「おまえらは、付き合ってんのか? はい。か、YESで答えろや!」
それ選択肢ひとつしかないですね! と、答えるより先に、オープンフィンガーグローブの拳が僕の顔面めがけて飛んできた。
両腕を上げて顔を守る。右、左。受けるたびに腕が顔へ押し戻され、耽二郎先生の姿が見えなくなる。僕が一歩退けば、先生は二歩詰めてきた。
見た目美少女な先生はスポーツブラに短パン姿だが、男なので胸だけはぺったんこだ。
ここは守矢市内の格闘技ジム。武家屋敷の道場を改装した趣のある造りで、会員は少ないが居心地のいいジムである。
────アイトを守りたい。
そう思い立って、僕は3年前からここに通っており、耽二郎先生はもっとずっと古株だ。
先生が守矢の街に帰っている時はこうしてスパーリングをするのが恒例なのだが、それはスノードームの中であっても変わらないようだ。
「質問を質問で返さないでくださいよ!」
「あぁ?」
「なんで、アイトに協力してあげないんですか? 裏切り者だって。落ち込んでましたよ」
汽車の中から、それを聞き続けている。先生は答える代わりに僕をジムへ連れてきて、「勝てたら十色の再現を手伝ってやる」と言った。
だからグローブをつけた。つけたのだが、これはスパーリングという名を借りた実戦だった。僕は一発も返せず、打たれた分だけ後ろへ下がっている。
「てめぇで買った喧嘩だろ、他人に転売してんじゃねえよ。そーいうのを、ヨカタっていうんだよ。フリマアプリの弊害だな」
笑いながら放たれた先生のボディブローが、僕のレバーに突き刺さった。
「……っ!」
息が漏れる。けれど足は止めなかった。ガードを下げれば、次は顔だ。歯を食いしばり、先生の周りを回ろうとする。
「そもそもが、だ」
声だけが先に来た。
次の瞬間、三日月蹴りが腹へ食い込む。今度は耐えられず、僕はマットに膝をついた。
「いしゃあを弟子にしてやったのは、アイ子の手綱を握らせるためだろうが」
後頭部に足が乗った。額がマットへ押しつけられる。
アイ子。先生はアイトをそう呼ぶ。アイトが聞けば悪態をつくくせに、先生の前では、どこか昔から呼ばれ慣れているような顔もする。
先生に初めて会ったのも、このジムだった。とんでもない美少女だな……と思ってドキドキしていたら、あっという間にぼこぼこにされた。しかも、おじさんだと知って心もボコボコにされた。
その日から何度もスパーをしてきたが、こんなふうに頭を踏まれたのは初めてだ。
「あいつのメンタルケアがお留守になってんぞ。男としてそれじゃいかんよな、おぉん?」
口の中が鉄の味がする。絞り出すように僕は答えた。
「そんなの……僕は恋人でもないんだから……」
「はぁ……まだ抱いてねぇのか。ヨカタじゃねーんだぞ」
「僕とアイトは……そういう関係じゃない────ッ!」
体を起こし、そのまま先生の腰へ飛び込んだ。
僕の腕が先生を捕まえる。足がマットを離れた。ようやく倒した、と思ったのに、次に床へついたのは僕の背中だった。
先生の姿が視界から消える。
肩越しに気配が動き、首へ腕が回った。蛇が獲物に絡みつくようにするりと。逃れようと身をよじっても、先生は僕の背中から離れない。
リアネイキッドチョークだ。
「さて、どうする? このまま締め上げちまうぞ?」
「ぐ……絶対に……タップしない……勝たないと、アイトが……!」
ぽんぽん。とかるく叩くだけ。それで先生は放してくれる。
わかっているのに、指が動かなかった。
「いしゃあも、めんどくせー奴だな。あれか、アイ子が男だから〜とか。いっぱしに食わず嫌いキメてんのか?」
「だから僕は……インクリボン……だって。僕は普通だって……!」
「正解を他所に求めんなっての」
そうだ。恋じゃない。損得じゃない。
アイトが苦しんでいるんだ。それなのに僕は何の助けにもなっていない。それが苦しいんだ。
でも、こうしてチャンスが巡ってきた。ここで先生を連れ帰れなかったら、病室であいつに何と言えばいい。穴の空いた靴下ひとつ、どうにかしてあげられない僕が。
「湿っぽいねぇ、いしゃあらは。いったい何があったんだか」
腕に力を込める。先生の腕はほどけず、首を捻じ切らんとするほどに締め上がってゆく。
音が……遠ざかっていく。
「たまには、昔の話でもしてこい。いしゃあ自身とな」
ジムの天井が、白く滲んだ。先生の声が聞こえた気がして、返事をしようとしたけれど、息だけが喉で止まる。
────目の前の白が、ふっと消えた。



