「タツキ?」
呼ばれて顔を上げた。いつの間にか病室の前まで来ていたらしい。開け放した扉の向こう、窓際のベッドでアイトがこちらを見ている。
「なにボーッとしてんだよ。目ぇ開けたまま寝てんのか?」
「……似たようなこと、前にも言われたね」
「お前がヨカタであることの証明だな」
病室は二人部屋だが、もう一方のベッドは空いている。窓の外では細雪が降っていた。白い寝具に白い肌が溶けて、アイトの唇だけが、いつもよりずっと色を失って見えた。
「具合は?」
「ん、絶好調だぜ」
アイトは布団から左手を出して、指を一本ずつ折ってみせた。最後に親指と人差し指を擦り合わせる。顔料の粒を確かめる時と同じ動きだった。
僕は、その手首を見てしまう。
「なんだよ?」
「……ううん、痩せたな。と思って」
アイトは手を引っ込めた。怒ったのかと思ったが、布団の下で寝返りを打つだけだった。窓の方を向いたまま、ぽつりと言う。
「耽二郎のやつ、まだなんか言ってきたか?」
「会ってないよ。僕も」
それを聞いて、アイトは小さく舌打ちした。
*
「耽二郎に裏切られた!」
工房の扉が、壁にぶつかるほど勢いよく開いた。
振り返った僕の前を、アイトはずかずか通り過ぎる。脱ぎかけたコートが片方の肩に引っかかり、乱れた髪は頬に貼りついていた。
「どうしたの、アイト」
「手伝わねえって。守矢十色の再現」
「耽二郎先生が?」
「ほかに誰がいんだよ」
アイトは作業台の上を片づけはじめた。まだ乾かしている途中の試し紙を端へ寄せ、白磁の器を三つ並べる。
「待って。理由は聞いた?」
「俺は神だからやらねーとか。わけわかんねーこと言ってたよ」
器の一つが、かちん、と隣の器に当たった。
アイトは僕を見ずに棚を指して言う。
「緑のやつ、取って」
「ちょっと休んだほうが……」
「もういい。俺がやる」
「そんな、だって色がわからないだろ?」
アイトは、棚を見上げる僕を待たずに、次の鉱物へ手を伸ばしていた。
*
「……タツキ。聞いてんのか」
どうしたものか。と物思いに耽っていると、アイトはまたこちらを向いていた。
「あ、ごめん。なんて?」
「だから。工房、どうなってる」
「綺麗にしてあるよ。蚕たちの世話もしてるから」
「鉱物は集めたか?」
「んん……扱ってる業者はみんな避難してて。汽車で方々巡って探してるけど、あんまり」
そう言うと、アイトは不満そうに唇を尖らせた。窓の外へ目をやり、少ししてから布団を鼻先まで引き上げる。
「……どうすんだよ。もう……どん詰まりじゃねえか」
布団の縁から、藍色の瞳だけ天井をぼんやりと見つめていた。
「いまはとにかく、ゆっくり休んで。ね、アイト」
アイトは返事をしなかった。かわりに、隠した左手を布団の中でもぞもぞ動かしている。
僕にはその手が、まだ作業台の上で色を探しているように見えた。
ふと、病室に置かれた小ぶりなテーブルに目がいく。可愛らしい花瓶に指された一輪の花。その脇に「見覚えのあるハンカチ」が、丁寧に折りたたまれて行儀良く座っていた。
「これ……カシマさんの……」
アイトが布団を頭まで被り、くぐもった声で返答する。
「カシマさん、お見舞いに来たんだ。もっといい病院に入れてやるってさ。金も負担してやるからって」
「え……そ、そうだったんだ」
「もちろん断ったけどな。敵に塩送ってんじゃねーっての」
別れの挨拶も適当に。僕はさっと逃げるように病室を出た。
また……カシマさんか。
あの人の話題が出るたびに劣等感を味わっている。人としての魅力だけじゃない、経済力も、社会的地位も。子どもと大人では当然だ、なんて。そんなの慰めにもならない。
「なんか……しんどいな」
相変わらず、スノードーム内は空の明るさで時間が計れない。腕時計を見ると、まだお昼時にもなっていなかった。



