七秒の外側

第11話 二人とも、相手が

 知正は、放課後の図書室前で待っていた。

 部活へ行く前らしく、ジャージ姿のまま壁にもたれている。

「場所、ここでいい?」

「うん。図書室の中だと声出せないし」

「取材なのに?」

「俺、静かに話すの苦手だから」

 知正は笑った。

 いつもの笑い方だった。

 萌菜美は、その笑顔に意味をつけないようにしてノートを開いた。

「録音は?」

「いいよ」

「本当に?」

「あとで『言った』『言ってない』になるほうが面倒だから」

 萌菜美は録音を開始し、時刻をノートへ書いた。

「昨日、貴嗣から支柱の片づけについて聞いた」

「うん」

「知正と貴嗣の二人で、使わない支柱を運搬台車へ戻した」

「そう」

「先生から、固定ベルトをかけたあと、二人で指差し確認するように言われてた」

「言われた」

「やった?」

 知正の笑顔が消えた。

「やってない」

 返事は早かった。

 萌菜美は書く。

 《知正:共同の指差し確認は実施していない》

「どうして?」

「貴嗣が確認したと思ってたから」

 ペン先が止まった。

「昨日、貴嗣は反対のことを言ってた」

「反対?」

「知正が確認したと思ってたって」

 知正は一度、目を閉じた。

「やっぱり」

「知ってた?」

「事故のあとに話したから」

「その時に分かった?」

「うん」

 萌菜美は質問を一つ戻した。

「事故の日、片づけてる時は、貴嗣が確認したと思ってた」

「そう」

「根拠は?」

「貴嗣がベルト触ってたから」

「『確認した』って言われた?」

「言われてない」

「指差ししてるのを見た?」

「見てない」

「じゃあ、何を見て確認したと思ったの?」

 知正は少し考えた。

「ベルトを金具に通してたところ」

「それだけ?」

「それだけ」

「最後にロックがかかったかは?」

「見てない」

「引っ張って確かめた?」

「してない」

「貴嗣と一緒に『固定よし』って言った?」

「言ってない」

 一つずつ答えるたび、知正の声が少し低くなった。

「俺、貴嗣が最後までやったと思った」

「貴嗣は、知正が最後に確認すると思ってた」

「うん」

「二人とも、相手が確認したと思ってた」

「そういうことになる」

 萌菜美はその一文を囲んだ。

 《二人とも「相手が確認した」と思い込み、共同確認を省いた》

「これ、記事に書いていい?」

「いい」

「貴嗣も同意してる」

「ならいい」

「誰か一人が確認を忘れた、とは書かない」

「うん。二人ともやってないから」

 知正は言って、視線を床へ落とした。

「そこ、俺も逃げたくない」

「逃げたくない?」

「貴嗣だけのせいになったら違うから」

「自分も確認してない」

「そう」

「じゃあ、二人の確認不足が事故原因?」

 萌菜美が聞くと、知正はすぐに首を振らなかった。

 少し考えてから答えた。

「分からない」

「でも確認してれば、防げた可能性はある」

「あると思う」

「じゃあ」

「可能性と原因は同じ?」

 昨日の貴嗣と似た返しだった。

 萌菜美は口を閉じた。

「先生から聞いたのは」

 知正が続ける。

「事故のあと、ベルトがちゃんと固定されてなかったってこと。でも、なんでそうなってたかまでは分からないって」

「何が分からない?」

「俺も全部は聞いてない。萌菜美、自分で先生に確認したほうがいい」

「する」

「そのほうがいい」

 知正は廊下の窓から外を見た。

 グラウンドでは陸上部が走っている。

「俺さ」

「何?」

「事故のあと、貴嗣に『確認した?』って聞かれた時、最初、意味分かんなかった」

「どうして」

「俺の中では、貴嗣がやったことになってたから」

「それで?」

「『お前がしたんじゃないの』って返した」

「貴嗣は?」

「『知正がやったと思ってた』って」

 知正は苦笑した。

「二人で、しばらく黙った」

「そのあと先生に?」

「うん。二人で話した」

「すぐ?」

「保健室から二人が戻って、授業が終わったあと」

「学校には当日中に伝えた」

「そう」

「クラスには?」

「言ってない」

「どうして」

「調べてる途中だったから」

「それだけ?」

 知正は黙った。

 萌菜美は待った。

「……怖かったのもある」

「何が?」

「自分のせいかもしれないって思うこと」

 貴嗣と同じだった。

 でも、言い方は少し違う。

「貴嗣が千馬を引いたの、見たよね」

「見た」

「その直後、みんな貴嗣を褒めた」

「うん」

「知正はどう思った?」

「すごいと思った」

「確認不足のことを知ってても?」

「それとこれは別じゃない?」

 知正はすぐ答えた。

「貴嗣が千馬を引いたのは、本当にすごかった」

