数分後。
ローテーブルを挟んだソファのこちら側に、僕と増子くんは並んで座っている。
兄さんの乱入にびっくりして、僕は逆に過呼吸が収まってしまったし、兄さんに飛びかかられても掴みかかられても、ささっとそれをかわしていた増子くんは、汗ひとつかいていない。
対して、ローテーブルの向こう側のソファに座っている兄さんは、すっかり髪も制服も乱れて、兄さんに憧れている人たちが見たら、びっくりするだろうなと思うほどの、あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
(あ、でも……これはこれで、意外な一面って、みんな喜ぶのかな……)
そんなことを考えながら、ちらっと隣の増子くんを見てみるけれど、彼はちっとも兄さんを見ていない。
自分と向き合って座る人物に、目で何かを訴えている。
そこに、兄さんと並ぶ形で座り、「うーん」と考え込んでいるのは、なぜか兄さんに呼び出された知ちゃん。
「で? 何がどうなって俺が呼ばれたの……?」
わけもわからず、首を捻っている知ちゃんに背中を預けて、兄さんはソファの上で膝を抱えてしまっている。自分で呼んでおきながら、知ちゃんに説明するつもりはまったくないらしい。
兄さんのそういう態度に慣れている知ちゃんは、兄さんを無視で僕と増子くんに説明を求める。
「えっと……」
何から話したらいいのだろうかと、僕が考えている間に、増子くんが口を開いた。
「俺はその人に話があるんだが、その人は俺と話をしたくないらしく、通訳にお前を呼んだ」
「おおーっ」
状況を簡単に言うならばまさにその通りで、僕は増子くんのまとめのうまさに感動して、パチパチ手を叩く。
兄さんは毛を逆立てた猫が威嚇するように一瞬増子くんを睨んで、またそっぽを向いてしまい、知ちゃんはその隣で、額に手を当てる。
「増子、そうかもしんないけど言い方……あと聖ちゃん、今は嬉しそうにニコニコしないで、ますます清良さんがへそを曲げる」
「へそなんか曲げてない!」
知ちゃんの言葉には、にいさんはすかさず訂正を入れる。でも基本的に体ごと、僕と増子くんには背を向けている。
「話って……俺が聞いてもいいの?」
知ちゃんが訊ねて、僕はどきりとしたけれど、増子くんはあっさりと答えた。
「かまわない」
(そうなんだ……)
増子くんが兄さんに話したかったのは、みんなと同じように「憧れている」とか「好きです」とか、他の人に聞かれたくないような個人的な感情の話ではなかったのかと、僕はよくわからなくなる。
(じゃあ……何?)
考えながら横顔を見ていたら、こちらを見た増子くんとふいに目が合った。
「————!」
ドキリと心臓を跳ねさせた僕の肩を、増子くんがそっと叩く。
「こいつに……聖良に、先輩への取り次ぎめいたことはもうさせないでください。もう頼むなって、先輩が学校の奴らにきっぱり言ってください」
「え……」
まさかその口から僕の名前が出てくるとは思っておらず、僕は増子くんの顔をぽかんと見つめる。
「なんで?」
兄さんの代わりに知ちゃんが理由を訊ねるけれど、それは兄さんの気持ちと合致しているらしく、兄さんは口を挟まない。
「先輩に用がある奴だけじゃなく、聖良目的に来る奴もいるって……わかってますよね? だからお前に見張らせてるんだろ?」
後半部分は兄さんに宛ててじゃなく、実際に向き合っている知ちゃんへ向けての言葉で、知ちゃんは「まいったな」と苦笑することで、増子くんの言葉を肯定する。
「そういう奴らを炙り出して、先輩が釘を刺してるのかもしれないけど……今まではそれでうまくいってたのかもしれないけど……先輩の目の届かないところで何かないとも限らない。実際、わきまえない奴らも出てきた」
おそらくそれは、あの三人組の三年生のことを指しているのだろうなと、僕もわかる。
「それは……」と知ちゃんも、バツが悪そうに顔を俯ける。
僕は黙っていられず、口を開いた。
「でも……兄さんへの取り次ぎは、僕が自分からやっていることなんだよ」
「だけど、やらなくてもいいってことも、もうわかってるよな?」
真剣な顔でそう言われると、頷くしかない。兄さんに喜んでもらうため、みんなに喜んでもらうためとは言っても、結局は自己満足だとわかっている。
みんなにとって『特別』な兄さんの、『弟』というポジションが、僕を成り立たせる唯一のアイデンティティだったから。だから僕は、兄さんへの取り次ぎに、自分の使命のように力を入れていた。
(でも……それが無くなったら、僕はいったいどうなるんだろう)
足元にぽっかりと穴が開いたようで、そのままそこに落ちていきそうになる僕の耳に、増子くんの声が響く。
「そんなまわりくどいことをしなくても、聖良は俺が守ります」
(……え?)
