恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 文化祭が終わって、三日。

 浩人は。

 妙に落ち着かなかった。

「……」

 昼休み。

 自分の席で弁当を食べながら。

 ちらり。

 教室の外を見る。

 誰かを探している。

 もちろん。

 誰なのかは分かっている。

「……来ない」

 昨日までは。

 文化祭前なら、律が廊下から顔を出してくれることもあった。

 でも。

 今は。

 恋人になったからなのか。

 逆に律からの連絡が少ない。

「……」

 スマートフォンを見る。

 メッセージは来ていない。

「水瀬」

「はい?」

 クラスメイトに声をかけられる。

「お前、さっきからスマホばっかり見てない?」

「見てないよ」

「見てたぞ」

「……」

 浩人はスマホを伏せた。

 恋人になった。

 それなのに。

 前より気になる。

     ◇

 放課後の部室。

「こんにちは」

 浩人が入る。

「浩人」

「先輩」

 律が顔を上げる。

「待ってた」

「……」

 その一言だけで。

 浩人の胸が軽くなる。

「今日は遅かったね」

「クラスの掃除があって」

「そっか」

 律は微笑む。

 以前と同じ。

 でも。

 どこか違う。

 浩人は椅子に座る。

「……」

「どうしたの?」

「いえ」

「何か言いたそう」

「……」

 浩人は意を決して聞いた。

「先輩」

「うん」

「恋人になったら」

「うん?」

「何か変わると思ってました」

「何が?」

「もっと……」

 言葉に詰まる。

「一緒にいる時間が増えるとか」

「うん」

「もっと連絡するとか」

「うん」

「……」

 律は少し考えた。

「僕も、そう思ってた」

「え?」

「でも」

 律は笑う。

「恋人になったからって、急に生活が変わるわけじゃないんだね」

「……」

「だから」

 律は続ける。

「僕は、今まで通り君と過ごしたい」

「……それだけ?」

「うん」

 浩人は少しだけ笑った。

「それなら、安心しました」

「どうして?」

「急に何か変わるのが、ちょっと怖かったから」

「僕も」

「先輩も?」

「うん」

 律は頷いた。

「恋人って、僕にはまだよく分からない」

「……」

「だから、一緒に見つけていきたい」

 浩人は嬉しくなった。

「はい」

     ◇

 その日の部活。

 律は一枚の紙を取り出した。

「これ」

「何ですか?」

「新しい研究テーマ」

「また研究するんですか?」

「今度は少し違う」

 紙には。

『恋人になった後、人は何を知りたくなるのか』

 と書かれていた。

「……」

 浩人は思わず笑う。

「先輩らしい」

「そう?」

「はい」

「じゃあ」

 律がペンを持つ。

「最初の質問」

「どうぞ」

「恋人になった今」

「はい」

「僕に何をしてほしい?」

「……」

 浩人は考えた。

「一緒に帰りたいです」

「それだけ?」

「……あと」

 少し迷って。

「名前で呼んでほしい」

「今も呼んでるよ」

「もっと」

「分かった」

 律が笑う。

「浩人」

「……はい」

「浩人」

「……何ですか」

「呼びたかっただけ」

「……」

 浩人は顔を伏せた。

「先輩、ずるいです」

「何が?」

「名前呼ぶだけで、嬉しくなるから」

「僕も」

 律は笑った。

     ◇

「じゃあ、次」

 律が続ける。

「僕にしてほしくないことは?」

「……」

 浩人は真剣に考える。

「無理してほしくないです」

「僕が?」

「はい」

「どうして?」

「先輩って、平気な顔して無理するから」

「……」

「嫌なことがあっても言わないし」

「……」

「一人で解決しようとするし」

 律は黙って聞いている。

「だから」

 浩人は言った。

「僕には言ってほしいです」

「……分かった」

「本当に?」

「うん」

「約束ですよ」

「約束」

 律が小指を出す。

 浩人も小指を絡める。

     ◇

 そのとき。

 部室の扉が開いた。

「神崎先輩、水瀬さん」

 生徒会の役員が入ってくる。

「ちょうどよかった」

「どうしたの?」

「来月、新しい部活動紹介があります」

「部活動紹介?」

「はい」

 男子生徒は資料を置いた。

「恋愛現象研究部として、来年度の新入生向けに活動紹介をしてほしいそうです」

「なるほど」

 律が資料を見る。

「それだけ?」

「もう一つ」

 男子生徒が笑う。

「今年の文化祭で話題になった『ベストカップル』としても紹介してほしいそうです」

「……」

 浩人が固まる。

「僕たちを?」

「はい」

「ちょっと待って」

 律も苦笑する。

「それは恥ずかしいな」

「でも、人気出ると思いますよ」

「部員が増えるならいいか」

 律が頷く。

「浩人は?」

「僕は……」

 少し考えて。

「先輩と一緒なら」

「うん」

「やります」

 そう答えた。

     ◇

 その日の帰り道。

「先輩」

「うん?」

「恋人って」

「うん」

「思ってたより難しいですね」

「そうだね」

「でも」

 浩人は笑う。

「楽しいです」

「僕も」

 二人は並んで歩く。

 しばらくして。

 律が手を差し出した。

「浩人」

「はい」

「手」

「……」

 浩人は笑って。

 その手を取った。

「もう、慣れました」

「本当?」

「はい」

「じゃあ」

 律が少しだけ握る。

「これは?」

「……」

 浩人は顔を赤くする。

「それはまだ慣れてません」

「そっか」

「でも」

「うん?」

「嫌じゃないです」

「分かった」

 二人の手がつながる。

 文化祭のときとは違う。

 あの日は。

 恋人になるための一歩だった。

 今日は。

 恋人として歩いている。

 浩人は思った。

 恋人になったからといって。

 何もかも分かるわけじゃない。

 むしろ。

 知らないことが増えた。

 好きなもの。

 嫌いなもの。

 嬉しいこと。

 寂しいこと。

 これから知っていくこと。

 その全部を。

 少しずつ。

 二人で見つけていけばいい。

「先輩」

「うん?」

「これからも」

「うん」

「よろしくお願いします」

 律は笑った。

「こちらこそ」

 二人は手をつないだまま。

 夕暮れの道を歩いていった。