七秒の外側

第8話 取り替えるだけ

 千馬に話したのは、翌日の昼休みだった。

 萌菜美は十九秒の映像そのものを見せることはできない。

 だから、確認した内容を一つずつ口頭で説明した。

「最初の七秒に、千馬が将輝を押すところまで映ってた」

 千馬は弁当の箸を止めた。

「押すところ」

「うん。支柱が動いたのに先に気づいて、将輝を見て、走って、押してる」

「……そう」

「そのあとが十二秒の動画」

 千馬は少し黙った。

 驚いているようには見えなかった。

 自分がしたことなのだから、当然なのかもしれない。

「それ、先生も確認した?」

「した。映像上、千馬が将輝を危険な位置から押し出したことは確認できるって」

「へえ」

「記事に使いたい」

 萌菜美はまっすぐ言った。

「まだ文章は仮だけど」

 取材ノートを開く。

 昨日入力した二行を、そのまま読み上げた。

「『公開された十二秒の前には、七秒がある。その七秒には、千馬が将輝を危険な位置から押し出す姿が映っていた』」

 千馬は聞き終えても、すぐには返事をしなかった。

「どう?」

 萌菜美が聞く。

「どうって」

「事実として合ってる?」

「映ってたなら合ってるんじゃない」

「千馬自身の認識として」

「将輝が危ないと思ったから押した。それは合ってる」

 萌菜美はノートへ書いた。

 《本人確認:将輝が危険だと思い押した》

「じゃあ、この内容を記事に」

「やめて」

 萌菜美のペンが止まった。

「え?」

「それ出すの、やめて」

「どうして」

「どうしてって」

 千馬は箸を置いた。

「前に言っただろ。俺のことまで決めるなって」

「だから訂正するんだよ」

「何を」

「十二秒だけ見た人は、千馬がふざけて危険な場所に入ったと思ってる。実際は違った。将輝を」

「俺が将輝を助けたって?」

「映像ではそう確認できる」

「それを出したら、今度は俺が英雄になるだけだろ」

 萌菜美は言葉を失った。

「でも、誤解は解ける」

「何の誤解」

「千馬が無謀だったっていう」

「じゃあ代わりに、『将輝を助けたいいやつ』になる?」

「少なくとも事実に近い」

「近いって何」

 千馬の声が少し大きくなった。

 教室の端にいた何人かがこちらを見る。

 千馬はそれに気づき、少し声を落とした。

「俺、あの時、考えて動いたわけじゃない」

「将輝が危ないと思って」

「思ったよ。だから押した。でも、押したあと自分があっち側に残った」

 千馬は机の上を指で二回叩いた。

「それ、正しい判断だったの?」

「結果的には貴嗣が」

「結果の話じゃない」

 萌菜美は黙った。

「俺が将輝を押したのは本当。貴嗣が俺を引いたのも本当。でも、それを並べて『実は千馬も英雄でした』ってやるなら、十二秒と同じじゃん」

「同じじゃない」

「何が違う?」

「十二秒は前を切ってる。十九秒は、その前も含めて」

「十九秒の前は?」

 萌菜美の口が止まった。

「そこには何がある?」

「映像にはない」

「だろ」

 千馬は椅子の背にもたれた。

「俺がサーブでミスったのも、ボール追おうとしたのも、将輝がどこにいたのも、支柱がなんで倒れたのも、全部十九秒より前から続いてるんじゃないの」

「それはそうだけど」

「じゃあ十九秒を全部見せたら、本当になる?」

 萌菜美は答えなかった。

 昨日、真紗子に同じようなことを言われた。

 十九秒が全部なのか。

「俺さ」

 千馬が言った。

「貴嗣を悪く言いたいわけじゃない」

「分かってる」

「将輝を悪く言いたいわけでもない」

「うん」

「俺をよく言ってほしいわけでもない」

「でも今、実際に悪く言われてる」

「知ってるよ」

 千馬はスマートフォンを机の中から出した。

