恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 浩人は恋愛現象研究部の部室で、一枚の紙を見つめていた。

 昨日の研究結果が書かれている。

『第三日目・観察結果』

『水瀬浩人――神崎律が他者と親しくすることで不快感』

『神崎律――水瀬浩人が他者と親しくすることで不快感』

 その下に、大きく。

**『仮説:嫉妬』**

 浩人はその文字をじっと見た。

「……嫉妬」

 口に出してみる。

 なんだか、妙な言葉だ。

「そう」

 後ろから声がした。

 振り返る。

 律が立っていた。

「今日の研究テーマは、それ」

「嫉妬を研究するんですか?」

「うん」

 律は机にノートを置いた。

「嫉妬は恋愛感情と深く関係していると言われている」

「じゃあ、昨日の僕たちの感情も……」

「まだ断定はできない」

 律は淡々と答える。

「嫉妬には、恋愛以外にもいろいろな原因があるから」

「たとえば?」

「独占欲。競争心。不安。自信のなさ」

「……なるほど」

「だから、もっと条件を変えて観察する」

「条件?」

「うん」

 律はホワイトボードに書いた。

『実験④』

『相手が他人から好意を向けられた場合』

「……」

 浩人は嫌な予感がした。

「つまり?」

「君が誰かから好意を向けられたとき、僕がどう反応するかを見る」

「それは……」

「逆もやる」

 律が浩人を見る。

「僕が誰かから好意を向けられたとき、君がどう反応するか」

「……」

 胸の奥がざわついた。

 そんなことを研究する必要があるんだろうか。

 そう思った。

 でも。

「わかりました」

 浩人は頷いた。

     ◇

 その日の昼休み。

 浩人たちは屋上で昼食を食べていた。

 すると。

「神崎先輩」

 屋上の扉が開いた。

 入ってきたのは、見覚えのある女子生徒だった。

「何?」

「ちょっと話したいことがあって」

 女子生徒は浩人を見る。

「あ……」

「彼は気にしなくていいよ」

 律が言う。

「でも……」

「大丈夫」

 女子生徒は少し迷ったあと、律の前に立った。

「先輩」

「うん」

「私、先輩のことが――」

 そこまで聞いて。

 浩人は立ち上がった。

「……僕、教室に戻ります」

「水瀬?」

「昼休み、まだありますから」

「でも――」

「大丈夫です」

 浩人は逃げるように屋上を出た。

 廊下を歩く。

 階段を下りる。

 教室へ戻る。

 席に座る。

 そして。

「……何やってるんだ、僕」

 自分でも意味がわからなかった。

 ただ、律が誰かに告白されるところを見たくなかった。

 それだけだ。

 なのに。

 胸が苦しい。

「……嫉妬?」

 そう呟いた瞬間。

「水瀬」

「!」

 律が教室の入り口に立っていた。

「先輩……」

「どうして帰ったの?」

「……」

「僕が告白されるのが嫌だった?」

 浩人は答えられない。

 律は浩人の前まで歩いてきた。

「水瀬」

「……はい」

「僕は断った」

「え?」

「さっきの告白」

「……そうなんですか?」

「うん」

 律は少しだけ笑った。

「研究のために聞いてみたかったから、最後まで話を聞いただけ」

「……」

「でも」

 律の声が少し低くなる。

「君がいなくなったことのほうが気になった」

「僕が?」

「うん」

 律は浩人を見る。

「どうしていなくなったのか、ずっと考えてた」

 浩人は目を逸らした。

「……すみません」

「謝らなくていい」

「でも」

「むしろ」

 律は少しだけ困ったように笑った。

「僕も同じだったから」

「……え?」

「君が他の男子と話していると、嫌だった」

 昨日も聞いた言葉。

 でも今日は。

 昨日より、その意味が重く聞こえた。

「だから、たぶん」

 律が言う。

「僕たちは同じものを感じてる」

「それって……」

 言葉が出ない。

 律も続けない。

 ただ、二人で見つめ合う。

 やがて律が言った。

「まだ、名前はつけないでおこう」

「……どうして?」

「わからないから」

「先輩でも?」

「うん」

 律は笑った。

「わからないから、もっと知りたい」

 その言葉を聞いて。

 浩人は少しだけ安心した。

 まだ、恋じゃない。

 少なくとも。

 浩人たちはそう思っている。

     ◇


 部室で研究結果をまとめる。

 律がノートに書いていく。

『他者からの好意』

『水瀬→不快感・回避行動』

『神崎→告白を断る』

 そして最後に。

『共通点――相手を失いたくない』

 浩人はその文字を見た。

「先輩」

「何?」

「これって、かなり特別なことなんじゃないですか?」

「そうかもしれない」

「僕たち」

「うん」

「……お互いを特別だと思ってるんでしょうか」

 律はすぐには答えなかった。

 そして。

「そうだと思う」

 静かに答えた。

 その瞬間。

 胸の奥が、少しだけ温かくなった。

 特別。

 その言葉は。

 昨日までなら何とも思わなかった。

 でも今は。

 とても大切な言葉に聞こえた。

「じゃあ、今日の研究は成功ですね」

「そうだね」

「よかった」

「……水瀬」

「はい?」

「その顔」

「え?」

「今、すごく嬉しそう」

「……そうですか?」

「うん」

 律が笑う。

 浩人も笑った。

 その瞬間。

 律が、ほんの少しだけ目を細めた。

 まるで。

 研究結果を見る研究者ではなく。

 一人の人間として。

 浩人を見ているように。

 そんな気がした。