七秒の外側

第18話 嘘ではなかった

 新聞部顧問は、部室へ入るなり椅子を三つ並べた。

「座ろう」

 萌菜美と真紗子が向かいに座る。

 机の上には、流出した二種類の画面保存が印刷されていた。

 一枚目。

 《送信用コピーを作った将輝は、元映像の冒頭七秒を自分の判断で切ったことを認めている。》

 二枚目。

 《二人はこの共同確認を行っていなかった。》

 顧問はその二枚をしばらく見てから言った。

「まず、短評欄は一時停止する」

 萌菜美は顔を上げた。

「事故の記事だけですか」

「短評欄そのもの」

「いつまで」

「少なくとも、今回の流出への対応と、原稿管理の見直しが終わるまで」

「でも、原稿はまだ公開してません」

「だから問題がない、とはならない」

 言い方は穏やかだった。

「未公開の原稿へ、生徒が到達できる状態だった。しかも当事者確認前の内容だ」

「設定はもう直しました」

「うん」

「リンクも閉じました」

「うん」

「同じことは起きないようにします」

「それも必要」

 顧問は否定しなかった。

「でも、今は設定を直したから明日から再開、とはできない」

「どうしてですか」

「新聞部が扱っているのは、ファイルだけじゃないから」

 萌菜美は黙った。

「人の話だ」

 机の上の二枚を見る。

「書かれた人がいる。読んだ人がいる。切り取って広めた人がいる。今、校内で別の意味に変わっている」

「でも」

 萌菜美は言った。

「書いてあること自体は、嘘じゃないです」

 部室が静かになった。

 真紗子が萌菜美を見る。

 顧問はすぐには返事をしなかった。

「将輝が七秒を切ったのは事実です。本人にも確認した。貴嗣と知正が共同確認を省いたのも、本人と先生に確認した」

「うん」

「私は、確認できないことは書いてない」

「直接原因が未特定だという文も書いていたね」

「はい」

「だから?」

「だから……」

 萌菜美は言葉を探した。

「文章自体が間違ってたわけじゃない」

 自分で言っていて、胸の奥がざらついた。

 千馬の言葉が浮かぶ。

 ――事実なら途中でも流していいのか。

「間違ってないなら、責任がない?」

 顧問が聞いた。

「そうは言ってません」

「じゃあ、何を守ろうとしてる?」

 萌菜美は答えられなかった。

 顧問は責める口調ではなかった。

 そのぶん、逃げにくかった。

「私は」

 萌菜美は印刷された一文を見る。

「嘘を書いたわけじゃないって」

「うん」

「それは、言いたいです」

「どうして」

「嘘を書いた人みたいにされたくないから」

 口にした瞬間、分かった。

 自分の評価を守ろうとしている。

 将輝が七秒を切った理由を聞いた時。

 自分が動けなかった姿を見られたくなかった。

 将輝は、自分の格好悪さを隠した。

 今の萌菜美も、

 《嘘を書いた人》

 という星をつけられたくなくて、

 《でも嘘ではない》

 とそこだけを守ろうとしている。

「……私も同じ」

 萌菜美が小さく言った。

「何が?」

 真紗子が聞く。

「評価」

 萌菜美は二枚の紙を並べた。

「将輝は七秒を切った。でも、十二秒の中に嘘の映像を足したわけじゃない」

「うん」

「だから将輝も、『捏造した人』って全部決められるのは違う」

「うん」

「私も、嘘を書いてはいない」

 一度止まる。

「でも、それで今回のことが正しくなるわけじゃない」

 顧問がうなずいた。

 萌菜美は二枚目を指した。

「貴嗣と知正が共同確認を省いたのも事実。でも、その一文だけだと、事故原因まで二人だって読まれる」

「実際そうなった」

「はい」

「一文は嘘じゃない」

「はい」

 そこまで言って、完全に分かった。

「同じだ」

 萌菜美は呟いた。

「十二秒と」

 顧問が聞き返す。

「どう同じ?」

「十二秒の動画も、映ってる部分は嘘じゃない」

 貴嗣が走った。

 千馬を引いた。

 支柱が倒れた。

 どれも本当に起きた。

「でも、その前の七秒がないから、千馬が何をしてたか見えなくなった」

 萌菜美は流出した画面保存を見る。

「私の下書きも、切り取られた一文は嘘じゃない」

「うん」

「でも、後ろにある『直接原因は特定されていない』がなくなったら、意味が変わる」

