第4話 英雄と被害者
翌朝、貴嗣の机の上には、紙で折った金色の王冠が置かれていた。
誰が作ったのかは分からない。
正面には黒いペンで、
《HERO》
と書かれている。
「似合うじゃん」
知正が笑った。
「どこが」
貴嗣は王冠を持ち上げ、裏返した。
「せめてサイズ測って作ってほしかった。俺の頭を何センチだと思ってるんだろ」
「かぶる気はあるんだ」
「ないよ」
そう言いながら、捨てることもしなかった。
王冠を机の端に置き、鞄から教科書を出す。
萌菜美は自分の席から、その一連の動きを見ていた。
昨日の投稿は消えていない。
学校が削除を求めているらしいが、最初の動画が消えても、別のアカウントが転載したものが残っていた。
再生回数だけなら、もう元の投稿がどれだったのか分からない。
朝のホームルーム前にも、別のクラスの生徒が教室の後ろから貴嗣をのぞいた。
「あの人?」
「そうそう」
小声のつもりなのだろうが、聞こえる。
貴嗣も聞こえたはずだった。
けれど、振り返らない。
「有名人って大変だな」
知正が言う。
「知正、代わる?」
「救助したことにする?」
「今なら動画もあるし、顔がはっきりしてないから押し通せるかも」
「無理だろ」
「じゃあ諦める」
いつものような会話だった。
でも萌菜美には、貴嗣が昨日より余計にしゃべっているように見えた。
黙ると、周りから何かを聞かれるからかもしれない。
その推測を、萌菜美はノートには書かなかった。
確認できないからだ。
一時間目が始まる前、真紗子からメッセージが届いた。
《昼休み、部室来て》
《短評欄の件》
短評欄。
萌菜美は昨日、題材を決めた。
体育の授業中に起きた奇跡の瞬間。
でも、まだ取材は一人にもしていない。
ノートにあるのは、自分が見たことと、公開された十二秒の違いだけだった。
昼休み、部室へ行くと、真紗子の前に紙が二枚並んでいた。
一枚は、いつもの校内新聞の紙面案。
もう一枚には大きく見出しが打たれている。
《間一髪の救出 同級生を守った勇気》
「これ、私の短評欄ですか」
「案」
「誰の?」
「顧問経由で、学校側から。事故の事実関係は調査中だけど、けが人が出なかったことと、貴嗣が千馬を引いたことは確認できてる。だから、その部分を前向きに紹介できないかって」
萌菜美は見出しをもう一度読んだ。
「前向き」
「学校としては、危険管理の話だけが広がるより、生徒の行動も伝えたいんだと思う」
「事故の原因はまだ分からないのに」
「原因には触れない。救出だけ」
「動画と同じですね」
真紗子が顔を上げた。
「どういう意味?」
「見せる部分だけ切る」
「それ自体が悪いとは限らないよ」
「でも、十二秒だけ見て千馬が悪く言われてます」
「うん」
「じゃあ、新聞でも同じ十二秒を文章にしたら」
「だから取材する」
真紗子は紙を萌菜美のほうへ押した。
「称賛記事にするかどうかも含めて、本人に聞いてみて」
「貴嗣に?」
「まずは」
萌菜美は少し考えた。
「千馬にも聞きます」
「もちろん」
「将輝にも」
「必要だと思ったら」
「知正も」
「取材対象を増やすのはいいけど、全員に同じ質問を投げるだけじゃ確認にはならないよ」
「分かってます」
「ほんと?」
「たぶん」
言った瞬間、二人とも黙った。
萌菜美は自分で気づいた。
「……確認します」
「よろしい」
真紗子は笑った。
午後の授業が始まる前、萌菜美は貴嗣の机へ行った。
「新聞の取材、いい?」
「俺?」
「昨日の事故」
「やっぱり来た」
「嫌なら断っていい」
「断ると『取材拒否』って書かれる?」
「書きません」
「じゃあいいよ」
貴嗣は椅子を少し後ろへ引いた。
知正が隣の席から離れようとする。
「俺、席外す?」
「いてもいい」
