七秒の外側

第5話 消えた七秒

 授業担当の体育教師を捕まえられたのは、翌日の放課後だった。

 職員室の前で待っているあいだ、萌菜美は取材ノートを三回見直した。

 聞くことは四つ。

 一、事故当時、タブレットはいつから録画されていたか。
 二、現在、学校に残っている動画は何秒か。
 三、クラスへ送られた十二秒の動画と同じものか。
 四、元の映像を新聞部として確認できるか。

 質問だけなら一分で終わる。

 それなのに、ノートの端が少し湿っていた。

「待たせたな」

 体育教師が職員室から出てきた。

 事故当日、最初に千馬と貴嗣のところへ走った教師だった。

「新聞部だっけ」

「はい。事故の記事について確認したいことがあります」

「顧問には?」

「これから内容を共有します。まず事実関係だけ確認したくて」

「分かった。ここだと人が通るから、面談スペース使うか」

 職員室横の小さな机へ移る。

 透明な仕切り板の向こうでは、別の教師が電話をしていた。

 萌菜美はノートを開いた。

「事故の時、将輝が使っていた学校のタブレットについてです」

「動画か」

「はい」

 教師の顔が少し固くなった。

「先に言っておくけど、今は学校でも事故原因を確認中だ。生徒の顔が映っているデータを自由に渡すことはできない」

「分かっています。動画をください、ではなくて、まず長さを確認したいです」

「長さ?」

「クラスに送られた動画は十二秒でした。でも、事故の前からサーブフォームを撮影していたはずなので、元の動画はもっと長いと思っています」

 教師は腕を組んだ。

「よく見てるな」

「見たというより、覚えていたので」

「事故の時に?」

「はい。将輝が固定スタンドにタブレットを置いて録画していました」

「そうだったな」

 教師は少し考えたあと、職員室へ戻った。

「ここで待ってて」

 萌菜美は椅子に座ったまま待った。

 電話の声。
 キーボードを叩く音。
 廊下を走って注意される一年生。

 二分ほどして、教師が学校用のノートパソコンを持って戻ってきた。

「動画そのものは見せない。ファイル情報だけなら確認できる」

「お願いします」

 教師が画面を開く。

 事故後にタブレットから保全したデータらしい。

 ファイル名は日付と時刻だけだった。

 種類、動画ファイル。
 作成時刻。

 そして再生時間。

「十九秒……」

 萌菜美は声に出した。

「そう。元データは十九秒」

「クラスに送られたのは十二秒です」

「そこは学校でも確認してる」

「同じファイルじゃない?」

「別。元は学校タブレットに残ってる。将輝がクラスへ送ったのは、元動画から作った短いコピー」

 萌菜美はノートへ書いた。

 《元映像 19秒》
 《送信動画 12秒》
 《別ファイル》

 数字だけなら簡単だった。

 十九から十二を引く。

 七。

「七秒、短くなってる」

「そうなるな」

「編集したのは将輝ですか」

 教師はすぐに答えなかった。

「それは本人に聞いたほうがいい」

「学校では分かってるんですよね」

「操作した端末や送信経路の確認はしている。ただ、記事にするなら、本人の説明を取らずにこっちの話だけで『誰が何のために編集した』と書くのは違うだろ」

 萌菜美はペンを止めた。

「はい」

「新聞部なら、そこは分かるよな」

「分かります」

 少し悔しかった。

 自分でも同じことを考えていたのに、先に言われたからだ。

「元映像には、十二秒の前が七秒あるんですか」

「単純に言えばそう」

「その七秒に何が映っているか、確認できますか」

「今日はできない」

「今日は?」

「事故に関わった生徒が複数映ってる。学校が保全してる映像だから、新聞部だからって一人で自由に見るものじゃない。当事者の扱いも含めて顧問と話を通してくれ」

「分かりました」

「それと」

 教師は画面を閉じた。

「動画が長いから真実で、短いから嘘、って決めるのも早いぞ」

 萌菜美は顔を上げた。

「そういうつもりでは」

「なくても、七秒見つけると人はそこに答えがあると思う」

 教師は椅子の背にもたれた。

「学校も原因を調べてる。でも映像に全部映ってるとは限らない。支柱の固定状態だって、あれだけじゃ分からないことがある」

「……はい」

 萌菜美はノートにもう一行書いた。

 《十九秒でも全部ではない》

「ありがとうございます」

「記事出す前に、顧問と俺にも事実確認回してくれ」

「必ず」

 面談スペースを出ると、廊下の窓から西日が入っていた。

 萌菜美は階段へ向かいながら、頭の中で数字を繰り返した。

 十二秒。
 十九秒。
 七秒。

 たった七秒。

 それでも、十二秒の動画が千馬を「危険な場所にいた人」から始めている以上、その前に七秒あるという事実は小さくない。

 新聞部室へ戻る途中、教室の前を通ると、将輝が一人で残っていた。

 窓際の席で進路資料を読んでいる。

 萌菜美は足を止めかけた。

 今、聞けばいい。

 七秒切った?

 どうして?

