写真展へ行ってから三日後、修也からメッセージが届いた。
『明日、文化祭の写真まとめるんだけど、学校来る?』
夏休みに入ってからも、文化祭実行委員は何度か登校することになっていた。次の作業日は明後日。でも、写真の整理だけなら先に進めてもいい。
『行ける』
そう返すと、『じゃあ十時くらいに写真部いる』と返ってきた。晴に、そのことを伝えるべきか少し迷った。文化祭の作業なのだから、実行委員の晴にも共有した方がいいのかもしれない。
でも、明日は正式な作業日ではない。写真の確認だけ。修也と私で済むなら、部活のある晴をわざわざ呼ぶ必要はない。そう考えて、連絡はしなかった。送らないと決めたあとも、一度だけ晴とのメッセージ画面を開いていた。だけど、何も打たずに閉じた。
◇
翌日学校へ着くと、校舎は普段よりずっと静かだった。運動部の声は聞こえる。グラウンドから笛の音。体育館の方から、ボールが床へぶつかる音。それでも、授業がないだけで学校全体が別の建物みたいに感じられた。
写真部の部室は、特別教室棟の三階にある。扉を開けると、修也が一人でパソコンに向かっていた。
「あっ、真帆。来てくれてありがとう」
「ううん、暇だったから」
そう言って私は部屋を見渡す。部室には机が四つ。壁には、過去の写真が何枚も飾られていた。窓際には大きなプリンター。そして修也の周りには、印刷した写真が広げられていた。
「これ、全部文化祭用?」
「半分くらい」
「多い」
「ここから絞るよ」
椅子を一つ借りて、隣へ座る。修也は、写真を選ぶのが遅いと言っていた。一枚ずつ長く見る。だけど私は、使い道が決まっていれば比較的早く決められる。
「真帆、これは?」
「いる」
「こっちは?」
「なくてもいい」
「すごい、即答」
「だって、同じ構図がもう一枚あるから」
「あ、ほんとだ。じゃあこっち外すか」
作業は思ったより早く進んだ。二人でいることにも、以前より慣れていた。写真展へ行く前ほど緊張しない。修也と話すのは楽だ。返事を急かされない。黙っていても気まずくない。考えたことを話せば、最後まで聞いてくれる。
いい人だと思う。何度考えても、それは変わらなかった。だからこそ、その先を考えるたびに、胸が重くなる。
「そういえばこの前の写真、三好に見せた?」
修也がパソコンを操作しながら言った。
「……うん」
「どうだった?」
「好きって言ってた。晴、青が好きだから」
「三好が? 詳しいね」
また言われた。以前なら、すぐ理由を足していたと思う。文化祭で一緒だから。よく話すから。友達だから。でも今回は、言葉が続かなかった。
「……まあね」
そう短く答えるだけだった。
作業は昼前に終わった。修也が一度伸びをして、パソコンの保存ボタンを押す。
「ありがとう。真帆のおかげで、めっちゃ早く終わった。助かったよ」
「それなら良かった」
「昼どうする?」
「帰って食べるつもりだったけど」
私が答えたそのあと、少しの間があった。
「駅まで一緒に行かない?」
断る理由はなかった。私は頷き、修也と並んで部室を出る。廊下は静かだった。階段を下りる途中、窓の向こうに体育館が見えた。扉が開いている。中からは、ボールの音が規則的に響いていた。
晴は、今日も練習だと言っていた。あの体育館にいるのだろうか。考えた瞬間、歩く速度が落ちた。
「寄ってく?」
私を見て、修也が言った。
「え?」
「体育館。三好いるんじゃない?」
その言葉に、足が止まりそうになった。
「……別に、会わなくていいよ」
「そう?」
修也はそれ以上言わなかった。ただ前を向いて、また歩き始める。私も後を追う。空気が変わった気がした。修也が何を考えているのか、分からない。でも、自分から聞くこともできなかった。
校門を出ると、日差しが一気に強くなった。
「暑いな」
修也が言う。
「言っても温度下がらないよ」
「真帆、相変わらず正論」
そんなことを言い合いながら、駅までの道を歩く。途中に小さな公園があった。木陰のベンチを見つけて、修也が足を止める。
「ちょっと話してかない?」
「……いいよ」
