七秒の外側

第16話 次の悪者

 その日の放課後、最初に広まった言葉は、

 《動画は編集されていた》

 だった。

 萌菜美が書いた文章そのものではない。

 仮稿の一部を見た誰かが、別の言葉へ置き換えたものだった。

 校内の匿名掲示板に、

 《例の奇跡動画、編集されてたらしい》

 と投稿される。

 その下へ、

 《新聞部の下書きに書いてある》
 《撮った本人が七秒切ったって認めたらしい》
 《じゃあ捏造じゃん》

 と続いた。

 萌菜美は新聞部室で、その画面を見ていた。

「捏造じゃない」

 声に出た。

 真紗子が隣から画面を見る。

「何が?」

「将輝は、映ってないことを足してない。元映像から七秒を切っただけ」

「うん」

「十二秒の中身を作ったわけじゃない」

「うん」

「理由だって」

 萌菜美は止まった。

 理由はまだ、記事掲載の確認を取っていない。

 自分が知っているからといって、ここで書いていいわけではない。

「反論したい?」

 真紗子が聞く。

「したい」

「何を書く?」

 萌菜美は匿名掲示板の投稿欄を見た。

 《捏造ではありません》

 と打つことはできる。

 でも、そのあと何を説明する。

 七秒を切ったのは事実。

 なぜ切ったかを説明しなければ、反論として弱い。

 説明すれば、将輝がまだ掲載を認めていないことまで出すことになる。

「今は書けない」

「うん」

 萌菜美は画面を閉じた。

 閉じても、言葉は止まらなかった。

 次に届いた画面保存には、

 《奇跡を作るために都合の悪いところを切った?》

 と書かれていた。

 さらに、

 《動画撮った本人が自分の失敗隠したらしい》

 という文まで出る。

「そこまで、誰も確認してない」

 萌菜美は言った。

 真紗子は返事をしなかった。

 代わりに、別の画面を萌菜美へ見せる。

 今度は貴嗣と知正だった。

 《支柱の固定確認、二人ともやってなかったって》

 そこまでは、仮稿にある。

 次の投稿。

 《じゃあ事故起こしたのこいつらじゃん》

 その次。

 《助けた本人が原因側だったの笑えない》

 さらに、

 《英雄じゃなくて自作自演みたいなもん》

「違う」

 萌菜美の声が強くなった。

「自作自演じゃない」

「うん」

「二人が確認を省いたのは事実。でも、直接原因は分かってない」

「うん」

「そのすぐ下に書いた」

「でも、その下は回ってない」

 真紗子が言った。

 画面保存には、

 《二人はこの共同確認を行っていなかった。》

 までしかない。

 萌菜美が意味を切らせないよう、直後に置いたはずの一文。

 《直接原因は特定されていない。》

 そこだけが、見事に外れていた。

「わざと切ったのかな」

 萌菜美が言う。

「確認できない」

「でも、ここまでちょうど切る?」

「確認できない」

 真紗子は同じ言葉を繰り返した。

 萌菜美は唇を噛んだ。

 分かっている。

 今、自分はまた、切り取った誰かへ意味をつけようとしている。

 悪意があった。
 炎上させたかった。
 誰かを困らせたかった。

 どれもまだ分からない。

 それでも、腹が立った。

「私が書いたのに」

「うん」

「意味が違う」

「うん」

「全文では違うのに」

「うん」

 萌菜美は自分の仮稿を開いた。

 誰も悪くなかったとは書いていない。

 一つの問題行動を、その人物全部の評価へ広げるな、と書いた。

 直接原因は特定できない、と書いた。

 確認できないことを埋めるな、と書いた。

 その文章から、

 七秒を切った。

 確認を省いた。

 だけが外へ出た。

 そして今、

 将輝は捏造した人。

 貴嗣と知正は事故を起こした人。

 新しい役が、もう作られていた。

「十二秒と同じ」

 萌菜美が言う。

「何が?」

「前後を切って、意味が決まる」

 真紗子は何も言わない。

 萌菜美は続けた。

「今度は動画じゃない。私の文章」

「そうだね」

「しかも、元は私」

「うん」

 その時、部室の扉が開いた。

 知正だった。

「入っていい?」

「知正」

「顧問いる?」

「今、職員室」

「そっか」

 知正はいつものように笑った。

 でも、目の下が少し赤い。

「見た?」

 萌菜美が聞く。

「見た」

「ごめん」

「うん」

 知正は部室へ入り、空いている椅子へ座った。

「貴嗣から先に聞いた。下書きが見られる状態だったって」

「私が一般アクセスを確認してなかった」

「そこも聞いた」

「今は閉じた」

「それも」

 知正は机の上の古い新聞を見た。

「俺、今度は事故起こした人らしい」

 冗談みたいな言い方だった。

 萌菜美は笑えなかった。

「違うって、まだ言えない」

「原因分かってないから?」

「うん。でも、二人が確認を省いたのは事実だから、それを全部否定するのも違う」

「分かってる」

「ごめん」

「だから、それ何回目?」

 貴嗣にも言われた。

 萌菜美は黙った。

 知正は少しだけ困った顔をした。

「謝るのやめろって意味じゃないよ」

「じゃあ?」

「今、俺が聞きたいのは別」

「何?」

「新聞、どうするの」

