的に鳴っている。
「そこからは早かったよ。一年もしないうちに線が細くなって、消えて、仕事も変わって、家の中もだんだんおかしくなった。二年目の冬に病気で死んだ。病気だけの話じゃないと思うけど、証明はできない」
いつ、と僕はようやく訊いた。訊いてから、訊き方が雑だったと思った。
「五年前。私が十二のとき」
僕は何も言えなかった。
慰めの言葉はいくつか頭に浮かんだ。どれも、口に出した瞬間に軽くなるのがわかる種類のものだった。
「どっちが正しかったのか、私にはわかんない」
彼女はそう言って、初めてこちらを向いた。
「線を信じてやめた二十年と、線を捨てて描いた最後の二年と、どっちがあの人にとってましだったのか。本人に訊いても、たぶん答えられなかったと思う」
暗くて、表情はよく見えなかった。
声は淡々としていて、泣いてもいないし、怒ってもいない。何度も考えて、考え終わったあとの声だった。答えの出ないことを、答えが出ないまま置いておけるようになるまでに、この人がどれだけの時間を使ったのかを、僕は想像しようとして失敗した。
「だから、あれを終わらせたいの」
彼女は海のほうへ向き直った。
「正しいかどうかはわかんないけど、途中で止まってるのだけは、なんか嫌だから」
僕はうなずいた。うなずいたことが伝わったかどうかはわからない。
堤防の上には、僕の二本だけが伸びていた。歩くたびに前へ流れて、暗い道の先で薄くなって消える。彼女の側の地面には何もない。同じコンクリートの上に並んで座っているのに、片方にだけ光がある。
その非対称を、僕はこの夏、何度も見てきた。
見るたびに、噂の一行が頭をかすめる。引くだけの残りがないからだ。この人の話を聞いたあとでも、その一行は消えなかった。消えないまま、少しだけ形を変えた。
この人の母親は、線を失ってからも一年以上生きた。
線がないことと、残りがないことは、同じではないのかもしれない。
帰り道、彼女が思い出したように言った。
「浅野くん、部活やめたよね」
僕は足を止めた。退部届のことを誰かに話した覚えはない。文芸部の名簿から名前が消えたことに気づく人間が、この学校にいるとも思えなかった。
「掲示板に出るの、部の名簿。夏の活動予定のところ。前は載ってた名前が今月から消えてる」
そんなものを見ている人がいるのか、と僕は間の抜けたことを言った。彼女はそれには答えず、少し歩いてから続けた。
「講習も行ってないでしょ。毎日ここにいるんだから」
言葉を探しているあいだに、彼女が先に本題を置いた。
「今、何本あるの」
二本、と僕は答えた。
彼女は前を向いたまま、少しのあいだ黙っていた。
「四月は三本って言ってたよね。桐山くんに訊かれて答えてたやつ」
あの朝の教室の声が、この人の耳にも入っていたのだと、僕はそこでようやく気づいた。誰とも喋らずに窓際に座っていた人が、教室で交わされる会話を全部聞いていないはずがない。聞いていて、四か月も覚えている。
「私には見えないから、確かめようがないけど」
彼女は歩きながら、足元のあたりを目で追うような仕草をした。自分の靴の先には何もない。見えないというのが、この人にとってどういう景色なのかを、僕は一度も想像したことがなかった。
「気をつけたほうがいいよ」
それだけ言って、彼女は先に歩いていった。
七月九日の土曜、僕は誰もいない校舎の二階を歩いていた。
夏休みまであと十日ほどで、補習も部活もない土曜の校舎は空いている。グラウンドからサッカー部の声が上がってくるほかは、廊下に人の気配がなかった。窓を全部閉めきってあるせいで空気が重い。歩くたびに床のワックスが靴の裏に少しだけ貼りつく。
渡り廊下を渡って、特別教室の並ぶ棟に入る。
美術室の前を通り、音楽室の前を通り、突き当たりまで来て、僕は足を止めた。二か月前に彼女を見失った場所だった。そこから右へ、幅の狭い短い渡り廊下が伸びている。屋根はあるけれど両側は柵だけで、雨が降れば濡れる造りになっていた。
その先に、古い建物がある。
二階建てで、外壁のモルタルがところどころ剥げていて、窓のサッシが今の校舎のものより一回り細い。二階の窓の何枚かはガラスが割れたままで、内側から板が打ちつけてある。玄関にあたる部分の上に、消えかけたペンキで文字が残っていた。近づいてようやく読めた。美術棟、とだけ書いてある。
こんなものが自分の学校にあるということを、僕はこの日まで知らなかった。
地図の上では見たことがあったのかもしれない。防災の避難経路の図で、校舎の裏側に四角がひとつ余分に描かれていた気もする。ただ、生徒が行く理由のない場所に、生徒は本当に一度も行かない。一年以上ここへ通っていて、僕にとってこの建物は最初からなかったのと同じだった。
渡り廊下を進むと、途中に立入禁止の札が下がっていた。
黄色い地に黒い字で、老朽化のため立入を禁ずと書かれた札が、針金で柵に括りつけられている。日に焼けて表面が白っぽくなっていて、括った針金も錆びていた。何年も前からそこにある札だということが、見ればわかる。
