増子くんは恐そうだけど、本当は優しい

 次の日、学校へ行くと真っ先に、隣の席に増子くんがいないか確かめてしまった。
 当然のようにいない。

(これまでもずっとそうだったんだもん、それはそうだよね……昨日がめずらしかったんだ……)

 これまでそれを気にしたことはなかったのに、昨日あんなことがあったからだろうか、気になって何度も確認してしまう。

「おおーい弟くーん、呼ばれてるよー!」

 教室の向こう側から大きな声をかけられて、慌てて席を立った。

「あ、ごめんなさい!」
「今日は特に多いな」

 知ちゃんが「頑張れ」というように、ガッツポーズで見送ってくれる。
 僕は急いで廊下へ出た。

「すみません、お待たせしました」

 待っていたのは三年生の三人組で、僕の対応が遅かったからなのか、少し機嫌を悪くしているように思える。

「次、移動教室なんだけど」
「急いでくれるー?」

 高校ではまだ取り次ぎを初めて三カ月なので、上級生相手だと少しドキドキする。
 みんな僕より大人っぽくて、背も高いので特に。

「すみません」

 頭を下げながら紙包みを受け取ると、一人の人が僕の顔をのぞきこんできた。

「へー、高崎とあんま似てないのな」

 それは小さな頃から幾度となく言われてきたことだったので、僕はすぐに頷く。

「はい、兄さんは母さん似で、僕は父さん似なので」

 それでたいていの人は納得するのに、この先輩はまだ僕の顔を見てくる。

「高崎は、そりゃ美形だけど、俺はどちらかというと……」

 そう言いながら僕の頬に指を伸ばしてきたので、思わずビクリとした。

「……え?」
「聖ちゃん!」

 後ろから知ちゃんの大きな声が響いて、こちらへ走ってくる気配がする。
 でもそれより先に、僕と三年生の間に人が割って入った。

(…………え?)

 僕が丸ごと隠れてしまいそうなほど大きなうしろ姿に、思わず驚いて仰ぎ見る。
 制服の上着は着ておらず、シャツの袖を途中まで腕まくりした広い背中には、見覚えがあった。

(あ……)

「同じ三年なら自分で直接渡した方が早いだろ。なんでわざわざ一年の教室まで来んだよ」

 僕が手にしていた紙包みを、先輩たちに突っ返しながら、呆れたように言っている声にも、聞き覚えがある。
それは僕だって、昨日初めて聞いた声だけれど——。

(増子くん!?)

「はああ? 誰だお前」
「ふざけんなよ!」

 怒った声を上げている先輩たちの姿は、僕からはまったく見えない。
 広い背中に完全に視界を遮られている。

「もう授業始まんぞ」

 ため息を吐きながら増子くんが言った瞬間、本当に授業開始を告げるチャイムが鳴り始めた。

「くっそ、覚えてろよ」

 定石どおりの捨て台詞を吐きながら、急いで三年の教室へ帰っていくらしい先輩たちの姿も、僕からは見えない。
 ただバタバタと、遠くなっていく足音だけ聞こえる。

「あ、あの……」

 何か言わなければと、増子くんの背中を見上げた時、知ちゃんが僕の腕を強く引いた。

「聖ちゃん!」

 それで、増子くんには関わるなと言っていた知ちゃんの言葉も、兄さんの言葉も思い出したけれど、今僕を助けてくれたことに感謝の気持ちも伝えないのは、違うと思った。
 だから僕は、知ちゃんにひっぱられながらも、増子くんにお礼を言う。

「ありがとう、増子くん」

 増子くんがふり返って、僕を見た。
 とても高い位置から僕を見下ろす鋭い目と、視線が合って、ドキリと心臓が跳ねる。
 増子くんと、ちゃんと顔を見合わせたのはこれが初めてで、なぜだかドキドキと胸の音がどんどん大きくなった。

 相手を射抜くような眼差しの強さが印象的だけれど、増子くんはとても整った顔をしている。
 女の子たちがきっと放っておかないだろうなと思うのに、笑顔の欠片も感じさせない厳しい表情をしているので、親しみやすさはまったくない。「恐い」と思う気持ちが、確かに僕にもある。

 何か返事があるだろうかと、少しの希望を持って、ひき結ばれた唇を見ていたのに、増子くんは何も言わず、前へ向き直った。

(あ……)

 そのままスタスタと、教室に背を向けて行ってしまう。

「こぉら! 増子ぉ!」

 途中で、これから数学の授業を行う先生とすれ違って、「どこへ行くんだ!」と怒られたが、何も言わずそのまま歩き続ける。

「聖ちゃんってば!」

 知ちゃんに無理やり腕を引かれて教室の中へ連れ戻されるまで、僕はずっとずっとその背の高いうしろ姿を見ていた。