二人で座り、近くの自動販売機で買った水を飲む。蝉の声が、うるさいくらいに近かった。しばらく、何も話さなかった。修也はペットボトルを両手で持ったまま、足元を見ている。いつもより静かだった。
「修也……どうしたの?」
「考えてる」
「珍しい」
「俺も考えるよ」
修也が笑った。でも、その笑いはすぐ消えた。そして、また足元を見る。何かある。たぶん分かった。分かったから、私は少し怖くなった。何を言われるのか、予想がつかないわけではない。写真展。二人で出かけた。また誘っていいか聞かれた。今日も二人で学校へ来た。
もし。もし、修也が。
「……真帆」
修也が顔を上げた。
「俺、真帆のことが好きなんだ」
予想していた言葉だった。それでも、心臓が強く鳴った。驚いた。嫌だったわけではない。嬉しくないわけでもなかった。誰かに、こんなふうに好きだと言われたのは初めてだった。
「写真展誘ったのも、二人で行きたかったからで」
修也が一度、息を吐いた。そして、声が硬くなる。
「よかったら、付き合ってほしい」
それに、私は答えなければいけない。これは質問箱ではない。匿名でもない。紙に書いて、誰かの見えない場所へ置いておくこともできない。保留にして、あとから考えることはできるのかもしれない。でも、修也はいま目の前にいる。私の返事を待っている。
付き合う。修也と。想像する。一緒に帰る。休日に出かける。メッセージを送る。恋人になる。嫌ではない。修也なら、嫌ではないと思う。優しい。話しやすい。私のことを好きだと言ってくれている。もし付き合ったら、私も修也を好きになれるかもしれない。
そうしたら、晴のことを考える回数も減るのだろうか。晴に彼氏ができるところを想像して、胸が苦しくなることも。七海といる晴を見て、理由も分からず嫌な気持ちになることも。女の子が女の子を好きになることを検索して、画面の中の「女の子が好きかもしれない」という言葉が、自分の方を向くように感じたことも。
全部ただの勘違いだったと、あとから思えるのかもしれない。
「……付き合ったら」
気づいたら、そう声に出していた。
「付き合ってみたら……分かるのかな」
「何が?」
聞かれて、初めて自分の言葉の意味に気がついた。それでも、もう引っ込めることはできなかった。
「私が……修也を好きになれるか」
修也の表情が変わった。大きくではない。眉が動いたわけでもない。ただ、さっきまでより遠くなった。
「真帆は俺のこと、好き?」
「……分からない」
本当だった。嫌いではない。好意はあると思う。でも、それが恋愛なのか、友達としてなのか。私にはまだ分からない。修也は一拍、黙った。
「……真帆、他に好きな人いる?」
その質問に、心臓が止まりそうになった。晴の顔が浮かんだ。短い髪。試合のあと、赤くなった目。ピンクのリップ。笑った顔。木曜日、一緒に帰るのを楽しみにしていたと言ったときの、少し照れた声。
「分からない。ごめん……」
また同じ答えだった。修也が小さく息を吐く。
「分かんないんでしょ。それはまあ、仕方ないよ」
その声に、安心しかけた。修也なら分かってくれる――そう思った。でも。
「ただ、俺と付き合って確かめるのは……違うと思う。俺、実験じゃないし」
強い言葉だった。でも、怒鳴られたわけではない。責めるような声でもなかった。それでも、私へ真っ直ぐ刺さった。
「ごめん。写真展も、私……」
声が少し震えた。言うべきか迷う。だけど言わなければ、もっと卑怯だと思った。
「男子と二人で出かけたら、自分がどう思うか分かるかもしれないって……少し、思ってた」
「俺だから行ったんじゃなくて?」
「違う。修也だから、行ってもいいと思った。それは本当」
修也の言葉を、すぐに否定した。だけど言いながら、自分の都合のいい説明に聞こえないか怖くなる。
「写真も見たかったし、話しやすいし。修也といるのは、楽しかった」
「でも、真帆はそれとは別に……試したかった?」
「……うん」
自分で言うと、ひどかった。修也は一人の人なのに。私の目の前にいて、私のことを好きになって、写真展へ誘って、来てくれたことを喜んで。その人の気持ちを、私は自分のことを知るための材料にしかけた。