萌菜美は言ったが、貴嗣が知正を見た。
「できれば二人で」
「了解」
知正は軽く手を上げて教室の外へ出た。
萌菜美はノートを開いた。
「まず、新聞で事故について記事を出す案がある」
「へえ」
「貴嗣が千馬を助けたことを紹介する内容」
「やめて」
返事が早かった。
萌菜美はペンを止める。
「掲載そのものを?」
「少なくとも、俺を褒める記事はやめて」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
「それだけ?」
「それだけじゃ駄目?」
「理由としては成立する」
「新聞部、怖いね。理由にも採点入るんだ」
「入れてない」
「じゃあ、恥ずかしいからで終わり」
貴嗣は笑った。
萌菜美はノートに、
《称賛記事は希望しない》
《理由:恥ずかしい》
と書いた。
その下に、次の質問を書く。
「動画については?」
「何が?」
「『体育の授業中に起きた奇跡』って呼ばれてる」
「大げさ」
「救出したのは事実だよね」
「千馬を引いたのは事実」
「自分ではどう思ってる?」
貴嗣は机の端に置かれた紙の王冠を指でつついた。
「俺、そこまで立派じゃないよ」
「具体的には?」
「具体的に言わないと駄目?」
「記事にするなら」
「じゃあ、記事にしなくていい」
笑ってはいた。
けれど、声の調子が少し変わった。
萌菜美は追いかける質問を口の中で止めた。
真紗子は、取材は尋問ではないと言っていた。
「分かった」
「終わり?」
「今は」
「助かる」
「助けた側が言うと紛らわしい」
「そういうの書いといて。俺の人間味が出るから」
貴嗣はまたいつもの調子に戻った。
でも萌菜美は、ノートの余白へ何も書かなかった。
そこまで立派じゃない。
なぜそう思うのか。
まだ分からない。
次に千馬へ声をかけたのは、放課後だった。
千馬は下駄箱の前でスマートフォンを見ていた。
画面には、例の十二秒が止まっている。
「取材していい?」
「何の」
「事故」
千馬は顔を上げた。
「貴嗣を褒めるやつ?」
「それも含めて、まだ決めてない」
「ならいい」
即答だった。
萌菜美は少し意外に思った。
「嫌じゃない?」
「嫌だから言うんだよ」
千馬は靴を履き替え、壁にもたれた。
「何聞く?」
「公開されてる動画を見て、どう思った?」
「短い」
「ほかには?」
「俺がアホに見える」
声が低かった。
「危ないところに勝手に入ったみたいに見える」
「コメントも見た?」
「見た。『迷惑なやつ』とか『調子乗ってたんだろ』とか」
「実際には?」
「ふざけてたわけじゃない」
「じゃあ、どうしてあそこにいたの?」
千馬は口を閉じた。
目だけが萌菜美から離れる。
廊下の先。
誰もいない方向を一度見て、また戻した。
「そこは今、言いたくない」
「分かった」
「聞かないの?」
「言いたくないって言ったから」
「新聞部ってもっとしつこいと思ってた」
「確認したいけど、無理に言わせても確認にならない」
千馬は少しだけ笑った。
「変なの」
「よく言われる」
「で、記事は?」
「まだ決めてない」
「じゃあ一個だけ書いといて」
千馬はスマートフォンを萌菜美へ向けた。
停止した十二秒の画面。
貴嗣が走り込む直前の場面だった。
画面の中で千馬は支柱の近くにいる。
その姿だけなら、確かに危険な位置へ自分から入ったように見える。
「これ見て、『貴嗣すげえ』って思うのは勝手」
千馬が言った。
「実際、俺は助けられた。そこは否定しない」
「うん」
「でも、これ見て俺のことまで決めるな」
萌菜美はペンを動かした。
「そのまま書いていい?」
「いい」
「『俺のことまで決めるな』」
「そう」
「何を決められたくない?」
「無謀だったとか、迷惑だったとか、何も考えてなかったとか」
