七秒の外側

第3話 十二秒の奇跡

 昼休みになっても、教室の話題は体育館から動かなかった。

「もう一回見たい」

「だから、まだ先生が確認してるって」

「将輝、動画あるんだろ?」

 弁当を開けるより先に、何人かが将輝の机を囲んでいた。

 将輝は椅子へ浅く座り、机の上に学校のタブレットを置いている。事故のあと、体育教師と一緒に録画を確認していたため、昼休みの開始に少し遅れて戻ってきた。

「動画自体はある」

「見せて」

「ここで全員集まるの面倒」

「じゃあグループに送って」

 誰かが言った。

 将輝はすぐには答えなかった。

 画面を指でなぞり、録画一覧を開く。

 萌菜美の席からは、動画の長さまでは見えない。

「先生、送っていいって?」

 知正が聞いた。

「クラス内で確認する程度なら止めないって。ただ、勝手に外へ出すなって」

「じゃあ決まり」

「決まりじゃない」

 将輝は冷たく返したが、周りは笑った。

「千馬もいい?」

 知正が今度は本人へ確認する。

 千馬は焼きそばパンの袋を破りながら振り返った。

「俺?」

「映ってる側」

「別に。どうせみんな見てたし」

「貴嗣は?」

「俺に肖像権なんて高級なものある?」

「あるよ」

「じゃあ、なるべく格好悪いところは切って」

「注文多いな」

 貴嗣が笑う。

 将輝はタブレットへ視線を落としたままだった。

 萌菜美は昨日の真紗子の言葉を思い出した。

 公開範囲。

 誰に見せるか。

 何を見せるか。

 記事なら考えるのに、動画になると急に軽くなるのはなぜだろう。

 将輝がイヤホンを片耳につけた。

 元の動画を再生しているらしい。

 指が止まる。

 一度戻す。

 また再生する。

「長い?」

 千馬が聞く。

「事故の前がいらない」

「じゃあ切れば」

「そうする」

 将輝は短く答えた。

 萌菜美は、その会話を聞いた。

 事故の前。

 サーブ練習を撮っていたのだから、不要な時間があるのは当然だと思った。

 将輝は編集画面を開き、両端に表示された白い枠を指で動かした。

「動画編集できるんだ」

 近くの生徒が言う。

「切るだけ。編集ってほどじゃない」

「テロップ入れようぜ。『奇跡の瞬間』」

「寒い」

「スロー再生は?」

「もっと寒い」

 将輝は誰の提案も採用しなかった。

 十数秒ほどして、画面を閉じる。

「送った」

 ほぼ同時に、クラスの何人もの端末が鳴った。

 萌菜美のスマートフォンにも通知が来る。

 クラス連絡用のグループ。

 将輝から動画ファイルが一件。

 再生時間は十二秒だった。

「短っ」

「事故だけならこんなもん」

 将輝はそう言ってタブレットを伏せた。

 萌菜美はイヤホンを出さず、音量を最小にして再生した。

 映像は、千馬が運搬台車の近くにいるところから始まった。

 体勢を崩したように見える。

 少し離れた場所から貴嗣が走ってくる。

 千馬が顔を上げる。

 貴嗣と目が合う。

 腕をつかむ。

 引く。

 倒れる。

 支柱が落ちる。

 十二秒。

 そこで終わった。

「うわ、やっぱやば」

「貴嗣すげえ」

「これ映画じゃん」

 教室のあちこちで同じ十二秒が再生される。

 少しずつずれた金属音が何重にも響く。

 萌菜美は二回目を見た。

 千馬がいる。

 貴嗣が走る。

 千馬と貴嗣が目を合わせる。

 貴嗣が引く。

 支柱が倒れる。

 三回目。

 同じ。

 映像は嘘をついていない。

 でも、萌菜美の記憶には、十二秒より前がある。

 千馬が叫んだ。

 将輝を押した。

 将輝がよろけた。

 それから、千馬が倒れる側へ残った。

 動画には、その部分がない。

 事故の前だから切った。

 将輝はそう言った。

 それ自体は間違っていない。

 千馬が将輝を押した瞬間が事故の前なのか、事故の一部なのか。

 萌菜美には、まだ決められなかった。

