17歳のスノードーム


「おまえらは、付き合ってんのか? はい。か、YESで答えろや!」

 それ選択肢ひとつしかないですね! と、答えるより先に、オープンフィンガーグローブの拳が僕の顔面めがけて飛んできた。

 両腕を上げて顔を守る。右、左。受けるたびに腕が顔へ押し戻され、耽二郎先生の姿が見えなくなる。僕が一歩退けば、先生は二歩詰めてきた。
 見た目美少女な先生はスポーツブラに短パン姿だが、男なので胸だけはぺったんこだ。

 ここは守矢市内の格闘技ジム。武家屋敷の道場を改装した趣のある造りで、会員は少ないが居心地のいいジムである。
 ────アイトを守りたい。
 そう思い立って、僕は3年前からここに通っており、耽二郎先生はもっとずっと古株だ。
 先生が守矢の街に帰っている時はこうしてスパーリングをするのが恒例なのだが、それはスノードームの中であっても変わらないようだ。

「質問を質問で返さないでくださいよ!」
「あぁ?」
「なんで、アイトに協力してあげないんですか? 裏切り者だって。落ち込んでましたよ」

 汽車の中から、それを聞き続けている。先生は答える代わりに僕をジムへ連れてきて、「勝てたら十色の再現を手伝ってやる」と言った。
 だからグローブをつけた。つけたのだが、これはスパーリングという名を借りた実戦だった。僕は一発も返せず、打たれた分だけ後ろへ下がっている。

「てめぇで買った喧嘩だろ、他人に転売してんじゃねえよ。そーいうのを、ヨカタっていうんだよ。フリマアプリの弊害だな」

 笑いながら放たれた先生のボディブローが、僕のレバーに突き刺さった。

「……っ!」

 息が漏れる。けれど足は止めなかった。ガードを下げれば、次は顔だ。歯を食いしばり、先生の周りを回ろうとする。

「そもそもが、だ」

 声だけが先に来た。
 次の瞬間、三日月蹴りが腹へ食い込む。今度は耐えられず、僕はマットに膝をついた。

「いしゃあを弟子にしてやったのは、アイ子の手綱を握らせるためだろうが」

 後頭部に足が乗った。額がマットへ押しつけられる。

 アイ子。先生はアイトをそう呼ぶ。アイトが聞けば悪態をつくくせに、先生の前では、どこか昔から呼ばれ慣れているような顔もする。

 先生に初めて会ったのも、このジムだった。とんでもない美少女だな……と思ってドキドキしていたら、あっという間にぼこぼこにされた。しかも、おじさんだと知って心もボコボコにされた。
 その日から何度もスパーをしてきたが、こんなふうに頭を踏まれたのは初めてだ。

「あいつのメンタルケアがお留守になってんぞ。男としてそれじゃいかんよな、おぉん?」

 口の中が鉄の味がする。絞り出すように僕は答えた。

「そんなの……僕は恋人でもないんだから……」
「はぁ……まだ抱いてねぇのか。ヨカタじゃねーんだぞ」
「僕とアイトは……そういう関係じゃない────ッ!」

 体を起こし、そのまま先生の腰へ飛び込んだ。
 僕の腕が先生を捕まえる。足がマットを離れた。ようやく倒した、と思ったのに、次に床へついたのは僕の背中だった。

 先生の姿が視界から消える。

 肩越しに気配が動き、首へ腕が回った。蛇が獲物に絡みつくようにするりと。逃れようと身をよじっても、先生は僕の背中から離れない。

 リアネイキッドチョークだ。

「さて、どうする? このまま締め上げちまうぞ?」
「ぐ……絶対に……タップしない……勝たないと、アイトが……!」

 ぽんぽん。とかるく叩くだけ。それで先生は放してくれる。
 わかっているのに、指が動かなかった。

「いしゃあも、めんどくせー奴だな。あれか、アイ子が男だから〜とか。いっぱしに食わず嫌いキメてんのか?」
「だから僕は……インクリボン……だって。僕は普通だって……!」
「正解を他所に求めんなっての」

 そうだ。恋じゃない。損得じゃない。
 アイトが苦しんでいるんだ。それなのに僕は何の助けにもなっていない。それが苦しいんだ。
 でも、こうしてチャンスが巡ってきた。ここで先生を連れ帰れなかったら、病室であいつに何と言えばいい。穴の空いた靴下ひとつ、どうにかしてあげられない僕が。

「湿っぽいねぇ、いしゃあらは。いったい何があったんだか」

 腕に力を込める。先生の腕はほどけず、首を捻じ切らんとするほどに締め上がってゆく。
 音が……遠ざかっていく。

「たまには、昔の話でもしてこい。いしゃあ自身とな」

 ジムの天井が、白く滲んだ。先生の声が聞こえた気がして、返事をしようとしたけれど、息だけが喉で止まる。

 ────目の前の白が、ふっと消えた。