恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 浩人は、またもや朝から妙にそわそわしていた。

 律と改めてしっかりと手をつないだ。

 それだけなのに。

 学校へ来てから、何度も自分の右手を見てしまう。

「……何やってるんだ、僕」

 机に手を置く。

 昨日の感触を思い出して、すぐに引っ込めた。

「浩人くん」

「わっ!」

 突然、杏に声をかけられた。

「……相変わらず突然現れますね」

「いや、朝から右手ばっかり見てるから」

「見てない」

「見てたよ」

「……」

 浩人は黙った。

 杏が笑う。

「神崎先輩と何かあった?」

「何も」

「ふーん」

「本当に何もない」

「じゃあ、その顔は何?」

「……」

 浩人は答えられなかった。

 そのとき。

 教室の前を律が通った。

 目が合う。

 律が小さく手を上げる。

 浩人も慌てて手を上げ返した。

 それだけ。

 それだけなのに。

 胸が跳ねた。

「……分かりやす」

「うるさい」

 杏に笑われる。

 でも、嫌な感じはあまりしなかった。

     ◇

 放課後に部室へ。

 浩人が入ると、律が窓際に立っていた。

「こんにちは」

「こんにちは、水瀬」

「先輩」

「昨日、ちゃんと眠れた?」

「……」

 浩人は固まった。

「どうしてですか?」

「僕はあまり眠れなかった」

「え?」

「昨日のことを考えてた」

「……」

「手をつないだこと」

 浩人の顔が熱くなる。

「先輩、声が大きいです」

「誰もいないよ」

「そういう問題じゃありません」

 律が笑う。

「でも」

 その表情が少しだけ真剣になる。

「僕は嬉しかった」

「……僕もです」

「よかった」

 二人は少しの間、見つめ合った。

 けれど。

 浩人はふと気づく。

 自分だけが、こんなに意識しているのではないだろうか。

「先輩」

「うん?」

「先輩って……」

「何?」

「僕以外の人とも、こういうことするんですか?」

「こういうこと?」

「その……」

 浩人は言いにくそうにする。

「手をつないだりとか」

「しないよ」

 律は即答した。

「本当に?」

「うん」

「……」

「僕が手をつなぎたいと思ったのは、君だけ」

 浩人は俯いた。

「……ありがとうございます」

「何でお礼?」

「分かりません」

 律は笑った。

「変なの」

「先輩に言われたくないです」

 二人で笑う。

 けれど。

 その空気は。

 突然、部室の扉が開いたことで変わった。

「失礼します」

 入ってきたのは。

 あの二年生だった。

 以前、律の過去について浩人に話した男子生徒。

「……また君か」

 律の表情が少し硬くなる。

「話があります」

「僕に?」

「二人に」

 男子生徒はそう言って、浩人を見る。

「今度の文化祭」

「文化祭?」

「恋愛現象研究部に、特別企画の話が来ています」

「特別企画?」

「生徒会が、部活合同イベントとして『恋愛相談ブース』をやりたいらしい」

 律が首を傾げる。

「それで僕たちに協力しろって?」

「そう」

「断れば?」

「別に構わない。生徒会からの心証が悪くなるだけだ」

「……つまり、ほぼ強制か」

「まあ、そうなるな。うちの生徒会には逆らわない方が賢明だ」

 男子生徒は言った。

「ついでに言うと、その生徒会から条件が提示されている」

「条件?」

「研究部から二人一組で参加すること」

 浩人は律を見る。

「二人一組……」

「そう」

 男子生徒は続けた。

「あなた達二人で出ればいい」

「……」

 部室が静かになる。

 律が答える。

「僕は構わない」

「先輩?」

「水瀬が嫌じゃなければ」

 浩人は考えた。

「僕も……大丈夫です」

「決まりだな」

 男子生徒は頷く。

 そして。

「ただ」

 少し意味ありげに言った。

「この企画、実際の恋愛関係をモデルにすると盛り上がるらしい」

「……?」

「だから」

 男子生徒は二人を見る。

「付き合っているように見える二人が、一番人気になる」

 浩人の顔が熱くなる。

「つ、付き合ってません」

「そうなの?」

「……はい」

「ふーん」

 男子生徒は意味ありげに笑った。

「まあ、文化祭までに関係が変わってるかもしれないけど」

「……」

 そう言って、男子生徒は出ていった。

     ◇

「……文化祭」

 浩人が呟く。

「うん」

「先輩と二人で相談ブース」

「そうなるね」

「……なんだか変な感じです」

「嫌?」

「嫌じゃないです」

「よかった」

 律は笑う。

 そして。

「でも」

「はい?」

「一つ困ったことがある」

「何ですか?」

「文化祭で、僕たちが付き合っていると思われるかもしれない」

「……」

 浩人の顔が熱くなる。

「先輩、それは……」

「嫌?」

「……嫌じゃないです」

 律は少し驚いた顔をした。

「本当に?」

「はい」

 浩人は小さく頷いた。

「むしろ」

「うん?」

「……ちょっと嬉しいです」

 言ってしまった。

 律が黙る。

「先輩?」

「……僕も」

 律は照れたように視線を逸らした。

「嬉しい」

 二人の間に。

 柔らかな沈黙が落ちた。

 やがて。

「水瀬」

「はい」

「文化祭までに」

「?」

「僕たちがどういう関係なのか」

 律が言った。

「ちゃんと考えたい」

「……はい」

 浩人も頷いた。

 その日の帰り。

 校門を出たところで。

 浩人はふと立ち止まった。

「先輩」

「何?」

「僕」

 少し迷って。

「先輩にとって、特別な人になりたいです」

 律が目を見開く。

「……もう、特別だよ」

「研究対象としてじゃなく?」

「もちろん」

 律は答えた。

「水瀬浩人として」

 その言葉に。

 浩人は胸がいっぱいになった。

「……じゃあ」

「うん」

「文化祭、楽しみですね」

「うん」

 二人は並んで歩き出す。

 文化祭まで、あと三週間。