「貴嗣、これ保存していい?」

「もうグループにあるだろ」

「記念」

「何の記念だよ」

「人命救助記念」

「けが人ゼロだから人命って言うと盛ってない?」

「お前が引かなかったら分かんなかっただろ」

 貴嗣の笑顔が一瞬だけ止まった。

「そういう仮定、いらない」

「照れんなって」

「照れてない。俺を英雄にすると、事故の原因まで俺が消したみたいになるから」

「何それ」

「何でもない」

 貴嗣は机の上の牛乳を飲んだ。

 知正が隣から何か言いかけたが、結局、口を閉じた。

 萌菜美はその様子を見ていた。

 昨日から、貴嗣と知正は時々、倒れた支柱を見る時と同じ顔をする。

 でも、それが何を意味するのかは分からない。

 分からないものを、意味があるように考えるのはよくない。

 萌菜美はスマートフォンを伏せた。

 昼休みが終わるころには、クラス内の熱も少し下がっていた。

 次の授業は数学だった。

 教師が一次関数の例題を書き始める。

 萌菜美はノートを開いた。

 十分後、机の中でスマートフォンが短く震えた。

 無視する。

 また震える。

 そのあと二回。

 授業中に通知を見るほど急ぎの連絡はない。

 そう思ったが、斜め前の生徒が机の下を見て、小さく「え」と声を漏らした。

 教師が振り返る。

「どうした」

「いえ、何でもないです」

 生徒は慌てて顔を上げた。

 休み時間になった瞬間、教室がざわついた。

「誰か外に上げてる」

「は?」

「動画」

 クラスグループではなく、校外のSNSだった。

 萌菜美も画面を開く。

 検索するまでもなかった。

 友人から共有された投稿が、すでに届いている。

 見覚えのある体育館。

 見覚えのある十二秒。

 投稿文には、

 《体育の授業中に起きた奇跡の瞬間》

 と書かれていた。

 その下に、

 《高校生が同級生を間一髪で救出》

 という説明。

 学校名は書かれていない。

 顔もそれほど鮮明ではない。

 けれど制服や体育館の特徴を知っている人なら分かる。

「誰が上げたの」

「元の投稿、別クラスっぽい」

「うちのグループから回したやついるだろ」

「転載早すぎ」

 将輝が立ち上がった。

 教室の空気が一瞬静かになる。

「消させる」

「もう拡散されてる」

 知正が画面を見ながら言った。

「元消してもコピー残ると思う」

「じゃあどうすんの」

「先生に言う。学校から削除依頼できるかもしれない」

「面倒」

 将輝は舌打ちこそしなかったが、顔にその二文字が出ていた。

 千馬は自分の席で投稿を見ていた。

「俺、めちゃくちゃダサくない?」

「そこ?」

「だって転がされてんじゃん」

「命助かった映像見て最初の感想それ?」

「生きてるから言えるんだよ」

 千馬は笑った。

 その時は、まだ笑っていた。

 投稿の再生回数は、萌菜美が最初に見た時は二千台だった。

 十分後には五千を超えた。

 放課後には一万を超えた。

 コメントも増えていた。

 《反応速すぎ》
 《助けた子かっこいい》
 《これ普通に死んでた可能性ある》
 《こういう時に動ける人すごい》
 《高校生なのに判断力えぐい》

 貴嗣への言葉は、ほとんどが称賛だった。

「有名人」

 帰りのホームルーム前、誰かが貴嗣に言う。

「やめろって」

「もう学校内でも回ってるぞ」

「知らない人からフォロー来た?」

「来ても承認しない」

「もったいな」

「何が」

 貴嗣は机に頬杖をついた。

 褒められるたびに、嬉しそうというより、居場所が少しずつ狭くなっているように見えた。

 萌菜美はコメントを下へ送る。

 称賛ばかりではなかった。

 《そもそも何でこんな危ないところにいるの》
 《助けられた側がふざけて入ったんじゃね?》
 《体育で調子乗るやついるよな》
 《こういう迷惑なやつのために助けた側がけがしたら最悪》

