恋を研究していたら、研究対象と恋をした

 高校生活初日。

 水瀬浩人は、できるだけ目立たないように生きていこうと決めていた。

 理由は単純だ。

 人付き合いが苦手だから。

 別に人間が嫌いなわけじゃない。

 ただ、何を話せばいいのかわからない。

 相手が笑ったとき、同じように笑えばいいのか。
 相手が怒っているとき、謝ればいいのか。
 友達が悩みを相談してきたとき、どんな言葉を返せば正解なのか。

 小学生のころから、ずっとそんなことばかり考えてきた。

 だから高校では――。

「普通に授業を受けて、普通に帰る」

 それが浩人の目標だった。

 部活にも入らない。

 クラスの中心にもならない。

 もちろん、恋愛なんてするつもりもない。

 そう思っていた。

 その日の昼休みまでは。

「君」

「……え?」

 教室を出ようとしたところで、背後から声をかけられた。

 振り返る。

 そこにいたのは、知らない男子生徒だった。

 浩人より少し背が高い。

 黒髪はきれいに整えられていて、制服も着崩していない。

 何より目を引いたのは、その顔だった。

 整っている。

 ものすごく。

 廊下を歩いていた女子たちが、ちらちらとこちらを見ている。

 たぶん有名な人なんだろう。

「一年生だよね?」

「はい」

「名前は?」

「……水瀬浩人です」

「浩人」

 男は、確認するように浩人の名前を繰り返した。

「君、恋したことある?」

「……は?」

 意味がわからなかった。

 初対面の先輩に、昼休みいきなり聞かれる質問だろうか。

「恋」

「いや、聞こえてますけど……」

「そう」

 男は少しだけ笑った。

「じゃあ、答えは?」

「……ないです」

「一度も?」

「ないです」

「好きな人も?」

「いません」

「付き合ったことも?」

「ないです」

「告白されたことは?」

「……ないです」

「告白したことは?」

「ありません」

「なるほど」

 男は妙に納得した顔をした。

 そして――。

「君、うちの部活に入らない?」

「……どこの部活ですか?」

「恋愛現象研究部」

「…………」

 浩人は数秒間、黙った。

「なんですか、それ」

「恋愛を研究する部活」

「そのままですね」

「うん」

 男はあっさり頷いた。

「ちなみに部長は僕」

「……先輩なんですか?」

「二年。神崎律」

 神崎律。

 その名前を聞いて、ようやく思い出した。

 入学式のとき、前を歩いていた先輩。

 新入生の間でも「あの人、誰?」と話題になっていた。

 成績上位。
 生徒会からも一目置かれている。
 そして、変人。

 そんな噂を聞いた気がする。

「どうして僕を?」

「君が一人だったから」

「それだけ?」

「それだけ」

 即答だった。

「一人でいる人は、観察すると面白いから」

「……失礼じゃないですか?」

「ごめん」

 謝る気があるのかないのか、わからない。

 律は浩人をじっと見つめる。

「それに」

「それに?」

「恋をしたことがない人間が、恋愛研究部に入ったらどうなるのか興味がある」

「研究対象にする気ですか?」

「もちろん」

「帰ります」

 浩人は踵を返した。

「待って」

 律が追ってくる。

「まだ何も説明してない」

「説明されても入りません」

「部員が二人しかいない」

「それは僕には関係ないです」

「あと一人いないと廃部」

「……大変ですね」

「だから君が必要」

「勧誘の理由として最低ですよ」

 思わず言ってしまった。

 すると律は少し驚いた顔をした。

 それから、ふっと笑う。

「やっぱり面白い」

「何がですか」

「君」

「……」

「普通に話せるじゃない」

 胸が少しだけ詰まった。

 浩人は人と話すのが苦手だ。

 なのに、この人と話していると、なぜか言葉が出てくる。

 たぶん、変な人だからだ。

 こっちまで変になっているだけ。

「見学だけなら」

 気づけば、そんな言葉を口にしていた。

「え?」

「見学だけ。入部はしません」

「わかった」

 律は満足そうに頷いた。

「じゃあ放課後、旧校舎三階」

「……本当に変な部活だったら、帰りますからね」

「もちろん」

 そう言って律は去っていった。

 浩人はその背中を見送る。

 そして思った。

 やっぱり高校生活なんて、普通に過ごせそうにない。

     ◇

 放課後の旧校舎三階。

 案内された部室の扉には、手書きの紙が貼られていた。

『恋愛現象研究部』

 その下には、さらに小さく。

『恋愛禁止』

「…………」

 浩人は扉を開ける前から帰りたくなった。

「どうぞ」

 後ろから律に促される。

「この部活、恋愛を研究するんですよね?」

「そう」

「なのに恋愛禁止?」

「そのほうが研究として面白いから」

「全然意味がわかりません」

 扉が開く。

 中には女子生徒が一人いた。

 机の上には大量の恋愛漫画。

「新入部員?」

 女子生徒が顔を上げる。

「水瀬浩人くん。一年生」

「へえ」

 女子生徒は浩人をじっと見た。

「じゃあ質問」

「……はい」

「好きな人いる?」

「いません」

「即答なんだ」

「いないので」

「告白されたことは?」

「ありません」

「初恋は?」

「……わかりません」

「へえ」

 その女子生徒は楽しそうに笑った。

「面白そう」

「またそれですか……」

 浩人はため息をついた。

 すると律がホワイトボードに何かを書き始めた。

『研究テーマ①』

『特別扱いされた人間は、その相手を好きになるのか』

「……何ですか、これ」

「今日から始める研究」

「今日から?」

「うん」

 律が浩人を見る。

「水瀬」

「はい」

「一週間、僕と君がお互いを特別扱いする」

「……は?」

「そして、一週間後に感情の変化を確認する」

「待ってください」

 浩人は慌てて手を上げた。

「なんで僕なんですか?」

「君が恋をしたことがないから」

「だからって……」

「大丈夫」

 律は、いつもの無表情に戻る。

「僕も恋をしたことがない」

「…………」

 その言葉だけは、なぜか意外だった。

 こんなに顔がよくて、頭もよくて。

 浩人とは正反対の人なのに。

「先輩も……ないんですか?」

「ない」

「好きな人も?」

「いない」

「じゃあ、どうして恋愛を研究してるんですか?」

 律は少し考えた。

「わからないから」

「え?」

「わからないものほど、知りたくなるだろ?」

 そう言って笑った。

 その笑顔を見た瞬間。

 なぜか浩人は、少しだけ目を逸らした。

 理由はわからない。

 ただ――。

 この人には、あまり近づかないほうがいい。

 そんな予感がした。

 なのに。

「水瀬」

「はい?」

「明日からよろしく」

 差し出された手を、何故だか浩人は断れなかった。