七秒の外側

第15話 確認した画面の外

 翌朝、萌菜美が教室へ入ると、貴嗣の机のまわりには誰もいなかった。

 金色の紙の王冠も、もうない。

 事故から何日か経って、廊下から貴嗣を見に来る生徒もほとんどいなくなった。

 十二秒の動画は、まだネットのどこかに残っている。

 でも教室では、少しずつ別の話題へ移っていた。

 萌菜美は席へ着き、スマートフォンを机の中へ入れる。

 今日は、昨日の仮稿を当事者へ確認してもらう。

 将輝には、七秒を切った事実を書くこと。

 貴嗣と知正には、二人で行うべき指差し確認を省いたことを書くこと。

 学校側には、固定ベルトの状態と、直接原因が特定されていないという部分。

 千馬については、七秒の具体的内容をまだ書いていない。

 順番に確認する。

 全部終わるまでは出さない。

 そこまで、ノートの最初のページに書いた。

「何それ」

 隣から知正がのぞいた。

「今日やること」

「細か」

「細かくします」

「昨日より増えてない?」

「増やしました」

「じゃあ俺、いつ?」

「放課後」

「了解」

 知正は笑って、自分の席へ戻った。

 萌菜美はノートを閉じた。

 昨日、仮稿の共有設定は確認した。

 自分。
 真紗子。

 二人だけ。

 だから、今日は本文の確認に集中できる。

 そう思っていた。

 昼休み。

 真紗子からメッセージが届いた。

 《三段落目、少し直した》
 《「確認を省いた」と「直接原因未特定」が離れすぎてる》
 《読む人が前者だけで原因だと思うかも》

 萌菜美は教室の自分の席で、新聞部のクラウドを開いた。

 仮稿。

 真紗子がコメントを入れた箇所を見る。

 確かに、二つの段落の間に説明が一つ挟まっていた。

 萌菜美は順序を入れ替えた。

 《貴嗣と知正は、本来二人で行うべき支柱固定の指差し確認を省いていた。》

 その直後に、

 《一方、事故後に固定ベルトが正常な固定状態ではなかったことは確認されているものの、固定不十分がどの時点で生じたかを示す記録はなく、直接原因は特定されていない。》

 と置く。

 並べると、意味が少し変わった。

 確認を省いた。

 しかし、直接原因とは断定しない。

 萌菜美は保存した。

 その時、背後から声がした。

「萌菜美」

 振り向く。

 同じクラスの女子が、スマートフォンを持って立っていた。

「何?」

「新聞の事故記事って、もう出した?」

「出してない」

「だよね」

「どうして?」

 女子は画面を萌菜美へ向けた。

「これ」

 そこには、見覚えのある文章があった。

 《送信用コピーを作った将輝は、元映像の冒頭七秒を自分の判断で切ったことを認めている。》

 萌菜美は息を止めた。

「これ、どこから」

「友達から来た」

「誰?」

「別クラスの子。その子も誰かから送られたって」

 画面は、文章そのものではなかった。

 スクリーンショット。

 新聞部の編集画面らしい白いページの一部だけが切り取られている。

 上には、

 《短評欄_事故記事_仮稿01》

 というファイル名まで見える。

「これ、本物?」

 女子が聞いた。

 萌菜美はすぐには答えなかった。

 嘘ではない。

 自分が書いた。

 でも、まだ出していない。

 確認も終わっていない。

「どこから見たか、その子に聞ける?」

「聞けると思う」

「今聞いて」

「分かった」

 女子が自分の席へ戻る。

 萌菜美はノートパソコンを開いたまま、仮稿の共有画面を出した。

 共有相手。

 自分。
 真紗子。

 昨日と同じ。

「二人だけ……」

 声に出す。

 間違っていない。

 少なくとも、この一覧には。

 真紗子へ電話をかけた。

 昼休み中なら、部室にいるはずだ。

『もしもし』

「仮稿、誰かに見られてます」

『誰に?』

「分からない。スクリーンショットが別クラスまで回ってる」

 一瞬、向こうが無音になった。

『共有設定は?』

「自分と真紗子だけ」

『今見てる?』

「見てます」

『一般アクセスは?』

「一般?」

『共有相手の一覧じゃなくて、その下』

 萌菜美は画面を下へ送った。

 今まで見ていなかった項目がある。

 《このフォルダのアクセス設定を継承》

 さらに開く。

 《校内アカウント:リンクを知っている人は閲覧可》

 萌菜美の指が止まった。

「……何これ」

『親フォルダの設定』

「でも、共有相手は二人だけ」

『個別に追加されてるのが二人ってこと。リンク閲覧は別』

「そんな」

『前の記事で校内確認用にリンク公開したフォルダ、覚えてる?』