「でも、事故前の片づけでは二人とも確認を省いた」

「そう」

「両方ある」

「うん」

 萌菜美はノートへ書く。

 《救出行動と確認省略は同じ人物の別の行動》

 知正がその文字をのぞき込んだ。

「それ、当たり前だけど、記事になると忘れそうだな」

「どういうこと?」

「人って、一個のことで全部決めるじゃん」

「英雄とか?」

「そう。あとは犯人とか」

 知正は窓から離れた。

「貴嗣が助けたから、全部正しい人になる。俺らが確認しなかったから、全部悪い人になる。将輝が動画切ったから、全部悪意だったことになる」

「千馬は?」

「十二秒だと、全部無謀だったことになる」

 萌菜美はペンを止めた。

 千馬が前に言った言葉を思い出す。

 取り替えるだけなら同じ。

「知正は、誰が悪いと思う?」

「またそれ?」

「前にも聞いた」

「答え、変わってないよ」

「分からない?」

「うん」

「自分が悪くないって言いたいから?」

「俺の確認不足は悪い」

「でも事故全体では?」

「分からない」

 知正は珍しく、笑わずに言った。

「だから、一人にまとめないでほしい」

「一人にまとめない」

「それだけ」

「でも記事には、何が起きたか書かないといけない」

「書けばいいじゃん」

「分からないところもある」

「分からないって書けば?」

 萌菜美は知正を見た。

「前にも似たこと言ってた」

「そう?」

「犯人とか英雄とか、早く決めないほうがいいって」

「うん」

「それ、今回のことがあったから?」

 知正は少し考えた。

「たぶん」

「たぶん?」

「いや」

 一度言い直した。

「今回のことがあって、そう思った」

 萌菜美はその訂正も記録した。

「俺、事故のあとずっと、何か一個分かれば楽になると思ってた」

「何か一個?」

「ベルトの不具合とか。俺か貴嗣の締め方とか。そういう、これが原因ですってやつ」

「原因が決まれば」

「謝る相手も、謝り方も分かるから」

 貴嗣も似たことを言っていた。

 原因が自分だと決まれば、怒られるのも謝るのもやることが決まる。

「でも、まだ決まってない」

「うん」

「それが嫌?」

「嫌だよ」

 知正は即答した。

「俺、基本、先のこと考えるより動くほうだけど、これだけは動き方分かんない」

 そこだけ、知正のいつもの明るさとは違った。

 萌菜美は意味を足さず、言葉だけをノートへ残した。

「ありがとう」

「もう終わり?」

「最後に一個」

「どうぞ」

「指差し確認を省いたこと、後悔してる?」

「してる」

「どのくらい」

「そういうの点数つける?」

「つけない」

「じゃあ、してるでいい」

「分かった」

 萌菜美は録音を止めた。

 知正は立ち上がり、肩にかけていた鞄を直した。

「部活行っていい?」

「うん」

「記事、できたら読ませて」

「公開前に事実確認をお願いする」

「楽しみではないけど、読む」

 知正は廊下を走りかけて、三歩目で歩き直した。

 図書室前だからだろう。

 萌菜美はその背中を見送り、すぐに体育教師を探した。

 今度は、動画ではなく支柱について聞くために。

 体育教師は体育準備室にいた。

 床へ置かれたボールかごの数を数えている。

「また新聞?」

「はい。五分いいですか」

「今度は何秒調べるんだ」

「秒じゃないです」

「冗談だよ」

 教師はボールかごから離れた。

「支柱の固定について確認したいです」

「事故原因の話か」

「原因を断定したいわけじゃなくて、今どこまで確認できてるかです」

 萌菜美はノートを開いた。

「事故後、運搬台車の固定ベルトが不完全な状態だったことは確認できていますか」

「それは確認できてる」

「具体的には?」

「支柱を保持するためのベルトが、正常に固定された状態ではなかった」

「それで支柱が動いた?」

「結果としてはな。ただし」

 教師はそこで言葉を切った。

「そこから先を一つに決める材料がない」

「何が考えられるんですか」

「例えば、最初から締め込みが足りなかった。ロック部へベルトがきちんと噛み込んでいなかった。台車を動かした時に緩んだ。可能性としてはいくつかある」

「どれだったかは?」

「断定できない」

「記録は?」

「事故前のベルト部分を近くから撮った映像はない。十九秒の動画でも細部までは映ってない」

「器具の故障は?」

「点検では、明確な破損は見つかってない。ただ、それだけで事故当時の固定状態を完全に再現できるわけでもない」

 萌菜美は一つずつ書いた。

 《事故後:ベルトが正常固定状態ではなかった=確認済み》
 《原因候補:締結不足/ロック部の噛み込み不良/移動時の緩み等》
 《どれが直接原因か=記録不足で断定不可》
 《明確な器具破損=点検では確認されず》