 最初は数件だった。

 そのうち、千馬らしき人物へ向けた言葉が増えた。

 十二秒の冒頭。

 千馬は、すでに台車の近くにいる。

 その前に何をしていたかは映っていない。

 だから、危険な場所へ自分から入ったようにも見える。

「何これ」

 千馬の声がした。

 笑っていなかった。

 知正がすぐ隣へ行く。

「見なくていい」

「俺のことだろ」

「顔も名前も出てない」

「俺には分かる」

 千馬は画面を指で上へ送った。

「『ふざけてた』って誰が見たんだよ」

 返事をする人はいなかった。

 クラスメートの誰も、千馬がふざけて台車の近くへ行ったとは言っていない。

 体育館にいた萌菜美も、そんな場面は見ていない。

 それなのに、コメント欄では話が少しずつ完成していく。

 危険な生徒がいた。

 無謀な行動をした。

 英雄が救った。

 十二秒しかないのに、その前後まで知っているような文章が並ぶ。

「削除依頼、出してる」

 将輝が言った。

「先生にも言った」

「お前のせいじゃないだろ」

 千馬が返す。

 将輝は一瞬、千馬を見た。

「俺が送った」

「クラスにだろ」

「でも元は俺」

「じゃあ最初に撮ったタブレット作った会社まで責任取らせる?」

「そういう話じゃない」

「じゃあ、どういう話だよ」

 千馬の声が大きくなった。

 教室に残っていた生徒たちが視線を向ける。

 千馬はそれに気づき、舌を鳴らしてスマートフォンをポケットへ押し込んだ。

「もういい」

 鞄を肩にかける。

「帰る」

「千馬」

 知正が呼んだ。

「明日な」

 千馬は振り返らずに出ていった。

 貴嗣も自分の画面を見ていた。

 称賛の投稿を開いている。

 《本物の英雄》
 《こういう人が友達だったら安心》
 《学校は表彰すべき》

「表彰だって」

 近くの生徒が笑う。

 貴嗣は笑わなかった。

「俺、そんなに正しいことしたように見える?」

「助けたんだから正しいだろ」

「十二秒ではね」

 萌菜美は顔を上げた。

 貴嗣はそれ以上何も言わず、画面を閉じた。

 十二秒では。

 その言葉だけが残った。

 放課後、新聞部室へ行くと、真紗子がすでに例の投稿を見ていた。

「すごいことになったね」

「すごい、でいいんですか」

「よくない意味も含めて」

 萌菜美は鞄を置いた。

 パソコンを開く前に、自分のスマートフォンでもう一度投稿を見る。

 再生回数はさらに増えていた。

 称賛。
 批判。
 驚き。
 推測。

 一つの動画の下に、見知らぬ人たちの断言が積み重なっている。

「昨日、題材決まってないって言ってたよね」

 真紗子が言った。

 萌菜美は画面から目を離さなかった。

「はい」

「今は?」

 すぐには答えなかった。

 レビューする。

 評価する。

 良い、悪い。
 正しい、間違い。

 昨日、自分は星を全部消した。

 でも画面の中では、誰も星を使わずに人へ点数をつけている。

「……決まったかもしれません」

「何をレビューする?」

 萌菜美は十二秒の動画を停止した。

 千馬が倒れる直前。

 貴嗣が走ってくる直前。

 画面の外に、萌菜美が見たはずの出来事がある。

「この『奇跡』です」

 真紗子は、しばらく萌菜美を見た。

「称賛記事?」

「まだ分かりません」

「じゃあ?」

「分からないから、確認します」

 萌菜美は新しい取材ノートを開いた。

 一行目に日付を書く。

 二行目に題材を書く。

 ――体育の授業中に起きた奇跡の瞬間。

 その下に、もう一行。

 ――動画は十二秒。

 そこでペンが止まった。

 十二秒で、人ひとりを英雄にできる。

 十二秒で、別のひとりを迷惑な人間にもできる。

 それが正しいかどうかを決めるには、萌菜美にはまだ、知らないことが多すぎた。
【終】