第14話 誰に星をつけるのか
萌菜美は、記事の題名を三回変えた。
最初は、
《十二秒の奇跡》
だった。
次に、
《消えた七秒》
にした。
その次は、
《英雄は誰だったのか》
と打って、すぐ消した。
「それ、一番危ないやつ」
隣から真紗子が言った。
「消しました」
「消す前に見えた」
「見ないでください」
「編集責任者なので」
放課後の新聞部室。
窓の外では、運動部の掛け声が聞こえている。
萌菜美の画面には、題名のない下書きだけが残っていた。
昨日作った四つの区分。
《確認できたこと》
《当事者が話したこと》
《確認できていないこと》
《この記事を書く側が判断したこと》
「題名から決めるのやめます」
「珍しい」
「題名を先に決めると、そこへ事実を並べたくなるので」
「成長した」
「まだ褒めないでください」
「じゃあ保留」
萌菜美は一つ目の区分を開いた。
まず、公開された十二秒について書く。
《事故直後、クラス内へ十二秒の動画が共有された。その動画では、千馬が支柱の近くにいる場面から始まり、貴嗣が走り込んで千馬を引き、直後に支柱が倒れる。》
次。
《学校が保全している元映像は十九秒で、十二秒の動画は別に作られた送信用コピーである。》
さらに、
《送信用コピーを作った将輝は、元映像の冒頭七秒を自分の判断で切ったことを認めている。》
そこで、萌菜美は手を止めた。
「理由も書く?」
真紗子が聞く。
「迷ってます」
「本人は?」
「話してくれた。でも、記事に使う許可まではまだ取ってない」
「じゃあ今は内部メモだけ」
「はい」
本文へは入れず、コメント欄にだけ書いた。
《将輝の編集理由については本人確認済み。掲載可否は未確認。》
次は支柱。
《事故前、貴嗣と知正は、使用しない支柱を運搬台車へ戻す作業を二人で行った。》
《担当教員は、固定後に二人で指差し確認を行うよう指示していた。》
《二人はこの共同確認を行っていなかった。貴嗣は知正が確認したと思い、知正は貴嗣が確認したと思っていた。》
書きながら、萌菜美は一度読み返した。
ここだけ切り取れば、
二人が確認しなかった。
だから事故が起きた。
そう読める。
その直後に、もう一段落入れた。
《事故後、支柱を固定するベルトが正常な固定状態ではなかったことは確認されている。ただし、締結不足、ロック部の噛み込み不良、移動時の緩みなど、どの過程で固定不十分になったかを示す記録はなく、直接原因は特定されていない。》
「長い」
萌菜美が言った。
「必要なら長くていい」
「でも読みにくい」
「短くして意味が変わるなら、短くしない」
萌菜美は頬杖をついた。
「新聞って、短いほうが正義だと思ってました」
「紙面ではね」
「矛盾してる」
「だから編集するんでしょ」
真紗子は赤ペンで別の記事を直しながら答えた。
萌菜美は文章へ戻った。
二つ目。
《当事者が話したこと》
貴嗣は、自分を英雄と呼ばれることを望んでいない。
千馬は、自分を「無謀な被害者」から「実は英雄だった人」へ取り替える記事を望んでいない。
将輝は、七秒を切ったこと自体は認めている。
知正は、自分と貴嗣の確認不足について記載してよいと話している。
書いてから、萌菜美は全部を選択した。
「消す?」
「いや」
手を止める。
「これ、本人が言ったことではあるけど、今の文章だと私が要約しすぎてる」
「どうする?」
「引用するなら引用。要約するなら本人に見せる」
「うん」
本文から一度外し、確認待ちの欄へ移した。
三つ目。
《確認できていないこと》
ここは、昨日より書きやすかった。
《固定ベルトが不完全な状態になった直接原因。》
《その不完全な状態が、片づけ作業のどの時点で生じたか。》
《共同確認を実施していれば、確実に事故を防げたか。》
