「失礼します」
入ってきたのは、若葉。
そしてその後ろから。
瑠花と律。
少年の表情が強張った。
「……瑠花」
「呼び捨てにしないで」
瑠花が即座に言った。
黒髪を揺らし、母親そっくりの大きな瞳で、少年を見る。
泣いてはいない。
怯えてもいない。
ただ、真っ直ぐだった。
「あたし、ちゃんと言ったよね」
「……」
「嫌だって」
「……うん」
「やめてって言った」
「……うん」
「なのにやめなかった」
少年が俯く。
「ごめん」
「それだけ?」
瑠花の声が震えた。
けれど。
逃げなかった。
「あたしが一番嫌だったのは、キスされそうになったことだけじゃない」
「……」
「あたしが嫌がってるのに、“彼女なんだからいいだろ”って顔されたこと」
少年は何も言えない。
「あたしは、あんたの彼女になるために、あんたのものになったんじゃない」
エディの目が、僅かに見開かれた。
若葉はそっと娘の背中を見る。
瑠花は続けた。
「あたしの気持ちを無視する人とは、もう付き合わない」
「……」
「二度と近づかないで」
それが。
瑠花自身が下した答えだった。
「……分かった」
少年が小さく答える。
すると。
その隣で律が口を開いた。
「あと」
まだ十歳。
亞紗斗によく似た銀髪とアイスグレーの瞳。
ただし。
父親より幾分柔らかな顔立ち。
「ボクにも謝るんだよね?」
少年が顔を上げた。
「あ……ごめん」
「うん」
「……」
律はそれだけ答えた。
あまりにもあっさりしていて、逆に少年が戸惑う。
「……それだけ?」
「何が?」
「いや……」
「謝ったから聞いただけ」
律は首を傾げる。
「でも、許すとは言ってないよ」
亞紗斗の眉が、ほんの少しだけ動いた。
エディが口元を押さえる。
――亞紗斗そっくり。
「ボク」
律は淡々と続ける。
「殴られたこと自体は、別にいいんだ」
「律」
梨歩がいたなら即座に止めそうな言葉だったが。
亞紗斗は黙って息子を見る。
「痛かったけど」
律が少年を見る。
「それより、瑠花が嫌がってるのにやめなかったことのほうが、ムカついた」
瑠花が振り返る。
「律……」
「だって」
律は至極当然のように言う。
「好きな子が嫌がってたら、普通やめるでしょ」
「…………」
一瞬。
部屋全体が止まった。
瑠花が目を瞬かせる。
エディも。
若葉も。
亞紗斗までもが。
律だけが気づかない。
「……律」
亞紗斗が呼ぶ。
「何?」
「いや」
「?」
亞紗斗は、それ以上何も言わなかった。
――今はいい。
帰ってから聞こう。
徹底的に。
と、敢えて何も突っ込まなかった。
一方。
少年は、完全に言葉を失っていた。
十歳の少年に。
恋愛の根本を真正面から叩きつけられた。
「ボク、瑠花に彼氏がいるのは嫌だったけど」
律は続ける。
「瑠花が楽しそうなら、それでいいと思ってた」
「……」
「でも」
目を細める。
「泣かせるなら、いらない」
エディが思わず顔を背けた。
――強い。
この子、強い。
と。
そして。
亞紗斗は内心で静かに思った。
――よく言った。
話し合いは、ほぼ終わった。
少年と両親は完全に項垂れている。
そのとき。
再び扉が開いた。



