七秒の外側

第10話 確認したと思っていた

 貴嗣の話を聞いたのは、新聞部室ではなく、翌日の放課後の空き教室だった。

「ここなら誰も来ないと思う」

 貴嗣はそう言って、窓際の一番後ろの席へ座った。

 萌菜美は向かいの椅子を引いた。

「録音していい?」

「今日はなしで」

「分かった。メモは?」

「いいよ」

 貴嗣は机の上に両手を置いた。

 いつもなら、何か一つくらい冗談を言う。

 今日は言わない。

「昨日、『事故の前のこと』って言ってたよね」

「うん」

「支柱の?」

「そう」

 萌菜美はノートを開いた。

「どこから話す?」

「授業始まる前」

 貴嗣は窓の外を一度見た。

「俺と知正で、使わない支柱を台車に戻した」

「事故の日に私も見た」

「途中まではね」

「何をしたか、順番に聞いていい?」

「どうぞ」

「支柱を台車に載せた」

「うん」

「固定ベルトをかけた?」

「かけた」

「誰が?」

「俺」

 萌菜美は書いた。

 《固定ベルトを支柱へ回した=貴嗣》

「締めたのも?」

「たぶん俺」

「たぶん?」

「そこ、正確に言う」

 貴嗣は少し考えた。

「ベルトを回して、金具に通したところまでは俺。最後に固定する操作を、どこまで自分でやったかは記憶が曖昧」

「事故から何日も経ってるから?」

「それもある。でも当時、普通の片づけだったから」

「特別に覚えてなかった」

「そう」

 萌菜美は「締めた」と書きかけた行を消した。

 《ベルトを回し金具へ通した=貴嗣》
 《最終固定操作=本人の記憶では断定不能》

「先生、二人で指差し確認しろって言ってたよね」

 貴嗣の顔が少し硬くなった。

「言ってた」

「やった?」

「やってない」

 萌菜美はペンを止めた。

「二人とも?」

「少なくとも、俺は知正と一緒にはやってない」

「『固定よし』みたいに確認する手順?」

「そう」

「どうして?」

 貴嗣は机の木目を見た。

「知正が確認したと思ったから」

「そう言われた?」

「言われてない」

「見た?」

「見てない」

「じゃあ、どうしてそう思ったの」

「俺が台車から離れたあと、知正がまだ近くにいたから」

 萌菜美は書いた。

 貴嗣がベルトへ触る。
 知正は近くに残る。
 貴嗣は、知正が最終確認すると思う。

「知正に『あとお願い』って言った?」

「たぶん言ってない」

「何か合図は?」

「ない」

「じゃあ、知正がやる根拠は」

「ないね」

 貴嗣は自分で言って、笑わなかった。

「俺の中だけで、知正が確認することになってた」

 萌菜美はその言葉をそのまま書いた。

「事故が起きたあと、すぐ思い出した?」

「支柱が倒れた時に」

「いつ?」

「体育館で、先生がベルト見てた時」

「その場で言わなかったの?」

「言えなかった」

「どうして」

「怖かったから」

 即答だった。

 萌菜美は顔を上げた。

 貴嗣は少し口元を曲げた。

「格好悪いでしょ」

「将輝と同じ言い方」

「そうかも」

「何が怖かった?」

「俺のせいかもしれないって言うのが」

 貴嗣は机の上で指を組んだ。

「支柱が倒れた。俺は確認してない。じゃあ、俺がちゃんと見てれば倒れなかったのかもしれない」

「でも、その時は原因まで分からない」

「分からないから怖いんだよ」

 萌菜美は黙った。

「『俺が原因です』なら、まだ言える。怒られるのも、謝るのも、やること決まるから」

「でも実際は」

「俺が原因かもしれないし、違うかもしれない」

「それで黙った?」

「最初は」

「知正には?」

「保健室から戻ったあとに聞いた」

「何て?」

「『確認した?』って」

「知正は?」

 貴嗣は少し息を吐いた。

「そこは、知正本人に聞いて」

「答えを知ってる?」

「知ってる。でも、俺から言うのは違う」

「取材として必要でも?」