《十九秒の元映像に映っていない時間帯の全ての状況。》
最後の一行を書いて、萌菜美は少し考えた。
十九秒を見た時、自分は「本当は」と言いかけた。
十二秒より十九秒のほうが長い。
でも、長い映像ほど真実というわけではない。
「ここまでが事実整理」
「うん」
「問題は最後」
《この記事を書く側が判断したこと》
カーソルが点滅する。
「何を書く?」
真紗子が聞いた。
「それを考えてます」
「昨日、言ってたよね」
「何を」
「星」
萌菜美は頬杖をやめた。
十二秒を見た人は、貴嗣へ星五つをつけた。
千馬へ星一つをつけた。
十九秒を見た萌菜美は、その評価をひっくり返したくなった。
将輝が七秒を切ったと知ると、将輝へ低い点をつけたくなった。
安全確認の話を知ると、今度は貴嗣と知正へ評価を移した。
情報が増えるたび、自分の中の点数表だけが更新されていった。
「書きます」
「どうぞ」
萌菜美はキーボードへ手を置いた。
《私はこの事故を調べ始めた時、「本当に正しい人」が別にいるのだと思っていた。》
一度止まる。
続ける。
《十二秒では貴嗣が英雄に見えた。元映像が十九秒だと知った時、十二秒から消えた部分に、本当の答えがあると思った。七秒を切った人物が分かると、その人物に責任を置きたくなった。安全確認を省いた事実が分かると、今度はそこを事故原因だと考えたくなった。》
「『考えたくなった』?」
真紗子が聞く。
「私の話なので」
「なるほど」
次。
《けれど、確認できた事実が増えるほど、一人を「正しい側」へ置くことも、一人を「間違った側」へ置くこともできなくなった。》
萌菜美は読み返した。
「これ、甘くないですか」
「誰に?」
「みんなに」
「どうして」
「誰も悪くない、って逃げてるみたい」
「そう書いてる?」
「書いてないけど」
「じゃあ書いてない」
「でも、そう読まれるかも」
「だったら、必要なことを足せば」
萌菜美は考えた。
事故前、共同確認を省いたことは問題だった。
将輝が七秒を切ったことで、千馬の行動が見えなくなった。
十二秒を外へ流した誰かもいる。
千馬も、自分が危険な位置へ入った行動について、結果が良ければ全部正しいとは言っていない。
間違いがないわけではない。
「誰も悪くない、ではない」
萌菜美が言った。
「うん」
「一人が全部悪い、でもない」
「うん」
画面へ書く。
《これは「誰も悪くなかった」という話ではない。確認を省いたこと、必要な文脈が欠けた動画を共有したこと、確かめないまま他人を断定したこと。それぞれに問題はある。》
次の一文で止まった。
《ただし、一つの問題行動を、その人全体の評価へ広げることは別である。》
「それ」
真紗子が言った。
「何ですか」
「今の記事の中心に近いと思う」
「一つの行動と、その人全体を分ける」
「うん」
萌菜美は、貴嗣のことを考えた。
共同確認を省いた。
同時に、千馬を引いた。
将輝。
七秒を切った。
同時に、自分が動けなかった場面を見られたくないという、格好悪い理由を正直に話した。
千馬。
将輝を押した。
同時に、自分が危険へ残る行動を「正しかった」とは言い切らなかった。
知正。
確認を省いた。
同時に、それを貴嗣一人の責任にしないと言った。
一人の中に、複数の行動がある。
一つだけ取り出せば、人物像は簡単に作れる。
十二秒の動画のように。
「見出し、思いつきました」
「何?」
萌菜美は新しい行を作った。
《十二秒で、人を決める》
「記事タイトル?」
「仮です」
「いいんじゃない」
「『奇跡』入ってない」
「入れたい?」
「少し」
考える。
《十二秒の奇跡を、十二秒で決めない》
「長い」
「ですよね」
「今は仮でいい」
「保留」
「便利な言葉覚えたね」
「最初から使ってます」
萌菜美はまた本文へ戻った。
