七秒の外側

第12話 分からないままにしておく

 翌朝、萌菜美は昨日書いた三行を消した。

 消して、また書いた。

 《貴嗣と知正は、二人で行うべき支柱固定の指差し確認を省いていた。》
 《事故後、固定ベルトが正常な固定状態ではなかったことは確認されている。》
 《ただし、固定が不完全になった直接原因は特定されていない。》

 読み返す。

 やはり弱い。

 何が弱いのか、自分でも分かっている。

 答えがない。

 十二秒の動画には答えがあった。

 貴嗣が助けた。
 千馬が助けられた。

 十九秒の映像にも、別の答えを作ろうと思えば作れた。

 千馬が将輝を助けた。
 将輝が七秒を切った。

 そこへ支柱の確認不足まで加われば、

 貴嗣と知正が事故を起こした。

 そう書くこともできる。

 でも、今の資料ではそこまで言えない。

 萌菜美は三行をもう一度選択した。

 削除キーへ指を置く。

「また消すの?」

 背後から真紗子の声がした。

「まだ消してません」

「指、乗ってるけど」

「考えてます」

「何を」

「読まれるかどうか」

 真紗子は萌菜美の隣へ椅子を持ってきた。

「どこが気になる?」

「『直接原因は特定されていない』」

「事実だね」

「はい」

「じゃあ何が嫌?」

「そこで終わるから」

「終わっちゃ駄目?」

「事故の記事ですよ」

 萌菜美は画面を指した。

「普通、何で起きたか知りたいじゃないですか」

「知りたいね」

「なのに『分かりません』で終わる」

「分からないから」

「でも、それじゃレビューにならない」

「どうして?」

「判断できないから」

 口にした瞬間、萌菜美は少し引っかかった。

 レビューとは判断するもの。

 良い。
 悪い。
 正しい。
 間違い。

 短評欄から消した五つの星が頭に浮かぶ。

 消したはずなのに、まだ自分の中に残っている。

「判断したいの?」

 真紗子が聞いた。

「記事として必要だと思います」

「誰が悪いか?」

「そこまでじゃなくても」

「じゃあ何を」

 萌菜美は答えられなかった。

 真紗子は急かさない。

 しばらく待ったあと、立ち上がった。

「昼まで残しといて」

「三行?」

「うん。消すのはいつでもできる」

 萌菜美は削除キーから指を離した。

 昼休み。

 知正は体育館横の自動販売機の前にいた。

 スポーツ飲料を買って、ふたを開けたところだった。

「知正」

「ん?」

「ちょっといい?」

「取材?」

「半分」

「もう半分は?」

「相談」

「新聞部に相談されるの怖いな」

「五分」

「じゃあ五分」

 二人は体育館の外壁沿いにあるベンチへ座った。

 萌菜美はノートを開かなかった。

「昨日の話なんだけど」

「支柱?」

「うん」

「追加で思い出したこと?」

「違う」

「じゃあ何」

「原因が分からない」

 知正は少し首をかしげた。

「昨日分かったんじゃないの?」

「何が」

「分からないって」

 萌菜美は眉を寄せた。

「それは分かった」

「じゃあ合ってる」

「合ってるけど、困る」

「何が?」

「記事」

 萌菜美は昨日の三行を口頭で説明した。

 二人が共同確認を省いたこと。
 事故後、固定ベルトが正常な状態ではなかったこと。
 その直接原因は特定できないこと。

 知正は黙って聞いた。

「それで?」

「それだけ」

「十分じゃない?」

「十分じゃない」

「なんで」

「何で事故が起きたのか分からないから」

「分からないんでしょ」

「だから困ってる」

 知正は飲み物を一口飲んだ。

「萌菜美、原因決めたいの?」

「決めたいというか、見つけたい」

「見つからなかったら?」

「もっと調べる」

「何を?」

「記録とか、証言とか」

「もう先生にも聞いたんだよね」

「聞いた」

「俺と貴嗣にも」

「聞いた」

「将輝にも、千馬にも」

「うん」

「十九秒も見た」

「見た」

「それでも分からない」

「だから、まだ何か」

「あるかもしれない?」

「うん」

「ないかもしれない?」

 萌菜美は黙った。

 知正は少しだけ笑った。

「俺も、最初はそうだった」

「何が」

「原因」

「見つけたかった?」

「一個にしたかった」

 知正はペットボトルを両手で持った。

「俺か貴嗣の締め方が悪かった。器具が壊れてた。誰かが台車にぶつかった。何でもいいから、一個に決まってほしかった」

「どうして」

「そのほうが楽だから」

 貴嗣も前に似たことを言った。

 原因が決まれば、謝る相手も、謝り方も分かる。

「今は違う?」

「諦めた、に近いかも」

「諦めるの?」

「適当に決めるよりは」

「でも、事故だよ」

「事故だからだよ」

 知正の声から、いつもの軽さが少し消えた。

「俺と貴嗣が確認しなかったのは事実。そこは逃げない。でも、それが直接の原因だったって証拠がないのも事実」

「可能性はある」

「ある」

「確認してたら気づけた可能性も」

「ある」

「だったら」

「可能性を、事実に変える?」

 萌菜美は言葉を止めた。

「記事って、そういうことしていいの?」

「しない」

「じゃあ、分からないなら、分からないままにしておくのも事実だ」

 風が吹いた。

