恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 浩人は教室の自分の席に座りながら、何度もスマートフォンを確認していた。

 新しいメッセージはない。

 当然だ。

 昨日の夜、律と少しメッセージをしただけ。

 それなのに。

 どうして、こんなに気にしているんだろう。

「……変なの」

 小さく呟く。

 昨日までは、律から連絡が来るなんて考えもしなかった。

 なのに今日は。

 朝起きてからスマートフォンを確認している。

 学校に来てからも確認している。

 もしかして。

 律からの連絡を待っている?

「いやいや」

 首を振る。

「実験だからだ」

 そう。

 これは恋愛現象研究部の実験。

 特別扱いされることで、人間の感情がどう変化するのか。

 浩人はその被験者。

 だから気になるだけだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 そのとき。

「水瀬」

「!」

 突然、背後から声がした。

 振り返る。

「神崎先輩……?」

 教室の入口に、律が立っていた。

 二年生の先輩が一年生の教室に来るだけでも目立つ。

 しかも、律は校内でも有名だ。

 周囲の視線が一斉に集まる。

「どうしてここに?」

「迎えに来た」

「迎え……?」

「部室まで一緒に行こう」

 浩人は思わず周囲を見る。

 クラスメイトたちがこちらを見ている。

「先輩、ここで話すんですか?」

「問題ある?」

「……あります」

「じゃあ廊下へ」

 そう言って、律は浩人を連れ出した。

 廊下に出る。

「昨日の実験の続き」

 律が言った。

「今日は何をするんですか?」

「特別扱い」

「昨日と同じ?」

「少し違う」

 律は浩人を見つめる。

「今日は、僕が君に頼る」

「……頼る?」

「うん」

「どういうことですか?」

「僕は普段、人に頼らないから」

 律は少し考えるように言葉を選んだ。

「だから、君にだけ頼る」

「それが特別扱い?」

「そう」

 浩人は嫌な予感がした。

「具体的には?」

「今日の昼休み、一緒に昼食を食べてほしい」

「……それだけ?」

「それだけ」

 なんだ。

 それなら別に。

「わかりました」

「本当に?」

「はい」

「よかった」

 律が笑った。

 その笑顔に。

 また胸が妙にざわつく。

 浩人は慌てて目を逸らした。

     ◇

 昼休みの時間になると、浩人たちは旧校舎の屋上にいた。

 浩人の弁当と、律の弁当。

 二人で並んで座っている。

「……静かですね」

「ここは人が来ないから」

「先輩、いつもここで食べてるんですか?」

「うん」

「一人で?」

「うん」

「寂しくないんですか?」

「別に」

 律は淡々と答える。

 それから少し間を置いて。

「でも今日は、君がいるから」

「……」

 箸が止まった。

「どうした?」

「いえ」

 浩人は弁当を見る。

「なんでもないです」

 心臓が少し速い。

 これは実験。

 特別扱いされているだけ。

 なのに。

「水瀬」

「はい?」

「卵焼き、一つもらっていい?」

「え?」

「君の弁当の卵焼き」

「……いいですけど」

 浩人が箸で卵焼きを取ろうとすると。

「待って」

 律が手を伸ばした。

「僕が取る」

「自分で取れますよ」

「特別扱いだから」

「それ、便利な言葉になってません?」

「そう?」

 律は浩人の弁当箱から卵焼きを一つ取る。

「いただきます」

「どうですか?」

「おいしい」

「そうですか」

 何でもない会話。

 ただそれだけなのに。

 なんだか妙に楽しい。

 そのときだった。

「神崎?」

 屋上の扉が開いた。

 入ってきたのは、男子生徒だった。

 どうやら律の知り合いらしい

「黒川、何か用か?」

「いや、たまたま屋上に来たら珍しい物を発見したなと」

 男子生徒……は浩人を見る。

「そいつが例の一年?」

「うん」

「へえ……ああ、新人君。俺は黒川蓮。一応、あの部活の一員だ。行ったり行かなかったりの幽霊部員気味だけどな」

 人好きのする笑み。

 黒川蓮が浩人の隣に座る律を見る。

「ずいぶん気に入ってるな」

「研究対象だから」

「ふーん」

 律は意味ありげに笑った。

「まあ、いいけど」

「何が?」

「お前がそんな顔してるの、久しぶりに見たから」

「どんな顔?」

「自分で考えろ」

 黒川蓮はそう言って去っていった。

 浩人は首を傾げる。

「先輩」

「何?」

「僕、何か変ですか?」

「別に」

「黒川先輩、変なこと言ってましたけど」

「気にしなくていい」

 律はそう言った。

 そして。

 ほんの少しだけ。

 浩人から目を逸らした。

     ◇

 授業が終わり部室に行くと、杏がホワイトボードを見ていた。

「二日目の記録は?」

「まだ」

 律が答える。

「じゃあ、書いて」

「わかった」

 律はホワイトボードに文字を書き始めた。

『研究二日目』

『水瀬と昼食』

『会話量――昨日より増加』

『水瀬――笑顔が多い』

 そこでペンが止まる。

「……?」

 律は何かを考えている。

「どうしたんですか?」

「いや」

 律は少し迷ってから書き足した。

『自分――楽しいと感じた』

 杏が目を丸くした。

「へえ」

「何?」

「別に」

「……」

「神崎くん、自分の感情まで研究結果にし始めたね」

「必要だから」

「ふーん」

 杏が浩人を見る。

「浩人くん」

「はい?」

「今、どう思った?」

「どうって?」

「神崎くんが『楽しい』って書いたこと」

 浩人は答えに困った。

 どう思った?

 そんなの。

「……僕も」

 口から自然に言葉が出た。

「楽しかったです」

 浩人が顔を上げる。

 目が合った。

 その瞬間。

 なぜか二人とも黙った。

 杏がニヤニヤしている。

「……なるほど」

「何ですか?」

「いや、研究が順調だなって」

 浩人は少しだけ顔が熱くなる。

 でも。

 否定できなかった。

 今日、律と一緒に昼食を食べた時間は。

 確かに楽しかった。

 そして帰宅してから。

 浩人は昨日と同じようにスマートフォンを見た。

 しばらくして。

 通知が届く。

『今日はありがとう』

 律からだった。

 浩人はすぐに返信する。

『こちらこそ』

 送ってから。

 少し迷う。

 そして、もう一通。

『明日も一緒に昼ご飯、食べますか?』

 送信。

 数秒後。

『うん』

 短い返事。

 その一文字を見て。

 浩人は、なぜか笑っていた。

 そして。

 気づいてしまった。

 昨日は律から連絡が来るのを待っていた。

 今日は――。

**僕から、先輩に会いたいと思っていた。**