七秒の外側

第9話 切った理由

 将輝から話しかけてきたのは、その日の放課後だった。

 萌菜美が新聞部室へ向かおうと教室を出ると、廊下の窓際に将輝が立っていた。

「少しいい?」

「取材?」

「逆。俺が話す」

 萌菜美は足を止めた。

 将輝から自分で続きを話すと言われるとは思っていなかった。

「ここで?」

「人来るから、渡り廊下」

 前に将輝を取材したのと同じ場所だった。

 今日は風が弱い。体育館から、ボールが床に当たる音だけが断続的に届いていた。

 萌菜美はノートを出した。

「録音は?」

「なし」

「分かった」

「メモはしていい」

 将輝は手すりへ軽く背を預けた。

「七秒切った理由、前に答えなかっただろ」

「うん」

「言う」

 萌菜美はペンを構えた。

 将輝はすぐには続けなかった。

 いつものように、言葉を選んでいるだけにも見える。

 でも、今日は少し違った。

 目線が一定の場所に止まらない。

「元の十九秒、見たんだよね」

「見た」

「俺が動いてないところも」

「見た」

「それ」

 将輝は一度、体育館のほうを見た。

「見られたくなかった」

 萌菜美のペン先が止まった。

「危険に気づいてなかったところ?」

「気づいてなかったのもある」

「ほかには?」

「千馬に呼ばれて、振り向いて、それでも動けなかったところ」

 将輝は自分で言ってから、少し口元を歪めた。

「格好悪いだろ」

 萌菜美は何も返さなかった。

「俺、昔からそういうの嫌なんだよ。焦ってるところとか、失敗してるところとか、人に見られるの」

「だから切った?」

「そう」

「事故の前で必要ないと思った、っていうのは」

「嘘ではない」

「でも全部ではなかった」

「うん」

 将輝はあっさり認めた。

「クラスに送る時、事故の場面だけあればいいと思った。それと、自分が固まってるところは出したくなかった。両方」

 萌菜美は書いた。

 《編集理由:事故部分だけにしたかった》
 《加えて、自分が危険に気づけず、動けなかった姿を見せたくなかった》

「捏造するつもりは?」

「ない」

「貴嗣を英雄にしようとか」

「ない」

「千馬を悪く見せようとか」

「ない」

 将輝はそこで少し間を置いた。

「でも、そう見えた」

「何が?」

「十二秒だけだと、千馬が最初からあそこにいたみたいに」

 萌菜美は顔を上げた。

「分かってた?」

「送った時は分かってなかった」

「いつ気づいたの」

「コメント見た時」

「それなら、元の十九秒を出せば」

「出せなかった」

「どうして」

「七秒出したら、俺が出るから」

 同じ理由だった。

 でも、今度は意味が重かった。

 千馬が悪く言われている。

 訂正できる映像を将輝は持っていた。

 それでも、自分が動けなかった姿を見せたくなくて、出さなかった。

「千馬が叩かれてるのを見ても?」

「見ても」

 将輝は目を逸らさなかった。

「最悪だと思う?」

 聞かれて、萌菜美は答えに詰まった。

「私は今、取材してる」

「便利だね、それ」

「逃げてるわけじゃない」

「じゃあ答えて」

 将輝の声は静かだった。

「俺が七秒を切ったせいで、千馬が悪く見えた。気づいたあとも、元を出さなかった。自分が格好悪く見えるから」

 並べられると、簡単だった。

 悪い。

 そう言えば終わる。

 萌菜美はそう思った。

 でも、すぐに口へ出せなかった。

 十九秒の映像で見た将輝の顔を思い出したからだ。

 危険に気づいていない。

 千馬に呼ばれる。

 振り向く。

 動けない。

 あの数秒を、もし自分が撮られていたら。

 自分なら平気で全員に見せられるのか。

「……良くなかったとは思う」

 萌菜美は言った。

「何が」

「十二秒を出したあと、それで千馬への誤解が生まれたと分かったのに、訂正できる情報を出さなかったこと」

「うん」

「でも、七秒を見られたくなかった気持ちまで、悪いって言い切れるかは分からない」

 将輝が少しだけ目を見開いた。

「甘くない?」

「分からない」

「新聞部がそれでいいの」

「分からないものを分かったって言うよりは」

 短評欄を任された日に真紗子から言われた言葉が、自分の口から出た。

 将輝は鼻で小さく笑った。

「変わったね」

「何が」

「前ならもっと、正しい答えを取りに来る感じだった」

「今も取りたい」

「じゃあ、俺が悪いでいいじゃん」

「それだと楽すぎる」

 萌菜美はノートへ視線を落とした。

