七秒の外側

第23話 七秒の外側

 翌朝、萌菜美はいつもより早く新聞部室へ行った。

 再構成稿を開く。

 昨日までに、当事者四人の確認は終わっている。

 学校の安全確認結果も反映した。

 共有設定も閉じている。

 それでも、最初から読む。

 題名は最後まで空欄だった。

 本文の最初。

 《確認できたこと》

 事故前、貴嗣と知正は使用しない支柱を運搬台車へ戻した。

 二人で行うべき固定後の指差し確認は行われなかった。

 授業中、支柱が動き始めた。

 千馬が将輝を危険な位置から押し出した。

 その直後、貴嗣が千馬を引いた。

 支柱が倒れた。

 けが人はいなかった。

 事故後、固定ベルトは正常な固定状態ではなかった。

 将輝は十九秒の元映像から冒頭七秒を除き、十二秒の送信用コピーを作った。
 確認できている編集は冒頭七秒の削除であり、映像内容を新たに追加・合成した事実は確認されていない。

 全部、確認済み。

 次。

 《当事者が話したこと》

 将輝は、七秒を除いた理由について、自分が危険に気づけず動けなかった場面を見られたくなかったためだと説明している。

 千馬は、自分が将輝を押した行動を、新しい英雄像として扱うことを望んでいない。

 貴嗣と知正は、共同確認を省いた事実を記事へ記載することに同意している。

 次。

 《確認できていないこと》

 固定不十分が、いつ生じたのか。

 どの操作が、直接の原因だったのか。

 共同確認をしていれば、事故を確実に防げたのか。

 そこは、昨日と同じ。

 消さない。

 最後。

 《訂正とお詫び》

 ここだけ、萌菜美は声に出して読んだ。

「本記事の作成途中、新聞部の共有設定確認が不十分だったため、未完成原稿へ校内アカウントから到達できる状態を残しました」

 次。

「その結果、当事者確認前の文章の一部が画面保存され、前後の説明を欠いた状態で校内へ共有されました」

 次。

「流出した文章に含まれていた事実そのものと、それによって広がった評価は同一ではありません」

 一度止まる。

 この一文は、何度も直した。

 最初は、

 《流出した文章は事実でした》

 と書いた。

 消した。

 それでは、自分を守る文になる。

 次に、

 《流出した内容は誤解されました》

 と書いた。

 それも消した。

 誤解した側だけの問題に見える。

 最終的に残したのは、

 《未完成の文章を外部から閲覧できる状態にしたことは、作成者である私の確認不足です。私はその責任を負い、当事者へ謝罪します。》

 だった。

 そのあとに、

 《一方、画面保存された一文だけでは伝わらない条件や未確認事項がありました。本記事では、それらを分けて記載します。》

 と続く。

「ここまで?」

 背後から真紗子の声がした。

「今、最後です」

「早いね」

「眠れなかったので」

「寝て」

「今日出したら寝ます」

 真紗子が隣へ座る。

「結びは?」

 萌菜美は画面を下へ送った。

 最後の段落。

 《十二秒の動画を見た時、貴嗣を英雄だと呼ぶ声があった。千馬を無謀だと決める声もあった。》

 《十九秒の元映像を確認すると、十二秒にはなかった行動が見えた。》

 《さらに、将輝が七秒を除いた理由、貴嗣と知正が共同確認を省いた事実を知るたび、私は「今度こそ誰が正しいか分かった」と思いかけた。》

 《しかし、確認できた行動が増えても、一人の人間全体に点数をつけられるわけではなかった。》

 最後の一文。

 《分からないことを、分かった人の顔で埋めない。確認できたことだけを残し、間違えたら訂正する。それが今の私に書ける、この事故への批評である。》

 真紗子は最後まで読んだ。

「星は?」

「ありません」

「本当に一個も?」

「つけません」

「誰が正解だったかは?」

「決めません」

「じゃあ、題名」

 萌菜美は空欄へカーソルを置いた。

 十二秒。

 十九秒。

 七秒。

 ずっと、その差を追ってきた。

 でも、本当に書くべきだったのは、消えた七秒の中身だけではない。

 十二秒の外側。

 十九秒の外側。

 映像の外側。

 文章の外側。

 見えている部分の外側。

 萌菜美は打った。

 《七秒の外側》

「それで?」

「はい」

 真紗子がもう一度、全体を読んだ。

 赤ペンは使わない。

 代わりに、画面上で二箇所だけ表記を直した。

 十九秒。

 十二秒。

 数字の全角半角。

「そこ?」

「最後まで直す」

「はい」

 顧問にも最終稿を見せる。

 学校確認部分。

 流出への訂正。

 謝罪。

 顧問は最後に言った。

「公開していい」

 萌菜美はすぐにはボタンを押さなかった。

 共有設定。

 公開範囲。

 紙面掲載設定。

 リンク先。

 全部確認する。

「今度は?」

 真紗子が聞く。

「確認済み」

「じゃあ」

 萌菜美は公開ボタンを押した。

 短評欄が再開した。

 見出し。

 《七秒の外側》

 星はない。

 誰かを英雄と呼ぶ文字もない。

 誰かを犯人と決める文字もない。

 確認できたこと。

 本人が話したこと。

 確認できないこと。

 そして、自分の確認不足への訂正と謝罪。

 それだけだった。

 公開から十分。

 反応は少ない。

 二十分。

 少し増える。

 《結局、原因分からないの?》

 という書き込みがあった。

 萌菜美は画面を見た。

「来た」

「何が?」

「分からないの?って」

「何て返す?」

「返しません」

「どうして」

「記事に書いてあるから」

 真紗子が笑った。

「成長した」

「今回は褒めていいです」

「じゃあ、成長した」

 別の反応。

 《千馬も助けてたんだ》

 その次。

 《じゃあ千馬が英雄?》

 萌菜美は画面を見た。

 返さない。

 記事には、

 行動を記載している。

 評価は記載していない。

 千馬との約束も守っている。

 さらに。

 《将輝、やっぱ切ってたのか》

 《でも理由まで書いてある》

 《貴嗣と知正、確認してなかったのは事実なんだ》

 《原因は別ってこと?》

 反応は、きれいに一つへ揃わなかった。

 それでよかった。

「みんな同じ答えにならないね」

 真紗子が言う。

「ならなくていいです」

 萌菜美は答えた。

「記事の中の事実だけ同じなら」

 夕方。

 貴嗣からメッセージが来た。

 《読んだ》

 千馬から。

 《星なくてよかった》

 知正から。

 《分からない、ちゃんと残ってた》

 将輝からは、

 《確認した》

 だけだった。

 萌菜美は一人ずつ返信した。

 ありがとう。

 それ以上は書かなかった。

 自分の記事が誰かを完全に救ったとは思わない。

 千馬への書き込みが全部消えたわけではない。

 将輝への「編集した人」という見方も残る。

 貴嗣への英雄扱いも、知正への責任追及も、ゼロにはならない。

 訂正したから、元に戻るわけではない。

 十四年前の新聞と同じ。

 それでも、訂正を残す。

 分からないものを分からないと残す。

 誰か一人の星で終わらせない。

 萌菜美は公開された紙面をもう一度見た。

 題名。

 《七秒の外側》

 その下にあるのは、正解ではなかった。

 正解を作らなかった記録だった。
【終】