「ごめんなさい……」
今度はきちんと言った。蝉の声だけが聞こえる。道路を車が通り過ぎた。手の中の水が、少しずつ温くなっている。
「俺も」
修也が口を開いた。それに私は顔を上げる。
「真帆が俺のこと好きか分かってないのに誘ったし、そこは俺も勝手だったのかも」
「違う。修也は、私のことが好きだったから誘ったんでしょ。だけど、私は……」
言葉が止まる。でも、ここで曖昧にしたくなかった。
「……自分がどう思うか、確かめたかったから」
修也は一拍、黙った。
「そっか」
そう言って、ペットボトルへ視線を落とした。修也が自分の方にも理由を探してくれたことが、苦しかった。そこへ逃げれば、少し楽になれたのかもしれない。でも、それは違うと思った。
修也が私を好きになったことと、私が修也を使って自分のことを確かめようとしたことは、同じにはしたくなかった。
「俺、結構期待してたんだよ。写真展来てくれたし。また誘っていいって聞いたら、うんって言ってくれたし……今日も来てくれたし」
修也が言った。私を責める声ではなかった。だから、そのことが余計につらかった。そこまで言って、修也は一度視線を逸らした。
「それに、名前でも呼んでくれたし。だから、もしかしたらって思ってた」
「ごめん」
また謝った。修也も何も言わなかった。その沈黙も、私は受け取らなければいけない気がした。少しして、修也が言った。
「付き合わなくてよかったかもな。たぶん、今の真帆と付き合ったら……俺、ずっと考えると思う。本当に俺が好きなのか」
それに、私は答えられなかった。修也は控えめに笑った。でも、その顔は全然楽しそうではない。胸の奥が冷たくなる。
「それ、普通にしんどいし。真帆もしんどいでしょ」
「……たぶん」
「そこはたぶんなんだ」
ほんの少し、いつもの修也の声に戻った。でも、すぐに静かになる。
「真帆。分かんないなら、分かんないでいいと思うよ」
修也が言った。そして、私を見る。
「でもさ。俺じゃないことは、もう分かってるんじゃない?」
息が止まった。否定したかった。まだ分からない。今日だけでは決められない。もう一度会えば変わるかもしれない。以前自分に言い聞かせた言葉が、いくつも浮かぶ。
でも、修也から「好き」と言われた瞬間、驚いた。嬉しくないわけではなかった。申し訳ないと思った。けれど、自分も好きだとは、一度も思わなかった。付き合えば好きになれるかもしれない。そう考えただけだった。
「……うん」
ようやく声が出た。
「たぶん」
「そこもたぶんか」
修也の表情が、わずかに緩む。疲れたような笑いだった。
「ごめん……」
「もういいって。さっきも言ったけど、分からないこと自体は悪くないと思う。でも、分かるために誰かを使うのは……たぶん、違う」
「……うん」
反論できなかった。正しいから、ではなかった。修也が傷ついた。それだけで十分だった。
駅までの残りの道、私たちはほとんど話さなかった。気まずい。当然だった。修也が怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらもなのか。私には、聞く資格がない気がした。
駅前へ着くと、修也が改札の前で立ち止まった。
「じゃあ、俺こっちだから。また、文化祭の作業で」
「……いいの?」
「それはそれでしょ。休んだら写真どうするの。俺がやるって言ったんだから、やるよ」
そこまで言って、修也は困ったように一度笑った。
「ただ、しばらくは二人でどっか行くのはなしで。普通に戻れるかは、まだ分かんないから」
「……分かった」
「真帆の分からないだけ特別扱いするのも、変だしな」
「……うん」
「じゃあまた」
「また」
修也が歩いていく。私は追いかけなかった。謝るために追いかけるのも違う。許してもらうための謝罪になってしまいそうだった。
だからただその場に残って、修也の背中が人混みへ消えるまで見ていた。
◇
帰りの電車で、晴からメッセージが来ていたことに気がついた。
『真帆、今日学校いた?』
