恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 浩人は、なかなか部室へ向かえなかった。

 廊下の窓から、校庭を眺める。

 頭の中には、昼休みの律の言葉が残っていた。

『君のことを、研究対象じゃなくて大切な人だと思っていたら』

 思い出すたびに、胸が騒ぐ。

「……大切な人」

 その言葉を小さく呟く。

 僕にとって、先輩は何だろう。

 先輩。

 部活仲間。

 友達。

 研究仲間。

 どれも間違ってはいない。

 でも。

 どれもしっくりこない。

「……考えすぎだ」

 浩人は頭を振った。

 そして部室へ向かった。

     ◇

「こんにちは」

 扉を開ける。

「水瀬」

 律が顔を上げた。

「遅かったね」

「ちょっと考え事を」

「僕のこと?」

「……」

 即答できなかった。

「違う?」

「違わないです」

 律が少し笑う。

「僕も、ずっと君のこと考えてた」

「……」

 まただ。

 この人は、どうしてこうも真っ直ぐなのだろう。

「昨日の話なんだけど」

「はい」

「一晩考えた」

「何を?」

「君を大切な人だと思っているのか」

 浩人は息を呑む。

「……それで?」

「たぶん」

 律は言った。

「そうなんだと思う」

 胸が大きく鳴った。

「まだ確信はない」

「はい」

「でも、君が誰かと楽しそうに話してると嫌だし」

「……」

「君から連絡が来ると嬉しい」

「……はい」

「君と会う予定があると、その日が楽しみになる」

 律は少し困ったように笑う。

「だから、たぶん普通の研究対象には感じない」

 浩人は俯いた。

「……僕も」

「うん?」

「先輩から連絡が来ると嬉しいです」

 言葉が勝手に出てくる。

「部室に先輩がいると安心します」

「……」

「先輩が他の人と話してると、嫌です」

 そこまで言って。

 浩人は顔を上げた。

「だから」

 少しだけ震える声で。

「僕も、先輩のこと……特別だと思います」

 律が黙った。

 けれど。

 その目は、とても嬉しそうだった。

「ありがとう」

「……はい」

 その瞬間。

 部室の扉が開いた。

「おーい、二人とも――」

 蓮が入ってくる。

「……」

 空気を察したらしい。

「……邪魔した?」

「してない」

 律が即答する。

「本当に?」

「本当に」

 蓮は二人を交互に見た。

「まあいいけど」

 そして机にプリントを置く。

「これ、部長会議の資料」

「ありがとう」

「それと」

 蓮は浩人を見る。

「水瀬」

「はい?」

「一年の男子から呼び出し」

「僕が?」

「放課後、体育館裏」

「……誰ですか?」

「名前は知らない」

 蓮はそう言って出ていった。

「体育館裏?」

 浩人は首を傾げる。

「行かないほうがいい」

 律が言った。

「どうしてですか?」

「嫌な予感がする」

「でも、呼ばれてるなら」

「僕も行く」

「先輩が?」

「うん」

 律は立ち上がった。

「一人では行かせない」

「……」

 その言葉に。

 浩人は胸が温かくなった。

     ◇

 体育館裏。

 そこには、一年生の男子が一人立っていた。

「あの……水瀬浩人さん」

「僕です」

「……神崎先輩も?」

「同席させてもらう」

 男子生徒は少し緊張した様子だった。

「実は……」

 彼は一枚の紙を差し出した。

「これ」

「……?」

 浩人が受け取る。

 そこには。

『神崎律ファンクラブ会員募集』

と書かれていた。

しばし空いた口が塞がらなかった。

「……え? ファンクラブの勧誘?」

「はい」

「僕に?」

「そうです」

 男子生徒は言った。

「神崎先輩が水瀬さんを研究対象にしているって聞いて」

「……」

「だったら、我らファンクラブも水瀬先輩を研究してみたいと思って」

「え?」

 律の表情が変わった。

「研究するって、どういう意味?」

「我々、神崎律ファンクラブは神崎先輩のあらゆることを網羅し応援しています」

「……」

「最近、神崎先輩とよく一緒にいる水瀬さんは注目の的なんです」

 律が一歩前に出る。

「断る」

「神崎先輩?」

「水瀬は迷惑をかけることや、研究対象にすることは許さない」

 その言葉に。

 浩人の胸が大きく鳴った。

「でも……」

「僕が許可しない」

「先輩」

 浩人が呼ぶ。

「……ちょっと待ってください」

 律が振り返る。

「僕自身が決めます」

「……」

「僕はファンクラブにも入りませんし研究対象にもなりません」

 一年生を見る。

「ごめんなさい」

「……分かりました。失礼します」

 一年生は頭を下げ、その場を去っていった。

 静かになる。

「先輩」

「うん」

「さっき」

「何?」

「『僕が許可しない』って言いましたよね」

「……」

「ちょっと怖かったです」

「ごめん」

 律は俯いた。

「でも」

「はい」

「嫌だった」

「何が?」

「君が、また誰かの研究対象になるのが」

 律は苦しそうに言った。

「君を知りたいと思ってるのは僕だから」

「……」

「他の誰かに、君のことを知ってほしくないと思った」

 浩人は黙ってしまった。

「それって」

「うん」

「嫉妬、ですよね」

 律は少し考えた。

「……たぶん」

「研究結果ですね」

 浩人が笑う。

「そうだね」

 律も笑った。

「でも」

 律は続ける。

「もう、研究結果にしたくない」

「え?」

「これは僕自身の気持ちだから」

 浩人の胸が熱くなる。

 そして。

 初めて思った。

 この人の隣にいたい。

 研究が終わっても。

 部活を引退しても。

 卒業しても。

 できるなら。

 ずっと。

 その気持ちを。

 浩人はまだ言葉にはできなかった。

 けれど。

 律の隣を歩きながら。

 ほんの少しだけ。

 その手に近づいた。

 触れるか、触れないか。

 迷って。

 それでも。

 浩人は手を引かなかった。

 律も何も言わなかった。

 ただ。

 二人の手の距離は。

 昨日までより、ずっと近かった。