僕はそれをまたいだ。
またぐという言い方が正しいのかどうかはわからない。札は柵の高さで下がっているだけで、通路そのものを塞いではいなかった。ただ、通っていい場所でないことは明らかで、その明らかさの上を一歩進むときに、僕の心臓はまた少し速くなった。
札をまたいで一歩進んだところで、僕の足元から青が消えた。
立ち止まって見下ろす。三本とも、生えていない。踵を返して一歩だけ戻ると、スニーカーの爪先からまた三本が伸びて、本校舎のほうへ流れていく。もう一度またぐと、消える。
何度か往復して、僕はようやく理解した。線が地面に敷いてあるのではない。この先へ進んだ僕がどうなるのかを、システムが計算していないのだ。ここへ来る人間の記録が存在しないから、出せるものが何もない。
境目の上で、僕はしばらく自分の足元を見下ろしていた。
扉は木製で、ノブの真鍮が黒く曇っていた。
鍵はかかっていない。押すと、蝶番が長く鳴った。
中は暗かった。窓の板と割れたガラスのあいだから光が細く差し込んでいて、埃がその筋の中でゆっくり回っている。入ってすぐは物置になっていて、積み上げられた机と椅子、丸めた模造紙、脚の折れたイーゼルが壁際に寄せてあった。石膏像が三体、布もかけずに並んでいる。どれも顔の一部が欠けていた。
石膏像の一体は、僕が一年のときに美術室で描かされたものと同じ形をしていた。あのときは部屋に三十人いて、全員が同じ角度から同じ顔を描いていた。同じものがここでは布もかけられずに、割れた顎のまま立っている。捨てられたというより、捨てる手続きを誰も踏まなかったのだろう。
奥へ進むと、空気が変わった。
物が片づけられている。机も椅子も壁際まで寄せられて、床の真ん中が広く空いていた。そこにビニールシートが敷いてあって、その上に絵の具の缶と、刷毛の入ったバケツと、ローラーと、新聞紙の束が置かれている。使われている場所だった。使われていることを隠していない場所でもある。
昼休みに彼女が消える四十分は、ここで使われていたのだと、そのときようやく繋がった。本校舎からここまで往復するだけで十分近くかかる。残りの三十分で何ができるのかはわからないけれど、毎日三十分を二か月積み上げれば、それなりの量にはなるはずだった。
顔を上げて、僕は息を止めた。
奥の壁が、一面すべて絵になっていた。
高さは三メートル近くあって、横は教室の黒板の倍よりも長い。色は全体に褪せていて、灰色がかった下地の上に、大きな曲線が何本も走っている。人の体のようにも、波のようにも、風の流れのようにも見えた。輪郭だけが引かれていて、中が塗られていない部分が多い。塗られているところも、色が薄く一度だけ置かれているだけで、完成しているようには見えなかった。
見上げているうちに、首の後ろが痛くなった。教室の黒板を見るのとは使う筋肉が違う。これだけの面積を人間の手で埋めるということが、どれくらいの時間を要するのかを、僕はそのとき何ひとつ想像できていなかった。
絵の下のほうに、脚立が立っている。
その上に、星野ユキがいた。
制服ではなかった。灰色のTシャツに、絵の具のついたジャージのズボンで、髪を後ろで一つにまとめている。片手に小さな筆を持って、壁の一点に顔を近づけていた。僕が入ってきたことに、たぶん最初から気づいている。
彼女は振り返らなかった。
「鍵、鶴巻先生から借りてるから」
声が、思っていたより広い場所に響いた。天井が高いせいだと、あとで気づいた。
僕は何と答えればいいのかわからないまま、扉の内側で突っ立っていた。足元には何も生えていない。建物に入ってからずっとそうだった。
ここへ来た理由を説明しろと言われても、二か月前に見失った場所の先を確かめたかった、としか言えない。それが人の作業場に無断で入る理由になるとは、自分でも思わない。
脚立の上で、彼女がようやくこちらを見た。
叱られるのだと思った。何しに来たのと訊かれるか、出ていってと言われるか、そのどちらかを僕は覚悟していた。彼女は筆を持った手を下ろして、僕の顔と、それから足元のあたりを順番に見た。見たところで何もないことを、たぶんこの人は知っている。
「閉めて」
それだけ言って、彼女は壁へ向き直った。
閉めて、というのが、外から閉めろという意味なのか、中に入って閉めろという意味なのかは、言い方からは判別できなかった。たぶん、どちらでもいいのだろう。どちらを選んでも彼女の手は止まらない。
僕はノブに手をかけた。
埃の匂いと、乾いた絵の具の匂いがする。背中側の廊下は明るくて、こちら側は暗い。境目に立ったまま、僕は三秒か四秒迷っていた。
扉を閉めたのは、内側からだった。
3-2 許可
その日、僕は結局ほとんど何もしなかった。
中に入ったところで、何を手伝えばいいのかがわからない。壁のどこがどういう状態なのかも、道具の名前も、彼女が今やっていることの目的も、僕は何ひとつ知らなかった。