 覚えていた。

 先月の図書室の記事。

 掲載前、関係する委員に文章を確認してもらうため、新聞部の「校正用」フォルダへ入れ、校内アカウントならリンクから見られるようにした。

 確認が終わったあと、リンク自体はもう使わないと思っていた。

「でも今回、そこじゃない」

『仮稿、どのフォルダに置いた?』

 萌菜美はパンくず表示を見る。

 新聞部。
 校正用。
 短評欄。

 自分で作ったつもりの「短評欄」は、校正用フォルダの中だった。

 短評欄を作り始めた時に何気なく決めたフォルダ構成を、そのまま使っていた。

「……校正用の下」

『じゃあ継承してる』

「私、昨日確認した」

『何を?』

「共有相手」

『リンク側は?』

 答えられなかった。

 見ていない。

 画面にはちゃんとあった。

 共有相手の一覧の下。

 少しスクロールすれば見える場所。

 でも昨日の自分は、

 自分。
 真紗子。

 それだけ見て、「それ以外はいない」と決めた。

「すぐ閉じます」

『うん。まずリンク閲覧を止めて』

 萌菜美は設定を変更した。

 《校内アカウント:リンクを知っている人は閲覧可》

 から、

 《制限付き》

 へ。

 保存。

「止めた」

『次、アクセス履歴見られる?』

「見ます」

 ファイルの閲覧履歴を開く。

 名前の表示されないアクセスが、昨日の夜から増えていた。

 校内アカウントからの閲覧。

 最初は一件。

 そのあと三件。

 朝になって、十一件。

 昼休み前には二十件を超えている。

「こんなに」

『リンク、どこかに残ってたんだと思う』

「前の記事の?」

『たぶん。でも今は推測しない。分かるところから』

 分かるところから。

 昨日まで、自分が何度も人へ言ってきたこと。

 萌菜美は指先が冷たくなるのを感じた。

「真紗子」

『うん』

「私のせい」

『まず何が起きたか確認しよう』

「でも設定」

『設定を戻し忘れてたのは事実。でも、誰がどう広めたかはまだ分からない』

「私が確認したつもりで」

『萌菜美』

 真紗子の声が少し強くなった。

『今、自分一人を原因にするのやめて』

 萌菜美は黙った。

『昨日まで何調べてたの』

「……直接原因を一人に結びつけない」

『そう。萌菜美の確認不足は萌菜美の責任。そこは消さない。でも、それだけで全部説明できるかは別』

「うん」

『今は、拡散を止めるほうが先』

「分かった」

 電話を切る。

 さっきの女子が戻ってきた。

「聞けた」

「どこから?」

「友達の友達が、前に新聞部の校正記事見るリンクを持ってたらしい」

「そのリンクから?」

「開いたらフォルダ一覧が出て、事故の記事っぽいのがあったから見たって」

「最初にスクショしたのは?」

「そこまでは分かんない」

「ありがとう」

「これ、まずいやつ?」

 女子が聞く。

 萌菜美は画面を見た。

 スクリーンショット。

 将輝が七秒を切ったという一文。

 その上下は入っていない。

 記事全体の方針もない。

 「七秒の内容は当事者確認が終わっていないため記載しない」という説明もない。

「未完成」

 萌菜美が言った。

「まだ本人確認も終わってない」

「じゃあ、回さないほうがいい?」

「お願い」

「分かった」

 女子はすぐに画面を閉じた。

「私も送らない」

「ありがとう」

 それでも、もう二十人以上がファイルを開いている。

 スクリーンショットは、誰が何枚保存したか分からない。

 午後の授業が始まる直前、別の画像が届いた。

 今度は貴嗣と知正の部分。

 《二人はこの共同確認を行っていなかった。》

 そこで切れている。

 すぐ下にある、

 《直接原因は特定されていない》

 は入っていない。

 萌菜美は画像を見たまま動けなかった。

 切られている。

 自分が、意味が切れないように隣へ置き直した二つの段落。

 それでも、画面保存なら一行だけ取り出せる。

 十二秒の動画と同じだった。

 十九秒から七秒を切れば、千馬の行動が消えた。

 長い記事から一行を切れば、「確認を省いた」という事実だけが残る。

 その後ろの「直接原因は未特定」は消える。

 文章全体で慎重に書いたつもりでも、読む側が全体を持ち歩くとは限らない。

 萌菜美はスマートフォンを伏せた。

 五時間目の授業は、ほとんど頭に入らなかった。

 板書を写す。

 先生の説明を聞く。

 でも、机の中で端末が震えるたびに、胸の奥が固くなる。

 休み時間。

 貴嗣が萌菜美の机へ来た。

「新聞の下書き、出てる?」

 顔は笑っていなかった。

「ごめん」