記事の中盤に、公開された動画のことを書く。
動画そのものが嘘ではないこと。
十二秒に映っている救出は実際に起きたこと。
しかし、その前に七秒があること。
ここで千馬の行動を具体的に書けば、本人の希望に反する。
だから現時点の下書きには、
《元映像には、送信用コピーに含まれない七秒がある。そこには複数の当事者の行動が映っており、十二秒だけを見た時とは異なる文脈が確認できる。》
とだけ書いた。
「ぼかしたね」
「千馬が使わないでって言ってるので」
「うん」
「でも『異なる文脈』だけだと、何か重大な秘密みたい」
「そう思う?」
「思います」
萌菜美は少し悩み、最後を変えた。
《その七秒については、映っている当事者への確認が終わっていないため、本稿では内容を記載しない。》
「これなら?」
「理由が分かる」
「じゃあ残します」
下書きは少しずつ長くなった。
事故の説明。
十二秒の動画。
十九秒の元映像。
将輝が送信用コピーから七秒を切った事実。
貴嗣と知正が、本来二人で行うべき指差し確認を省いた事実。
事故後、固定ベルトが正常な固定状態ではなかったこと。
その直接原因は未特定であること。
確認できていないことを、確認できたようには書かない。
そして、ここからが批評。
《問題は、短い動画だけではない。》
萌菜美は一度、手を止めた。
《動画を見た側は、十二秒しかないと知りながら、その十二秒の外側まで想像で埋めた。貴嗣を「本物の英雄」と呼び、千馬を「迷惑な生徒」と呼んだ。》
次。
《私も同じだった。七秒を知れば将輝を疑い、安全確認の事実を知れば貴嗣と知正を疑った。情報が増えるたび、誰か一人へ星をつけ直していた。》
「自分も入れるんだ」
真紗子が言った。
「入れないと、外から批評してるみたいになるので」
「うん」
「私も十二秒を見た側だから」
「それ、大事」
「褒めない」
「保留」
萌菜美は鼻から息を吐いた。
最後の段落は、なかなか書けなかった。
何を言いたいのかは分かっている。
でも、きれいにまとめると、それ自体が「正解」になりそうだった。
何度か書いて、消す。
《人は簡単に判断してはいけない。》
消す。
そんなことは誰でも言える。
《真実は一つではない。》
消す。
何でも相対化すればいいわけではない。
確認できた事実はある。
貴嗣が千馬を引いた。
共同確認を省いた。
将輝が七秒を切った。
固定ベルトは正常な状態ではなかった。
そういう事実まで曖昧にしてはいけない。
「書けない?」
真紗子が聞く。
「綺麗に終わりすぎるのが嫌です」
「終わらせなければ?」
「記事なのに」
「読者へ渡すところで止める」
「答えを出さずに?」
「全部出す必要ある?」
また同じ問い。
萌菜美は画面へ向いた。
最後に、こう書いた。
《確認できた行動には、確認できた範囲で責任がある。けれど、その一つだけで一人の人間を「正しい人」「間違った人」に決めることまで、事実が許しているわけではない。》
もう一文。
《十二秒を見た時、あなたは誰に星をつけただろう。十九秒を知ったら、その星を誰へ移すだろう。》
そして、
《その星は、本当に必要だろうか。》
萌菜美は手を離した。
「……これ」
「うん」
「レビューですか」
「私はそう思う」
「星、一個もつけてない」
「最初にそうしたかったんでしょ」
星を消したあとの白い紙面。
五つの星を全部消した場所。
そこへ、やっと別のものを置けた気がした。
「仮稿、できました」
「全部見せて」
「今?」
「私だけに見せるんでしょ」
「はい」
萌菜美は保存した。
ファイル名。
《短評欄_事故記事_仮稿01》
保存先は、新聞部の共有フォルダ。
そこで一瞬、手が止まった。
短評欄を作り始めた日の自分を思い出す。