「でも、どうしてあそこにいたかは言いたくない」
「今はな」
千馬ははっきり言った。
矛盾しているようにも見える。
理由は言わない。
でも勝手に理由を作るな。
萌菜美は、そこで初めて思った。
理由を説明しない人には、評価される資格がないのだろうか。
全部話した人だけが、誤解されない権利を持つのだろうか。
「何」
千馬が聞いた。
「考えてた」
「俺の評価?」
「違う」
「ならいい」
千馬はスマートフォンをポケットへ入れた。
「あと、貴嗣を英雄にするなら、俺は記事出さないでほしい」
「どうして?」
「英雄がいると、助けられた側もセットになるから」
「被害者?」
「そういうの」
千馬は眉を寄せた。
「俺、被害者役やるために体育出てたわけじゃないから」
言い方は乱暴だった。
でも、萌菜美には分かる気がした。
十二秒の中で、貴嗣には役割がついた。
英雄。
千馬にも役割がついた。
無謀な被害者。
二人とも、動画の中ではその役から出られない。
「じゃあ、貴嗣を褒めなければいい?」
「それも違う」
「違う?」
「あいつが助けたのは本当だろ。そこ消したら、それはそれで変じゃん」
「難しい注文するね」
「新聞部だろ。頑張れ」
「他人事」
「俺は取材される側だから」
千馬は笑った。
その笑顔は昨日のコメント欄を見ていた時より、少しだけいつもの顔に近かった。
新聞部室へ戻ると、真紗子が紙面案へ赤字を入れていた。
「どうだった?」
萌菜美はノートを机に置く。
「称賛記事は無理です」
「早いね」
「貴嗣が希望してない」
「それだけ?」
「千馬も、英雄を作ると自分が被害者役に固定されるって」
「なるほど」
「でも貴嗣が助けたのは本当だから、そこを消すのも違うって」
「なるほど」
「なるほどで終わらないでください」
「担当者は萌菜美だから」
「またそれ」
真紗子は笑った。
萌菜美は椅子へ座り、ノートを開き直した。
左のページに、確認できたことを書く。
貴嗣は千馬を引いた。
千馬は無傷だった。
貴嗣も無傷だった。
公開された動画は十二秒。
貴嗣は称賛記事を望んでいない。
千馬は「動画を見て自分まで決めるな」と話した。
右のページに、分からないことを書く。
千馬はなぜ支柱の近くにいたのか。
貴嗣はなぜ「そこまで立派じゃない」と言うのか。
動画が始まる前に何があったのか。
最後の一行を書いたところで、萌菜美の手が止まった。
「真紗子」
「ん?」
「動画って、事故の途中から始まってますよね」
「途中?」
「私、千馬があそこへ行く前を見てるんです」
「何を見た?」
「将輝のほうへ走ったのは覚えてる。でも、十二秒の動画は、もう千馬が支柱の近くにいるところから始まってる」
「撮影がその瞬間からだった可能性は?」
「将輝、サーブフォームを撮ってました」
真紗子の赤ペンが止まった。
萌菜美はスマートフォンで、保存していた十二秒の動画を開いた。
冒頭まで戻す。
再生。
停止。
もう一度。
最初の一フレームから、千馬はすでに画面の中にいる。
事故の少し前から録画していたなら、その前もあるはずだった。
「将輝に聞く?」
「その前に、授業担当の先生へ確認します」
「どうして?」
「学校のタブレットなら、元のファイルが残ってるかもしれないから」
真紗子は何も言わず、少しだけ口元を上げた。
「何ですか」
「いや。ちゃんと順番考えたなと思って」
「褒めないでください」
「どうして」
「貴嗣の気持ちがちょっと分かったので」
萌菜美は動画を停止した。
十二秒。
その前に何秒あるのかは、まだ知らない。
でも、記事を書くなら知らなければならない。
英雄を作るためでも、被害者を救うためでもなく。
少なくとも、自分が何を見ていないのかを知るために。