「出したの?」

「出してない。でも、見られる状態になってた」

「どういうこと」

「共有相手は真紗子だけにした。でも、保存したフォルダに校内リンク閲覧の設定が残ってた」

「誰でも?」

「校内アカウントでリンクを知ってる人」

「そのリンクが残ってた?」

「前の記事の校正で使ったリンクからフォルダに入れたみたい」

 貴嗣はしばらく黙った。

「俺と知正のやつも?」

「回ってる」

「何て」

 萌菜美は言いにくかった。

 でも隠せない。

「『二人はこの共同確認を行っていなかった』の一文だけ」

「その下は?」

「入ってない」

「原因分からないってやつ」

「うん」

 貴嗣は天井を見た。

「なるほど」

「ごめん」

「知正に言った?」

「まだ」

「俺が言う」

「私が」

「萌菜美は将輝のほう行って」

「どうして」

「七秒のやつも出てるんでしょ」

「……うん」

「じゃあ先に」

 貴嗣は自分のスマートフォンを出した。

「知正、部活行く前に捕まえる」

「でも」

「確認不足の当事者、俺もだから」

 貴嗣は自嘲するように口元を曲げた。

「こういう時だけ共同作業に戻るの、遅いけど」

 萌菜美は笑えなかった。

「ごめん」

「それ、今何回目?」

「分からない」

「じゃあ数えなくていい」

 貴嗣は教室を出ていった。

 萌菜美は将輝を探した。

 昇降口にはいない。

 進路指導室の前にもいない。

 図書室前の廊下で、ようやく見つけた。

 将輝は進路資料を抱えて、担任と話していた。

 萌菜美が近づくと、将輝が先に気づいた。

「見た」

 それだけ言った。

「将輝」

「下書きでしょ」

「ごめん」

「何で出たの」

 萌菜美は同じ説明をした。

 個別の共有相手は確認した。

 でも、親フォルダから継承された校内リンク閲覧を見ていなかった。

 前の記事のリンクから、別の生徒が到達した。

「今は閉じた」

「もうスクショあるけど」

「うん」

 将輝は手元の資料を持ち直した。

「俺が七秒切った、ってところ?」

「それが回ってる」

「理由は?」

「入ってない」

「だろうね」

 声は平坦だった。

 怒っているのか分からない。

 萌菜美は、その意味を決めなかった。

「本人確認する前だった」

「七秒切ったのは事実だよ」

「でも、理由をどう書くか確認してない」

「そうだね」

「ごめん」

 将輝は少しだけ息を吐いた。

「今から進路面談」

「え」

「もともと予定入ってた」

「じゃあ」

「たぶん先生も見てる」

 萌菜美の胃が縮んだ。

「将輝」

「あとで」

「でも」

「今、話しても面談はなくならない」

 将輝はそれだけ言って、担任と一緒に進路指導室へ入った。

 扉が閉まる。

 萌菜美は廊下に残った。

 七秒を切った理由。

 将輝は、自分が危険に気づけず固まった姿を見られたくなかった。

 その格好悪い理由を、本人は萌菜美へ話した。

 まだ記事へどう書くか確認していない。

 でも画面の外では、

 《将輝は七秒を切った》

 だけが歩き始めている。

 新聞部室へ戻ると、真紗子がパソコンを二台開いていた。

「校内の共有先、追ってる」

「止められますか」

「元のファイルは閉じた。スクショは無理」

「……はい」

「顧問にも報告した」

「何て」

「放課後来る」

 萌菜美は自分の席へ座った。

 仮稿を開く。

 文章はそのまま残っている。

 慎重に書いた。

 確認できたことと、確認できていないことを分けた。

 誰か一人へ星をつけないようにした。

 それなのに。

 将輝が七秒を切った。

 二人が共同確認を省いた。

 その二箇所だけが切り取られた。

「真紗子」

「うん」

「私、昨日、確認しました」

「何を」

「共有」

「個別の相手はね」

「二人だけだった」

「うん」

「だから大丈夫だと思った」

 真紗子は手を止めた。

「思った」

 その言葉が、痛かった。

 貴嗣は、知正が確認したと思った。

 知正は、貴嗣が確認したと思った。

 二人とも、相手がやったと思って共同確認を省いた。

 自分は違うと思っていた。

 共有画面を開いた。

 目で見た。

 確かめた。

 でも、見たのは一つの欄だけだった。

「私も」

 萌菜美が言った。

「確認したと思ってた」

 真紗子は何も言わなかった。

 萌菜美は共有設定をもう一度開いた。

 上。

 《共有相手》
 自分。
 真紗子。

 下。

 《一般的なアクセス》
 制限付き。

 今は閉じている。

 昨日は、下を見なかった。

「ここにあった」

