龍脈の子

 流れる重苦しい「間」に、無邪気な少年の声が横切った。
「火があればいいんだろ? おっちゃん、一緒に行こうぜ」
 手にした模型を床へ置いて立ち上がり、千里は渓舟の袖を引いて勝手口から外へ連れ出した。
「ボウズ、どこへ行くんだ」
 渓舟は千鳥足で文句を垂れながらも、寒風吹きすさぶ裏手の岩場へと出た。朗月と従者たちも続く。

 辿り着いたのは、切り立った崖と川の境目。湿った苔と、黒ずんだ岩肌が露出しただけの、何もない荒れ地だ。そこだけぽっかりと、穴を掘ったように雪が積もらず溶けていた。
「寒いだけじゃねえか。酒が抜けちまう」
 渓舟が身震いをして背を丸める。千里の目には、崖の裂け目から青白い光の粒子(りゅうし)が、糸のように細く漏れ出ている様子が見えていた。
「このあたりの石がいい」
 千里はしゃがみ込むと、崖下に転がっていた握り拳ほどの黒い石を拾い上げた。龍脈から漏れ出る龍気を浴び続け、結晶化している。

「見ててよ」
 千里は、辺りを見渡し、太い龍脈が交差する岩場の裂け目に、その石を放り込んだ。乾いた破裂音と共に、視界が白く染まった。
「うおッ?!」
 渓舟が腰を抜かして雪の上に尻餅をつく。黒い石を核にして、青白い炎が間欠泉(かんけつせん)の如く燃え上がっていた。

「な、なんだこれは……?!」
 渓舟は、顔を覆った指の隙間から、信じられないものを見る目でその炎を凝視した。
「このへんの石は、光を吸い続けてパンパンになってるんだ」
「光?」
 渓舟は赤ら顔に疑問符を浮かべつつも、千里の説明へ前のめりになっている。
「で、光が集まってるところに置くと、こうやって火がつく」
 千里は焚き火にあたるように、平然と青い炎に手をかざした。渓舟は「光が集まる?」と呟きながら、足元に視線を巡らせている。千里以外には、ただの泥濘しか見えない。
「これなら、薪はいらないだろ。燃え続けるし、明るいし、あったかい」
 千里は川辺に向かって、目の奥に力を込めた。湿地帯のあちこち、川の中にまで、いくつかの太い龍脈の交差路が点在している。
「光が集まってる場所、おれが教えてやる」
 千里は足元に落ちている、結晶化した石を拾い上げ、渓舟の手に渡した。

 渓舟は、わななく手で石を受け取った。
「光ってのは俺にはよく分からんが……兎(と)も角(かく)、こいつと同じ石を集めて、ボウズの言う場所に放れば、良いんだな」
「うん」
 瞬間、渓舟の落ち窪んだ眼窩(がんか)の奥で、燻っていた残り火が爆発した。錆びついていた技術屋の頭脳が、凄まじい速度で算盤(そろばん)を弾き直していく。
「……燃料費は、タダ。明かりがあれば、夜通し交代で掘り進められる……工期は半分に縮まる。工費も、これなら……」
 渓舟が、顔を上げた。泥酔の濁りが消え失せ、技術屋の狂おしいほどの情熱が戻っている。
「図面だ! 新しい図面を引くぞぉお!」
 興奮した渓舟が、若返ったような足取りであばら家へと駆け戻る。

 叫び声を聞きつけ、死んだように静まり返っていた村が、わらわらと動き出した。渓舟から指示を受けたのか、女房や子どもたちが手に手に竹籠を持って、岩場へと集まってくる。
「わ、な、なんだ??」
 大騒ぎだ、と千里は呆気に取られた。開けっ放しの勝手口からあばら家の中を覗き込む。先ほどまでの、酒に濁った目をした男の姿は、どこにもなかった。邪魔だと言わんばかりに、愛でていた酒甕を乱暴に足で押し退け、卓に齧りついている。震える手で筆を握り、憑かれたように紙の上を走らせていた。乱れた髪を更に振り乱し、ブツブツと数字を呟くその背中からは、もはや酒の臭いではなく、焦げつくような執念の熱気が立ち昇っていた。

*

 渓舟が鬼気迫る勢いで図面を引き直している間、千里は朗月や従者たちと共に、広げられた村の周辺地図と睨めっこを始めていた。
「ここと……、あと、川のあの曲がってる場所」
 千里が指差す先を、紅英が筆で追う。視えている龍脈の交差点や、龍気の漏出点を、正確に地図上へ落とし込んでいく作業だ。
「俺たちにはさっぱり見えんがな」
「うむ……」
 蒼嶽や紅英らが首を傾げる中、白葉だけは複雑な面持ちで千里を見つめていた。術者である故に、その異能の稀少さを誰よりも理解できるのだ。悔しさと、それ以上の感嘆が入り混じった溜息が漏れる。