「だから知正に聞けばいい」

「分かった」

 萌菜美はノートへ、

 《知正側の認識=本人へ確認》

 と書いた。

「貴嗣自身について続けるね」

「うん」

「そのあと、先生には伝えた?」

「事故当日の放課後」

「確認を省いたこと?」

「俺が共同確認してないことは言った」

「知正のことも?」

「知正も一緒に先生へ話した」

「じゃあ学校は知ってる」

「最初から」

 萌菜美のペンが止まった。

「それ、私には今まで誰も言わなかった」

「事故原因の調査中だからじゃない?」

「体育の先生も」

「先生は、原因を断定してないでしょ」

「でも、共同確認を省いた事実は」

「聞かなかったんじゃない?」

 言われて、萌菜美は言葉に詰まった。

 自分は動画を中心に聞いていた。

 十九秒。
 十二秒。
 消えた七秒。

 支柱そのものについては、「原因を調査中」としか確認していない。

「……聞いてない」

「じゃあ、隠されたわけじゃない」

「そうだね」

 少し悔しい。

 でも、その悔しさは教師へ向けるものではなかった。

 自分がどこを見ていたかの問題だった。

「貴嗣」

「何」

「最初からこれを言わなかったのは、記事にされるのが嫌だった?」

「それもある」

「ほかには?」

「千馬のこと」

「千馬?」

「俺が確認を省いたって広がったら、事故の原因が俺だって話になるかもしれない」

「今の動画と逆になる」

「そう」

 貴嗣は自嘲するように笑った。

「英雄から犯人。分かりやすいでしょ」

「自分が悪く言われたくなかった?」

「もちろん嫌だよ」

「自分に正直だね」

「そこ、褒めるところ?」

「確認」

「じゃあ確認できました」

 貴嗣は少し笑った。

 やっと、いつもの調子が一瞬だけ戻った。

「でも、それだけじゃない」

「何?」

「俺が原因って決まったら、知正のことまで勝手に話さないといけなくなる」

「二人で片づけたから?」

「うん」

「知正を守りたかった?」

「そんな格好いい言い方じゃない」

「じゃあ?」

「俺が自分の分だけ話せば済む状態じゃなかった」

 貴嗣はゆっくり言った。

「だから、誰か一人が『原因はこれ』って決めるまで黙ってたほうが楽だった」

「楽だった」

「そう」

「正しいと思ってた?」

「思ってない」

 貴嗣は即答した。

「でも、間違いとも言い切れなかった」

「どうして」

「学校には話してる。隠して調査を止めたわけじゃない」

「クラスや新聞には言わなかった」

「言う必要があるか分からなかった」

「その間、貴嗣は英雄って呼ばれてた」

「だから嫌だった」

 貴嗣の声が少し強くなった。

「俺、助けたこと自体を否定したいわけじゃない」

「千馬を引いた」

「うん。あの時は引くしかないと思った」

「じゃあ、そこは正しいと思う?」

 貴嗣は少し考えた。

「結果だけなら」

「結果だけ」

「千馬が無事だったから」

「でも事故の前には確認を省いてた」

「そう」

「それで、自分を英雄って言われるのが嫌だった」

「そう」

 萌菜美はノートに二つの行を書いた。

 《事故直前:千馬を引いた》
 《事故前:共同確認を省いた》

 同じ人の行動。

 どちらも事実だった。

「一個聞いていい?」

「どうぞ」

「もし、確認を省いたことが事故の直接原因じゃなかったと分かったら、英雄って呼ばれても平気?」

 貴嗣は少し笑った。

「嫌」

「どうして」

「大げさだから」

「それだけ?」

「あと、英雄って言われると、千馬が何もしてない人みたいになる」

 萌菜美はペンを止めた。

「十九秒、知ってる?」

「内容は千馬から聞いた」

「千馬が将輝を押した」

「うん」

「じゃあ、貴嗣も千馬と同じ?」

「何が」

「助けた人を一人にしないでほしい」

 貴嗣は少し考えた。

「それもある。でも」

「でも?」