画面を見たまま、指が動かなかった。何と返せばいいのだろう。いた。修也と。写真を整理した。好きだと言われた。告白の返事をしようとして、できなかった。正確には、答えが分からないまま付き合うことを選ぼうとした。
『いたよ』
短く送る。すると、すぐに返信が来た。
『言ってくれればよかったのに』
『晴、部活だったでしょ』
『昼休憩あったのに。何してたの?』
息が止まる。写真の整理、とだけなら嘘ではない。
『文化祭の写真まとめてたよ』
すると少しして、『牧野と?』と返ってきた。
『うん』
既読がつく。しばらくして、『そっか』とだけ届いた。写真展の日と同じ言葉だった。その意味を考えそうになって、やめた。今日は、そこへ進んではいけない気がした。
『晴は部活どうだった?』
話題を変える。
『普通』
短い。いつもの晴より短い。でも今は、それを分析する気になれなかった。
スマートフォンを伏せ、窓へ映った自分の顔を見る。修也は、私に好きだと言った。私は答えられなかった。では、どうして修也ではないのか。その問いの先に晴がいることには、もう気づいている。晴を思い出した。晴と比べた。晴からのメッセージを待った。晴が誰かと親しくしていると、苦しくなった。
でも、それがそのまま「晴が好き」という答えになるのか。まだ、そこまでは言えなかった。
修也ではない。それだけは分かった。男子だからではない。優しくないからでもない。話が合わないからでもない。修也は、私がこれまで想像していた「好きになれそうな男子」の条件に、たぶんかなり近かった。それでも違った。だったら、次に考えなければならないことがある。
分かっている。でも、今はまだそこを見たくなかった。それに修也を傷つけたことを、自分の恋の答えへ進むための出来事にしてしまうのも嫌だった。
修也に告白された。私は自分のことを知りたいという理由で、相手の気持ちを使いかけた。今日は、それだけを覚えておけばいい。ここから何かを学んだ、と綺麗にまとめる必要もない。晴についての答えを出す必要もない。修也を傷つけたことまで、自分を知るための材料にしたくなかった。
今日は、ただ謝る日でいい。私は目を閉じた。
『明日、文化祭の写真まとめるんだけど、学校来る?』
夏休みに入ってからも、文化祭実行委員は何度か登校することになっていた。次の作業日は明後日。でも、写真の整理だけなら先に進めてもいい。
『行ける』
そう返すと、『じゃあ十時くらいに写真部いる』と返ってきた。晴に、そのことを伝えるべきか少し迷った。文化祭の作業なのだから、実行委員の晴にも共有した方がいいのかもしれない。
でも、明日は正式な作業日ではない。写真の確認だけ。修也と私で済むなら、部活のある晴をわざわざ呼ぶ必要はない。そう考えて、連絡はしなかった。送らないと決めたあとも、一度だけ晴とのメッセージ画面を開いていた。だけど、何も打たずに閉じた。
◇
翌日学校へ着くと、校舎は普段よりずっと静かだった。運動部の声は聞こえる。グラウンドから笛の音。体育館の方から、ボールが床へぶつかる音。それでも、授業がないだけで学校全体が別の建物みたいに感じられた。
写真部の部室は、特別教室棟の三階にある。扉を開けると、修也が一人でパソコンに向かっていた。
「あっ、真帆。来てくれてありがとう」
「ううん、暇だったから」
そう言って私は部屋を見渡す。部室には机が四つ。壁には、過去の写真が何枚も飾られていた。窓際には大きなプリンター。そして修也の周りには、印刷した写真が広げられていた。
「これ、全部文化祭用?」
「半分くらい」
「多い」
「ここから絞るよ」
椅子を一つ借りて、隣へ座る。修也は、写真を選ぶのが遅いと言っていた。一枚ずつ長く見る。だけど私は、使い道が決まっていれば比較的早く決められる。
「真帆、これは?」
「いる」
「こっちは?」
「なくてもいい」
「すごい、即答」
「だって、同じ構図がもう一枚あるから」
「あ、ほんとだ。じゃあこっち外すか」
作業は思ったより早く進んだ。二人でいることにも、以前より慣れていた。写真展へ行く前ほど緊張しない。修也と話すのは楽だ。返事を急かされない。黙っていても気まずくない。考えたことを話せば、最後まで聞いてくれる。
