神城家の客間には、重い沈黙が落ちていた。
その日の話し合いは、最初から穏便に終わる予定などなかった。
神城エディ。
ガーディナー亞紗斗ステファン。
普段なら、性格も話し方もまるで違う二人。
柔らかな物腰でよく笑うエディと、口数が少なく冷静沈着な亞紗斗。
けれど今日だけは。
二人の目的は、完全に一致していた。
――我が子を傷つけた相手を、曖昧な謝罪だけで帰すつもりはない。
テーブルを挟んだ向こうには、瑠花に無理矢理キスを迫った少年と、その両親が座っている。
少年は俯き、母親は落ち着かない様子で指を組み、父親だけがなんとか場を収めようとしていた。
「ですから……本人も反省していますし、まだ子どもですから」
父親が切り出した。
「今回は、お互い若かったということで――」
「お互い?」
エディが笑顔で聞き返した。
「……え?」
「今、“お互い”って言いました?」
にこやかだった。
普段と変わらない、人当たりのいい笑顔。
けれど。
隣に座る亞紗斗には分かっていた。
――完全にキレている。
「瑠花は嫌がった」
エディが言う。
「キスしたくないって意思表示をした。それでも息子さんはやめなかった」
「……」
「そこへ律が止めに入った」
一枚の紙をテーブルへ置く。
「そして息子さんは、十歳の律の顔を殴った」
もう一枚。
「診断書です」
さらに一枚。
「学校への報告書」
もう一枚。
「目撃した人の証言」
そして最後に。
「瑠花と律、それぞれから聞き取った内容」
エディは穏やかに微笑んだ。
「どの部分を指して、“お互い”と言っているのか、僕にも分かるように説明してもらえます?」
「…………」
父親の顔から、さっと血の気が引く。
今度は母親が口を開いた。
「でも……瑠花ちゃんとうちの子は、お付き合いしていたんですよね?」
「そうですね」
「だったら、その……恋人同士なら、キスくらい――」
「嫌だと言っている」
亞紗斗だった。
母親が口を閉ざす。
「……はい?」
「瑠花は嫌だと言った」
アイスグレーの瞳が、まっすぐ母親を射抜く。
「恋人なら、嫌がる相手に何をしてもいいのか」
「い、いえ、そういう意味では……」
「では、どういう意味だ」
「……」
「説明しろ」
しん、と部屋が静まった。
エディが横目で亞紗斗を見る。
横顔だけで分かる。
亞紗斗は、自分以上に怒っていると。
娘の瑠花も傷ついた。
律も、実際に殴られている。
頬を腫らし。
口の中を切り。
血を流して帰ってきた。
梨歩が青ざめ。
亞紗斗が、珍しく言葉を失ったほどだった。
少年の母親が小さな声で言う。
「……息子も、少し感情的になってしまったみたいで」
「少し?」
亞紗斗の声が低くなる。
「十歳の子どもの顔を殴ることを、“少し感情的になった”で済ませるのか」
「……」
「律は息子より年下だ」
「はい……」
「体格も違う」
「……はい」
「それでも瑠花を守ろうとして間に入った」
亞紗斗の手が、静かに組まれる。
「その子どもを殴った」
少年本人へ視線を向ける。
「違うか」
「……違いません」
「なら、そこから目を逸らすな」
短い。
けれど、逃げ道など一つもなかった。
少年の父親が、困り果てたように言う。
「もちろん、こちらに非があることは認めます。ただ、警察だとか学校での処分だとか、そこまで大事にしなくても……」
「何故です?」
エディが即座に返した。
「息子の将来がありますから」
「瑠花にもありますよ」
「……」
「律にもあります」
笑顔が消えた。
「自分の息子の将来だけ守りたいんですか?」
「そんなつもりでは――」
「じゃあ、瑠花がこれから他の男子と二人になるのが怖くなったとしても?」
「……」
「律が、誰かを助けたせいで殴られた記憶を引きずったとしても?」
「……」
「それは、“子ども同士のことだから”で済ませていい?」
エディは身体をわずかに前へ傾ける。
「僕は嫌ですね」
静かな声だった。
「娘が傷ついて帰ってきたんです」
ひと呼吸。
「許すわけないでしょう」
その瞬間。
母親が息を呑んだ。
隣で亞紗斗も続ける。
「俺も同じだ」
低い声。
「息子を傷つけられた」
視線は少年から逸れない。
「許す理由がない」
父親二人。
片方は柔らかな美貌に笑みさえ浮かべ。
片方は無表情のまま。
なのに。
恐ろしく息が合っていた。
エディが資料を整える。
「学校側には、二人への接触を避ける措置を正式に求めます」
「そんな……」
「当然だ」
亞紗斗。
「こちらが怯えて避ける理由はない」
「……」
「近づく側を止めろ」
エディが頷いた。
「あと、“謝ったんだから仲直りしなさい”みたいなことも、絶対にやめてください」
「え?」
「瑠花が許すかどうかは、瑠花が決めます。律が許すかどうかは、律が決める」
声は穏やかだ。
「大人が勝手に丸く収める話じゃない」
そのときだった。
コンコン。
扉が鳴った。