「いつもの新聞部フォルダの中なので」
「あとで見ます」
今回は、共有設定を開いた。
閲覧者。
自分。
真紗子。
それ以外はいない。
「確認しました」
「えらい」
「普通です」
「前は普通じゃなかった」
「今回はやりました」
萌菜美は設定画面を閉じた。
真紗子へリンクを送る。
「届いた」
「今読んで」
「急かすね」
「今日中に直したい」
「締切まだあるよ」
「あるうちに直します」
真紗子が読み始める。
萌菜美は待つ。
そのあいだに、別の校内新聞の記事用に集めた資料を整理した。
数分後。
「方針はこれでいいと思う」
真紗子が言った。
「ほんと?」
「ただし、まだ出せない」
「分かってます」
「理由は?」
「当事者確認が終わってない。千馬の七秒部分は具体的に書いてないけど、将輝の編集、貴嗣と知正の確認不足は本人に最終確認する。学校側にも事故関係の事実確認を回す」
「うん」
「あと、見出し」
「それは最後でいい」
「はい」
真紗子は画面を閉じた。
「萌菜美」
「何?」
「この記事、誰が悪いかを決めない代わりに、読む側にかなり嫌なこと聞いてるよ」
「嫌なこと?」
「自分も星つけてなかった?って」
萌菜美は少し考えた。
「私もつけてたので」
「だから書けるんだと思う」
「読んだ人、怒りますか」
「怒る人はいるかも」
「それでも出す?」
「事実確認が終わって、萌菜美が責任持てるなら」
萌菜美は仮稿のファイル名を見た。
事故を解決する記事ではない。
誰かを救って終わる記事でもない。
十二秒を見た人へ、自分が何を決めたのかを問い返す記事。
そして、書いた自分自身も、その問いから外れない。
「明日、確認回します」
「うん」
萌菜美はもう一度、共有設定を開いた。
自分。
真紗子。
二人だけ。
今度こそ確認した。
確認できたと思ったのではない。
画面を見て、確かめた。
それからパソコンを閉じた。
【終】
萌菜美は、記事の題名を三回変えた。
最初は、
《十二秒の奇跡》
だった。
次に、
《消えた七秒》
にした。
その次は、
《英雄は誰だったのか》
と打って、すぐ消した。
「それ、一番危ないやつ」
隣から真紗子が言った。
「消しました」
「消す前に見えた」
「見ないでください」
「編集責任者なので」
放課後の新聞部室。
窓の外では、運動部の掛け声が聞こえている。
萌菜美の画面には、題名のない下書きだけが残っていた。
昨日作った四つの区分。
《確認できたこと》
《当事者が話したこと》
《確認できていないこと》
《この記事を書く側が判断したこと》
「題名から決めるのやめます」
「珍しい」
「題名を先に決めると、そこへ事実を並べたくなるので」
「成長した」
「まだ褒めないでください」
「じゃあ保留」
萌菜美は一つ目の区分を開いた。
まず、公開された十二秒について書く。
《事故直後、クラス内へ十二秒の動画が共有された。その動画では、千馬が支柱の近くにいる場面から始まり、貴嗣が走り込んで千馬を引き、直後に支柱が倒れる。》
次。
《学校が保全している元映像は十九秒で、十二秒の動画は別に作られた送信用コピーである。》
さらに、
《送信用コピーを作った将輝は、元映像の冒頭七秒を自分の判断で切ったことを認めている。》
そこで、萌菜美は手を止めた。
「理由も書く?」
真紗子が聞く。
「迷ってます」
「本人は?」
「話してくれた。でも、記事に使う許可まではまだ取ってない」
「じゃあ今は内部メモだけ」
「はい」
本文へは入れず、コメント欄にだけ書いた。
《将輝の編集理由については本人確認済み。掲載可否は未確認。》
次は支柱。
《事故前、貴嗣と知正は、使用しない支柱を運搬台車へ戻す作業を二人で行った。》
《担当教員は、固定後に二人で指差し確認を行うよう指示していた。》