「貴嗣と知正が共同確認を省いたことは?」

「本人たちから当日に申告を受けてる」

「そこは確定?」

「確定」

「共同確認していれば、不完全固定に気づけた?」

 教師は少し考えた。

「気づけた可能性はある」

「可能性」

「そう」

「防げたと言い切れない?」

「言い切れない。確認時点でどういう状態だったかを示す記録がないから」

「でも、確認手順を省いたこと自体は問題」

「それはそうだ」

 萌菜美は大きく二つに分けて書いた。

 《確定していること》
 ・二人で行うべき指差し確認を省いた。
 ・事故後、ベルトは正常固定状態ではなかった。

 《確定していないこと》
 ・誰のどの操作で不完全固定になったか。
 ・共同確認をしていれば必ず事故を防げたか。
 ・不完全固定の直接原因が何だったか。

 見た瞬間、少し落ち着いた。

 白と黒ではない。

 確定と未確定。

 それなら分けて書ける。

「先生」

「ん?」

「『確認不足が事故の原因だった』って書いたら間違いですか」

「今の資料だけなら、断定が強すぎる」

「『確認不足が事故につながった可能性がある』は?」

「それなら、何の可能性かを丁寧に書け。共同確認をしていれば不完全固定へ気づけた可能性がある、くらいだな」

「分かりました」

「新聞って大変だな」

「先生に言われたくないです」

「なんで」

「こっちは十九秒で三日使ってます」

 教師が笑った。

「じゃあ、急ぐな」

「締切あります」

「締切が原因を作ってくれるわけじゃないだろ」

 萌菜美は返事をしなかった。

 その言葉も、ノートには書かなかった。

 新聞部室へ戻ると、真紗子が紙面の校正をしていた。

「知正、どうだった?」

「貴嗣と同じでした」

「同じ?」

「二人とも、相手が確認したと思ってた」

 真紗子の赤ペンが止まる。

「先生にも確認しました。二人で指差し確認を省いたことは確定。でも、ベルトが不完全になった直接原因は分からない」

「そこまで分けられた?」

「はい」

 萌菜美はノートを見せた。

 真紗子は《確定していること》《確定していないこと》の二つの欄を読み、うなずいた。

「これなら、今までより書けそう?」

 萌菜美は答える前に、少し考えた。

「逆です」

「逆?」

「分からないことが、はっきりしました」

「それで?」

「書きにくくなりました」

 真紗子は笑った。

「いい傾向」

「どこがですか」

「最初は、分からないところまで書こうとしてたから」

 萌菜美はパソコンを開いた。

 空白の下書き。

 題名だけが残っている。

 《十二秒の奇跡をレビューする》

 その下に、初めて事実関係を三行だけ書いた。

 《貴嗣と知正は、二人で行うべき支柱固定の指差し確認を省いていた。》
 《事故後、固定ベルトが正常な固定状態ではなかったことは確認されている。》
 《ただし、固定が不完全になった直接原因は特定されていない。》

 読み返す。

 誰も英雄ではない、とも書いていない。

 誰が犯人だ、とも書いていない。

 ただ、分かっているところまで。

「地味」

 萌菜美が言った。

「記事として?」

「はい」

「いいんじゃない」

「読まれますか」

「強い断言より弱いかもね」

「意味ないです」

「じゃあ、強くするために原因作る?」

 萌菜美は真紗子を見た。

「作りません」

「なら、その地味さに耐えるしかない」

 萌菜美は画面へ戻った。

 確定していることを書く。

 確定していないことも書く。

 それでは、誰もきれいに救えない。

 誰もきれいに裁けない。

 でも、それが今ある事実だった。

 萌菜美は三行の下へ、もう一行だけ打った。

 《分からないことを、誰か一人の責任で埋めない。》

 その一文は事実ではない。

 記事を書く自分の方針だった。

 萌菜美はそこだけ括弧で囲み、まだ本文には入れなかった。
【終】