恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 日曜日。

 約束の時間より少し早く、公園に着いた。

 浩人はベンチに座り、スマートフォンを確認する。

 十時五十分。

 約束は十一時。

「……また早く来すぎた」

 昨日もそうだった。

 律と会う日になると、どうしても早く家を出てしまう。

 待つ時間さえ、嫌ではなかった。

 むしろ。

 楽しみだった。

「水瀬」

「!」

 聞き慣れた声。

 顔を上げる。

「先輩」

 律が歩いてくる。

「おはよう」

「おはようございます」

「待った?」

「少しだけ」

「僕も」

 二人は顔を見合わせる。

 そして、同時に笑った。

「今日は研究ノート、持ってきてないんですね」

「持ってきてない」

「本当に?」

「本当に」

 律は両手を軽く広げてみせる。

「今日は研究しない」

「じゃあ、何します?」

「散歩」

「それだけ?」

「それだけ」

 なんだか新鮮だった。

 目的がない。

 記録もしない。

 観察もしない。

 ただ一緒に歩く。

 二人は公園の中をゆっくり歩いた。

「先輩って、休日は何してるんですか?」

「寝てる」

「……意外と普通」

「悪かったね」

「褒めてます」

「そう?」

「はい」

 くだらない会話。

 でも楽しい。

 しばらく歩いたあと、二人は小さな売店の前で立ち止まった。

「何か食べる?」

「じゃあ、アイス」

「分かった」

 律が二つ買ってくる。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 二人でベンチに座る。

「先輩」

「うん?」

「この前から思ってたんですけど」

「何?」

「先輩って、結構甘いもの好きですよね」

「……好き」

「意外です」

「意外って言いすぎ」

「だって、学校ではいつも無表情だから」

「学校では必要ないから」

「笑う必要が?」

「うん」

「じゃあ、今は?」

 浩人が尋ねる。

 律は少し考えた。

「必要だから」

「……どうして?」

「君がいるから」

 浩人は黙った。

 アイスが少し溶ける。

「先輩」

「うん」

「そういうことを言うの、反則だと思います」

「また?」

「またです」

 律が笑う。

 その笑顔を見て。

 浩人も笑った。

 しばらくして。

「水瀬」

「はい?」

「一つ聞いていい?」

「何ですか?」

「僕のこと、どう思ってる?」

 心臓が跳ねた。

「……どうって」

「先輩として?」

「それはもちろん」

「友達?」

「……」

「それとも」

 律が言葉を止める。

 浩人は答えを待つ。

 けれど。

 律はそれ以上言わなかった。

「……ごめん」

「え?」

「今は聞かない」

「どうして?」

「君が困ってるから」

 浩人は少しだけ安心した。

 でも。

 同時に。

 ほんの少しだけ残念だった。

     ◇

 月曜日の学校では妙な空気が流れていた。

「水瀬」

 教室に入った瞬間。

 クラスメイトの男子が近づいてきた。

「何?」

「神崎先輩と付き合ってるって本当?」

「…………え?」

 浩人は固まった。

「なんで?」

「昨日、駅前で二人を見たって人がいて」

「……」

 昨日は公園から駅へ向かった。

 途中でコンビニにも寄った。

 もしかしたら、そのとき見られたのかもしれない。

「付き合ってないよ」

「じゃあ、どういう関係?」

「……」

 答えられない。

 研究仲間。

 先輩と後輩。

 友達。

 どれもしっくりこない。

「まだ、分からない」

 正直に答えた。

「ふーん」

 男子は意味ありげに笑う。

「まあ、頑張れよ」

「何を?」

「いろいろ」

 そう言って去っていった。

「……何なんだよ」

 浩人はため息をつく。

 その日の放課後。

 部室へ行くと。

「浩人くん」

 杏が待っていた。

「学校で聞いた?」

「何を?」

「噂」

「……聞いた」

「結構広がってるよ」

「どうして?」

「昨日、二人で歩いてたところを見た人がいたみたい」

「……」

 浩人は頭を抱えた。

「最悪だ」

「何が?」

「先輩に迷惑がかかる」

「神崎くんは?」

「まだ来てない」

 そのとき。

 扉が開いた。

「遅くなった」

「先輩」

 律が入ってくる。

「……どうした?」

「噂、知ってます?」

「知ってる」

 律は平然としていた。

「気にしなくていい」

「でも」

「僕は気にしてない」

「……本当に?」

「うん」

 律は浩人を見る。

「僕が気にするのは」

 一瞬、言葉を止めて。

「君がどう思うかだけだから」

「……」

 また。

 胸が苦しくなる。

「先輩は……」

 浩人は勇気を出して尋ねた。

「噂されるの、嫌じゃないんですか?」

「別に」

「どうして?」

「君と一緒にいたのは事実だから」

 律はそう答えた。

「それを隠す必要はないと思ってる」

「……」

 杏が黙って二人を見ている。

「ねえ」

 やがて杏が言った。

「一つだけ確認していい?」

「何?」

「神崎くん」

「うん」

「浩人くんのこと、本当にただの研究対象だと思ってます?」

 部室が静かになる。

 律はすぐに答えなかった。

 そして。

「……もう違うと思う」

 浩人の心臓が跳ねた。

「じゃあ何?」

 杏が聞く。

 律は浩人を見る。

「それを、今考えてる」

 その答えを聞いて。

 浩人は少しだけ笑った。

 急がなくていい。

 今は。

 二人で考えていけばいい。

 そう思った。

 けれど。

 その日の帰り。

 廊下を歩いていると。

「水瀬」

 誰かに呼び止められた。

 振り返る。

 知らない男子生徒だった。

「ちょっと話がある」

「僕に?」

「うん」

 男子生徒は真剣な顔をしていた。

「神崎先輩のことで」

「……?」