龍脈の子

 幽谷州(ゆうこくしゅう)より、朗月にとって待ちかねた知らせが届いた。
「白葉(はくよう)と蒼嶽(そうがく)は無事だそうだ! 良かった……」
 文には三人の腹心が幽谷州を発ち、都へ向かった旨が記されていた。陸路を馬で駆け、水路を早船で辿る。順風ならば、旬日(じゅんじつ)と少し――十数日ほどで都へ入るであろう。

 その間、千里は陶工たちと共に毒見皿作りで多忙であった。瑞龍湖から持ち帰った「龍気土」を礎(いしずえ)に、毒に感応する様々な素材を練(ね)り込んでいき、数多の試片を製作する。窯に入れる前の、生の粘土板だ。そこに、腐肉の汁や、微量の毒性を含む草の絞り汁を一滴ずつ、垂らす。
「出た! 色が変わった!」
 龍気の増幅作用は劇的だった。汁が触れた箇所から毒の種類に応じて、どす黒い斑点(はんてん)や、血のような赤錆(あかさび)色が次々と浮き上がったのだ。
 焼きを入れた後の効果検証のため、火を入れ、焼き締め、そしてゆっくりと冷ます。窯の口が開かれるまで、最短でも七日から八日はかかる。焼き上がりを待つ間、朗月は宮中の要所へ足を運んだ。前代未聞の素材を使って焼き上げる毒見皿の理を説き、導入の地均しに奔走した。

 一方、千里は翠蓮と一緒に広大な宮中を練り歩いた。太い龍脈が通る一帯、多数の線が交差する場所、龍気が漏れている箇所(かしょ)などを記す、いわゆる「龍脈地図」の製作だ。
「湖の土ばっか掘ってたら底なし沼になっちまうからな」
「左様でございますね。龍神様がお怒りになって再び湖が荒れてしまいます」
 平民の少年と、盲目の下働き。行き交う女官や宦官、門や扉を守る衛士(えじ)たちが、二人に奇異の視線を向けこそすれ、誰一人として咎(とが)める者はいなかった。

 回廊を渡る女官たちは、古井戸の庭の片隅で二人が並んで昼餉(ひるげ)を広げている姿を目撃した。二人が膝の上で開いたのは、蓮の葉で包まれた糯米(もちごめ)のちまきと、餡(あん)入り饅頭だ。
「おれ、ずっと山で暮らしてたんだ」
 千里は桃饅頭を口いっぱいに頬張(ほおば)りながら、朗月との出会いから治水のことまで、武勇伝のように語ってみせた
「殿下が雪山で遭難……?!」
 翠蓮はちまきを摘んでいた手を止めた。
「死んでたら身ぐるみはがそうと思ってたんだけどな。あいつ頑丈でさ」
 千里は悪戯っぽく笑い、竹筒の水で喉(のど)を潤(うるお)す。
「千里様ったら」
 翠蓮は、千里の「発明品」にも興味を示してくれた。
「後宮や宮中の暗がりにも、ぜひ欲しいものです。それに、いつでも清らかな水が飲めるなど、夢のようでございます」
「へへっ」
 純粋な称賛が、千里の胸の奥をくすぐった。自分が考えた道具が、村や治水の現場だけではなく、こんなにも遠く離れた都の、あるいはもっと多くの人々の暮らしを支えることができるかもしれない。
 世界が広がっていく予感に、胸が早鐘を打つ。くすぐったく、そして誇らしい気持ち。これが千里なりの「矜持(きょうじ)」の芽生えであると知るのは、もう少し大人になってからのことである。
「おれ、もっともっと色んなもん、作ってみたいんだ」
「他には、どのような?」
 子どもが面白い物語に夢中になるように、翠蓮は膝を乗り出す。千里は一度、天を見上げた。白く細い雲が、川のように空を横切っている。
「龍脈を渡る舟を造りたいんだ」
「龍脈を?」
「ああ。腹を空かせた村に、すぐ食べ物を届けたり。病人のところへ薬をすぐに運べるし。会いたい人にだって、すぐ会いに行ける。そんな、船よりも、馬よりも、鳥よりも速いやつ」
 千里の言葉が熱を帯びるにつれ、翠蓮の口元は真一文字に引き結ばれていく。目隠しの下の見えない瞳が、千里の顔をじっと見据えていた。
「……千里様」
「どうしたんだ、翠蓮」
 桃色の小さな唇が紡ぐ、厳(おごそ)かな響き。千里は驚いて、食いかけの饅頭を持ったまま固まった。あたりの空気が、急に冷たく張り詰めたように感じられた。
「それは……大いなる武器になるのではないでしょうか」
「武器? おれは別に、戦とかは――」
 千里が慌てて手を振るが、翠蓮は静かに首を振った。
「剣や弓矢だけが武器ではありませぬ。あなた様のその眼と、生み出す品々は、国を富ませ、民を安らぎへと導く、何よりの『力』となるものです」
「力、に」
 千里は煤(すす)と土にまみれた、自身の小さな掌(てのひら)を見つめた。
「そのような大いなる武器は、収まるべき鞘(さや)を選ばねばなりません。民を想い、正しく使いこなせる慈愛の心を持つお方こそが、その力を得るべきなのです」
 翠蓮は、祈るように両手を胸の前で組んだ。
「私は、朗月殿下こそが、その鞘ではないかと思うのです」
 白梅(はくばい)を一ひら乗せた風が吹き抜け、翠蓮の髪を揺らす。
「千里様。あなた様の夢は、必ずや瑞華(ずいか)の歴史に残る偉業となりましょう」
 最後に翠蓮は加えた。
「朗月帝の御名(みな)と共に」
「朗月、帝……」
 予言めいた言葉は、仄(ほの)かな梅の香とともに、千里の記憶に焼きついた。