 萌菜美は仮稿を見た。

「分からない」

「やめる?」

「分からない」

「出す?」

「今は出せない」

「そっか」

 知正はそれ以上聞かなかった。

「怒ってないの?」

 萌菜美が聞く。

「怒ってるよ」

 返事は即答だった。

 知正が怒っているところを、萌菜美はほとんど見たことがない。

「誰に?」

「いろいろ」

「私?」

「入ってる」

「……うん」

「でも萌菜美だけじゃない」

「誰」

「俺」

「どうして」

「確認省いたのは本当だから」

「それと、事故原因扱いされるのは別」

「分かってる」

 知正は両手を膝の上で組んだ。

「でも、もし俺がちゃんと確認してたらって、また考える」

「先生は、必ず防げたとは言ってない」

「うん」

「直接原因も分からない」

「うん」

「だから」

「分かってるって」

 知正の声が少し強くなった。

 萌菜美は口を閉じた。

「ごめん」

「……それも今はいい」

 知正は息を吐いた。

「頭で分かってるのと、画面に『お前のせい』って並ぶの、別だから」

 萌菜美は何も言えなかった。

 知正は立ち上がった。

「部活、今日は休む」

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、家帰る」

 扉へ向かう。

 途中で止まり、振り返った。

「萌菜美」

「何?」

「記事に俺の確認不足、消さないで」

「え」

「流れたからじゃなくて。最初に言った通り」

「でも」

「事実だから」

 知正はそう言って出ていった。

 その直後、貴嗣からメッセージが届いた。

 《知正そっち行った?》

 萌菜美は、

 《来た。今帰った》

 と返す。

 すぐ既読になる。

 次。

 《俺のほうは大丈夫》
 《知正だけ気にしといて》

 萌菜美は入力欄へ、

 《貴嗣も大丈夫じゃないでしょ》

 と打った。

 送る前に消した。

 本人が大丈夫と言っている。

 それを嘘だと決める根拠はない。

 代わりに、

 《分かった。でも必要なら連絡して》

 と送った。

 少しして、

 《了解》

 だけ返ってきた。

 夕方になると、将輝についての書き込みはさらに増えた。

 《進路に響くんじゃね》
 《学校の動画いじって拡散とか普通にアウト》
 《奇跡捏造で推薦取り消しある?》

 萌菜美は最後の一文を見て、指が止まった。

 推薦。

 少し前、将輝は進路面談へ入っていった。

 その時には、すでに七秒を切ったという画像が回っていた。

「真紗子」

「うん」

「将輝、今日面談」

「知ってる」

「これ、見られてるかも」

「可能性はある」

「私が」

「そこから先は、本人に確認」

「でも」

「萌菜美」

 真紗子が画面から顔を上げた。

「今、怖いから全部自分で埋めようとしてる」

 萌菜美は黙った。

「知正が傷ついてる。将輝の進路にも影響するかもしれない。貴嗣も何か言われてる。全部見えるから、全部自分の責任にしたくなる」

「入口は私」

「入口を残した責任はある」

「じゃあ」

「でも、その先で一部分だけ切り取った人、転送した人、推測を事実みたいに書いた人、それぞれの行動まで萌菜美がしたことにはならない」

「だからって、軽くならない」

「軽くしろとは言ってない」

 真紗子の声は静かだった。

「自分の分だけ、正確に持てって言ってる」

 萌菜美は目を閉じた。

 自分の分。

 共有範囲を最後まで確認しなかった。

 未完成の文章へ、校内リンクから到達できる状態を残した。

 それは自分の責任。

 でも、

 《捏造》

 と書いたのは自分ではない。

 《事故を起こした》

 と断定したのも自分ではない。

 そう分けることが、逃げのように感じる。

 でも、分けなければ、また事実と意味を混ぜる。

「難しい」

 萌菜美が言った。

「うん」

「自分のことだと、分けたくなくなる」

「どうして?」

「全部私が悪いってしたほうが、分かりやすいから」

 口にして、自分で気づいた。

 十二秒と同じだ。

 一人の悪者を作れば、話は簡単になる。

 それが自分であっても。

「……私も、悪者一人にしたいんだ」

「今はね」

 真紗子が言った。

 萌菜美は仮稿の最初へ戻った。

 《私はこの事故を調べ始めた時、「本当に正しい人」が別にいるのだと思っていた。》

 その文章の下へ、コメントを一つ追加した。

 《流出後、自分一人を「全部の原因」にして終わらせようとした。これも同じ単純化ではないか。》

 保存する。

 今度は共有設定を最後まで見る。

 個別共有。

 一般アクセス。

 親フォルダ。

 全部、制限付き。

 確認した。

「真紗子」

「何?」

「これ、記事に入れるかもしれない」

「自分の流出ミス?」

「うん」

「今は決めない」

「でも」

「まず顧問と当事者への対応」

 萌菜美はうなずいた。

 部室の時計は、もう六時を過ぎていた。

 画面の中では、新しい悪者が次々に作られていた。

 将輝。

 貴嗣。

 知正。

 そして萌菜美自身。

 誰か一人を決めれば、話は簡単になる。

 だからこそ今、簡単な答えに飛びついてはいけなかった。
【終】