龍脈の子

 谷の向こうから、一人の男が滑るように飛来する。
 藍色の狩衣(かりぎぬ)(まと)い、長い錫杖(しゃくじょう)を背負った、祭祀(さいし)を司る神官を思わせる出で立ちの男だ。
 男は、朗月のそばに立つ千里を見るなり、血相を変えた。

「貴様! 殿下から離れろ!」
 男が印を結ぶ。

 瞬間、千里の「視」界が歪んだ。
 周囲の雪原の下、地中を流れる青白い脈から、男の身体へと光が急速に吸い上げられていくのが見えた。

「なんだあれ!」
 男の手のひらから、圧縮された空気の塊が放たれた。
 千里はとっさに身を屈め、猿のような敏捷(しゅんびん)さで横へと跳んだ。

 轟音――岩が砕け、石礫(いしつぶて)が弾け、雪煙が舞う。

「賊め、殿下に何をした!」
 男は着地するや否や、次なる印を結ぼうと構える。
 吸い上げられた青い光が、男の指先で無数の火花を散らして収束していく。
 まるで雷だ。

「やめよ、白葉(はくよう)!」
 裂帛(れっぱく)の声と同時に、朗月が千里を庇うように抱き込んだ。

「殿下?!」
 白葉と呼ばれた男の焦りが練り上げた気を暴発させ、朗月の背へと襲いかかった。

「っ!」
 刹那――朗月の身体を取り巻く青白い光が、輝きを増した。
 見えない膜に弾かれ、術の余波は朗月の肌に触れることなく、空中で霧散する。

「も、申し訳ございません!」
 術者、白葉はその場に崩れ落ちるように膝をつき、額を雪に擦り付けた。

「殿下を危険に晒すなど……!」
 遅れて、数人の武官や、案内役の村人たちが息を切らして駆けつけてくる。

「殿下!」
「よくぞご無事で!」
 追いつくなり、次々とその場に膝をついて叩頭(こうとう)した。

 朗月は白葉を見下ろし、千里を腕に抱いたまま鋭い声音で言い放った。
「この少年は私の恩人なるぞ!」
「はっ、とんだご無礼を……」
 白葉は蒼白な顔を上げ、恐る恐る朗月と、その腕の中でぽかんとしている千里の間で、視線を彷徨(さまよ)わせる。

「千里、大事ないか」
 朗月の腕の力が緩み、白い面が覗き込んで近づく。

「……あ、あぁ」
 千里は間の抜けた声を漏らし、こくりと頷くことしかできなかった。
 朗月はゆっくりと千里の体を解放すると、地面に伏す従者へと向き直る。

「――白葉、すまなかった」
 臣下を(いまし)める峻烈(しゅんれつ)な仮面は、すでに剥がれ落ちていた。

 今にも舌を噛み切りかねない、悲壮感を漂わせる臣下の前、朗月は躊躇(ためら)いなく雪上に膝をついた。白葉の肩に、優しく手を添える。

「私が軽率な行動をしたばかりに、心配をかけた。よくぞ、探しに来てくれた」
「殿下……」
 主君の温情に、白葉の語尾が震えていた。

「なんだあれ」
 そんな主従のやり取りを、千里は焚き火のそばで、口を半開きにしたまま眺めていた。きらびやかな衣装の大人たちが、こぞって泥だらけの朗月に頭を垂れている。

「デンカ……?」
 聞き慣れない言葉を、千里は咀嚼(そしゃく)するように呟いた。



 雪山の(ふもと)にある寒村、村長の屋敷の庭では、大きな焚き火が爆ぜていた。
 赤々と燃える炎の前で、村長をはじめとする大人たちは、泥だらけの青年――朗月と、その従者たちに向かって平伏している。

 一方、庭の隅にある薪小屋の陰には、村の子どもたちが集まっていた。

「うめえ……なんだこれ、口に入れたら溶けてなくなったぞ」
「こっちの菓子は、花の匂いがする!」

 子どもたちは、朗月の従者が「殿下からの振る舞いだ」と配ってくれた美しい干菓子や、砂糖漬けの果実に夢中だ。千里もその輪に混じり、氷砂糖を口の中で転がしていた。

 甘い。
 熟し柿や、蜂蜜ともまったく違う、脳髄(のうずい)が痺れるほどの甘味が、こめかみに(うず)きをもたらす。

「あんた、知らないの? あのお方のこと」
 千里の隣で菓子をかじっていた少女が、得意げに話しかけてきた。

 村長の孫娘で、(すず)という。
 村やその周辺の子どもたちの中で一番の物知りで、おしゃまな娘だ。

瑞華国(ずいかこく)はね、もともと大陸の真ん中にある、ちーさな湖の国だったの」
 鈴は、集まった子どもたちを見回し、語り部のように話し始めた。

「今の皇帝さまと、その前と、もう一つ前の皇帝さまがすっごく強くて怖くて、どんどん国を大きくしていったんだって」
「へえ」

 千里は興味なさげに相槌を打った。
 山で生きる自分には、関係のない話だ、と。

「でね、今の皇帝さまには、七人の子どもがいるの。都では、次の皇帝になるのが誰か、賭け事になってるくらいなんだから」
「コウテイに?」

 そこへ、別の子供が割り込んでくる。
「そういうのって、一番上の皇子さまがなるんじゃないの?」
「違うわよ」

 鈴は、「都の事情通」ぶりを誇らしげに、胸を反らした。

「瑞華では昔から、皇帝さまが子どもの中からじっくり選ぶのが決まりなの。一番強い子かもしれないし、一番賢い子かもしれない。だから賭け事になるのよ。あの方も、候補のお一人なの。でも……」

