第22話 出さないという選択
学校から連絡が来たのは、翌日の昼休みだった。
新聞部顧問に呼ばれ、萌菜美と真紗子は職員室横の小会議室へ入った。
体育教師と教頭がいた。
机の上には、事故後から学校がまとめている安全確認資料のファイルが置かれている。
「新聞の記事について」
教頭が言った。
「現時点では、掲載を待ってほしい」
萌菜美はすぐには返事をしなかった。
以前なら、
どこまで待つのか。
何がまだ決まっていないのか。
学校が都合の悪いことを隠そうとしていないか。
先にそう考えたと思う。
「理由を確認していいですか」
「もちろん」
「記事内容に問題があるからですか」
「そうではない」
教頭は資料を開いた。
「学校側の安全確認結果が、まだ最終承認前なんだ」
「途中経過は体育の先生から聞いています」
「それは承知している」
「固定ベルトが正常な状態ではなかったこと。貴嗣と知正が共同確認をしていなかったこと。直接原因は特定できていないこと」
「そこまでは変わっていない」
「じゃあ」
「変わっていないことと、確定報告として出せることは別だ」
千馬の言葉が浮かんだ。
事実なら、途中でも流していいのか。
萌菜美は口を閉じた。
「最終結果はいつ出ますか」
「明日の放課後を予定している」
一日。
記事はもう書けている。
四人の確認も取った。
共有設定も直した。
短評欄は停止中。
一日待てば、学校側の確認結果もそろう。
「分かりました」
萌菜美は言った。
真紗子が横を見る。
「待ちます」
教頭が少しだけ意外そうな顔をした。
「ありがとう」
「ただ」
萌菜美はノートを開いた。
「最終結果が出たら、記事に使うための事実確認をさせてください」
「それは構わない」
「報告書そのものは見られますか」
「生徒へ開示できる範囲を整理する」
「分かりました」
萌菜美はそこまで記録し、ノートを閉じた。
会議室を出てから、真紗子が言った。
「すぐ納得したね」
「一日なので」
「一週間だったら?」
「理由を聞きます」
「一か月?」
「もっと聞きます」
「じゃあ、待てる人になったわけじゃない」
「理由が確認できれば待てます」
真紗子が笑った。
「そっちのほうがいい」
放課後。
萌菜美は再構成稿を開かなかった。
開けば直したくなる。
直せば出したくなる。
だから、事故記事とは別の校内記事の校正をした。
図書委員会から届いた新着本紹介。
文化部の発表日程。
体育祭の実行委員募集。
事故とは関係のない文章。
以前なら退屈だと思ったかもしれない。
今は、一つずつ確認する作業がありがたかった。
「珍しい」
真紗子が言う。
「何が」
「事故記事開かないの」
「待つって決めたので」
「気にならない?」
「気になります」
「じゃあ開けば」
「開いたら触るから嫌です」
萌菜美は図書委員会の記事へ戻った。
掲載冊数。
貸出開始日。
紹介文の著者名。
全部確認する。
その途中でスマートフォンが震えた。
貴嗣からだった。
《記事どうなった?》
萌菜美は、
《学校の安全確認結果が明日出るので、それまで掲載待ち》
と返した。
すぐに、
《了解》
と来た。
少しして、もう一通。
《急がなくていい》
萌菜美は画面を見た。
貴嗣にそう言われると、少し悔しい。
でも、その悔しさも急ぐ理由にはならない。
《分かってる》
と返した。
翌日の放課後。
同じ小会議室。
教頭、体育教師、顧問。
今度は正式な安全確認結果の要点が一枚にまとめられていた。
「確認していいですか」
「どうぞ」
萌菜美は上から読む。
事故発生時、運搬台車上の支柱固定ベルトは正常な固定状態ではなかった。
事故前、担当生徒二名は、本来二人で行うべき固定後の指差し確認を実施していなかった。
ただし、事故前の固定状態を直接示す記録はなく、
固定不足が、
最初から締結不十分だったのか。
ロック部の噛み込みによるものか。
移動の過程で緩みが生じたのか。
その他の要因によるものか。
特定できない。
結論。
《支柱固定が不十分な状態であったこと、および所定の共同確認が実施されなかったことは確認された。一方、固定不十分が生じた直接原因は特定できなかった。》
萌菜美はその一文を二回読んだ。
事故の時系列を作り直した時、机に残した赤い付箋。
直接原因。
発生時点。
誰の操作だったか。
学校の最終結果でも、赤いままだった。