「――あのさ」
 作業の手を止め、千里が切り出した。
「地図だけじゃなくて、目印がいると思うんだ。こういう……」
 千里は身振り手振りで形を伝える。
「こう、行燈(あんどん)みたいに細長い囲いを作って、その中に石を入れて……」
「それはいい趣向だ。さながら『龍気灯』とでも呼ぶべきか」
 朗月が目を輝かせた。
「となると、燃えない素材……鉄を打ってもらわねばなりませんね!」
 紅英が膝を打って立ち上がる。
「近隣で鍛冶屋を探して参ります!」
 言うが早いが駆け出した紅英の背中へ、「報酬は弾んでやってくれ」と朗月が声をかける。治水工事と共に鉄を打つ槌音(つちおと)もまた、村々に活気を呼び戻すことだろう。

 そうしているうちに、
「書けたぞ!」
 と、渓舟が図面を掲げてあばら家を飛び出してきた。
「見せてもらえるか」
 朗月は渓舟が書き上げた新たな計画書に一通り目を通すと、満足げに頷いた。
「素晴らしい。これなら――失敬」
 入れ違いに朗月はあばら家へ踏み入り、散らかった文机を借りると流れるような筆致で、その場で何通もの書状を書き始めた。宛先は、幽谷州の長たる現・州侯、そして北玄道の長である総督、さらには帝都・中央府の各部署を統括する責任者たちへ。朗月はさらさらと要件を認(したた)めると、全ての書状の最後に力強く一文を書き加えた。

 本件に関する一切の責任は、朗月にあり――と。懐から取り出した私印に朱肉をたっぷりと含ませ、重々しく己の名に押し当てる。

「『朗月』……」
 背後で盗み見ていた渓舟は、唾を飲み込んだ。
「よし」
 全ての書状を書き終えると、朗月は従者たちを振り返った。
「私はこれより、州都を経由し、その足で道の総督府へ向かう」
「お供いたします」
 即座に白葉と蒼嶽が一歩進み出る。
「うむ。紅英はここに残り、千里の世話を頼む」
「御意!」
 紅英は威勢良く返事した後、戸惑うばかりの千里の肩へ、筋肉質な腕を回して引き寄せた。
「え、え??」
「さあて、ボクちゃんは、しばらくアタシとお留守番だよ」
 紅英は、親しみを込めて千里の頭をぐりぐりと撫で回した。
「放せよ! 世話なんかいらない! 山へ帰る!」
 千里は捕らえられた魚のように身を捩り、拘束から逃れようと手足をばたつかせた。
「馬もなしに、この雪道を戻るつもりかい。夜通し雪原を歩くことになってしまうよ?」
 朗月が、白馬の手綱を握りながら首を横に振る。
「う……」
 千里は唇を噛み、言葉に詰まった。勝手に連れてきたくせに、という反論は思い浮かばなかった。
 朗月は馬の首を優しく撫でながら、千里へ穏やかに目を細める。
「旬日(十日)もあれば戻る。それまでの間、千里。渓舟殿の元で治水の何たるかを学ぶといい」
「あぁ?」
 赤ら顔にシワを寄せ、素っ頓狂な声を上げたのは指名された当人の渓舟だった。
「俺は子守なんて柄じゃないが」
「先ほど、その子が部屋中の模型や地図を好き勝手にいじっていたが、渓舟殿は叱らないでいてくれたではないか」
「……ちッ」
 渓舟は、むずがゆそうに視線を明後日の方向へと逸らした。
 朗月はふわりと袖を翻し、舞うように白馬の背へと戻った。鞍の上から再度、千里を見つめる。
「千里。その逆も然り、だ。君がこの村のためにできること、渓舟殿の役に立つことを、考えてご覧」
「お、おれ、が……?」
 朗月は答えの代わりに、雪解けの水のように澄んだ微笑を残した。
「では、頼んだよ」
 短く告げると、足で馬腹を打つ。嗎(いななき)と共に、白馬が土を蹴って駆け出した。続く白葉と蒼嶽も、一礼して主君の後を追う。

 鉛色の空を映した濁流が、凍てつく大地の裂け目を縫うように蜿蜒(えんえん)と彼方へ続いている。その先には州都があり、さらに遠くには北玄道の総督府が待つ。
 渓舟は、豆粒のようになった背中が見えなくなるまで、じっと動かずにいた。