*

 待ち侘(わ)びた十日目の朝。
 宮城の正門から早馬の蹄(ひずめ)の音が響くと、朗月は居ても立ってもいられず、自室を飛び出した。宮殿の前庭、石畳の向こうから旅塵(りょじん)にまみれた三つの影が近づいてくる。
「白葉! 蒼嶽! 紅英!」
 朗月が名を呼べば、三人は馬を降り、その場に膝をついた。
「……殿下! ただいま、参じましてございます」
 白葉が代表して、深く礼をとった。朗月は駆け寄り、手を取って立たせた。
「よくぞ、無事で……! 本当に、よく来てくれた」
 朗月の瞳が潤んでいるのを見て、三人も相好(そうごう)を崩す。
「よう」
 朗月の背後から、千里がおずおずと顔を出した。
「お前らも、無事だったか」
 ぶっきらぼうなその声に、白葉は片眉を跳ね上げ、ニヤリと笑った。
「生きてたか、クソガキ」
「ボク! ちょっと背が伸びたんじゃないの?!」
 紅英が朗(ほが)らかに笑い、千里を強くかき抱いた。蒼嶽は無言のままその横にきて、千里の小さな頭を大きな掌でワシワシと粗雑に撫で回した。

「皆に、見せたいものがある」
 朗月の先導で一行は、その足で工房へと向かった。窯の口が開かれ、熱気と共に運び出されたのは、飾り気のない無骨な平皿である。
「これは?」
「まあ、見ててよ!」
 千里に背中を押されて加わった三人を含む視線が囲む中、皿の上に実験用の腐肉の汁が一滴、落とされた。ジュッ、と蒸発音がして、一瞬の間。白灰色の陶肌(とうき)に、まるで血の花が咲くような紋様が浮かび上がった。
「出た!」
「さすが聖域の土……窯の火にも負けなかったか!」
 千里が飛び上がり、老陶工が震える手で皿を掲げると、工房内がどっと沸いた。
 続けざまに試された砒素(ひそ)、トリカブト、あるいは腐敗した魚醤(ぎょしょう)、毒草の搾(しぼ)り汁――用意されたあらゆる「毒」が滴下されるたび、皿は瞬時に反応し、禍々しくも鮮やかな紫や、どす黒い茶褐色の斑紋を浮かび上がらせた。
「こいつはすげぇ……」
「もっと色んなところで試してもらいてぇな」
 陶工たちが興奮に頬を紅潮させた、その時だった。工房の入り口から、どやどやと新たな人影が押し寄せる。
「殿下」
 厳格な表情を崩さぬ女官長が、翠蓮の手を引いて現れた。その後ろに、厨房の料理人たちや、宦官たちの姿も続く。
「我らにも、その検分を担わせてくださいませ」
「手前が預かる殿舎(でんしゃ)におきましても、何卒(なにとぞ)ご下命(かめい)を」
 口々に声を上げ、宮中の人々が朗月と千里を取り囲む。

「これは……一体……」
 白葉は泥に汚れた旅装もそのままに、呆気にとられてその光景を見つめた。朗月と千里を中心に、固く結ばれた温かな人の輪が生まれている。顔を見合わせた白葉、紅英、蒼嶽の三人の間に、数ヶ月前の記憶がよぎった。
 あれは、黎明(れいめい)の白い霧が立ち込める、早朝のこと。
 三人は、「負け犬皇子」と陰で囁かれた朗月に従って、共に逃げるように都を抜ける門を潜った。
 振り返った朗月の横顔に浮かんでいたのは、都を捨てる罪悪感と、蠱毒(こどく)から解放される安堵がないまぜになった、痛々しいほどに寂しげな貌(かお)。敗者を見送る者など、一人もいなかった。
 だが、どうだ。今の朗月は多くの臣下たちに囲まれ、共に笑顔を見せている。民を想う優しさと、意志と、行動が、人を惹きつけているのだ。
「もー……心配して損したわね」
 紅英が安堵と感嘆のあまり、目尻を拭う。蒼嶽は相変わらず無口ながら、瞳の奥に熱を湛えて主君の一挙手一投足を追っていた。白葉の視線は、主君の傍(かたわ)らで泥だらけになって笑う、小さな影へと注がれた。
 疲弊していた朗月の心を解き放ち、この変化をもたらしたのが、あの不躾(ぶしつけ)な田舎の少年の存在であることは疑いようもない。心のどこかで、置き去りにされたような微かな寂寥(せきりょう)が募る。
「あれが本来の、殿下なのだ」
 甘い痛みを飲み下し、白葉は口の端を吊り上げた。
 幼い頃から側にいた。優し過ぎる心が権謀術数(けんぼうじゅっすう)の中で壊れてしまわないよう、生涯仕えてお守りしようと誓った主君が――笑っている。
 それ以上の喜びなど、あるはずもなかった。