「ここは、変わらなかったんですね」
「変わらなかった」
体育教師が答える。
「分からないまま?」
「調べられる範囲では、そこまでだ」
萌菜美はノートに書いた。
《学校最終確認:直接原因は特定できず》
以前なら、残念だと思ったはずだった。
記事の最後に置ける答えがない。
犯人もいない。
真相という一語でまとめられる結論もない。
でも今は、
「分かりました」
と言えた。
「記事には、この結論をそのまま使いたいです」
「表現は確認させてくれ」
「もちろんです」
「二人の確認省略も書く?」
体育教師が聞く。
「書きます」
「直接原因が分からないことも?」
「同じくらいはっきり書きます」
「なら」
体育教師はうなずいた。
「学校として事実関係に異議はない」
萌菜美はその言葉も記録した。
部室へ戻る。
再構成稿を開く。
《確認できていないこと》
固定不十分になった直接原因。
いつ不完全な状態になったか。
誰か一人の操作が、支柱転倒へ直接つながったか。
消さない。
学校の最終結果が出ても、消えなかったから。
その上へ、学校確認済みの印をつける。
「出せる?」
真紗子が聞く。
「まだ最後の確認」
「誰に?」
「全員」
「一昨日やったよ」
「学校の最終結果が入ったので」
「なるほど」
萌菜美は四人へ、変更箇所だけを送った。
直接原因未特定。
学校の安全確認結果でも同じ結論だったこと。
ほかの本文は、前回確認から変更なし。
一人ずつ返事が来る。
千馬。
《了解》
将輝。
《確認した》
貴嗣。
《問題なし》
知正。
《これなら大丈夫》
萌菜美は最後の返信まで待った。
全員そろってから、公開準備のフォルダへ移す。
共有設定。
個別共有。
一般アクセス。
親フォルダ。
一つずつ確認する。
「出す?」
真紗子がもう一度聞いた。
萌菜美は公開ボタンを見た。
「今日は出しません」
「どうして」
「最終稿を明日、頭が冷えた状態でもう一回読みます」
「締切は?」
「間に合います」
「じゃあそうしよう」
萌菜美は画面を閉じた。
待てるのは、何もしないからではない。
確認するものが残っているなら、出さない。
その選択も、記事を書く仕事の一部だった。
【終】
学校から連絡が来たのは、翌日の昼休みだった。
新聞部顧問に呼ばれ、萌菜美と真紗子は職員室横の小会議室へ入った。
体育教師と教頭がいた。
机の上には、事故後から学校がまとめている安全確認資料のファイルが置かれている。
「新聞の記事について」
教頭が言った。
「現時点では、掲載を待ってほしい」
萌菜美はすぐには返事をしなかった。
以前なら、
どこまで待つのか。
何がまだ決まっていないのか。
学校が都合の悪いことを隠そうとしていないか。
先にそう考えたと思う。
「理由を確認していいですか」
「もちろん」
「記事内容に問題があるからですか」
「そうではない」
教頭は資料を開いた。
「学校側の安全確認結果が、まだ最終承認前なんだ」
「途中経過は体育の先生から聞いています」
「それは承知している」
「固定ベルトが正常な状態ではなかったこと。貴嗣と知正が共同確認をしていなかったこと。直接原因は特定できていないこと」
「そこまでは変わっていない」
「じゃあ」
「変わっていないことと、確定報告として出せることは別だ」
千馬の言葉が浮かんだ。
事実なら、途中でも流していいのか。
萌菜美は口を閉じた。
「最終結果はいつ出ますか」
「明日の放課後を予定している」
一日。
記事はもう書けている。
四人の確認も取った。
共有設定も直した。
短評欄は停止中。
一日待てば、学校側の確認結果もそろう。
「分かりました」
萌菜美は言った。
真紗子が横を見る。
「待ちます」
教頭が少しだけ意外そうな顔をした。
「ありがとう」
「ただ」
萌菜美はノートを開いた。
「最終結果が出たら、記事に使うための事実確認をさせてください」
「それは構わない」
「報告書そのものは見られますか」
「生徒へ開示できる範囲を整理する」
「分かりました」
萌菜美はそこまで記録し、ノートを閉じた。
会議室を出てから、真紗子が言った。
「すぐ納得したね」
「一日なので」
「一週間だったら?」
「理由を聞きます」
「一か月?」
「もっと聞きます」
「じゃあ、待てる人になったわけじゃない」
「理由が確認できれば待てます」
真紗子が笑った。
「そっちのほうがいい」