「七秒を切ったのは将輝。それで千馬が悪く見えた。そこは事実」

「うん」

「でも、十二秒が広がったのは将輝一人の行動だけじゃない。クラスから外へ転載した人もいる。見ただけで千馬を決めた人もいる」

「俺の責任がなくなる?」

「なくならない」

「じゃあ書けば」

「千馬が今、七秒の内容を記事に使わないでほしいって言ってる」

 将輝の表情が変わった。

「千馬が?」

「うん」

「自分が俺を押したところも?」

「そこを出して、『実は千馬も英雄だった』に取り替えるだけなら同じだって」

 将輝は黙った。

「……あいつ、そう言ったんだ」

「うん」

「馬鹿だな」

「どういう意味?」

「普通、出すだろ。自分が悪く言われてるなら」

「将輝も出さなかった」

 言った瞬間、将輝が目を細めた。

 萌菜美は言いすぎたかと思った。

 でも、将輝は怒らなかった。

「そうだね」

 むしろ、少し疲れたように笑った。

「俺も馬鹿か」

「そこまでは記事にしない」

「しなくていい」

 しばらく二人とも黙った。

 体育館から笛の音が聞こえた。

「将輝」

「何」

「理由を記事に書いていい?」

 将輝はすぐには答えなかった。

「今じゃない」

「分かった」

「でも、あとで必要なら」

「その時もう一回確認する」

「そうして」

 萌菜美はノートへ書いた。

 《編集理由の記載:現時点では不可。後日再確認》

「それと」

 将輝が言った。

「俺が七秒切ったこと自体は、もう記事にしていい」

「前にも言ってたね」

「理由まで隠して、編集した事実だけ出ると、それはそれで変だけど」

「じゃあ、今は保留にする」

「新聞って保留ばっかだね」

「最近、私もそう思う」

 将輝は手すりから離れた。

「話したの、これで全部」

「ありがとう」

「別に」

 将輝が歩き出す。

 数歩で止まった。

「萌菜美」

「何」

「千馬には、俺が謝ったって書かなくていいから」

「謝ったの?」

「昨日」

「何て」

「十二秒だけ出したこと。すぐ元を出せなかったこと」

「千馬は?」

「『次から勝手に切るな』って」

「それだけ?」

「あと、『固まるくらい誰でもある』って」

 将輝は少し嫌そうな顔をした。

「そういう慰め、嫌いなんだけど」

「でも覚えてる」

「うるさい」

 将輝は今度こそ教室へ戻った。

 新聞部室で、萌菜美は真紗子へ取材内容を共有した。

「理由、話したんだ」

「はい」

「どうだった?」

「自分が固まって動けなかったところを見られたくなかったって」

「それで七秒を」

「切った」

 真紗子は椅子にもたれた。

「萌菜美はどう書く?」

「まだ書きません」

「お」

「驚かないでください」

「前なら『編集の真相』って見出し作ってそうだから」

「作りません」

「本当に?」

「……一瞬は考えました」

 真紗子が笑った。

「正直でよろしい」

 萌菜美は自分のパソコンで取材メモを開いた。

 七秒を切った。

 自分を守りたかった。

 その結果、千馬が悪く見えた。

 これだけ並べれば、将輝は簡単に「悪い編集者」になる。

 十二秒が貴嗣を英雄にしたのと同じように。

「真紗子」

「ん?」

「編集って、切ることですよね」

「そうだね」

「新聞も?」

「全部は載せられないからね」

「じゃあ、私も毎回やってる」

「うん」

「何を切るかで、人の見え方が変わる」

「うん」

 萌菜美は画面を見た。

 将輝が七秒を切った理由は、格好いいものではなかった。

 でも、それを一行だけ抜き出して書けば、また別の十二秒を作ることができる。

 記事はまだ空白だった。

 萌菜美は、新しいメモだけ保存した。

 ――将輝は、自分が動けなかった姿を隠すために七秒を切った。

 その下。

 ――その編集で千馬が悪く見えたことを、本人も認めている。

 さらにもう一行。

 ――ただし、これだけで事故全体の責任者を決めることはできない。

 最後の一文は、将輝を守るためではない。

 少なくとも萌菜美は、そう思って書いた。

 でも、なぜ「できない」と言えるのか、その根拠はまだ足りなかった。

 その日の帰り際、貴嗣が新聞部室の前に立っていた。

「萌菜美」

「何?」

「将輝に聞いた?」

「七秒の理由?」

「うん」

「聞いた」

 貴嗣は一度だけうなずいた。

「じゃあ次、俺にも聞いて」

「何を?」

「事故の前のこと」

 萌菜美は足を止めた。

「支柱の?」

 貴嗣は笑わなかった。

「たぶん、将輝だけ悪いって書く前に知ったほうがいい」
【終】