【終】
翌朝、貴嗣の机の上には、紙で折った金色の王冠が置かれていた。
誰が作ったのかは分からない。
正面には黒いペンで、
《HERO》
と書かれている。
「似合うじゃん」
知正が笑った。
「どこが」
貴嗣は王冠を持ち上げ、裏返した。
「せめてサイズ測って作ってほしかった。俺の頭を何センチだと思ってるんだろ」
「かぶる気はあるんだ」
「ないよ」
そう言いながら、捨てることもしなかった。
王冠を机の端に置き、鞄から教科書を出す。
萌菜美は自分の席から、その一連の動きを見ていた。
昨日の投稿は消えていない。
学校が削除を求めているらしいが、最初の動画が消えても、別のアカウントが転載したものが残っていた。
再生回数だけなら、もう元の投稿がどれだったのか分からない。
朝のホームルーム前にも、別のクラスの生徒が教室の後ろから貴嗣をのぞいた。
「あの人?」
「そうそう」
小声のつもりなのだろうが、聞こえる。
貴嗣も聞こえたはずだった。
けれど、振り返らない。
「有名人って大変だな」
知正が言う。
「知正、代わる?」
「救助したことにする?」
「今なら動画もあるし、顔がはっきりしてないから押し通せるかも」
「無理だろ」
「じゃあ諦める」
いつものような会話だった。
でも萌菜美には、貴嗣が昨日より余計にしゃべっているように見えた。
黙ると、周りから何かを聞かれるからかもしれない。
その推測を、萌菜美はノートには書かなかった。
確認できないからだ。
一時間目が始まる前、真紗子からメッセージが届いた。
《昼休み、部室来て》
《短評欄の件》
短評欄。
萌菜美は昨日、題材を決めた。
体育の授業中に起きた奇跡の瞬間。
でも、まだ取材は一人にもしていない。
ノートにあるのは、自分が見たことと、公開された十二秒の違いだけだった。
昼休み、部室へ行くと、真紗子の前に紙が二枚並んでいた。
一枚は、いつもの校内新聞の紙面案。
もう一枚には大きく見出しが打たれている。
《間一髪の救出 同級生を守った勇気》
「これ、私の短評欄ですか」
「案」
「誰の?」
「顧問経由で、学校側から。事故の事実関係は調査中だけど、けが人が出なかったことと、貴嗣が千馬を引いたことは確認できてる。だから、その部分を前向きに紹介できないかって」
萌菜美は見出しをもう一度読んだ。
「前向き」
「学校としては、危険管理の話だけが広がるより、生徒の行動も伝えたいんだと思う」
「事故の原因はまだ分からないのに」
「原因には触れない。救出だけ」
「動画と同じですね」
真紗子が顔を上げた。
「どういう意味?」
「見せる部分だけ切る」
「それ自体が悪いとは限らないよ」
「でも、十二秒だけ見て千馬が悪く言われてます」
「うん」
「じゃあ、新聞でも同じ十二秒を文章にしたら」
「だから取材する」
真紗子は紙を萌菜美のほうへ押した。
「称賛記事にするかどうかも含めて、本人に聞いてみて」
「貴嗣に?」
「まずは」
萌菜美は少し考えた。
「千馬にも聞きます」
「もちろん」
「将輝にも」
「必要だと思ったら」
「知正も」
「取材対象を増やすのはいいけど、全員に同じ質問を投げるだけじゃ確認にはならないよ」
「分かってます」
「ほんと?」
「たぶん」
言った瞬間、二人とも黙った。
萌菜美は自分で気づいた。
「……確認します」
「よろしい」
真紗子は笑った。
午後の授業が始まる前、萌菜美は貴嗣の机へ行った。
「新聞の取材、いい?」
「俺?」
「昨日の事故」
「やっぱり来た」
「嫌なら断っていい」
「断ると『取材拒否』って書かれる?」
「書きません」
「じゃあいいよ」
貴嗣は椅子を少し後ろへ引いた。
知正が隣の席から離れようとする。
「俺、席外す?」
「いてもいい」
萌菜美は言ったが、貴嗣が知正を見た。