放課後。
萌菜美は再構成稿を開かなかった。
開けば直したくなる。
直せば出したくなる。
だから、事故記事とは別の校内記事の校正をした。
図書委員会から届いた新着本紹介。
文化部の発表日程。
体育祭の実行委員募集。
事故とは関係のない文章。
以前なら退屈だと思ったかもしれない。
今は、一つずつ確認する作業がありがたかった。
「珍しい」
真紗子が言う。
「何が」
「事故記事開かないの」
「待つって決めたので」
「気にならない?」
「気になります」
「じゃあ開けば」
「開いたら触るから嫌です」
萌菜美は図書委員会の記事へ戻った。
掲載冊数。
貸出開始日。
紹介文の著者名。
全部確認する。
その途中でスマートフォンが震えた。
貴嗣からだった。
《記事どうなった?》
萌菜美は、
《学校の安全確認結果が明日出るので、それまで掲載待ち》
と返した。
すぐに、
《了解》
と来た。
少しして、もう一通。
《急がなくていい》
萌菜美は画面を見た。
貴嗣にそう言われると、少し悔しい。
でも、その悔しさも急ぐ理由にはならない。
《分かってる》
と返した。
翌日の放課後。
同じ小会議室。
教頭、体育教師、顧問。
今度は正式な安全確認結果の要点が一枚にまとめられていた。
「確認していいですか」
「どうぞ」
萌菜美は上から読む。
事故発生時、運搬台車上の支柱固定ベルトは正常な固定状態ではなかった。
事故前、担当生徒二名は、本来二人で行うべき固定後の指差し確認を実施していなかった。
ただし、事故前の固定状態を直接示す記録はなく、
固定不足が、
最初から締結不十分だったのか。
ロック部の噛み込みによるものか。
移動の過程で緩みが生じたのか。
その他の要因によるものか。
特定できない。
結論。
《支柱固定が不十分な状態であったこと、および所定の共同確認が実施されなかったことは確認された。一方、固定不十分が生じた直接原因は特定できなかった。》
萌菜美はその一文を二回読んだ。
事故の時系列を作り直した時、机に残した赤い付箋。
直接原因。
発生時点。
誰の操作だったか。
学校の最終結果でも、赤いままだった。
「ここは、変わらなかったんですね」
「変わらなかった」
体育教師が答える。
「分からないまま?」
「調べられる範囲では、そこまでだ」
萌菜美はノートに書いた。
《学校最終確認:直接原因は特定できず》
以前なら、残念だと思ったはずだった。
記事の最後に置ける答えがない。
犯人もいない。
真相という一語でまとめられる結論もない。
でも今は、
「分かりました」
と言えた。
「記事には、この結論をそのまま使いたいです」
「表現は確認させてくれ」
「もちろんです」
「二人の確認省略も書く?」
体育教師が聞く。
「書きます」
「直接原因が分からないことも?」
「同じくらいはっきり書きます」
「なら」
体育教師はうなずいた。
「学校として事実関係に異議はない」
萌菜美はその言葉も記録した。
部室へ戻る。
再構成稿を開く。
《確認できていないこと》
固定不十分になった直接原因。
いつ不完全な状態になったか。
誰か一人の操作が、支柱転倒へ直接つながったか。
消さない。
学校の最終結果が出ても、消えなかったから。
その上へ、学校確認済みの印をつける。
「出せる?」
真紗子が聞く。
「まだ最後の確認」
「誰に?」
「全員」
「一昨日やったよ」
「学校の最終結果が入ったので」
「なるほど」
萌菜美は四人へ、変更箇所だけを送った。
直接原因未特定。
学校の安全確認結果でも同じ結論だったこと。
ほかの本文は、前回確認から変更なし。
一人ずつ返事が来る。
千馬。
《了解》
将輝。
《確認した》
貴嗣。
《問題なし》
知正。
《これなら大丈夫》
萌菜美は最後の返信まで待った。
全員そろってから、公開準備のフォルダへ移す。
共有設定。
個別共有。
一般アクセス。
親フォルダ。
一つずつ確認する。
「出す?」
真紗子がもう一度聞いた。
萌菜美は公開ボタンを見た。
「今日は出しません」
「どうして」
「最終稿を明日、頭が冷えた状態でもう一回読みます」
「締切は?」
「間に合います」
「じゃあそうしよう」
萌菜美は画面を閉じた。
待てるのは、何もしないからではない。
確認するものが残っているなら、出さない。
その選択も、記事を書く仕事の一部だった。
【終】