《二人はこの共同確認を行っていなかった。貴嗣は知正が確認したと思い、知正は貴嗣が確認したと思っていた。》
書きながら、萌菜美は一度読み返した。
ここだけ切り取れば、
二人が確認しなかった。
だから事故が起きた。
そう読める。
その直後に、もう一段落入れた。
《事故後、支柱を固定するベルトが正常な固定状態ではなかったことは確認されている。ただし、締結不足、ロック部の噛み込み不良、移動時の緩みなど、どの過程で固定不十分になったかを示す記録はなく、直接原因は特定されていない。》
「長い」
萌菜美が言った。
「必要なら長くていい」
「でも読みにくい」
「短くして意味が変わるなら、短くしない」
萌菜美は頬杖をついた。
「新聞って、短いほうが正義だと思ってました」
「紙面ではね」
「矛盾してる」
「だから編集するんでしょ」
真紗子は赤ペンで別の記事を直しながら答えた。
萌菜美は文章へ戻った。
二つ目。
《当事者が話したこと》
貴嗣は、自分を英雄と呼ばれることを望んでいない。
千馬は、自分を「無謀な被害者」から「実は英雄だった人」へ取り替える記事を望んでいない。
将輝は、七秒を切ったこと自体は認めている。
知正は、自分と貴嗣の確認不足について記載してよいと話している。
書いてから、萌菜美は全部を選択した。
「消す?」
「いや」
手を止める。
「これ、本人が言ったことではあるけど、今の文章だと私が要約しすぎてる」
「どうする?」
「引用するなら引用。要約するなら本人に見せる」
「うん」
本文から一度外し、確認待ちの欄へ移した。
三つ目。
《確認できていないこと》
ここは、昨日より書きやすかった。
《固定ベルトが不完全な状態になった直接原因。》
《その不完全な状態が、片づけ作業のどの時点で生じたか。》
《共同確認を実施していれば、確実に事故を防げたか。》
《十九秒の元映像に映っていない時間帯の全ての状況。》
最後の一行を書いて、萌菜美は少し考えた。
十九秒を見た時、自分は「本当は」と言いかけた。
十二秒より十九秒のほうが長い。
でも、長い映像ほど真実というわけではない。
「ここまでが事実整理」
「うん」
「問題は最後」
《この記事を書く側が判断したこと》
カーソルが点滅する。
「何を書く?」
真紗子が聞いた。
「それを考えてます」
「昨日、言ってたよね」
「何を」
「星」
萌菜美は頬杖をやめた。
十二秒を見た人は、貴嗣へ星五つをつけた。
千馬へ星一つをつけた。
十九秒を見た萌菜美は、その評価をひっくり返したくなった。
将輝が七秒を切ったと知ると、将輝へ低い点をつけたくなった。
安全確認の話を知ると、今度は貴嗣と知正へ評価を移した。
情報が増えるたび、自分の中の点数表だけが更新されていった。
「書きます」
「どうぞ」
萌菜美はキーボードへ手を置いた。
《私はこの事故を調べ始めた時、「本当に正しい人」が別にいるのだと思っていた。》
一度止まる。
続ける。
《十二秒では貴嗣が英雄に見えた。元映像が十九秒だと知った時、十二秒から消えた部分に、本当の答えがあると思った。七秒を切った人物が分かると、その人物に責任を置きたくなった。安全確認を省いた事実が分かると、今度はそこを事故原因だと考えたくなった。》
「『考えたくなった』?」
真紗子が聞く。
「私の話なので」
「なるほど」
次。
《けれど、確認できた事実が増えるほど、一人を「正しい側」へ置くことも、一人を「間違った側」へ置くこともできなくなった。》
萌菜美は読み返した。
「これ、甘くないですか」
「誰に?」
「みんなに」
「どうして」
「誰も悪くない、って逃げてるみたい」
「そう書いてる?」
「書いてないけど」
「じゃあ書いてない」
「でも、そう読まれるかも」
「だったら、必要なことを足せば」
