「……何してるんですか、先生」
待ち合わせ場所へ着いた僕は、挨拶より先にそう尋ねた。
守矢湖西岸にある旧採石場の入口。
雪の積もった立入防止柵の前で、十一代目・美耽二郎がセーラー服を着ていた。
濃紺の襟に白い三本線。胸元には臙脂色のスカーフ。膝下まである冬服仕様のスカートに、黒いタイツと編み上げのブーツを合わせている。
金髪おかっぱヘアに美少女なお顔と体躯。見た目だけなら完全に女子高生だった。
ただし、両耳には大量のピアスがじゃらじゃらとぶら下がっている。
「何って、素材探しに来たに決まってんだろ」
「そうじゃなくて。なんで先生がここにいるんですか。あと、なんでセーラー服なんですか」
「いしゃあの妹に誘われたんだよ」
すると、飛び込むようにフレームインしてきたナズナが、先生に頬擦りしながら言った。
「ジローちゃんとあたし、マブだから。ねー、ジローちゃん」
「うぃ〜、なずぴすー」
……なずぴす?
「なぁ、有賀。雪が強くなってきそうだ。そろそろはじめようぜ」
よかった。常識人がいてくれて────ギンスケくんだ。
彼は膝をついてバッグの中の採集道具を確認している。
さすがにナズナの彼氏だけあって、扱いには慣れているということか。
「じゃあ始める前に、これを配るね」
僕は市役所から受け取った灰色の袋を開けた。
中に入っているのは、赤い筒状の道具だった。
「救助要請用の照明弾。ひとり一本ずつ。失くさないように」
スノードーム内では、通信もGPSも安定しない。
そのため自治体は、残留者へ救助要請用の照明弾を供与していた。市街地を離れて出歩く際には、できるかぎり携行するよう推奨されている。
遭難した時。怪我をして動けなくなった時。同行者とはぐれ、自力での合流が難しいと判断した時。
上空へ撃ち上げれば、赤い光によって遠方からも位置を確認できる。
「上についてる保護蓋を外して、筒先を空へ向ける。底のリングを引けば発射されるから。使う時は腕を伸ばして、絶対に人へ向けないこと。特に先生、わかりましたか?」
僕は照明弾を先生、ナズナ、ギンスケの順に渡し、最後の一本を自分の鞄へ入れた。
*
今日探すのは、濡烏の原料になる黒い鉱物だった。
旧採石場の岩壁には、地下水と一緒に染み出した鉱物が黒い皮膜をつくっている。その中から特定の成分を含むものだけを採取し、工房で繭や膠と合わせる。
「ふふ……教養、ひけらかしちまうな」
ナズナが、雪の積もっていない平らな岩へ見取り図を広げた。
その上へ僕のスマホを置き、モナリザ観音の写真を表示する。
「濡烏ってのは、女性の美しい黒髪を濡れたカラスの羽に例えた言葉なの。そこでイコノグラフィーに照らすと、観音の後頭部にある月輪が怪しい。普通なら観音の髪の毛はちぢれた癖っ毛だけど、モナリザ観音には一部不自然な直毛があるの。そこで、採石場の古い水脈図と重ねると……ほら。見事に観音の癖っ毛が補われるってわけ! そうしてこの月輪は水脈図とピッタリ一致するわけで〜」
「つまり、髪の毛が描き足された場所に、素材があるってことか」
僕は観音と見取り図を見比べた。
「ふーむ。父さんが言ってたけど、ナズナってほんとに頭よかったんだなぁ」
「……は? 不倫クソ親父なんて参考にしないでよ。不快なんだが?」
「いや、褒めたんだけどな」
「どうせ褒めるなら、こっちを見なさい!」
ナズナは鞄から銀色の封筒を取り出した。
表面にはあの「アルカ社」の社章と、黒い識別番号。開封口には一度剥がせば元へ戻らない封緘シールが貼られている。
「ひかえおろう! インクリボンであるぞー!」
厚みのある乳白色の合成紙。
そこには、人間ひとりの性質が、まるで工業製品の仕様書のように整然と記録されていた。
