七秒の外側

第17話 事実なら、途中でもいいのか

 翌朝、千馬は教室の前で萌菜美を待っていた。

 いつもなら、遠くからでも分かるくらい声が大きい。

 今日は何も言わなかった。

 萌菜美が近づくと、千馬は顎だけで廊下の端を示した。

「話ある」

「うん」

 窓際まで移動する。

 周りには何人か生徒がいたが、千馬は気にしなかった。

「下書き、見た」

「どこまで?」

「回ってるやつ全部」

「七秒の中身は書いてない」

「知ってる」

「千馬のことは」

「そういう話じゃない」

 千馬の声が低くなる。

「将輝が七秒切った。貴嗣と知正が確認しなかった。あれ、事実なんだろ」

「うん」

「じゃあ、事実なら途中でも流していいのか」

 萌菜美は答えられなかった。

「私は流してない」

「分かってる」

「共有設定を」

「それも聞いた」

「じゃあ」

「でも、書いたのは萌菜美だろ」

 その通りだった。

「まだ確認前だった」

「だから言ってんだよ」

 千馬は一歩近づいた。

「俺が七秒のこと記事に使うなって言った時、何て言った?」

「今は使わないって」

「何で?」

「一部だけで人の評価を取り替えることになるから」

「分かってたじゃん」

 萌菜美は黙った。

「なのに、将輝の『七秒切った』は書いた。貴嗣と知正の『確認しなかった』も書いた」

「その後に説明も」

「回ってねえだろ」

「……うん」

「だったら、書いた側は『後ろも読め』って言えば終わり?」

「終わらない」

「だろ」

 千馬は窓の外を見た。

「俺、最初の十二秒で勝手に決められて腹立った」

「知ってる」

「今、将輝も同じじゃん」

 萌菜美は視線を落とした。

「貴嗣と知正も」

「うん」

「しかも今度は、新聞部の下書きっていう『それっぽい根拠』つき」

 その言葉が刺さった。

 匿名の投稿より、新聞部の文章は事実に見える。

 未完成でも。

 確認前でも。

 画面保存だけなら、そんな注意書きは残らない。

「ごめん」

 萌菜美が言うと、千馬の眉が動いた。

「謝ってほしくて来たんじゃない」

「じゃあ何を」

「止めろよ」

「何を?」

「『事実だから書いていい』って考えるの」

 萌菜美は顔を上げた。

「事実は書かないと」

「完成したらな」

「完成してなくても、確認用に書くことはある」

「だったら、外に出ないようにする責任もあるだろ」

「ある」

「それを失敗した」

「うん」

「じゃあ、そこまで含めて新聞だろ」

 千馬ははっきり言った。

「文章だけ正しければいいんじゃない」

 萌菜美は返せなかった。

 短評欄を始めた日に真紗子から言われた。

 中身じゃないところから事故ることもある。

 そのままだった。

「千馬」

「何」

「七秒のこと、今後の記事で」

「今は聞くな」

「分かった」

「今聞かれたら、何でも嫌って言う」

「分かった」

 千馬はそれで少しだけ表情を緩めた。

「あと」

「うん」

「将輝、来てる」

 萌菜美は教室のほうを見た。

「休むと思った?」

「少し」

「本人は普通に来た」

 千馬は口元を歪めた。

「普通かどうかは知らんけど」

 その言い方で、萌菜美は意味を決めなかった。

 教室へ入ると、将輝は自分の席にいた。

 進路資料を読んでいる。

 昨日と同じ。

 萌菜美が近づくと、将輝は先に口を開いた。

「面談、説明した」

「昨日?」

「うん」

「何を」

「動画を短くしたこと。新聞部の下書きが流れたこと。ネットに捏造って書かれてること」

「先生は?」

「学校でも把握してた」

「進路に」

「まだ分からない」

 将輝はページを一枚めくった。

「推薦の資料に、この騒ぎの説明が必要になる可能性はあるって」

「ごめん」

「うん」

 責めるでも、許すでもない返事だった。

 それが一番苦しかった。

「七秒を切った理由、先生にも話した?」

「話した」

「全部?」

「自分が動けなかったところを見られたくなかったって」

「……うん」

「事実だから」

 将輝は視線を資料から上げた。