萌菜美は考えた。
事故前、共同確認を省いたことは問題だった。
将輝が七秒を切ったことで、千馬の行動が見えなくなった。
十二秒を外へ流した誰かもいる。
千馬も、自分が危険な位置へ入った行動について、結果が良ければ全部正しいとは言っていない。
間違いがないわけではない。
「誰も悪くない、ではない」
萌菜美が言った。
「うん」
「一人が全部悪い、でもない」
「うん」
画面へ書く。
《これは「誰も悪くなかった」という話ではない。確認を省いたこと、必要な文脈が欠けた動画を共有したこと、確かめないまま他人を断定したこと。それぞれに問題はある。》
次の一文で止まった。
《ただし、一つの問題行動を、その人全体の評価へ広げることは別である。》
「それ」
真紗子が言った。
「何ですか」
「今の記事の中心に近いと思う」
「一つの行動と、その人全体を分ける」
「うん」
萌菜美は、貴嗣のことを考えた。
共同確認を省いた。
同時に、千馬を引いた。
将輝。
七秒を切った。
同時に、自分が動けなかった場面を見られたくないという、格好悪い理由を正直に話した。
千馬。
将輝を押した。
同時に、自分が危険へ残る行動を「正しかった」とは言い切らなかった。
知正。
確認を省いた。
同時に、それを貴嗣一人の責任にしないと言った。
一人の中に、複数の行動がある。
一つだけ取り出せば、人物像は簡単に作れる。
十二秒の動画のように。
「見出し、思いつきました」
「何?」
萌菜美は新しい行を作った。
《十二秒で、人を決める》
「記事タイトル?」
「仮です」
「いいんじゃない」
「『奇跡』入ってない」
「入れたい?」
「少し」
考える。
《十二秒の奇跡を、十二秒で決めない》
「長い」
「ですよね」
「今は仮でいい」
「保留」
「便利な言葉覚えたね」
「最初から使ってます」
萌菜美はまた本文へ戻った。
記事の中盤に、公開された動画のことを書く。
動画そのものが嘘ではないこと。
十二秒に映っている救出は実際に起きたこと。
しかし、その前に七秒があること。
ここで千馬の行動を具体的に書けば、本人の希望に反する。
だから現時点の下書きには、
《元映像には、送信用コピーに含まれない七秒がある。そこには複数の当事者の行動が映っており、十二秒だけを見た時とは異なる文脈が確認できる。》
とだけ書いた。
「ぼかしたね」
「千馬が使わないでって言ってるので」
「うん」
「でも『異なる文脈』だけだと、何か重大な秘密みたい」
「そう思う?」
「思います」
萌菜美は少し悩み、最後を変えた。
《その七秒については、映っている当事者への確認が終わっていないため、本稿では内容を記載しない。》
「これなら?」
「理由が分かる」
「じゃあ残します」
下書きは少しずつ長くなった。
事故の説明。
十二秒の動画。
十九秒の元映像。
将輝が送信用コピーから七秒を切った事実。
貴嗣と知正が、本来二人で行うべき指差し確認を省いた事実。
事故後、固定ベルトが正常な固定状態ではなかったこと。
その直接原因は未特定であること。
確認できていないことを、確認できたようには書かない。
そして、ここからが批評。
《問題は、短い動画だけではない。》
萌菜美は一度、手を止めた。
《動画を見た側は、十二秒しかないと知りながら、その十二秒の外側まで想像で埋めた。貴嗣を「本物の英雄」と呼び、千馬を「迷惑な生徒」と呼んだ。》
次。
《私も同じだった。七秒を知れば将輝を疑い、安全確認の事実を知れば貴嗣と知正を疑った。情報が増えるたび、誰か一人へ星をつけ直していた。》
「自分も入れるんだ」
真紗子が言った。
「入れないと、外から批評してるみたいになるので」
「うん」
「私も十二秒を見た側だから」
「それ、大事」
「褒めない」
「保留」