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ALCA LIFE FORECAST SERVICE
INK RIBBON:ORIGINAL RECORD
氏名:御厨ナズナ
記録区分:出生時基礎予報
原本識別番号:IR-MKZ-■■■■■■
SECTION 01:INHERENT DESIGN
生得的デザイン/高適合領域
・視覚情報の構造化
・非言語パターンの抽出
・図像間における規則推論
・欠損情報の補完
・複数領域にまたがる知識接続
・抽象構造の転用
推奨適性:
研究/解析/設計/言語構造/象徴体系/その他
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「ね?」
ぽん。と、ナズナが得意げに胸を張った。
「あたし、インディジョーンズなんだわ。生まれた時からバレてんの。怖いよね、アルカ社」
あのジムで。僕が耽二郎先生に絞め落とされ、床へ転がっていた間。
ナズナと先生は、僕のスマホに残されていたアイトの背中の写真を見ていた。
ナズナは先生と軽口を叩きながらも、一方ではイコノグラフィー、つまり図像学を用いて刺青────モナリザ観音の解読を試みていたのだ。
観音が手にする水瓶。重力へ逆らう天衣。本来あるべき場所から欠けた花。
不完全な印相。意味のない装飾に見えた光点……なにより、モナリザをあまりにも意識した構図の不自然さ。
「でもでも。ジローちゃんの助けが無かったら、そもそも取っ掛かりも出来なかったけどね!」
「っぱ、俺は女神なんだわー」
耽二郎先生が、提供してくれた守矢十色のひとつ・骸梅。
僕がタップしなかったご褒美に、とくれたその一色は、モナリザ観音解読に多大なる貢献を果たしたのだ。
ひとつの図像。
ひとつの正解。
その二つを照合したことで、ナズナは刺青に使われている文法を見つけた。
「つまり、骸梅がロゼッタストーンになったってわけ。ロゼッタストーンってのは、ヒエログリフ解読の決め手になったデカい石板ね」
先生、話の内容わかってますか? おう、エロなら得意だぜ? 僕と先生は虚無顔で見つめあっていた。不思議と心は通じ合い、師弟の絆を感じた瞬間だった。
「あ、そういえば。ねえナズナ、ちょっといいかな」
僕はナズナのインクリボンへ手を伸ばした。
インクリボンにはふたつのデータが記載されている。複数枚に及ぶsection.1つまり自分というデザイン。そして、もうひとつはその先……あった。
表面には、こう記されている。
SECTION 02:INCORRECT OUTCOMES
不正解の明示。
「ナズナの不正解って、何が書いてあるの?」
僕が用紙を捲ろうとすると、ナズナに手の甲を叩かれた。
「やめろし。捻じ曲がってるのは性癖だけにしときなよ」
ナズナはインクリボンを畳み直し、銀色の封筒へ戻した。
「んじゃ、二手に分かれよっか。女子組は上の坑道。男子組は下の水脈跡ね」
ナズナは再び耽二郎先生の腕へ抱きついた。
二人は腕を組み、ほとんど密着したまま上の坑道へ歩いていった。
残された僕とギンスケくんは、互いの顔を見る。
「……行こうか」
「ああ」
*
与座ギンスケは、ナズナが中学生の頃から付き合っている恋人だ。
十七歳。
高校生でありながら、すでにプロのMMA選手でもある。
十六歳でプロデビューし、国内の中規模団体で三戦三勝。世間の誰もが名前を知るスターではないが、競技関係者からは将来を期待されているらしい。
短く刈った髪と太い眉。少し潰れた耳。黙って立っているだけなら、柄の悪い高校生にも見える。
けれど、違う。
立つ。歩く。振り向く。
ただそれだけの動作にも芯が通っている。常に後ろ重心が定まり、どこから押されても簡単には倒れないような、静かな覇気があった。
同じMMAを嗜んでいるとはいえ、もし試合となったら1分持たずに僕は死ぬだろう。
