恋を研究していたら、研究対象と恋をした


 恋愛現象研究部の扉を開けると、いつもと違う光景が広がっていた。

「……何これ」

 机の上に、段ボール箱が三つ。

 その横には大量の資料。

 そしてホワイトボードには、見慣れない文字が書かれていた。

『新研究テーマ』

『恋人同士は、どこから恋人になるのか』

「……」

 浩人はしばらく文字を見つめた。

「これ、どういう意味ですか?」

「そのまま」

 律が答える。

「恋人になる前と後で、人間の行動はどう変わるのか調べる」

「恋人になる前と後……」

「うん」

 浩人は少し考えた。

「でも僕たちは恋人じゃないですよね」

「そう」

「じゃあ、研究できないんじゃ?」

「だから」

 律が段ボール箱を開ける。

「恋人同士がすることを、いくつか試してみる」

「…………」

 浩人は嫌な予感がした。

「何をするんですか?」

「一緒に帰る」

「それなら昨日もしました」

「名前で呼ぶ」

「今でも呼んでますよね」

「互いの予定を把握する」

「それも普通にしてます」

「休日に会う」

「……」

 そこで浩人は黙った。

「休日?」

「うん」

「二人で?」

「うん」

「……それって」

 浩人の顔が熱くなる。

「デートみたいじゃないですか?」

 言ってしまった。

 律も黙った。

 部室の空気が妙に静かになる。

「……そうだね」

 律が答えた。

 なぜか、その声はいつもより小さかった。

     ◇

「私は賛成」

 杏が手を挙げた。

「何でですか?」

「だって面白そうだから」

「僕は実験動物じゃないですよ」

「知ってる」

 杏は笑った。

「でも、二人とも気づいてないだけで、もうかなり仲良しだから」

「そうですか?」

「そうだよ」

 律を見る。

「先輩もそう思います?」

「……」

「先輩?」

「うん」

 律は頷いた。

「僕もそう思う」

 その一言だけなのに。

 胸が妙に温かくなった。

「じゃあ、決まりね」

 杏が紙を一枚取り出した。

「今週の日曜日、二人で出かける」

「え?」

「研究」

「本当にやるんですか?」

「もちろん」

 律が紙を見る。

「どこへ行く?」

「水族館は?」

 杏が提案する。

「定番すぎる」

「遊園地は?」

「人が多い」

「映画」

「会話が減る」

「じゃあ、浩人くんは?」

「僕ですか?」

 急に振られて、考える。

「……本屋」

「地味!」

「いいじゃないですか」

「神崎くんと浩人くんらしいけど」

 結局。

 日曜日は駅前の大型書店へ行くことになった。

     ◇

 その日の帰り。

 浩人と律は二人で駅へ向かっていた。

「日曜日、何時にする?」

「十時くらい?」

「わかった」

「先輩」

「何?」

「服……どうしましょう」

 言ってから恥ずかしくなった。

「学校の制服じゃないですよね」

「私服でいいんじゃない?」

「そうですよね」

 少し沈黙する。

「水瀬」

「はい?」

「楽しみ?」

「……」

 答えに困った。

 でも。

 嘘をつく理由もなかった。

「はい」

 小さく答える。

「楽しみです」

 律は少しだけ笑った。

「僕も」

 その言葉を聞いて。

 なぜか、日曜日が待ち遠しくなった。

     ◇

 そして日曜日。

 待ち合わせ場所の駅前。

 浩人は約束の時間より十五分早く到着した。

「早すぎたかな……」

 周囲を見回す。

 休日の駅前は人が多い。

 制服姿の学生。

 買い物に向かう家族。

 友達同士。

 そして――。

「水瀬」

「!」

 振り返った。

 私服姿の律が立っていた。

 学校で見るときとは、少し違う。

 白いシャツに薄いジャケット。

 髪もいつもより自然に整えている。

「……」

 浩人は言葉を失った。

「どうした?」

「いえ……」

 なんだろう。

 いつもより。

 かっこいい。

 そう思った。

「先輩も早かったんですね」

「十五分前」

「僕も」

「同じだ」

 律が笑う。

「じゃあ、行こう」

「はい」

 二人で歩き出す。

 駅前の大通り。

 人混み。

 信号。

 そして。

 ふと。

 浩人の手の甲に、律の手が触れた。

「……!」

 すぐに離れる。

「すみません」

「いえ」

 浩人は前を向いた。

 心臓が妙に速い。

 ただ手が触れただけ。

 それだけなのに。

 どうしてこんなに意識してしまうんだろう。

「水瀬」

「はい?」

「顔、赤い」

「……暑いからです」

「今日は涼しいけど」

「……」

 律が笑った。

「そういうことにしておく」

 浩人はますます顔が熱くなった。

 そして思った。

 今日の研究は。

 たぶん今までで一番難しい。

 なぜなら。

 浩人自身がもう。

 この時間を「実験」だと思えなくなり始めていたからだ。