萌菜美は鼻から息を吐いた。
最後の段落は、なかなか書けなかった。
何を言いたいのかは分かっている。
でも、きれいにまとめると、それ自体が「正解」になりそうだった。
何度か書いて、消す。
《人は簡単に判断してはいけない。》
消す。
そんなことは誰でも言える。
《真実は一つではない。》
消す。
何でも相対化すればいいわけではない。
確認できた事実はある。
貴嗣が千馬を引いた。
共同確認を省いた。
将輝が七秒を切った。
固定ベルトは正常な状態ではなかった。
そういう事実まで曖昧にしてはいけない。
「書けない?」
真紗子が聞く。
「綺麗に終わりすぎるのが嫌です」
「終わらせなければ?」
「記事なのに」
「読者へ渡すところで止める」
「答えを出さずに?」
「全部出す必要ある?」
また同じ問い。
萌菜美は画面へ向いた。
最後に、こう書いた。
《確認できた行動には、確認できた範囲で責任がある。けれど、その一つだけで一人の人間を「正しい人」「間違った人」に決めることまで、事実が許しているわけではない。》
もう一文。
《十二秒を見た時、あなたは誰に星をつけただろう。十九秒を知ったら、その星を誰へ移すだろう。》
そして、
《その星は、本当に必要だろうか。》
萌菜美は手を離した。
「……これ」
「うん」
「レビューですか」
「私はそう思う」
「星、一個もつけてない」
「最初にそうしたかったんでしょ」
星を消したあとの白い紙面。
五つの星を全部消した場所。
そこへ、やっと別のものを置けた気がした。
「仮稿、できました」
「全部見せて」
「今?」
「私だけに見せるんでしょ」
「はい」
萌菜美は保存した。
ファイル名。
《短評欄_事故記事_仮稿01》
保存先は、新聞部の共有フォルダ。
そこで一瞬、手が止まった。
短評欄を作り始めた日の自分を思い出す。
「いつもの新聞部フォルダの中なので」
「あとで見ます」
今回は、共有設定を開いた。
閲覧者。
自分。
真紗子。
それ以外はいない。
「確認しました」
「えらい」
「普通です」
「前は普通じゃなかった」
「今回はやりました」
萌菜美は設定画面を閉じた。
真紗子へリンクを送る。
「届いた」
「今読んで」
「急かすね」
「今日中に直したい」
「締切まだあるよ」
「あるうちに直します」
真紗子が読み始める。
萌菜美は待つ。
そのあいだに、別の校内新聞の記事用に集めた資料を整理した。
数分後。
「方針はこれでいいと思う」
真紗子が言った。
「ほんと?」
「ただし、まだ出せない」
「分かってます」
「理由は?」
「当事者確認が終わってない。千馬の七秒部分は具体的に書いてないけど、将輝の編集、貴嗣と知正の確認不足は本人に最終確認する。学校側にも事故関係の事実確認を回す」
「うん」
「あと、見出し」
「それは最後でいい」
「はい」
真紗子は画面を閉じた。
「萌菜美」
「何?」
「この記事、誰が悪いかを決めない代わりに、読む側にかなり嫌なこと聞いてるよ」
「嫌なこと?」
「自分も星つけてなかった?って」
萌菜美は少し考えた。
「私もつけてたので」
「だから書けるんだと思う」
「読んだ人、怒りますか」
「怒る人はいるかも」
「それでも出す?」
「事実確認が終わって、萌菜美が責任持てるなら」
萌菜美は仮稿のファイル名を見た。
事故を解決する記事ではない。
誰かを救って終わる記事でもない。
十二秒を見た人へ、自分が何を決めたのかを問い返す記事。
そして、書いた自分自身も、その問いから外れない。
「明日、確認回します」
「うん」
萌菜美はもう一度、共有設定を開いた。
自分。
真紗子。
二人だけ。
今度こそ確認した。
確認できたと思ったのではない。
画面を見て、確かめた。
それからパソコンを閉じた。
【終】