 真紗子が静かに聞いている。

「私は、全文なら大丈夫だと思ってた」

「うん」

「全部読めば、分けて書いてあるから」

「でも全部は読まれなかった」

「はい」

 スクリーンショット。

 短い一文。

 転送。

 そこだけで評価が決まる。

「動画の七秒を切った将輝と、文章を切り取った人は同じではない」

 萌菜美は自分で言った。

「意図も違うかもしれない。そこは分からない」

「うん」

「でも、受け取る側に届く情報が一部だけになって、その一部で人の意味が決まったところは同じ」

 顧問は紙を机へ戻した。

「なら、今やるべきことは?」

「短評欄を続けることじゃない」

 言うと、少し痛かった。

 でも今度は反論しなかった。

「流出した内容の確認。誰に何が届いたか。書かれた人への説明と謝罪。共有設定の見直し」

「記事は?」

「そのあと」

「中止もあり得る」

 萌菜美は一瞬だけ止まった。

「はい」

「それでも?」

「はい」

 顧問はそこで初めて、少し表情を緩めた。

「じゃあ、一時停止」

「分かりました」

 話し合いが終わる。

 顧問が職員室へ戻ったあと、萌菜美は椅子に残った。

「悔しい?」

 真紗子が聞く。

「かなり」

「何が一番?」

「記事が止まること」

「うん」

「あと」

 萌菜美は少し考えた。

「自分で正しいと思って書いた文章が、正しく使われなかったこと」

「それは萌菜美だけでは決められない」

「分かってます」

「ほんと?」

「今は」

 真紗子が少し笑った。

 萌菜美は笑わなかった。

「私、昨日まで、文章の中で事実と未確認を分ければ大丈夫だと思ってた」

「うん」

「でも文章そのものが途中なら、分けた意味まで伝わらない」

「そういうこともある」

「一文だけでも、本当なら大丈夫って思ってた」

「思ってた?」

「たぶん」

 流出に気づいた時も、

 将輝が七秒を切ったことは本当。

 貴嗣と知正が確認を省いたことも本当。

 だから、まず訂正したいのは「捏造」「事故原因」という追加された意味だと思っていた。

 でも、その前にある。

 未完成の文章を外へ出せる状態にしたこと。

 説明と一緒に置くはずだった事実を、単独で持ち出せる場所に置いたこと。

「嘘じゃないから大丈夫、じゃない」

 萌菜美が言う。

「うん」

「本当のことでも、途中だけなら人を間違って決められる」

「うん」

「十二秒みたいに」

 真紗子は何も足さなかった。

 萌菜美はパソコンを開いた。

 短評欄の仮稿は、公開停止ではなく、そもそも未公開。

 それでも今は、編集作業を止める。

 ファイル名の先頭へ、

 《作業停止中》

 と追加した。

 そのあと、別の文書を作る。

 題名。

 《流出した仮稿についての確認記録》

 最初に書いた。

 《仮稿には、確認済みの事実と、未確認事項を区別して記載していた。》

 次。

 《しかし、一部の文章のみを抜き出した画面保存が共有され、本文で併記していた条件や未確定事項が伝わらない状態となった。》

 次。

 《仮稿の共有設定を最後まで確認しなかったことは、作成者である萌菜美の確認不足である。》

 そこで手が止まる。

 《私は嘘を書いていない。》

 と書きたくなった。

 書けば楽になる。

 自分が悪意で誤報を書いたわけではないことを、残せる。

 でも、その一文から始めれば、また自分の評価の話になる。

 萌菜美は書かなかった。

 代わりに、

 《事実であることと、確認途中の状態で外部へ届いてよいことは別である。》

 と書いた。

 保存。

 今度も共有設定を最後まで見る。

 制限付き。

 自分と真紗子だけ。

 親フォルダも制限付き。

「確認しました」

「うん」

「今度は全部」

「うん」

 真紗子が答える。

 萌菜美は画面を閉じた。

 短評欄が止まった。

 自分が一番書きたかった記事も止まった。

 でも、十二秒の動画を批評するなら、

 まず、自分が作った文章の十二秒を見なければならない。

 嘘ではなかった。

 それでも、傷つけた。

 その二つは、同時に成立する。

 萌菜美はようやく、それを同じ行に置けた。
【終】