第24話 正解のない確認
《七秒の外側》を公開して三日経っても、何も元には戻らなかった。
貴嗣を「英雄」と呼ぶ人は、まだいた。
同時に、
《でも確認サボったんだろ》
と言う人もいた。
将輝は、
《動画を編集した人》
と呼ばれることがあった。
記事には理由まで書いた。
映像を捏造したわけではないことも書いた。
それでも、一度ついた呼び方は簡単には消えなかった。
千馬についても、
《実は助けてた人》
という新しい言い方が広がった。
本人はそれを嫌がった。
「結局、呼び名変わっただけじゃん」
昼休み、千馬が言った。
「ごめん」
「記事は別にいい」
「でも」
「読むやつが勝手に言うのまで止められないだろ」
「うん」
「俺も、もう全部直そうとするのやめる」
「諦める?」
「違う」
千馬はパンの袋を丸めた。
「違うこと言われたら違うって言う。でも、全員に同じこと思わせるのは無理」
萌菜美はうなずいた。
「あと」
「何?」
「俺が将輝押したの、全部正しかったとはまだ思ってないから」
「自分が危険な側に残った」
「そう」
「記事にも、英雄って書いてない」
「そこはよかった」
「星なし」
「最初からそうしろ」
「最初からそのつもりだった」
「途中でめちゃくちゃつけてただろ」
千馬が笑った。
萌菜美も笑った。
隣の席では、将輝が進路資料を読んでいた。
「面談、どうなった?」
千馬が聞く。
「続いてる」
「推薦?」
「出す」
「記事のこと聞かれた?」
「聞かれた」
「何て言った」
「自分で七秒切った。理由も説明した。学校の映像を捏造したわけではない。新聞記事にも同じことが書いてある」
「それで?」
「先生は『分かった』って」
「じゃあ大丈夫?」
将輝は少し考えた。
「分からない」
その言葉に、萌菜美が顔を上げた。
将輝は気づく。
「何」
「いや」
「『分からない』って言った」
「分からないから」
「いいと思う」
「何が」
「そのままで」
将輝は少しだけ眉をひそめた。
「最近それ好きだね」
「前は嫌いだった」
「知ってる」
将輝は資料へ戻った。
放課後、知正が新聞部室へ来た。
手には、公開された記事の紙版がある。
「これ、もらっていい?」
「どうぞ」
「部活の顧問にも見せたい」
「なんで?」
「事故の説明、またするから」
「必要?」
「一応」
知正は記事を折らずに鞄へ入れた。
「前はさ」
「うん」
「何も言わないほうが、みんな楽だと思ってた」
萌菜美は椅子から顔を上げた。
「事故のあと?」
「うん。学校には話したし、クラスで言わなくてもいいかなって」
「千馬の七秒も?」
「それも」
「本人が言ってないことを勝手に言えないって」
「そう」
知正は机の端へ腰を預けた。
「今も、それは間違ってないと思う」
「黙るほうがいい時もある?」
「あると思う」
「じゃあ何が変わった?」
「誰のために黙るか、考えるようになった」
萌菜美は黙って聞いた。
「本人を守るために言わないのと、自分が面倒だから言わないの、同じ沈黙に見えるけど違う」
「知正は?」
「最初、半分は自分が怖かった」
「確認不足のこと?」
「うん」
「今は?」
「必要なら言う」
知正は記事の入った鞄を軽く叩いた。
「でも、何でも全部言えばいいとも思わない」
「難しいね」
「だから正解ないんじゃない?」
「それで締めるの禁止」
「なんで」
「便利だから」
知正が笑った。
「じゃあ、毎回確認する」
「それならいい」
「厳しいなあ」
数日後。
事故以来、初めて同じ支柱を使う体育の授業があった。
体育館へ入ると、台車は壁際に置かれていた。
支柱。
固定ベルト。
ロック部。
全部、前と同じ形に見える。
でも、授業前の空気は少し違った。
体育教師が全員を集める。
「今日から、器具移動の確認手順を変える」
支柱を運ぶ生徒。
固定する生徒。
確認する生徒。
役割を分ける。
最後に二人以上で目視と指差し確認。
固定状態に異常があれば、その場で教師を呼ぶ。