いい人だと思う。何度考えても、それは変わらなかった。だからこそ、その先を考えるたびに、胸が重くなる。
「そういえばこの前の写真、三好に見せた?」
修也がパソコンを操作しながら言った。
「……うん」
「どうだった?」
「好きって言ってた。晴、青が好きだから」
「三好が? 詳しいね」
また言われた。以前なら、すぐ理由を足していたと思う。文化祭で一緒だから。よく話すから。友達だから。でも今回は、言葉が続かなかった。
「……まあね」
そう短く答えるだけだった。
作業は昼前に終わった。修也が一度伸びをして、パソコンの保存ボタンを押す。
「ありがとう。真帆のおかげで、めっちゃ早く終わった。助かったよ」
「それなら良かった」
「昼どうする?」
「帰って食べるつもりだったけど」
私が答えたそのあと、少しの間があった。
「駅まで一緒に行かない?」
断る理由はなかった。私は頷き、修也と並んで部室を出る。廊下は静かだった。階段を下りる途中、窓の向こうに体育館が見えた。扉が開いている。中からは、ボールの音が規則的に響いていた。
晴は、今日も練習だと言っていた。あの体育館にいるのだろうか。考えた瞬間、歩く速度が落ちた。
「寄ってく?」
私を見て、修也が言った。
「え?」
「体育館。三好いるんじゃない?」
その言葉に、足が止まりそうになった。
「……別に、会わなくていいよ」
「そう?」
修也はそれ以上言わなかった。ただ前を向いて、また歩き始める。私も後を追う。空気が変わった気がした。修也が何を考えているのか、分からない。でも、自分から聞くこともできなかった。
校門を出ると、日差しが一気に強くなった。
「暑いな」
修也が言う。
「言っても温度下がらないよ」
「真帆、相変わらず正論」
そんなことを言い合いながら、駅までの道を歩く。途中に小さな公園があった。木陰のベンチを見つけて、修也が足を止める。
「ちょっと話してかない?」
「……いいよ」
二人で座り、近くの自動販売機で買った水を飲む。蝉の声が、うるさいくらいに近かった。しばらく、何も話さなかった。修也はペットボトルを両手で持ったまま、足元を見ている。いつもより静かだった。
「修也……どうしたの?」
「考えてる」
「珍しい」
「俺も考えるよ」
修也が笑った。でも、その笑いはすぐ消えた。そして、また足元を見る。何かある。たぶん分かった。分かったから、私は少し怖くなった。何を言われるのか、予想がつかないわけではない。写真展。二人で出かけた。また誘っていいか聞かれた。今日も二人で学校へ来た。
もし。もし、修也が。
「……真帆」
修也が顔を上げた。
「俺、真帆のことが好きなんだ」
予想していた言葉だった。それでも、心臓が強く鳴った。驚いた。嫌だったわけではない。嬉しくないわけでもなかった。誰かに、こんなふうに好きだと言われたのは初めてだった。
「写真展誘ったのも、二人で行きたかったからで」
修也が一度、息を吐いた。そして、声が硬くなる。
「よかったら、付き合ってほしい」
それに、私は答えなければいけない。これは質問箱ではない。匿名でもない。紙に書いて、誰かの見えない場所へ置いておくこともできない。保留にして、あとから考えることはできるのかもしれない。でも、修也はいま目の前にいる。私の返事を待っている。
付き合う。修也と。想像する。一緒に帰る。休日に出かける。メッセージを送る。恋人になる。嫌ではない。修也なら、嫌ではないと思う。優しい。話しやすい。私のことを好きだと言ってくれている。もし付き合ったら、私も修也を好きになれるかもしれない。
そうしたら、晴のことを考える回数も減るのだろうか。晴に彼氏ができるところを想像して、胸が苦しくなることも。七海といる晴を見て、理由も分からず嫌な気持ちになることも。女の子が女の子を好きになることを検索して、画面の中の「女の子が好きかもしれない」という言葉が、自分の方を向くように感じたことも。
全部ただの勘違いだったと、あとから思えるのかもしれない。
「……付き合ったら」
気づいたら、そう声に出していた。
「付き合ってみたら……分かるのかな」