手伝うと言ったわけでもないのに中に入ってしまった以上、突っ立っているわけにもいかなくて、僕は床の新聞紙を集めたり、乾いた刷毛を洗いに行ったりした。水は出なかった。建物の水道は元栓が閉められていて、彼女は本校舎の手洗い場からバケツで運んでいるのだという。それを教わったのも、訊いたからではなくて、僕が蛇口をひねって首を傾げているのを見た彼女が、脚立の上から一言そう言っただけだった。
帰り際に、僕はようやく口をひらいた。
「星野さん、これ、毎日やってるの」
「毎日ではない」
彼女は道具をまとめながら答えた。それ以上の説明はない。
訊きたいことは他にいくらでもあった。なぜここなのか、なぜあの絵なのか、あの絵はもともと誰が描いたのか。どれも喉のあたりまでは来るのに、言葉にする直前で引っかかって出てこない。出てこないのは、訊いたところで自分に関係のある話ではないからだった。関係ない話だと言われてから、まだひと月しか経っていない。
次の火曜、僕は職員室へ行った。
美術の鶴巻先生は、窓際の奥の席にいた。四十代の半ばくらいで、いつも袖をまくっていて、手の甲や指に何かしらの色がついている。授業を受けたのは一年のときだけで、直接話したことはほとんどなかった。
僕が名前を名乗って、旧美術棟の鍵を貸してほしいと言うと、先生は書類から顔を上げた。
「星野に聞いたの」
「いえ。……勝手に見にいって、それで」
嘘をつくべきだったのかもしれない。とっさに出たのは事実のほうで、言ってしまってから、これは怒られる流れだと思った。
鶴巻先生は、少し長めに僕の顔を見ていた。
何をしているのかとも、どういうつもりなのかとも訊かれなかった。理由を説明する準備を僕はそれなりにしてきていて、その準備が全部いらなくなった。
「星野はそれでいいって言ってるの」
答えに詰まった。追い出されなかったというだけで、いいと言われた覚えはない。黙っている僕を見て、先生は短く息を吐いた。
「絵の具は、二階の第二準備室にまだ残ってるから使っていい。業務用のやつ。刷毛も同じところ。あとは自分で買って」
先生は引き出しを開けて、札のついた鍵をひとつ取り出した。
「水はこっちの手洗い場から運ぶこと。電気は一階だけ生きてるけど、ブレーカーは触らないで。上には上がらないように。床が抜ける」
注意事項を並べるときの口調は早くて、何度も言い慣れている人のものだった。星野にも同じことを言ったのだろう。
「星野には私から訊く。だめだって言われたら返してもらうから」
僕が鍵を受け取ろうとすると、先生は一度だけ手を止めて、札の面をこちらへ向けた。油性ペンで旧美術棟と書いてある。字は薄くなっていて、書かれてから相当な年数が経っていた。
鍵を受け取りながら、僕は訊いていいのかどうかを迷って、結局訊いた。
「あの、いいんですか。立入禁止って」
「九月に重機が入る」
先生はそう言って、書類に目を戻した。
「それまでは、あそこは誰のものでもない」
その言い方には、許可を出しているという響きがなかった。責任を引き受けるつもりもないし、止めるつもりもない。ただ、九月に消えるものについては誰も管理していないのだという事実を、そのまま口にしただけに聞こえた。
職員室を出てから、僕は鍵を握ったまま廊下を歩いた。
鍵は思ったより重かった。真鍮の札がついているせいで、ポケットに入れると太腿に当たる。歩くたびに当たるものを持ち歩くというのは、それだけで妙な緊張を連れてくる。
同じ週のうちに、僕は三つのことをした。
ひとつは、部活の退部届を出したことだ。一年の春から名前だけ置いていた文芸部で、月に一度集まって短い作品を持ち寄るだけの部だった。行かなくなって半年以上経っていたから、届を出すのは形式でしかない。それでも書類の上では、僕はその日から無所属になった。
ふたつめは、夏期講習の申し込みを取り下げたことだ。六月に母が申し込んだ予備校の短期講習で、八月の前半に十日間の日程が入っていた。窓口へ行って、家の事情でと言えば、それ以上は訊かれなかった。返金の手続きは母の名義だったから、書類をもらって帰って、机の引き出しに入れた。
みっつめは、通学路を変えたことだった。
旧美術棟へ寄るには、学校の裏門から入るほうが早い。表門から昇降口を通ると、どうしても人に会う。裏門を使うために、僕は坂道ではなく海沿いの道を通るようになった。六月に実験でやったのと同じ道を、今度は実験ではなく必要のために毎日歩く。
このみっつめだけは、何の意味も持たない。道を変えたところで数字が一桁も動かないことは、六月にさんざん試して確かめてある。
前のふたつは違った。どちらも窓口で紙を出して、判子を押してもらって、それで終わる手続きだ。誰かに宣言したわけでも、喧嘩をしたわけでもない。それでも紙の上では、僕の所属と、この夏の予定が、はっきり書き換わっていた。
母には、夏期講習はやめて自分で勉強すると言った。
言ってから、自分が旧美術棟のことを一度も口にしなかったことに気づいた。嘘は言っていない。講習をやめたのは本当だ。ただ、やめた理由のほうを、僕は落としていた。母は少し不満そうにして、それでも僕が自分で決めたのならと言って引き下がった。