 その二つなら、十秒で聞ける。

 けれど、萌菜美はそのまま通り過ぎた。

 先に真紗子へ共有する。

 それから質問を整理する。

 順番を飛ばすと、聞きたい答えに自分から寄ってしまう気がした。

 新聞部室へ入ると、真紗子は古い新聞を棚から出していた。

「確認できた?」

「元動画、十九秒でした」

 真紗子の手が止まる。

「送られたのは十二秒」

「はい。別ファイルです」

「差は七秒」

「はい」

 萌菜美はノートを開いて見せた。

「学校タブレットには十九秒の元データが残ってる。将輝が送ったのはそこから作られた短いコピー。元映像は今日は見せてもらえませんでした」

「理由は?」

「当事者が複数映ってる保全データだから。顧問を通して、扱いを決めてから」

「妥当だね」

「あと、先生に言われました」

「何を」

「十九秒だから真実で、十二秒だから嘘と決めるなって」

 真紗子は少し笑った。

「いい先生じゃん」

「私も分かってます」

「怒ってる?」

「ちょっと」

「自分が先に思ってたことを言われたから?」

 萌菜美は返事をしなかった。

「図星か」

「それより」

 ノートの数字を指で示す。

「七秒です」

「うん」

「動画の冒頭から削られた七秒」

「その七秒に何があると思う?」

 萌菜美は答えかけて、止めた。

 千馬が将輝のほうへ走った。

 将輝を押した。

 そこまでは自分の記憶にある。

 でも、記憶と映像が一致する保証はない。

「思うことはあります。でも、まだ書きません」

「正解」

「真紗子が正解って言うと、ちょっと嫌です」

「じゃあ取り消す」

「取り消さなくていいです」

 真紗子は古い新聞を閉じた。

「将輝には?」

「まだ聞いてません」

「どうして?」

「先生が、編集理由は本人に聞けって」

「それで?」

「七秒があると分かった直後に聞くと、『何を隠したの』って聞き方になりそうだから」

「うん」

「まず、『元映像から短くした?』だけ確認します」

「いいと思う」

「理由を答えたくないって言われたら?」

「それも記録する」

 萌菜美は椅子へ座った。

 パソコンを開く。

 短評欄の下書きファイルを作り、最初の行に題名だけ入れた。

 《十二秒の奇跡をレビューする》

 その下は空白。

 まだ本文は書かない。

 確認できた事実だけ、別のメモへ並べる。

 公開動画は十二秒。
 学校保全の元映像は十九秒。
 送信動画は元映像とは別ファイル。
 冒頭には七秒の差がある。
 七秒の内容は未確認。
 編集理由も未確認。

 最後に、

 《十九秒でも全部ではない》

 と書いた。

「それ、記事に入れる?」

 真紗子が後ろから画面を見た。

「分かりません」

「また保留」

「はい」

「保留、多いね」

「分からないものが多いので」

「でも、前より楽しそう」

 萌菜美は否定しようとして、やめた。

 たしかに、少しだけ心臓が速かった。

 見えていなかった七秒がある。

 そこを確認すれば、千馬への誤解が解けるかもしれない。

 貴嗣が称賛を嫌がる理由も分かるかもしれない。

 事故の意味そのものが変わるかもしれない。

 そう考えると、早く見たかった。

 早く答えが欲しかった。

 その気持ちに気づいて、萌菜美はキーボードから手を離した。

「何?」

「先生の言った意味、ちょっと分かりました」

「七秒に答えがあると思うな、ってやつ?」

「はい」

「でも見たい?」

「見たいです」

「じゃあ、見られる手順を踏むしかない」

 萌菜美はノートを閉じた。

 その日の帰り、昇降口で将輝を見つけた。

 一人だった。

 今度は通り過ぎなかった。

「将輝」

 呼ぶと、将輝が振り向く。

「何」

「事故の動画のことで、聞きたいことがある」

 将輝の顔は変わらなかった。

 ただ、靴紐を結び直そうとしていた指だけが止まった。

「新聞?」

「うん」

「何を聞くの」

 萌菜美は一度、息を吸った。

 七秒に何を隠したの。

 その聞き方はしない。

「クラスに送った十二秒の動画、元の十九秒から短くした?」

 将輝は萌菜美を見た。

 数秒。

 答えはまだ出ない。

 昇降口の外で、運動部の掛け声が響いた。

 やがて将輝は視線を外した。

「……明日でいい?」

「いい」

「逃げるわけじゃない」

「まだそう書いてない」

 将輝は少しだけ眉を寄せた。

「そういう言い方、新聞部っぽい」

「褒めてる?」

「別に」

 将輝は靴紐を結び終え、立ち上がった。

「明日、話す」

「分かった」

 萌菜美は追わなかった。

 玄関を出ていく将輝の背中を見送る。

 七秒。

 まだ中身は見ていない。

 理由も聞いていない。

 それでも、十二秒だけが全部ではないことだけは、もう確認できた。

 萌菜美は取材ノートを開き、今日最後の一行を書いた。

 ――消えた七秒は、答えではなく質問である。
【終】