 通知欄を開く。

 もう直接の名前は出ていない。

 けれど、保存された動画へついたコメントの画面が残っている。

 《こういう迷惑なやつ》
 《助けられて当然みたいな顔してそう》
 《体育で調子に乗るタイプ》

 千馬は一度だけ見て、画面を消した。

「腹立つよ」

「だったら」

「でも、腹立つから別の肩書きに取り替えてほしいわけじゃない」

 萌菜美はノートを閉じた。

「じゃあ、何を書けばいいの」

「知らない」

「何も書かなかったら、十二秒だけが残る」

「それも嫌」

「じゃあどうしたいの」

「だから知らないって」

 千馬は眉を寄せた。

「新聞書くの、俺じゃないだろ」

 その言葉に、萌菜美は少し苛立った。

「当事者が何を出してほしいか分からないと書けない」

「じゃあ書けないって書けば」

「そんな記事、読んでも意味ない」

「意味って何」

「誤解を訂正すること」

「俺の評価を上げること?」

「違う」

「じゃあ何」

 萌菜美は答えようとした。

 十二秒によって作られた誤解を、十九秒で訂正する。

 千馬が無謀な被害者ではなく、将輝を助けていたことを伝える。

 それで何が変わる?

 千馬への批判は減るかもしれない。

 代わりに将輝へ何が向く?

 危険に気づかず固まっていた。

 千馬に助けられた。

 その姿を、自分で七秒切った。

 今度は将輝が何と呼ばれる?

「……今は、分からない」

 萌菜美が言うと、千馬が少しだけ目を細めた。

「それなら、まだ出すなよ」

「十九秒の内容を?」

「俺のところは」

「将輝の同意があれば?」

「俺も映ってる」

「そうだけど」

「俺が将輝を押したって書くなら、俺の話でもあるだろ」

 その通りだった。

「分かった」

 萌菜美はノートを開き直した。

 《千馬:元映像の公開・七秒部分の記事化を現時点では拒否》

「『拒否』って強くない?」

「じゃあ、どう書く?」

「記事に使わないでほしい」

「分かった」

 書き直す。

 《千馬:七秒部分を現時点で記事に使わないでほしい》

「理由は?」

 千馬は少し考えた。

「俺が将輝を助けたって話に取り替えるだけなら、やってることは同じだから」

 萌菜美は、そのまま書いた。

 書き終えるまで、千馬は黙って待った。

「引用していい?」

「今はやめて」

「分かった」

「でも覚えといて」

「覚えるだけじゃなくて、ノートには残す」

「細か」

「仕事なので」

「じゃあ頑張れ」

 千馬は弁当箱を閉じた。

「俺、午後体育委員の集まりあるから先行く」

「うん」

 立ち上がる前に、千馬が萌菜美のノートを一度見た。

「俺が助けた、貴嗣が助けた、ってさ」

「うん」

「助けたやつが一番正しい、みたいになるのも嫌なんだよ」

「どうして」

「だって、俺は将輝押したあと自分が逃げ損ねてるし。貴嗣だって、あんな近くまで来て一緒に転んでる。どっちも危なかっただろ」

「結果的には誰もけがしてない」

「結果が良ければ全部正しいなら、事故が起きなかったことにすればいいじゃん」

 千馬は鞄を持ち、教室を出た。

 萌菜美はその背中を見送った。

 ノートには、確認できた事実がある。

 千馬が将輝を押した。
 その直後、貴嗣が千馬を引いた。

 映像がある。

 教師も確認した。

 本人も認めた。

 それなのに、記事には使わないでほしいと言われた。

 事実なら書いていい。

 萌菜美は、少し前までそう思っていた。

 嘘を書かなければいい。

 確認してから書けばいい。

 でも今、確認できた事実が目の前にあるのに、出せない。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 萌菜美はノートを閉じた。