その週の土曜の朝、洗面所で顔を洗って、鏡の前で足元を見た。
二本だった。
一本足りない。見間違いかと思って、床のタイルの上に足を置き直した。やはり二本しかない。三本並んでいたときの間隔を覚えているから、真ん中の一本がなくなっているのがすぐにわかった。
残った二本の太さは、前と変わっていない。
僕はその場に立ったまま、洗面台の縁を握っていた。
六月に三日間かけて逸れようとしたときは、数字が一桁も動かなかった。今回は、何をしたわけでもない。部をやめて、講習をやめた。それだけだ。誰にも迷惑をかけていないし、法律にも校則にも触れていない。
触れていないのに、記録は動いた。
そのことに気づいたとき、僕の中に湧いてきたのは恐怖ではなかった。
嬉しいのとも違う。強いて言えば、通じたと思った。六月にどれだけ道を変えても無視され続けていたものが、今度はこちらを見た。見た上で、一本ぶんだけ僕の未来を引っ込めた。
顔を上げると、鏡の中に自分の顔があった。
いつもと同じ顔をしている。三本が二本になったところで、たぶん今日一日、誰も僕の変化に気づかない。気づく可能性があるのは、家に一人だけだ。
母が保護者の画面をひらくまで、どれくらいの猶予があるのかを、僕はそのとき初めて考えた。
3-3 下地
夏休みに入ると、僕は毎日そこへ通うようになった。
朝の九時に裏門から入って、渡り廊下の札をまたいで、鍵を開ける。彼女はたいてい先に来ていた。何時から来ているのかを訊いたことはない。訊いても、たぶん毎日ではないという類の答えが返ってくる。
建物の中は外より三度ほど涼しくて、そのぶん湿っていた。窓を開けられる箇所が二つしかないので、扇風機を第二準備室から運んできて、壁のほうへ向けて回した。羽の音がして、外で蝉が鳴いて、スクレーパーが壁を削る音がする。その三つだけが一日じゅう続いた。
七月の下旬は、ひたすら壁を掃除する日々だった。
まず、剥離した塗膜を落とす。褪せた絵の表面は、場所によっては指で押すだけでぼろぼろと落ちた。落ちる部分と落ちない部分の境目を見極めて、落ちるところだけを削り、残るところは傷つけないようにする。スクレーパーを寝かせて、壁と平行に近い角度で当てるのだと彼女は言った。立てて当てると下地まで持っていく。
僕は三時間で腕が上がらなくなった。
脚立の下から高さ一メートル半までの帯を、僕が横へ横へと進めていく。彼女はその上の段を受け持った。同じ作業をしているのに、彼女の進みは僕の倍近く速い。速いのに雑でもなくて、彼女が通ったあとの壁は面が均一になっていた。
削っているあいだ、頭の中はほとんど空になった。
削れる場所と削れない場所の境目を探して、角度を決めて、力を入れて、粉を払う。それだけを何百回も繰り返していると、進路のことも、母の顔も、九月一日という日付も、どこかへ行ってしまう。壁のこの区画をあと何センチ進めるか、それ以外に考えることがなくなる。
昼は食べたり食べなかったりした。
僕がコンビニで買ってきたパンを差し出すと、彼女は当たり前の顔で受け取った。礼を言われた記憶はないけれど、断られたこともない。二人でビニールシートの端に座って、壁を見上げながら食べる。話すことがないので、たいていは無言だった。
壁を削りはじめて三日目の昼に、僕はようやく訊いた。
「これ、誰が描いたの」
彼女はパンの袋を膝の上でたたみながら、少しのあいだ黙っていた。答えないのだろうと思って、僕が別のことを言おうとしたときに、口をひらいた。
「うちの母親が描きかけたやつ」
僕は顔を彼女のほうへ向けた。
壁のほうを見たままの横顔は、いつもと変わらない。何かを打ち明けている人の顔ではなかった。
「ここの卒業生なの。二十年以上前。卒業する前に描き始めて、途中でやめて、そのまま出ていった」
やめた理由は言わない。僕も訊けなかった。
彼女は立ち上がって、シートの上のスクレーパーを拾い、脚立のほうへ戻っていく。会話が終わったのだということを、その動きが知らせていた。
それでも、その日から壁の見え方が変わった。
二十年前に十七か十八だった誰かが、この場所に立って、この高さに手を伸ばして、この曲線を引いた。輪郭だけを引いて、中を塗らないまま、途中でやめた。やめたときの壁が、二十年たった今もそのまま残っている。誰も消さなかったし、誰も完成させなかった。
残っている理由は、たぶん誰も気にしなかったからだ。
美術室が新しい棟へ移って、この建物が物置になって、鍵がかかって、それきりになった。壁を塗り直す必要がないから塗り直されず、消す理由がないから消されないまま、二十年が過ぎた。大事にされたわけではない。忘れられただけで残ったものを、僕は今、削って磨いている。
建物ごと捨てられたおかげで、それは残った。
そして九月に、建物ごと壊される。