「分かったか」
クラス全員が返事をする。
「声小さい」
教師が言う。
「もう一回」
「はい!」
体育館に声が響いた。
千馬が隣で笑う。
「事故のあとって、こうなるよな」
「うるさいくらいでいい」
知正が言う。
「今回はね」
将輝は固定台にタブレットを置かなかった。
「撮らないの?」
萌菜美が聞く。
「今日はいい」
「どうして」
「別に」
それ以上は聞かなかった。
撮らない理由を、萌菜美が決める必要はない。
授業前。
貴嗣と知正が支柱のそばへ行った。
教師が二人へ声をかける。
「固定確認」
貴嗣がベルトへ手をかける。
知正が横から見る。
二人で引っ張る。
ロックを見る。
目で追う。
そして、
「固定よし」
「固定よし」
二人の声が重なった。
体育館の端まで聞こえた。
千馬が手を叩く。
「でか」
「うるさいくらいでいいんだろ」
知正が返す。
「お前が言ったんだろ」
貴嗣も笑う。
教師がもう一度、自分で固定を確認した。
「よし」
それから授業が始まった。
サーブ練習。
ボールの音。
シューズが床を擦る音。
誰かの笑い声。
あの日と同じ体育館。
同じ場所。
でも、同じではない。
萌菜美は壁際で順番を待っていた。
ふと、貴嗣と目が合った。
あの日。
千馬と貴嗣が目を合わせた。
その意味を、萌菜美は映像から何度も考えた。
助けを求めた。
分かった。
動けないと伝えた。
信頼した。
いくらでも解釈できた。
でも、本人たちに確認できない意味まで記事には書かなかった。
今。
貴嗣がこちらを見る。
萌菜美も見る。
何秒かは分からない。
貴嗣が少し笑った。
萌菜美も笑った。
それだけ。
何を伝えたのか。
何を分かり合ったのか。
書こうと思えば、いくらでも書ける。
事故が終わった。
許し合った。
成長した。
正解を見つけた。
でも、どれも確認していない。
だから萌菜美は、心の中で一行だけ書いた。
《意味は分からない。二人とも笑った。》
それで十分だった。
【終】
【完】
《七秒の外側》を公開して三日経っても、何も元には戻らなかった。
貴嗣を「英雄」と呼ぶ人は、まだいた。
同時に、
《でも確認サボったんだろ》
と言う人もいた。
将輝は、
《動画を編集した人》
と呼ばれることがあった。
記事には理由まで書いた。
映像を捏造したわけではないことも書いた。
それでも、一度ついた呼び方は簡単には消えなかった。
千馬についても、
《実は助けてた人》
という新しい言い方が広がった。
本人はそれを嫌がった。
「結局、呼び名変わっただけじゃん」
昼休み、千馬が言った。
「ごめん」
「記事は別にいい」
「でも」
「読むやつが勝手に言うのまで止められないだろ」
「うん」
「俺も、もう全部直そうとするのやめる」
「諦める?」
「違う」
千馬はパンの袋を丸めた。
「違うこと言われたら違うって言う。でも、全員に同じこと思わせるのは無理」
萌菜美はうなずいた。
「あと」
「何?」
「俺が将輝押したの、全部正しかったとはまだ思ってないから」
「自分が危険な側に残った」
「そう」
「記事にも、英雄って書いてない」
「そこはよかった」
「星なし」
「最初からそうしろ」
「最初からそのつもりだった」
「途中でめちゃくちゃつけてただろ」
千馬が笑った。
萌菜美も笑った。
隣の席では、将輝が進路資料を読んでいた。
「面談、どうなった?」
千馬が聞く。
「続いてる」
「推薦?」
「出す」
「記事のこと聞かれた?」
「聞かれた」
「何て言った」
「自分で七秒切った。理由も説明した。学校の映像を捏造したわけではない。新聞記事にも同じことが書いてある」
「それで?」
「先生は『分かった』って」
「じゃあ大丈夫?」
将輝は少し考えた。
「分からない」
その言葉に、萌菜美が顔を上げた。
将輝は気づく。
「何」
「いや」
「『分からない』って言った」
「分からないから」
「いいと思う」
「何が」
「そのままで」
将輝は少しだけ眉をひそめた。