 鈴は声を潜め、縁側に座る朗月をチラリと見た。

「七人の中で、『いちばん弱い』んだって言われてるわ」
「なんでだよ」
 千里は口の中で氷砂糖を転がしながら、首を傾げた。
「だってあいつ、崖から落ちて遭難しても死なないんだ。頑丈で強いぞ?」

 千里の冗談のような生真面目な問いかけに、周りの子どもたちがどっと笑う。

「頑丈かもしれないけど……『龍の印』を持ってないって話よ」
「龍の……?」
「大陸を作った龍神様の伝説、知ってるでしょ?」
 鈴は大人の真似をして肩をすくめ、空を仰いだ。

 太古の時代。
 混沌を(しず)(よろず)の命を救うため、七柱の龍がその身を横たえ大陸となった、という大陸創世の神話だ。

「大陸の偉い人には、龍に認められた証として、体に龍がつけた印がつくんですって。六人の候補者には、みんな印があるのに……」
 鈴は、ひときわ声を低くした。
「商人が持ってきた瓦版によるとね、朗月様にだけは、何も出なかったみたいなの。『無印』の皇子(おうじ)様なのよ」

 子どもたちが、しんと静まり返る。

 故に朗月は、誰も行きたがらない北の果て――北玄道(ほくげんどう)の中でも最も貧しい幽谷州(ゆうこくしゅう)州侯(しゅうこう)を引き受けると名乗り出て、早々に後継者争いから逃げ出した、とある。

「今回の旅は、その下見なんだって」
 鈴は、大人びた冷笑を浮かべて言い放った。

「都じゃ、こう呼ばれてるそうよ。『負け犬皇子』って――」

 砂利を踏む音がして、千里は顔を上げた。
 朗月の側に控えていた従者たちが一様に表情を曇らせ、バツが悪そうに苦笑いをしている。

「……鈴!!」
 その中で、青褪めた村長が転がるように駆け寄ってきた。

「な、何を言うておるかこの馬鹿者がッ!」
 村長は孫娘の首根っこを掴むと、力任せに雪の地面へと引き倒した。

「痛っ!」
「頭を下げろ! 地面に擦り付けんか! なんたる不敬を……!」
 村長の声は恐怖で裏返っていた。

「どうか、どうかお赦しを……! 孫はまだ分別がなく……!」
 村長は鈴の頭を強引に地面へ押し付けながら、自らも額を擦り付けて震えていた。

「何してんだ、やめろよ!」
 見かねた千里が割って入り、村長の肩を掴んだ。

 だが、
「どいておれ!」
 恐怖で半狂乱になった老人の力は凄まじく、千里は無造作に振り払われ、地べたに尻餅をついた。

 その時だった。

「やめないか」
 清廉(せいれん)な声が、(いき)り立った空気を一瞬で鎮めた。
 朗月だった。
 従者が止めるのも聞かず庭に降りると、村長の手を優しく、鈴の頭から離させた。

「で、殿下……し、しかし……」
「子どもに乱暴をしてはいけない」

 朗月は村長を諭すと、雪に顔を埋めていた鈴の前にしゃがみ込み、頬に手を添えて顔を上げさせる。

「大丈夫かい?」
「う……あ……」
 涙と鼻水まみれの鈴の顔を、朗月の(そで)(ぬぐ)った。

「君は、よく勉強をしているね。我が国の成り立ちも、神話のことも、ちゃんと理解している」
「え……?」
「その聡明さはきっと、この村を助ける力になる。これからも学び続けなさい。でもおしゃべりが過ぎないように、気をつけるんだよ」
「は……はい……!」
 鈴はポカンと口を開け、やがて瞳を輝かせて、こくこくと何度も頷いた。

 頬を赤らめ乙女の貌をする鈴を奇異な目で眺めながら、千里は、奥歯で飴の欠片を砕いた。
(……変な奴)
 負け犬、と呼ばれたことは聞こえていたはずなのに。
 朗月は怒るどころか、鈴の知りたがりな一面を褒めた。

「なあ。おまえ、ここの州長さまになんの?」
 千里の唐突な問いに、朗月は少し驚いたように瞬きをした。

「――んだ、あのガキ……」
 控えていた従者の一人が、口端を引きつらせて鋭い視線を送ってくるが、千里は気づかないフリをした。

「まだ正式に決まったわけではないけれど……そうしたいと願っているよ。どうだろう、私では頼りないかな」
 朗月が困ったように首を傾げる。

 周囲で聞き耳を立てていた村人たちは、ほうっと安堵の吐息を漏らした。

 隣の州では、冬の食糧難を訴えた村の代表が、州侯の機嫌を損ねてその場で首を()ねられたという噂が流れてきたばかりだ。
 朗月様が長になってくれれば、理不尽に首を刎ねられることはなかろう。
 誰もがそう確信したところだ。

「わかんないなぁ」
 千里だけは、納得がいかない。

「何が、分からないんだ?」
「さっき言ってたことと、違う」

 千里は、まっすぐに朗月を見上げた。

「おれの知恵や力が、民たちを助けられるって。民を助けたいなら、どうしておまえはそうしないんだ?」
「え……」

 朗月の動きが止まる。
 その瞬間だけ、穏やかな春風の仮面が剥がれ落ち、薄氷のように脆く儚げな素顔が覗いた気がした。

 千里は続けた。
「おれは、おまえが皇帝になれば、民たちみんなが助かるって、思うけどな」
「千里……」

 千里の「視」界の中で朗月は、地中から湧き上がる青い光に護られ、あるいは(とら)われたまま、立ち尽くしていた。