図書室で彼女が言っていたことを、僕はそこで思い出した。壁画はどこにも行けない、建物の都合で残ったり消えたりする、自分ではどうにもできない。あのとき彼女は、惜しんでいるようにはまったく聞こえなかった。今ならわかる。惜しむとか惜しまないとかいう段階を、この人はとっくに通り過ぎている。
七月の終わりに、陸からメッセージが来た。
夏の大会の日程と、会場の名前と、来られるなら来いという短い文面だった。去年も同じものが送られてきて、去年の僕はちゃんと見にいっている。今年は、その日に旧美術棟にいる予定が入っていた。
行けたら行く、と僕は返した。
送信してから、その六文字が何も意味していないことに気づいた。陸はそういう返事をする人間ではない。行けないなら行けないと言うし、理由も言う。僕はスマートフォンを裏返して、シートの上に置いた。
八月に入る前の週から、僕は一日に何度もスマートフォンを見るようになった。
母から何か来ていないかを確かめている。三本が二本になったことに気づけば、母は必ず何か言ってくる。今のところ、届くのは夕飯の買い物を頼む短い文面ばかりだった。気づいていないのか、気づいていて泳がせているのかは判断がつかない。
あの人が保護者の画面をひらく頻度を、僕は四月から知っている。知っていて、毎日この建物へ通っている。
八月に入る直前、下地打ちが終わった。
最後の一角を塗り終えて、僕がローラーをバケツに戻したとき、壁は灰色に近い白で一様になっていた。二十年ぶんの汚れと、剥がれかけた古い層が消えて、残っているのは彼女の母親の引いた輪郭だけだ。下地を薄く溶いて塗ったので、鉛筆よりは太く墨よりは薄い線が、白の下から透けたまま、大きくうねりながら走っている。
彼女は脚立を降りて、壁から五メートルほど下がったところに立った。
僕も隣に立った。
そこから見ると、輪郭の全体が初めて一枚の絵として繋がった。中央の大きな曲線は人の背中に見えるし、その周りを囲んでいるものは波にも布にも見える。右上の隅にだけ、細かい線が密集した領域があって、そこだけ何を描こうとしているのかがわからなかった。
「決まってないの」
僕の視線を追ったらしく、彼女が言った。
「下絵のその部分だけ、線が三種類あって、どれで行くか決めてない。決める前にやめたんだと思う」
じゃあ、どうするのか、と僕は訊いた。
彼女は右上の隅を見上げたまま、少しだけ首を傾げた。
「私が決める」
言い方は軽かった。重大な宣言をしている調子ではまるでない。それでも、僕はその一言を聞いたときに、この人がここで何をしているのかをようやく理解した気がした。
なぞっているのではない。
母親が引いた線を保存しようとしているのでも、遺したものを大事にしようとしているのでもない。決まっていなかった部分を、自分の判断で決めて、終わらせようとしている。
その日の帰り、彼女が扉に鍵をかけながら言った。
「来月、何日か泊まる」
泊まる、という言葉の意味を掴みかねて、僕は彼女の横顔を見た。彼女は鍵を抜いて、ポケットに入れて、それから当たり前の調子で続けた。
「往復の時間がもったいない。八月の半ばに三日くらい。来る来ないは勝手にして」
行く、と僕は答えた。考える前に口が動いていた。
夕方、道具を片づけて外へ出ると、まだ空が明るかった。
渡り廊下の札をまたいで本校舎側へ戻ると、そこで足元にまた青が生まれた。二本ある。一歩の差で生えたり消えたりするものを、この一か月、僕は毎日またいでいた。
その二本を見ながら、僕は頭の隅で計算していた。
九月一日まで、あと一か月しかなかった。
3-4 死んだ目
八月に入ってからの数日は、色を作ることに費やされた。
第二準備室から運び出した業務用のアクリルは、缶の蓋を開けると表面に膜が張っていて、竹べらで剥がしてから練り直す必要があった。原色に近い色ばかりで、そのまま壁に置ける色はひとつもない。彼女は空いた缶の蓋の裏をパレット代わりにして、そこで何度も混ぜては、板の切れ端に塗って乾かしていた。
缶の数は思っていたより少なかった。赤に近いものが二つ、黄色が一つ、青が二つ、白が大きいのが一缶と、黒が小さいのが一缶。これだけで壁一面を塗るのだと言われて、僕は正直なところ足りるのかと思った。足りる、と彼女は言った。足りないのは色ではなくて、混ぜる手間のほうなのだという。
乾くと色が変わる。
それを知ったのは二日目だった。塗った直後はいい色だと思ったものが、三十分後には別の色になっている。濡れているあいだは深く見えて、乾くと一段明るく、白っぽくなる。だから彼女は必ず試し塗りをして、乾かして、それから壁へ持っていくかどうかを決めていた。
僕の仕事は、板を並べて乾かすことと、番号を書くことだった。
板の裏に番号を振って、何をどれだけ混ぜたかを紙に控える。控えておかないと二度と同じ色が作れない。地味な作業で、間違えると彼女の半日が無駄になるので、僕はその紙をずいぶん丁寧に書いた。
三日目には、板が四十枚を超えた。
