嘘で守った婚約者の愛

それは朝の事だった
婚約者の湊に一本の電話がかかってきた。
湊は、電話相手と数回話すと電話を切り、普段よりやや重い足取りで、朝ごはんの支度をしている私の所にやってきて、こう言った。
「婚約を解消しよう」と。

理由を聞いても答えてくれず、結局二
人はそのまま仕事へ向かうことになった。

そして、今、仕事を終わらせた私は行きつけのバーを訪れている。
カウンター席に座ると、お決まりのミモザを注文する。
店内の流暢なクラシック音楽を聞きながら待つこと数分。

「はい。ミモザ、お待ちどうさま」

マスターがカクテルを運んできた。

「ありがとうございます」

私は軽く礼をして、そのままグラスに口をつける。
いつもなら心を満たしてくれるミモザが、今日はただの苦い液体に感じられた。

(はぁ…ここのカクテルを飲めば心も晴れると思ったんだけどなぁ)

私がミモザの入ったグラスを見つめながら、ため息をついた。
その時、キィーと店のドアが開く音がして誰かが入ってきた。

「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」

マスターがその客に声をかける。
すると、その客はツカツカと近づいてきたかと思えば、私の右隣りの席へ腰掛けマスターにマティーニを注文した。

(他にも空いてる所あるのに…、よりによって何で其処なの…。)

そうは思うものの、当然見ず知らずの人に言えるはずがない。
とはいえ、どんな人なのか気になった私は何気なく右隣りを見やる。
そこにいたのは、思ったとおり男性だった。
おそらく三十歳ぐらいだろう。

(爽やかで真面目そうな人だな…)

気がつけば、私は男性をじっと見つめていた。
私の視線に気がついたのか、男性は振り向く
その拍子に目があってしまう。

「あっ……ごめんなさい…」 

私は焦りながら謝罪すると、目を逸らした。

「いえ、大丈夫ですよ。」

男性は嫌な顔せず優しい口調でそう言った。

そして、ちょうど出来上がったマティーニが差し出され、それを嗜み始める。
 私もまだ残っていたミモザをチビリチビリと呑む。
全て呑み終えるとお勘定を済ませ店の外に出た。
もう夜だというのに、外は依然として蒸し暑い。
そんな中、真っ暗な夜道を一人歩き出した。
その時、「あの!」と背後から突然声をかけられた。振り向くと、先程の男性が何か言いたげに私を見ていた。

(何で、この人こんな目で見てくるんだろ?)

不思議に思いながら、「……何か?」と男性に尋ねる。するとーー

「…あー……その⋯元気がないようだったので、気になって⋯」

気まずそうに頬をポリポリと搔きながら、彼は言った。

「⋯⋯心配してくださり、ありがとうございます。でも、私なら大丈夫ですので…。」

初対面の人を信用できるはずもなく、私は笑顔を浮かべて言うと立ち去ろうとした、その時。
「待ってください!」と声がして腕を掴まれた。

「何するんですか!離してください!」

私は必死に手を振りほどこうとするが、男性の力は思いのほか強く、中々離してくれない。
心の中に焦りと恐怖がじわじわと募っていく。

(どうしよう⋯。)

困り果てていた。その時。

「おい!」

と、言う声がしたかと思ったら、男性の手がいつの間にか離れ、私は別の男性に抱き締められていた。
だが、その声には聞き覚えがあった。
婚約者の橘 湊だ。
そして、彼は私の悲しみの原因でもある。

(⋯なんで?⋯どうして湊が?⋯ここに
いるの?)

混乱してる私を他所に、湊は男を睨みつける。
すると男性は少し残念そうにズコズコと去っていった。
男性の姿が完全に見えなくなると、
湊は腕の中から私を出し、「大丈夫か?」と心配そうに顔を見ながら尋ねてきた。

「う、うん。」
「そっか、良かった⋯」

私が戸惑いがちに頷くと、湊は心底安堵したように呟いた。

「なんで、来てくれたの?」
「なんでって、婚約者助けに来るのは当たり前だろ。」
「え?婚約は解消たんじゃ⋯」

私は呆然とした表情で湊を見やる。
すると、彼はバツの悪そうな表情をして頭をガシガシとかき、
「とりあえず家に帰ろう。ここで話すような事じゃないし。時間も時間だし。」

こう言うので、私は湊と一先ず家に帰宅する事にした。

 帰宅後、湊は元カノから電話があったことを詳しく話してくれた。
 番号は消していたそうだが、非通知でかかってきた電話に出たところ、相手が元カノだったとのことで。
私との婚約を解消してよりを戻すように言われたらしい。
湊はきっぱりと断ったものの、元カノさんは私に危害を加えるという脅迫めいた言葉を口にしたそう。
そのため、湊は私を守るために、婚約を解消すると嘘をついた、という事だった。

「⋯じゃあ⋯⋯私まだ湊の婚約者で良いの?」
「あぁ。お前じゃなきゃ困る。」

私が恐る恐る尋ねると、湊は私の目を見てキッパリと断言した。
それを聞いて、私の目からは涙が溢れた。
そんな私を湊はそっと抱き寄せた「ごめんな」と呟いた。
それから、「お前を守るつもりが、結果的に傷つけたみたいだな。本当にごめん。」と続けた。

彼の声は深く沈んでいた。
顔は見えないが、その口調からは彼がどれだけ自分を責めてるのかが伝わってくる。
私は、湊は悪くないよ言う気持ちを込めて抱きしめ返した。