「何が?」
聞かれて、初めて自分の言葉の意味に気がついた。それでも、もう引っ込めることはできなかった。
「私が……修也を好きになれるか」
修也の表情が変わった。大きくではない。眉が動いたわけでもない。ただ、さっきまでより遠くなった。
「真帆は俺のこと、好き?」
「……分からない」
本当だった。嫌いではない。好意はあると思う。でも、それが恋愛なのか、友達としてなのか。私にはまだ分からない。修也は一拍、黙った。
「……真帆、他に好きな人いる?」
その質問に、心臓が止まりそうになった。晴の顔が浮かんだ。短い髪。試合のあと、赤くなった目。ピンクのリップ。笑った顔。木曜日、一緒に帰るのを楽しみにしていたと言ったときの、少し照れた声。
「分からない。ごめん……」
また同じ答えだった。修也が小さく息を吐く。
「分かんないんでしょ。それはまあ、仕方ないよ」
その声に、安心しかけた。修也なら分かってくれる――そう思った。でも。
「ただ、俺と付き合って確かめるのは……違うと思う。俺、実験じゃないし」
強い言葉だった。でも、怒鳴られたわけではない。責めるような声でもなかった。それでも、私へ真っ直ぐ刺さった。
「ごめん。写真展も、私……」
声が少し震えた。言うべきか迷う。だけど言わなければ、もっと卑怯だと思った。
「男子と二人で出かけたら、自分がどう思うか分かるかもしれないって……少し、思ってた」
「俺だから行ったんじゃなくて?」
「違う。修也だから、行ってもいいと思った。それは本当」
修也の言葉を、すぐに否定した。だけど言いながら、自分の都合のいい説明に聞こえないか怖くなる。
「写真も見たかったし、話しやすいし。修也といるのは、楽しかった」
「でも、真帆はそれとは別に……試したかった?」
「……うん」
自分で言うと、ひどかった。修也は一人の人なのに。私の目の前にいて、私のことを好きになって、写真展へ誘って、来てくれたことを喜んで。その人の気持ちを、私は自分のことを知るための材料にしかけた。
「ごめんなさい……」
今度はきちんと言った。蝉の声だけが聞こえる。道路を車が通り過ぎた。手の中の水が、少しずつ温くなっている。
「俺も」
修也が口を開いた。それに私は顔を上げる。
「真帆が俺のこと好きか分かってないのに誘ったし、そこは俺も勝手だったのかも」
「違う。修也は、私のことが好きだったから誘ったんでしょ。だけど、私は……」
言葉が止まる。でも、ここで曖昧にしたくなかった。
「……自分がどう思うか、確かめたかったから」
修也は一拍、黙った。
「そっか」
そう言って、ペットボトルへ視線を落とした。修也が自分の方にも理由を探してくれたことが、苦しかった。そこへ逃げれば、少し楽になれたのかもしれない。でも、それは違うと思った。
修也が私を好きになったことと、私が修也を使って自分のことを確かめようとしたことは、同じにはしたくなかった。
「俺、結構期待してたんだよ。写真展来てくれたし。また誘っていいって聞いたら、うんって言ってくれたし……今日も来てくれたし」
修也が言った。私を責める声ではなかった。だから、そのことが余計につらかった。そこまで言って、修也は一度視線を逸らした。
「それに、名前でも呼んでくれたし。だから、もしかしたらって思ってた」
「ごめん」
また謝った。修也も何も言わなかった。その沈黙も、私は受け取らなければいけない気がした。少しして、修也が言った。
「付き合わなくてよかったかもな。たぶん、今の真帆と付き合ったら……俺、ずっと考えると思う。本当に俺が好きなのか」
それに、私は答えられなかった。修也は控えめに笑った。でも、その顔は全然楽しそうではない。胸の奥が冷たくなる。
「それ、普通にしんどいし。真帆もしんどいでしょ」
「……たぶん」
「そこはたぶんなんだ」
ほんの少し、いつもの修也の声に戻った。でも、すぐに静かになる。
「真帆。分かんないなら、分かんないでいいと思うよ」
修也が言った。そして、私を見る。
「でもさ。俺じゃないことは、もう分かってるんじゃない?」