「別に全員を英雄にしなくてもよくない?」

 萌菜美は黙った。

「千馬が将輝を押した。俺が千馬を引いた。それで十分じゃない?」

「評価しない?」

「何点つけても、支柱倒れた事実は変わらないし」

 短評欄の仮レイアウトから消した五つの星を思い出した。

「じゃあ、誰が悪いと思う?」

 萌菜美が聞く。

 貴嗣は苦笑した。

「来たね」

「必要だから」

「俺は、俺の確認不足は悪かったと思う」

「知正は?」

「本人に聞いて」

「将輝が七秒を切ったことは?」

「良くはないと思う」

「千馬は?」

「何が悪いの」

「無謀に動いた可能性」

「将輝が危なかったんだろ」

「自分も危険に入った」

「それは本人も分かってる」

「じゃあ、事故全体で一番悪いのは?」

 貴嗣はしばらく答えなかった。

 窓の外で、運動部が掛け声を上げている。

「分からない」

「本当に?」

「本当に」

「自分じゃないって言いたいからじゃなくて?」

「そう思うならそう書けば」

 声は穏やかだった。

 怒ってはいない。

 萌菜美は質問をやめなかった。

「でも、共同確認してれば防げた可能性はある」

「ある」

「じゃあ」

「可能性で、一番悪い人決めるの?」

 萌菜美の口が止まった。

 貴嗣は続けた。

「俺が確認してないことは書いていいよ」

「いいの?」

「事実だから」

「知正と一緒に確認する手順だったことも?」

「いい。でも、知正の側は本人に聞いてから」

「分かった」

「あと」

 貴嗣は萌菜美のノートを指した。

「『確認しなかったから支柱が倒れた』って書くなら、根拠も書いて」

「まだ原因は確定してない」

「なら、そう書いて」

「共同確認を省いた事実と、直接原因が未確定なことを分ける?」

「それ」

 萌菜美は書いた。

 《共同確認省略=確定》
 《支柱の固定不十分との直接因果=現時点で断定不可》

 書いた直後、違和感があった。

「固定不十分なのは確定?」

「先生からはそう聞いた。でも、そこも自分で確認して」

「分かった」

 また一つ、質問が増えた。

 十九秒を見れば終わると思った。

 将輝の理由を聞けば、記事の方向が決まると思った。

 でも、今度は映像の外側から、別の事実が出てきた。

「貴嗣」

「何」

「どうして今、話そうと思ったの?」

 貴嗣は窓の外を見た。

「将輝が七秒切った理由を話したって聞いたから」

「それで?」

「将輝だけが悪いやつになるの、違うと思った」

「将輝を守るため?」

「半分」

「もう半分は?」

「俺がずっと黙ったまま、記事だけ読んで『違うのに』って思うの、もっと格好悪いから」

 貴嗣は笑った。

 今度の笑い方には、自虐だけでなく少し照れが混じっていた。

「自分に正直?」

「たぶん」

「たぶん?」

「そこは確認しなくていい」

 萌菜美も少し笑った。

 取材を終え、空き教室を出る。

 廊下の向こうに知正がいた。

 部活へ向かう途中らしく、ジャージ姿で鞄を肩にかけている。

 貴嗣が先に手を上げた。

「知正」

「お、終わった?」

「俺の分は」

 知正の視線が萌菜美のノートへ移った。

 それだけで、何を話したか察したようだった。

「そっか」

 知正はいつものように笑った。

 でも、その笑顔は少し硬い。

 萌菜美はノートを閉じなかった。

「知正」

「うん」

「明日、取材していい?」

 知正は一瞬だけ貴嗣を見た。

 貴嗣は何も言わない。

「支柱の確認のこと?」

「うん」

 知正は短く息を吐いた。

「いいよ」

「放課後?」

「それで」

 知正は明るく答えた。

 明るく答えたのに、歩き出すまでに少しだけ時間がかかった。

 萌菜美は、その間をノートには書かなかった。

 表情や間は、事実ではある。

 でも、その意味までは確認していない。

 今度は、先に決めなかった。
【終】