 体育館の換気口から、ボールが床へ当たる音が聞こえる。

 萌菜美は知正を見た。

「分からないままにしておく」

「うん」

「逃げてるみたい」

「誰が?」

「書く側が」

「分かったふりするほうが逃げじゃない?」

 萌菜美は返せなかった。

 知正は続けた。

「俺、自分の確認不足は書いていいって言ったよね」

「うん」

「貴嗣も言った」

「うん」

「じゃあそこは書いて」

「書く」

「分からないところは?」

「分からないって書く」

「それでいいんじゃない」

「読んだ人は納得しないかもしれない」

「する必要ある?」

 萌菜美は目を細めた。

「記事なのに?」

「記事読んだ全員が同じ答えになるのが正解?」

 また、その言葉だった。

 正解。

 萌菜美は少し苛立った。

「知正は簡単に言うね」

「簡単?」

「自分は取材される側だから」

 知正の表情が止まった。

 萌菜美は言ってから、少し強すぎたと思った。

 でも引っ込めなかった。

「私は書いたものが残る。誰かが読む。間違ってたら、私が書いた文章のせいになる」

「うん」

「『分かりませんでした』って書いたら、逃げたと思われるかもしれない」

「うん」

「調べ方が足りないって言われるかもしれない」

「うん」

「だったら、できるだけ答えを出したい」

 知正はしばらく黙った。

「萌菜美」

「何」

「俺も残るよ」

「何が」

「記事に名前が出なくても、確認を省いたことは残る」

 萌菜美は黙った。

「俺が取材される側だから簡単、っていうのは違う」

「……ごめん」

「いいよ」

 知正はいつものように笑った。

 でも今度は、笑って終わらせなかった。

「俺は、書いてほしい」

「確認を省いたこと?」

「うん」

「怖くない?」

「怖いよ」

「じゃあどうして」

「事実だから」

 萌菜美は自分が何度も使ってきた言葉を、知正の口から聞いた。

「でも、『俺らが確認を省いたから事故が起きた』って断定されたら嫌だ」

「事実じゃないから」

「そう」

「じゃあ、どこまでなら」

「確認できたところまで」

「地味だよ」

「地味でいいじゃん」

「読まれない」

「読ませるのは文章の仕事でしょ。原因を作る仕事じゃない」

 萌菜美は顔を上げた。

「今の、記事に使っていい?」

「相談じゃなかった?」

「いい言葉だったから」

「急に取材へ戻るなよ」

「引用はしない。自分用」

「ならいい」

 萌菜美はそこで初めてノートを開いた。

 ――読ませるために原因を作らない。

 書いた。

 その下に、

 ――分からないなら、分からないままにしておくのも事実。

 と書く。

 知正が横からのぞいた。

「二個目、俺の発言?」

「そう」

「格好よく書いて」

「そのまま」

「じゃあしょうがない」

 五分はとっくに過ぎていた。

 知正が立ち上がる。

「部活行く」

「ありがとう」

「記事、できたら見せて」

「事実確認で」

「評価はさせてもらえない?」

「星はつけません」

「まだそれやってるんだ」

 知正は笑って体育館へ入っていった。

 萌菜美はベンチに残った。

 分からないままにする。

 それは、調べるのをやめることではない。

 確認できない部分を、都合のいい答えで埋めないこと。

 そう考えると、少しだけ意味が変わった。

 新聞部室へ戻り、朝の三行を開く。

 今度は消さなかった。

 その下へ一行追加した。

 《現時点の資料では、固定が不完全になった直接原因を一人の操作へ結びつけることはできない。》

 読み返す。

 やはり地味だった。

 でも、昨日より嫌ではない。

「残したんだ」

 真紗子が言った。

「はい」

「何かあった?」

「知正に言われました」

「何て?」

「分からないなら、分からないままにしておくのも事実だって」

 真紗子は一度だけ瞬きをした。

「いいこと言うね」

「悔しいです」

「なんで」

「私が先に気づきたかった」

「それは無理でしょ。当事者が考えたことなんだから」

「でも担当者なので」

「担当者は全部最初に気づく人じゃないよ」

 真紗子は赤ペンを置いた。

「聞いて、確かめて、残す人」

 萌菜美は画面へ戻った。

 聞く。
 確かめる。
 残す。

 そこに「答えを出す」は入っていなかった。

「真紗子」

「ん?」

「昔の新聞って、訂正記事ありますか」

「あるよ」

「原因を間違えて書いたとか」

 真紗子の手が止まった。

「ある」

「見たいです」

 真紗子はすぐに立ち上がらなかった。

 しばらく萌菜美を見たあと、部室の一番下の棚へ向かった。

 創刊号から並ぶ古い校内新聞。

 黄ばんだ背表紙の中から、一冊を抜く。

「これ」

 机の上へ置かれたファイルは、萌菜美が生まれるより前の年度のものだった。

 真紗子はページをめくり、途中で止めた。

 小さな枠で囲まれた記事。

 見出しは、

 《前号記事についての訂正とお詫び》

 だった。

「何を間違えたんですか」

 萌菜美が聞く。

 真紗子はページから手を離した。

「確認できないことを、確認できたみたいに書いた」

 萌菜美は椅子を引き寄せた。

 小さな訂正欄の下に、びっしり文字が並んでいる。

 その紙面だけ、ほかの記事より重く見えた。
【終】