「でも、俺が七秒切ったことと、奇跡を捏造したことは同じじゃない」

「分かってる」

「なら、そこは直して」

「直す」

「俺を守る文章じゃなくていい」

「え」

「七秒切ったのは消さなくていい。理由も、確認取るなら書いていい」

「いいの?」

「もう先生にも話した」

「それと新聞に載せるのは別」

「分かってる」

 将輝は少し間を置いた。

「でも、今みたいに『理由がない七秒』だけ残るほうが面倒」

「面倒」

「うん」

 将輝らしい言葉だった。

「じゃあ、後で確認させて」

「いい」

「今日じゃなくても」

「今日でいい」

 淡々としている。

 萌菜美は、その淡々さを「平気」とは書けないと思った。

「将輝」

「何」

「怒ってる?」

「怒ってる」

 即答だった。

「私に?」

「入ってる」

 知正と同じ返事。

「でも、昨日の面談で説明できたのは、萌菜美が先に俺へ確認してたから」

「それは」

「だから全部悪かったとは言わない」

 将輝は資料へ戻った。

「それだけ」

 萌菜美は席を離れた。

 自分の机へ戻る途中、貴嗣に呼ばれた。

「千馬に怒られた?」

「見てた?」

「顔」

「意味決めないで」

「ごめん」

 貴嗣は少し笑った。

「知正、今日来てる?」

「来てる。朝話した」

「大丈夫?」

「本人に聞いて」

「それ言われると思った」

 萌菜美は貴嗣の机の横に立った。

「貴嗣は?」

「俺?」

「昨日、大丈夫って言ってた」

「言ったね」

「今日も?」

「まあ」

「まあ?」

「百点ではない」

「星つけない」

「そうだった」

 貴嗣は笑ったあと、声を落とした。

「俺は、前から英雄扱い嫌だったから、反転しても驚きは少ない」

「事故原因扱いされても?」

「嫌だよ。でも、自分で確認してなかったのは本当だし」

「直接原因は未特定」

「分かってる」

「じゃあ」

「知正のほうが気になる」

「どうして」

「知正、ああいうの真面目に全部受けるから」

「楽観的なのに?」

「楽観的だから」

 萌菜美は首をかしげた。

 貴嗣は少し考えた。

「あいつ、普段は『何とかなる』って前へ行く。そのぶん、自分が誰かを困らせたと思うと、すぐ何とかしようとする」

「昨日、部活休んだ」

「知ってる」

「連絡した?」

「した」

「何て」

「本人に聞いて」

 また返された。

 萌菜美は少しだけ笑った。

「徹底してる」

「他人の話だから」

 貴嗣は机の引き出しを閉めた。

「俺の確認不足は記事から消さなくていい」

「知正も同じこと言った」

「うん」

「でも今は、それが原因みたいに広まってる」

「だから、原因じゃないって断定してくれる?」

「できない」

「そうだよね」

「直接原因が未特定だと書く」

「それでいい」

「それで足りる?」

 萌菜美が聞くと、貴嗣は少し考えた。

「足りるかどうか、俺が決めることじゃない」

「また難しいこと言う」

「正直に言ってるだけ」

「じゃあ、貴嗣が今一番嫌なのは?」

「知正が『自分が確認してれば』って一人で背負うこと」

「自分も同じことしてない?」

「してる」

「じゃあ」

「だから、二人分にする」

 貴嗣は自虐的に笑った。

「共同確認を省いたんだから、後悔も共同で」

「変な理屈」

「一人よりまし」

 その日の放課後、新聞部顧問から短評欄の扱いについて話があると連絡が来た。

 萌菜美は部室へ向かう前、自分の仮稿を開いた。

 昨日追加したコメント。

 《流出後、自分一人を「全部の原因」にして終わらせようとした。これも同じ単純化ではないか。》

 その下へ、新しく一行だけ加えた。

 《事実であっても、確認途中の断片が一人歩きすれば、事実の使われ方まで正しいとは限らない。》

 保存。

 個別共有。

 一般アクセス。

 親フォルダ。

 全部確認する。

 それから閉じた。

 千馬の言葉が、まだ耳に残っている。

 ――事実なら途中でも流していいのか。

 答えは、もう分かっていた。

 よくない。

 事実であることは、出し方まで正しいことを保証しない。

 それを、自分の失敗で知った。
【終】