「最近それ好きだね」
「前は嫌いだった」
「知ってる」
将輝は資料へ戻った。
放課後、知正が新聞部室へ来た。
手には、公開された記事の紙版がある。
「これ、もらっていい?」
「どうぞ」
「部活の顧問にも見せたい」
「なんで?」
「事故の説明、またするから」
「必要?」
「一応」
知正は記事を折らずに鞄へ入れた。
「前はさ」
「うん」
「何も言わないほうが、みんな楽だと思ってた」
萌菜美は椅子から顔を上げた。
「事故のあと?」
「うん。学校には話したし、クラスで言わなくてもいいかなって」
「千馬の七秒も?」
「それも」
「本人が言ってないことを勝手に言えないって」
「そう」
知正は机の端へ腰を預けた。
「今も、それは間違ってないと思う」
「黙るほうがいい時もある?」
「あると思う」
「じゃあ何が変わった?」
「誰のために黙るか、考えるようになった」
萌菜美は黙って聞いた。
「本人を守るために言わないのと、自分が面倒だから言わないの、同じ沈黙に見えるけど違う」
「知正は?」
「最初、半分は自分が怖かった」
「確認不足のこと?」
「うん」
「今は?」
「必要なら言う」
知正は記事の入った鞄を軽く叩いた。
「でも、何でも全部言えばいいとも思わない」
「難しいね」
「だから正解ないんじゃない?」
「それで締めるの禁止」
「なんで」
「便利だから」
知正が笑った。
「じゃあ、毎回確認する」
「それならいい」
「厳しいなあ」
数日後。
事故以来、初めて同じ支柱を使う体育の授業があった。
体育館へ入ると、台車は壁際に置かれていた。
支柱。
固定ベルト。
ロック部。
全部、前と同じ形に見える。
でも、授業前の空気は少し違った。
体育教師が全員を集める。
「今日から、器具移動の確認手順を変える」
支柱を運ぶ生徒。
固定する生徒。
確認する生徒。
役割を分ける。
最後に二人以上で目視と指差し確認。
固定状態に異常があれば、その場で教師を呼ぶ。
「分かったか」
クラス全員が返事をする。
「声小さい」
教師が言う。
「もう一回」
「はい!」
体育館に声が響いた。
千馬が隣で笑う。
「事故のあとって、こうなるよな」
「うるさいくらいでいい」
知正が言う。
「今回はね」
将輝は固定台にタブレットを置かなかった。
「撮らないの?」
萌菜美が聞く。
「今日はいい」
「どうして」
「別に」
それ以上は聞かなかった。
撮らない理由を、萌菜美が決める必要はない。
授業前。
貴嗣と知正が支柱のそばへ行った。
教師が二人へ声をかける。
「固定確認」
貴嗣がベルトへ手をかける。
知正が横から見る。
二人で引っ張る。
ロックを見る。
目で追う。
そして、
「固定よし」
「固定よし」
二人の声が重なった。
体育館の端まで聞こえた。
千馬が手を叩く。
「でか」
「うるさいくらいでいいんだろ」
知正が返す。
「お前が言ったんだろ」
貴嗣も笑う。
教師がもう一度、自分で固定を確認した。
「よし」
それから授業が始まった。
サーブ練習。
ボールの音。
シューズが床を擦る音。
誰かの笑い声。
あの日と同じ体育館。
同じ場所。
でも、同じではない。
萌菜美は壁際で順番を待っていた。
ふと、貴嗣と目が合った。
あの日。
千馬と貴嗣が目を合わせた。
その意味を、萌菜美は映像から何度も考えた。
助けを求めた。
分かった。
動けないと伝えた。
信頼した。
いくらでも解釈できた。
でも、本人たちに確認できない意味まで記事には書かなかった。
今。
貴嗣がこちらを見る。
萌菜美も見る。
何秒かは分からない。
貴嗣が少し笑った。
萌菜美も笑った。
それだけ。
何を伝えたのか。
何を分かり合ったのか。
書こうと思えば、いくらでも書ける。
事故が終わった。
許し合った。
成長した。
正解を見つけた。
でも、どれも確認していない。
だから萌菜美は、心の中で一行だけ書いた。
《意味は分からない。二人とも笑った。》
それで十分だった。
【終】
【完】