「できれば二人で」
「了解」
知正は軽く手を上げて教室の外へ出た。
萌菜美はノートを開いた。
「まず、新聞で事故について記事を出す案がある」
「へえ」
「貴嗣が千馬を助けたことを紹介する内容」
「やめて」
返事が早かった。
萌菜美はペンを止める。
「掲載そのものを?」
「少なくとも、俺を褒める記事はやめて」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
「それだけ?」
「それだけじゃ駄目?」
「理由としては成立する」
「新聞部、怖いね。理由にも採点入るんだ」
「入れてない」
「じゃあ、恥ずかしいからで終わり」
貴嗣は笑った。
萌菜美はノートに、
《称賛記事は希望しない》
《理由:恥ずかしい》
と書いた。
その下に、次の質問を書く。
「動画については?」
「何が?」
「『体育の授業中に起きた奇跡』って呼ばれてる」
「大げさ」
「救出したのは事実だよね」
「千馬を引いたのは事実」
「自分ではどう思ってる?」
貴嗣は机の端に置かれた紙の王冠を指でつついた。
「俺、そこまで立派じゃないよ」
「具体的には?」
「具体的に言わないと駄目?」
「記事にするなら」
「じゃあ、記事にしなくていい」
笑ってはいた。
けれど、声の調子が少し変わった。
萌菜美は追いかける質問を口の中で止めた。
真紗子は、取材は尋問ではないと言っていた。
「分かった」
「終わり?」
「今は」
「助かる」
「助けた側が言うと紛らわしい」
「そういうの書いといて。俺の人間味が出るから」
貴嗣はまたいつもの調子に戻った。
でも萌菜美は、ノートの余白へ何も書かなかった。
そこまで立派じゃない。
なぜそう思うのか。
まだ分からない。
次に千馬へ声をかけたのは、放課後だった。
千馬は下駄箱の前でスマートフォンを見ていた。
画面には、例の十二秒が止まっている。
「取材していい?」
「何の」
「事故」
千馬は顔を上げた。
「貴嗣を褒めるやつ?」
「それも含めて、まだ決めてない」
「ならいい」
即答だった。
萌菜美は少し意外に思った。
「嫌じゃない?」
「嫌だから言うんだよ」
千馬は靴を履き替え、壁にもたれた。
「何聞く?」
「公開されてる動画を見て、どう思った?」
「短い」
「ほかには?」
「俺がアホに見える」
声が低かった。
「危ないところに勝手に入ったみたいに見える」
「コメントも見た?」
「見た。『迷惑なやつ』とか『調子乗ってたんだろ』とか」
「実際には?」
「ふざけてたわけじゃない」
「じゃあ、どうしてあそこにいたの?」
千馬は口を閉じた。
目だけが萌菜美から離れる。
廊下の先。
誰もいない方向を一度見て、また戻した。
「そこは今、言いたくない」
「分かった」
「聞かないの?」
「言いたくないって言ったから」
「新聞部ってもっとしつこいと思ってた」
「確認したいけど、無理に言わせても確認にならない」
千馬は少しだけ笑った。
「変なの」
「よく言われる」
「で、記事は?」
「まだ決めてない」
「じゃあ一個だけ書いといて」
千馬はスマートフォンを萌菜美へ向けた。
停止した十二秒の画面。
貴嗣が走り込む直前の場面だった。
画面の中で千馬は支柱の近くにいる。
その姿だけなら、確かに危険な位置へ自分から入ったように見える。
「これ見て、『貴嗣すげえ』って思うのは勝手」
千馬が言った。
「実際、俺は助けられた。そこは否定しない」
「うん」
「でも、これ見て俺のことまで決めるな」
萌菜美はペンを動かした。
「そのまま書いていい?」
「いい」
「『俺のことまで決めるな』」
「そう」
「何を決められたくない?」
「無謀だったとか、迷惑だったとか、何も考えてなかったとか」