壁際に並べて乾かしていると、床の一角が色見本の展示みたいになる。ほとんど同じに見える二枚が、番号を確かめると配合の違う別物だったりした。彼女はその微妙な差を平気で見分けて、こっちの十七番、と番号で指示を出すようになった。
八日までのあいだに、板は六十枚を超えた。
混ぜて、塗って、乾かして、番号を書く。その繰り返しだけで一週間が過ぎていく。壁にはまだ一色も置いていない。何もしていないのと同じに見えるのに、紙の上の配合表だけが厚くなっていった。
八月八日は、陸の大会の日だった。
朝、僕はいつもどおり裏門から入った。会場は電車で四十分の市民体育館で、去年はそこまで行って、二回戦の途中まで見て帰っている。今年は行かなかった。
昼前にメッセージが届いた。負けた、という三文字と、あとで写真が何枚か送られてきて、それきりだった。僕は既読をつけたまま、何も返さなかった。返す言葉が見つからなかったからではない。何を送っても、行かなかったという事実の上に嘘を重ねることになる気がした。
写真は五枚あって、どれもコートの上の誰かが写っていた。陸が写っているものは一枚もない。撮ったのが陸なのだから当然で、それでも僕はその五枚を何度か開き直した。
去年の僕は、当たり前のように会場にいた。誘われたから行った、というだけの理由で、それ以上のことは考えていない。今年の僕は誘われて、当たり前のように行かなかった。何が変わったのかを一言で言えるほど、僕はまだ自分の状態を把握できていなかった。
その日の昼、僕は壁を見上げながらパンを食べていた。
外の蝉が一度途切れて、また鳴き出す。扇風機が首を振って、壁のほうへ風を送り、戻ってくる。彼女は板の並んだ床を見ていて、乾き具合を指の腹で確かめていた。
「浅野くんって、なんでここにいるの」
唐突だった。
僕はパンを持った手を止めて、彼女のほうを見た。彼女はこちらを見ていない。板の色に触れたまま、独り言のような調子で続けた。
「最初に入ってきた日に、閉めてって言ったでしょ。あれ、半分は帰れって意味だったんだけど」
半分は、という言い方に、僕は少しだけ救われた気がした。
「帰らなかったけど」
「うん。帰らなかったから、まあいいかと思った」
彼女は指を離して、ようやくこちらを向いた。
「べつに邪魔じゃないよ。色の記録、私がやるとすぐ雑になるし」
それで終わるのだと思った。実際、会話としてはそこで切れてもおかしくない。彼女は立ち上がって、乾いた板を一枚拾って、壁の前まで持っていって、光の当たる角度で見比べはじめた。
そして、壁のほうを向いたまま言った。
「線の上を歩いてるときのあなた、すごく死んだ目してた」
僕は返事ができなかった。
「四月とか、五月とか。廊下で何回か見たけど、あの目、覚えてる。何かを見てるんじゃなくて、見なくていいから楽してるって感じの目」
悪意はなかった。人を傷つけようとしている人間の声ではない。板の色を見比べながら、思い出した順に事実を並べているだけの調子で、そのぶん逃げ場がなかった。
そんなことはない、と言おうとした。
言おうとして、口をひらいて、声が出なかった。出なかったのは、反論の材料が何ひとつ思いつかなかったからだ。
材料を探すかわりに、いくつかの場面が勝手に浮かんできた。
四月の朝、保健センターを出て、線に足を合わせて歩いた。あのとき僕が感じたのは確かに安堵で、それはもう自分で決めなくていいという種類の安堵だった。進路希望票を二分で書き終えたときも、書いた内容について何ひとつ想像していないと気づきながら、そのまま提出した。模試の判定を受け取ったときには、ほっとした以外の感情がひとつも湧いてこなかった。
どれも、僕が自分で選んだつもりでいた瞬間だ。
「僕は」
言いかけて、続きが出てこない。
僕は何を否定したいのか。死んだ目をしていたという指摘なのか、それとも楽をしていたという部分なのか。どちらも、自分の中で否定しきれるものがなかった。
彼女は板を下ろして、それでもこちらを見なかった。
「悪い意味じゃないよ。うちの母親も、そういう目をしてた時期があったから、なんかわかるってだけ」
その一言のほうが、さっきの言葉よりも重かった。
僕は壁を見上げた。二十年以上前に、ここに立っていた人の話が、また出てきた。絵を途中でやめた人が、そのあと何をしていたのかを、僕はまだ何も知らない。
その日の午後は、二人とも口をきかなかった。
気まずかったわけではないと思う。彼女は言うべきことを言い終えた顔で作業に戻ったし、僕のほうも、言われたことをどこへ置けばいいのかを探すのに手一杯だった。板に番号を書く手だけが、いつもより丁寧に動いていた。
夕方、道具を片づけながら、僕はずっと同じことを考えていた。
傷つきたくない、と思ったことは何度もある。失敗したくない、恥をかきたくない、面倒なことになりたくない。そういうふうに考えて、そのつど無難なほうを選んできた。選んだ結果として、僕は今まで一度も大きく転んでいない。
転ばなかったことと、何も起きなかったことを、僕はずっと同じ意味だと思っていた。