息が止まった。否定したかった。まだ分からない。今日だけでは決められない。もう一度会えば変わるかもしれない。以前自分に言い聞かせた言葉が、いくつも浮かぶ。
でも、修也から「好き」と言われた瞬間、驚いた。嬉しくないわけではなかった。申し訳ないと思った。けれど、自分も好きだとは、一度も思わなかった。付き合えば好きになれるかもしれない。そう考えただけだった。
「……うん」
ようやく声が出た。
「たぶん」
「そこもたぶんか」
修也の表情が、わずかに緩む。疲れたような笑いだった。
「ごめん……」
「もういいって。さっきも言ったけど、分からないこと自体は悪くないと思う。でも、分かるために誰かを使うのは……たぶん、違う」
「……うん」
反論できなかった。正しいから、ではなかった。修也が傷ついた。それだけで十分だった。
駅までの残りの道、私たちはほとんど話さなかった。気まずい。当然だった。修也が怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらもなのか。私には、聞く資格がない気がした。
駅前へ着くと、修也が改札の前で立ち止まった。
「じゃあ、俺こっちだから。また、文化祭の作業で」
「……いいの?」
「それはそれでしょ。休んだら写真どうするの。俺がやるって言ったんだから、やるよ」
そこまで言って、修也は困ったように一度笑った。
「ただ、しばらくは二人でどっか行くのはなしで。普通に戻れるかは、まだ分かんないから」
「……分かった」
「真帆の分からないだけ特別扱いするのも、変だしな」
「……うん」
「じゃあまた」
「また」
修也が歩いていく。私は追いかけなかった。謝るために追いかけるのも違う。許してもらうための謝罪になってしまいそうだった。
だからただその場に残って、修也の背中が人混みへ消えるまで見ていた。
◇
帰りの電車で、晴からメッセージが来ていたことに気がついた。
『真帆、今日学校いた?』
画面を見たまま、指が動かなかった。何と返せばいいのだろう。いた。修也と。写真を整理した。好きだと言われた。告白の返事をしようとして、できなかった。正確には、答えが分からないまま付き合うことを選ぼうとした。
『いたよ』
短く送る。すると、すぐに返信が来た。
『言ってくれればよかったのに』
『晴、部活だったでしょ』
『昼休憩あったのに。何してたの?』
息が止まる。写真の整理、とだけなら嘘ではない。
『文化祭の写真まとめてたよ』
すると少しして、『牧野と?』と返ってきた。
『うん』
既読がつく。しばらくして、『そっか』とだけ届いた。写真展の日と同じ言葉だった。その意味を考えそうになって、やめた。今日は、そこへ進んではいけない気がした。
『晴は部活どうだった?』
話題を変える。
『普通』
短い。いつもの晴より短い。でも今は、それを分析する気になれなかった。
スマートフォンを伏せ、窓へ映った自分の顔を見る。修也は、私に好きだと言った。私は答えられなかった。では、どうして修也ではないのか。その問いの先に晴がいることには、もう気づいている。晴を思い出した。晴と比べた。晴からのメッセージを待った。晴が誰かと親しくしていると、苦しくなった。
でも、それがそのまま「晴が好き」という答えになるのか。まだ、そこまでは言えなかった。
修也ではない。それだけは分かった。男子だからではない。優しくないからでもない。話が合わないからでもない。修也は、私がこれまで想像していた「好きになれそうな男子」の条件に、たぶんかなり近かった。それでも違った。だったら、次に考えなければならないことがある。
分かっている。でも、今はまだそこを見たくなかった。それに修也を傷つけたことを、自分の恋の答えへ進むための出来事にしてしまうのも嫌だった。
修也に告白された。私は自分のことを知りたいという理由で、相手の気持ちを使いかけた。今日は、それだけを覚えておけばいい。ここから何かを学んだ、と綺麗にまとめる必要もない。晴についての答えを出す必要もない。修也を傷つけたことまで、自分を知るための材料にしたくなかった。
今日は、ただ謝る日でいい。私は目を閉じた。