 五時間目の途中も、千馬の言葉が頭から離れなかった。

 取り替えるだけなら同じ。

 貴嗣=英雄。
 千馬=無謀な被害者。

 それを、

 千馬=実は英雄。
 将輝=助けられた人。

 へ変える。

 たしかに、役札の置き場所を変えているだけかもしれない。

 でも、事実が違うなら訂正するべきではないのか。

 訂正しないことも、十二秒を肯定することにならないか。

 授業終了後、萌菜美は知正に呼び止められた。

「千馬と何話してた?」

「取材」

「怒ってた?」

「少し」

「そっか」

 知正はそれ以上聞かなかった。

「聞かないの?」

「千馬が話したいなら本人から聞く」

「知正は、十二秒の前に何があったか知ってる?」

 知正の目が一瞬止まった。

「映像の話?」

「十九秒の元映像を見た」

「そうなんだ」

「千馬が将輝を押してた」

「……うん」

「知ってた?」

「体育館にいたから」

「見てた?」

「全部は見てない。でも千馬が将輝のほうへ走ったのは見た」

 萌菜美は知正の顔を見た。

「じゃあ、どうして千馬が悪く言われてる時に言わなかったの」

「何を?」

「『その前がある』って」

 知正は少し困った顔をした。

「言えば止まったかな」

「少なくとも」

「誰に言う?」

「クラス」

「クラスに言ったら、その話も外に出るかもしれない」

「でも」

「千馬が言ってないことを俺が言っていいか、分からなかった」

 萌菜美は黙った。

「助けるつもりで言ったことが、本人には出してほしくないことかもしれないし」

「何も言わないのも、千馬を放っておくことになる」

「うん」

「じゃあどうするのが正しいの」

「それ、俺に聞く?」

 知正は苦笑した。

「俺、正解知ってそうに見える?」

「いつも自信ありそう」

「自信あるのと、正しいのは別」

「ずるい」

「何が」

「答えないところ」

「分からないから」

 知正はそう言って、少しだけ声を落とした。

「俺は、犯人とか英雄とか、早く決めないほうがいいと思ってる」

「前にも言ってたね」

「うん」

「どうしてそんなに」

 知正は一瞬、何か言いかけた。

 でも、廊下の向こうから部活仲間に呼ばれた。

「ごめん、行く」

「知正」

「また今度」

 知正は手を上げて走っていった。

 萌菜美はその場に残った。

 また、答えが先延ばしになった。

 新聞部室へ行くと、真紗子が昨日の閲覧記録を整理していた。

「千馬、どうだった?」

「使わないでって」

 真紗子は手を止めた。

「七秒?」

「はい」

「理由は?」

「『俺が将輝を助けたって話に取り替えるだけなら、やってることは同じ』って」

「なるほど」

「なるほどで終わらないでください」

「じゃあ、萌菜美はどう思う?」

「事実なのに」

 言ってから、自分でも少し子どもっぽいと思った。

 真紗子は笑わなかった。

「事実なら何?」

「書く意味がある」

「誰にとって?」

「千馬への誤解を解くために」

「本人が今は出してほしくないって言ってるのに?」

「でも、今のままだと誤解が残る」

「残るね」

「それでいいんですか」

「よくない。でも、『よくない』からすぐ出す、以外にもやり方はあるかもしれない」

「例えば?」

「考えるのが担当者」

「またそれ」

 萌菜美は椅子へ座った。

 昨日の仮文を開く。

 《公開された十二秒の前には、七秒がある。》
 《その七秒には、千馬が将輝を危険な位置から押し出す姿が映っていた。》

 二行目を選択する。

 削除。

 一行目だけ残った。

 それも、しばらく見たあと削除した。

 画面が空白になる。

 昨日は、十九秒を見れば記事が進むと思っていた。

 実際には逆だった。

 確認できたことが増えたぶん、書けることが減った。

「レビューって」

 萌菜美が言った。

「難しいですね」

「今さら?」

「今までは、確認すれば書けると思ってた」

「今は?」

「確認したあとに、出すかどうかも決めないといけない」

「うん」

「それって、隠すのと何が違うんですか」

 真紗子は少し考えた。

「誰かに都合が悪いから消すのと、出すことで何が起きるか考えるのは、同じじゃないと思う」

「でも結果は同じ。書かない」

「そういう時もある」

「じゃあ読者には分からない」

「全部分からせるのが記事?」

 萌菜美は返せなかった。

 真紗子は机の上の赤ペンを回した。

「萌菜美が昨日見た十九秒も、学校が持ってる事実の一部。千馬が覚えてることも、将輝が覚えてることも、貴嗣が覚えてることも一部」

「一部ばっかり」

「そうだね」

「じゃあ、何を書けばいいんですか」

「まだ決めなくていい」

「締切あります」

「だからって、人の意味を先に決める?」

 萌菜美は画面を閉じた。

 空白のまま保存する。

 ファイル名は変えなかった。

 《未確認_十二秒の奇跡をレビューする》

 確認できたことは増えている。

 でも、何を言う記事なのかは、前より分からなくなった。

 帰り道、萌菜美は十二秒の動画を開かなかった。

 十九秒も、もう一度見たいとは思わなかった。

 代わりに、千馬の言葉を思い出した。

 ――俺が将輝を助けたって話に取り替えるだけなら、やってることは同じ。

 英雄と被害者を入れ替える。

 それだけなら、確かにレビューではない。

 ただ、新しい星を別の人へつけるだけだ。

 萌菜美は昨日消した仮文の代わりに、取材ノートへ一行だけ書いた。

 ――訂正は、評価の反転ではない。

 その下に、もう一行。

 ――では、何を訂正するのか。

 答えは空白のまま残した。
【終】