「でも、どうしてあそこにいたかは言いたくない」
「今はな」
千馬ははっきり言った。
矛盾しているようにも見える。
理由は言わない。
でも勝手に理由を作るな。
萌菜美は、そこで初めて思った。
理由を説明しない人には、評価される資格がないのだろうか。
全部話した人だけが、誤解されない権利を持つのだろうか。
「何」
千馬が聞いた。
「考えてた」
「俺の評価?」
「違う」
「ならいい」
千馬はスマートフォンをポケットへ入れた。
「あと、貴嗣を英雄にするなら、俺は記事出さないでほしい」
「どうして?」
「英雄がいると、助けられた側もセットになるから」
「被害者?」
「そういうの」
千馬は眉を寄せた。
「俺、被害者役やるために体育出てたわけじゃないから」
言い方は乱暴だった。
でも、萌菜美には分かる気がした。
十二秒の中で、貴嗣には役割がついた。
英雄。
千馬にも役割がついた。
無謀な被害者。
二人とも、動画の中ではその役から出られない。
「じゃあ、貴嗣を褒めなければいい?」
「それも違う」
「違う?」
「あいつが助けたのは本当だろ。そこ消したら、それはそれで変じゃん」
「難しい注文するね」
「新聞部だろ。頑張れ」
「他人事」
「俺は取材される側だから」
千馬は笑った。
その笑顔は昨日のコメント欄を見ていた時より、少しだけいつもの顔に近かった。
新聞部室へ戻ると、真紗子が紙面案へ赤字を入れていた。
「どうだった?」
萌菜美はノートを机に置く。
「称賛記事は無理です」
「早いね」
「貴嗣が希望してない」
「それだけ?」
「千馬も、英雄を作ると自分が被害者役に固定されるって」
「なるほど」
「でも貴嗣が助けたのは本当だから、そこを消すのも違うって」
「なるほど」
「なるほどで終わらないでください」
「担当者は萌菜美だから」
「またそれ」
真紗子は笑った。
萌菜美は椅子へ座り、ノートを開き直した。
左のページに、確認できたことを書く。
貴嗣は千馬を引いた。
千馬は無傷だった。
貴嗣も無傷だった。
公開された動画は十二秒。
貴嗣は称賛記事を望んでいない。
千馬は「動画を見て自分まで決めるな」と話した。
右のページに、分からないことを書く。
千馬はなぜ支柱の近くにいたのか。
貴嗣はなぜ「そこまで立派じゃない」と言うのか。
動画が始まる前に何があったのか。
最後の一行を書いたところで、萌菜美の手が止まった。
「真紗子」
「ん?」
「動画って、事故の途中から始まってますよね」
「途中?」
「私、千馬があそこへ行く前を見てるんです」
「何を見た?」
「将輝のほうへ走ったのは覚えてる。でも、十二秒の動画は、もう千馬が支柱の近くにいるところから始まってる」
「撮影がその瞬間からだった可能性は?」
「将輝、サーブフォームを撮ってました」
真紗子の赤ペンが止まった。
萌菜美はスマートフォンで、保存していた十二秒の動画を開いた。
冒頭まで戻す。
再生。
停止。
もう一度。
最初の一フレームから、千馬はすでに画面の中にいる。
事故の少し前から録画していたなら、その前もあるはずだった。
「将輝に聞く?」
「その前に、授業担当の先生へ確認します」
「どうして?」
「学校のタブレットなら、元のファイルが残ってるかもしれないから」
真紗子は何も言わず、少しだけ口元を上げた。
「何ですか」
「いや。ちゃんと順番考えたなと思って」
「褒めないでください」
「どうして」
「貴嗣の気持ちがちょっと分かったので」
萌菜美は動画を停止した。
十二秒。
その前に何秒あるのかは、まだ知らない。
でも、記事を書くなら知らなければならない。
英雄を作るためでも、被害者を救うためでもなく。
少なくとも、自分が何を見ていないのかを知るために。
【終】