安全な場所にいれば、傷はつかない。傷がつかない状態のことを、僕は幸せだと呼んでいたのだろう。呼んでいたというより、それ以外の呼び方を知らなかった。
鍵を閉めて、渡り廊下を戻る。
いつもの境目を越えたところで、足元に青が二本生えた。
二本になった日から三週間以上が過ぎたのに、これ以上は減っていない。部をやめて、講習をやめて、それで記録が一度だけ動いて、そこから止まったままになっている。
僕はそれを見下ろして、しばらく立っていた。この二本がどこへ向かっているのかは、閲覧サービスを開けばいつでも文字で読める。読めば安心する。安心して、たぶん明日も同じ顔をして生きていく。
その顔のことを、あの人は死んだ目と呼んだ。
僕は振り返った。旧美術棟の窓には、もう光がついていない。あの建物の中では、僕の足元から何も生えない。生えないぶん、あそこでは自分がどこへ向かっているのかを誰も教えてくれない。
教えてくれない場所のほうが、息がしやすかった。
その事実を、僕はこの夏になるまで一度も知らずにいた。
3-5 泊まり込み
八月十二日から十四日まで、僕たちは旧美術棟に泊まった。
母には、友達の家に泊まると言った。
どこの誰なのかは訊かれなかった。講習をやめると言ったときに、母はそれ以上詮索しないことを選んだらしく、あれから僕の予定について何も訊かなくなっている。三日分の着替えを鞄に詰めているとき、廊下からタオルを余分に入れなさいと言っただけだった。
寝袋は前の日のうちに運んでおいた。家の押し入れから出して、鞄に入らないので自転車の荷台に括りつけて、裏門から旧美術棟まで往復した。父が昔使っていた古いもので、二つとも押し入れの奥にあったから、当分は誰も気づかない。
初日の昼、僕は着替えだけを詰めた鞄で家を出た。
扉を開けると、昨日置いていった寝袋が二つ、壁際にそのまま積んであった。片方を彼女に渡すと、彼女はそれを受け取って、広げて、匂いを嗅いで、少しだけ顔をしかめた。それから何も言わずに自分の荷物の横に置いた。
初日の夕方、僕たちは床の一角を片づけて寝る場所を作った。
ビニールシートを二重に敷いて、その上に寝袋を並べる。あいだは一メートルほど空けた。空けたことについて、どちらも何も言わなかった。彼女は自分の荷物から薄いタオルケットを出して寝袋の上に重ね、それで支度を終えた。
泊まるといっても、設備は何もない。
水道は止まっている。飲み水はスーパーで二リットルのボトルを六本買って、二人で分けて運んだ。トイレは本校舎の一階のものを使えることになっていて、そこまで行くには暗い渡り廊下を往復する必要がある。風呂はない。汗は濡らしたタオルで拭くだけで、三日目には自分の匂いがわかるようになった。
夕食はカップ麺だった。
湯はカセットコンロで沸かす。彼女がどこからか持ってきた小さなもので、ガス缶の残りを気にしながら使った。麺をすする音と、外の虫の声だけがする夕方の作業場は、昼よりずっと広く感じられる。
初日の夜、扉の外に段ボールが一箱置かれていた。
僕が気づいたのは、トイレから戻ってきたときだった。中を見ると、レトルトのカレーと、パックの白米と、缶詰と、スポーツドリンクのペットボトルが六本入っている。上に置き手紙も、名前を書いた紙もなかった。
彼女はそれを見て、一言だけ言った。
「鶴巻先生」
なんでわかるのか、と僕が訊くと、彼女は箱の底のほうを指した。緩衝材の代わりに敷いてあるのが、美術室で使う版画用の紙だった。
僕らはそのカレーを二日目の昼に食べた。
先生は三日間、一度もこちらへ顔を出さなかった。様子を見にも来ないし、片づけろとも言わない。置いていっただけで、置いていったことすら知らせない。その距離の取り方が、あの人なりの何かなのだということは、僕にもなんとなくわかった。
夜の建物は、昼とは別の音を出した。
風が吹くたびに、二階のどこかで板の軋む音がする。上には上がるなと鶴巻先生に言われている天井の向こうで、何かが小さく動く音が何度かした。鳥かもしれないし、鼠かもしれない。彼女はその音に一度も反応しなかったから、たぶん前から知っているのだろう。
蚊は多かった。
建物の隙間から入ってくるので、蚊取り線香を三つ買ってきて、離れた場所に置いた。それでも刺される。夜になると投光器を点けて作業を続けるから、光に虫が集まってくる。羽虫が投光器の熱で焼ける小さな音が、何分かおきに聞こえた。
夜の壁は、昼とまるで違って見えた。
投光器の光は強くて一方向からしか当たらないので、下地のわずかな凹凸が影になる。昼には平らに見えていた面に、細かい起伏があるのがわかった。二十年前の輪郭も、影がついたぶんだけ立体的に浮かび上がる。
「夜のほうが、下絵ははっきり見える」
彼女はそう言って、光の角度を何度も変えていた。
二日目の夜、僕らは建物を出た。
裏門から出て、五分ほど歩くと海に出る。堤防の上は歩けるようになっていて、コンクリートの縁に座ると、正面に暗い海が広がった。左手のずっと先に、フェリー乗り場の明かりが小さく見える。夜の便があるのだということを、僕はそこで初めて知った。