下の水脈跡には、天井から落ちる水音だけが響いていた。
ギンスケくんが先を歩き、僕が懐中電灯で岩壁を照らす。足場の悪い斜面でも、彼はほとんど音を立てない。
「さっきさ」
ギンスケくんが足を止めた。
「ナズの不正解、見たがってたよな」
「……うん」
「知りたい?」
「いいの?」
彼は岩壁を見つめながら、ふっと笑って言った。
「まあ全部は話せんけど、俺にも関係してるから……ただ、ひとつだけ確かなのは」
ギンスケくんは金槌を持ち直した。
「インクリボンの予報に逆らうために来たんだ。ナズとふたりで。このスノードームの中だったら、インクリボンからも隠れられそうな気がしてさ」
金槌が振り下ろされる。
硬い音が坑道の奥まで走り、何度も反響して戻ってきた。
それきり、ギンスケくんはインクリボンについて何も言わなかった。
「有賀は?」
「えっ」
「あんた、彼女いるんだろ? ナズに聞いたよ」
唐突にこちらへ向けられた問いに、僕は返事を詰まらせた。
「……いるよ」
「スノードームの外? 仲悪いとか?」
「いや、そういうんじゃないけど」
「……訳あり、か」
ギンスケくんの声色は優しげだ。
だからこそ、言い訳をする僕の声だけが、妙にみっともなく聞こえた。
「アイトの仕事を手伝わないといけなかったんだ。あいつは色が見えないから、僕の目が必要で……」
「ん。彼女は納得してんのか?」
「それは……」
──── 取り消してほしい。
──── 一ヶ月も会えないんだよ。
──── だって、あの子。同性愛者でしょ?
あの夜の久世さんの声が、坑道の暗がりから聞こえた気がした。
「納得は、してないと思う」
「それでも残ったんだな」
「……うん」
そうだ。
誰かに命じられたわけではない。アイトに泣きつかれたわけでもない。
久世さんに引き止められて……それでも、僕がここに残ると決めた。
「彼女のこと、好きなのか?」
「好きだよ」
すぐに答えたつもりだった。
けれど、その言葉が坑道へ落ちるまでには、僕の思った以上に長い時間がかかった。
「ナズナに聞いたんだけど。有賀とその子って、親同士で付き合うように決めた……みたいな感じなんだよな?」
ギンスケくんの言う通り。
僕らは初対面から交流を重ねて恋人になったわけじゃない。いわばお見合いに近い感じだ。
インクリボンはその性質上、相性判断に使われるケースが近年増えていて。よりコスパとタイパを重視してインクリボンを照合して高い数値が出た相手と付き合う人も少なくない。
その方が「不正解」が少ないから。ということらしい。
「俺はそーいうの全然わかんねーけど。ほんとに好きになれたか? 彼女さんのこと」
「……好きだよ。ちゃんと好きだ」
「ん。そっか」
ギンスケくんはそれ以上何も言わない。
ただ、次の一撃を打ち込む場所を探すように、岩肌へ指を這わせている。
「じゃあ、アイトって奴は?」
「えっ」
「なんつーか、妙に……その、あれだから」
「あいつは、えと……親友……だよ」
親友……?
その一言で説明できるなら、どうしてカシマさんに触れられるアイトを見て、あんなにも腹が立ったのだろう。
どうして僕は、久世さんを外に残してまで、彼のそばにいるのだろう。
「そうか」
ギンスケくんは、それ以上尋ねなかった。
肯定されたわけでもない。納得されたわけでもない。
ただ、ギンスケくんにはバレてしまったようだ。きっと、彼はナズナを本当に愛しているんだろう。だから見透かされた。最低限の責務すら果たしていないことを。
「彼女さんに、たまには連絡してやれよ。別に凝った内容じゃなくたって、もらえば嬉しいもんだから」
────手紙。
「うん、そうだよね……じゃあ、明日にでも」
いつか、ナズナに言った。
同じ言葉を、彼にも使った。