「うん」

「画面の外じゃない」

「うん」

「少し下だっただけ」

 萌菜美は唇を噛んだ。

「私が見なかった」

「そうだね」

 真紗子は否定しなかった。

「私の確認不足」

「そこはそう」

「それで下書きが出た」

「そう」

「じゃあ私が」

「萌菜美」

 真紗子が止める。

「自分がしたことまでで止めて」

「でも」

「共有範囲を最後まで確認しなかった。だから、以前のリンクを持っていた校内アカウントから下書きへ到達できる状態を残した」

「うん」

「ここまでは萌菜美の責任」

「その先は?」

「誰が最初に開いたか。誰がスクショしたか。誰が一部だけ切って送ったか。そこはまだ確認できてない」

 萌菜美は黙った。

「全部、自分一人の文章にしない」

 真紗子が言った。

 萌菜美は昨日の仮稿を見た。

 《一つの問題行動を、その人全体の評価へ広げることは別である。》

 自分で書いた。

 今、その文章を一番読まなければならないのは自分だった。

「でも」

「うん」

「私が入口を開けたのは変わらない」

「変わらない」

「そこは謝る」

「うん」

「将輝にも、貴嗣にも、知正にも」

「うん」

「千馬にも」

「どうして千馬?」

「記事全体が回ったら、七秒のことも推測されるかもしれない」

「そこは確認しよう」

 萌菜美はノートを開いた。

 震えていた指を、机の上で一度握る。

 《確定していること》

 ・仮稿ファイルの個別共有相手は萌菜美と真紗子のみだった。
 ・保存先の親フォルダには「校内アカウントでリンクを知る人は閲覧可」の設定が残っていた。
 ・萌菜美は前日に個別共有相手だけを確認し、親フォルダから継承された一般アクセスを確認していなかった。
 ・以前の校正用リンクから、今回の仮稿へ到達した生徒がいる。
 ・仮稿の一部を画面保存した画像が校内で共有されている。

 《確認できていないこと》

 ・最初に仮稿を開いた人物。
 ・最初に画面保存した人物。
 ・最初に画像を転送した人物。
 ・現在どこまで広がっているか。

 書き終える。

 昨日と同じ二列。

 事故の時系列を調べるために使った方法。

 今度は、自分が起こした確認不足を調べるために使っている。

「これ」

 萌菜美が言った。

「記事にしたほうがいいですか」

「何を」

「私のミス」

「今は決めない」

「でも隠したら」

「隠さない。ただ、今は拡散への対応が先」

「はい」

「それと、顧問が来たら短評欄は一旦止める可能性がある」

 萌菜美は顔を上げた。

「掲載を?」

「うん」

「でも記事はまだ」

「記事だけじゃない。下書きの管理も新聞部の仕事だから」

 萌菜美は反論できなかった。

 正しい内容を書けばいい。

 そこまでしか考えていなかった頃よりは、分かる。

 文章が正しくても、置き方を間違えれば人を傷つける。

 しかも今回は、未完成。

 確認前。

 文章全体ですらない。

 切り取られた一部だけが、もう歩いている。

 萌菜美は自分の仮稿を最後までスクロールした。

 最後の三行。

 《十二秒を見た時、あなたは誰に星をつけただろう。十九秒を知ったら、その星を誰へ移すだろう。》

 《その星は、本当に必要だろうか。》

 この部分は、まだ誰にも切り取られていない。

 画面保存で広まっているのは、もっと刺激の強い事実だけだった。

 七秒を切った。

 確認を省いた。

 短い。

 分かりやすい。

 誰かへ星一つをつけるのに十分な長さ。

 萌菜美は、ふと思った。

 自分は十九秒を調べた。

 十二秒だけで人を決めるなと書いた。

 なのに、自分の下書きから今、新しい十二秒を作った。

 動画ではなく、文章で。

 しかも、切ったのは自分ではない。

 それでも、切り取れる状態に置いたのは自分だった。

「真紗子」

「何?」

「私の記事」

「うん」

「まだ出してないのに、もう批評される側になりました」

 真紗子は少しだけ目を細めた。

「そうだね」

「怖い」

「うん」

「でも、逃げたら駄目ですよね」

「逃げるかどうかも、今すぐ決めなくていい」

「また保留?」

「まず確認」

 萌菜美は小さく息を吐いた。

「分かりました」

 顧問が部室へ入ってくるまでのあいだ、萌菜美は仮稿を閉じなかった。

 画面の上には、切り取られた二つの一文がある。

 その下には、切り取られなかった説明がある。

 そして、その全部を書いた自分がいる。

 十二秒の動画を批評するつもりだった。

 今は、自分の確認不足が作った新しい切り取りを、最初から確認しなければならなかった。
【終】