風は生ぬるかった。
彼女はペットボトルの水を一口飲んで、膝を抱えた。海のほうを見たまま、しばらく何も言わない。僕も黙っていた。話すことがないのではなくて、訊きたいことが多すぎて、どれから出せばいいのかがわからなかった。
先に口をひらいたのは、彼女のほうだった。
「母親の話、してもいい」
どうぞ、としか僕は答えられなかった。
「絵しか描いてない人だったの。高校のときは、その学年で一番うまかったらしい。鶴巻先生が同級生だから、そこは本当だと思う」
先生と母親が同級生だという話を、僕はそのとき初めて聞いた。あの鍵の渡し方の意味が、遅れて腑に落ちた。
「それで、十七で敷設を受けた。当時は今と制度が違って、導入されたばかりで、その学年が最初だったって言ってた」
彼女は水のボトルの蓋を、指先で回したり戻したりしていた。
「線は、絵の道を出さなかった」
出さなかったというのが具体的にどういうことなのかを、僕は自分の画面で想像できた。並んでいるのは、進学先の候補と、就職先の業種と、想定される居住地域と、年収の推定値だ。絵を描くという言葉が、あの一覧のどこにも入らないことだけはわかる。
「それで、描くのをやめたの。卒業まであと少しってところで、壁をあのままにして、筆を全部捨てて、出ていった」
やめたんだ、と僕は言った。言ってから、ずいぶん間の抜けた相槌だと思った。
「うん。やめた。しばらく普通に働いて、結婚して、私が生まれて、それでもやめたままだった」
彼女は少し間を置いて、続けた。
「でも、私が小学校の高学年くらいのときに、また描き始めた」
夜の海の音が、堤防の下で規則的に鳴っている。
「そこからは早かったよ。一年もしないうちに線が細くなって、消えて、仕事も変わって、家の中もだんだんおかしくなった。二年目の冬に病気で死んだ。病気だけの話じゃないと思うけど、証明はできない」
いつ、と僕はようやく訊いた。訊いてから、訊き方が雑だったと思った。
「五年前。私が十二のとき」
僕は何も言えなかった。
慰めの言葉はいくつか頭に浮かんだ。どれも、口に出した瞬間に軽くなるのがわかる種類のものだった。
「どっちが正しかったのか、私にはわかんない」
彼女はそう言って、初めてこちらを向いた。
「線を信じてやめた二十年と、線を捨てて描いた最後の二年と、どっちがあの人にとってましだったのか。本人に訊いても、たぶん答えられなかったと思う」
暗くて、表情はよく見えなかった。
声は淡々としていて、泣いてもいないし、怒ってもいない。何度も考えて、考え終わったあとの声だった。答えの出ないことを、答えが出ないまま置いておけるようになるまでに、この人がどれだけの時間を使ったのかを、僕は想像しようとして失敗した。
「だから、あれを終わらせたいの」
彼女は海のほうへ向き直った。
「正しいかどうかはわかんないけど、途中で止まってるのだけは、なんか嫌だから」
僕はうなずいた。うなずいたことが伝わったかどうかはわからない。
堤防の上には、僕の二本だけが伸びていた。歩くたびに前へ流れて、暗い道の先で薄くなって消える。彼女の側の地面には何もない。同じコンクリートの上に並んで座っているのに、片方にだけ光がある。
その非対称を、僕はこの夏、何度も見てきた。
見るたびに、噂の一行が頭をかすめる。引くだけの残りがないからだ。この人の話を聞いたあとでも、その一行は消えなかった。消えないまま、少しだけ形を変えた。
この人の母親は、線を失ってからも一年以上生きた。
線がないことと、残りがないことは、同じではないのかもしれない。
帰り道、彼女が思い出したように言った。
「浅野くん、部活やめたよね」
僕は足を止めた。退部届のことを誰かに話した覚えはない。文芸部の名簿から名前が消えたことに気づく人間が、この学校にいるとも思えなかった。
「掲示板に出るの、部の名簿。夏の活動予定のところ。前は載ってた名前が今月から消えてる」
そんなものを見ている人がいるのか、と僕は間の抜けたことを言った。彼女はそれには答えず、少し歩いてから続けた。
「講習も行ってないでしょ。毎日ここにいるんだから」
言葉を探しているあいだに、彼女が先に本題を置いた。
「今、何本あるの」
二本、と僕は答えた。
彼女は前を向いたまま、少しのあいだ黙っていた。
「四月は三本って言ってたよね。桐山くんに訊かれて答えてたやつ」
あの朝の教室の声が、この人の耳にも入っていたのだと、僕はそこでようやく気づいた。誰とも喋らずに窓際に座っていた人が、教室で交わされる会話を全部聞いていないはずがない。聞いていて、四か月も覚えている。
「私には見えないから、確かめようがないけど」
彼女は歩きながら、足元のあたりを目で追うような仕草をした。自分の靴の先には何もない。見えないというのが、この人にとってどういう景色なのかを、僕は一度も想像したことがなかった。
「気をつけたほうがいいよ」
それだけ言って、彼女は先に歩いていった。