意識が一気に急上昇する。
なんだろう。気持ちの上昇と下降が激しすぎて、もう感情が追いつかない。
増子くんの言動に、極端に振り回され過ぎているという自覚だけはある。
「はあ? お前いったい聖良の何なわけ?」
増子くんの発言に我慢がならなかったらしく、我関せずのポーズをかなぐり捨てて、兄さんが食ってかかる。
「何って……友だちです」
増子くんの返事は、僕にとってはとても嬉しいものだったのに、兄さんにとっては不満らしい。
「友だちねー」
ふんっと鼻で笑う兄さんを、知ちゃんが肘で小突く。
「ちょっと、清良さん」
「なんだよ」
兄さんは知ちゃんを睨んで、増子くんへ向き直り、偉そうに腕組みをする。
「それくらいで口出ししないでもらえるかな。なんてったって俺は聖良のお兄ちゃんなんだか……」
兄さんの言葉を遮って、増子くんがもう一度口を開いた。
「でも俺は、友だち以上に大切に思っています。聖良が好きです」
「————!」
僕はソファから身体が浮いてしまいそうに跳ねて、ぼっと顔も熱くなったけれど、そんなことよりも何よりも、まず先に、増子くんの言葉に重ねるように叫んでいた。
「僕も増子くんが好き!」
「————!」
兄さんは零れ落ちんばかりに大きく目を見開いて、リビングへ入って来た時以上に青い顔をし、ソファに崩れ落ちる。
知ちゃんはそんな兄さんを見ながら、「あーあ」とため息を吐いている。
「今のは清良さんがけしかけて言わせたようなもんでしょ? ほんとバカなんだから」
最後の方は兄さんに聞こえないように、小さく口の中だけで呟いていたけれど、そんなことをしなくても、もう兄さんは聞いていない。呆然自失といったふうで、完全に呆けてしまっている。
兄さんのことは言えないくらい、僕も聞いてはいなかった。
増子くんの放った——自分の放った——言葉が衝撃過ぎて、心臓に多大な負荷がかかり、もうどうしていいのかわからない。早鐘のように、心臓がハイスピードで鳴り響いている。
「聖良、ゆっくり呼吸しろよ」
僕がまた過呼吸を起こさないように助言してくれる増子くんは、一見落ち着いているように見えるけれど、頬も耳も赤い。
それを見ると、僕の胸のドキドキはますます早く大きくなる。
「うん……」
増子くんに言われたように、必死に息を整えながら、そっと隣の横顔を見つめた。
自分がきっと笑顔になっているんだろうってことは、僕を見た増子くんの目の優しさでわかる。
「あー……邪魔になりそうなんで、俺はそろそろ帰るわ」
そわそわと落ち着かない様子でソファを立った知ちゃんが、すっかり脱力している兄さんの腕を自分の肩に回して、なんとか立ち上がらせる。
「清良さんも、とりあえず引き取っとく。増子のお願いについても、説得してみる」
いろいろ一手に引き受けて帰っていく知ちゃんを、僕は手を振って見送り、増子くんは軽く頭を下げる。
「助かる」
それをふり返って見た知ちゃんは、とても嬉しそうだった。
ローテーブルを挟んだソファのこちら側に、僕と増子くんは並んで座っている。
兄さんの乱入にびっくりして、僕は逆に過呼吸が収まってしまったし、兄さんに飛びかかられても掴みかかられても、ささっとそれをかわしていた増子くんは、汗ひとつかいていない。
対して、ローテーブルの向こう側のソファに座っている兄さんは、すっかり髪も制服も乱れて、兄さんに憧れている人たちが見たら、びっくりするだろうなと思うほどの、あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
(あ、でも……これはこれで、意外な一面って、みんな喜ぶのかな……)
そんなことを考えながら、ちらっと隣の増子くんを見てみるけれど、彼はちっとも兄さんを見ていない。
自分と向き合って座る人物に、目で何かを訴えている。
そこに、兄さんと並ぶ形で座り、「うーん」と考え込んでいるのは、なぜか兄さんに呼び出された知ちゃん。
「で? 何がどうなって俺が呼ばれたの……?」
わけもわからず、首を捻っている知ちゃんに背中を預けて、兄さんはソファの上で膝を抱えてしまっている。自分で呼んでおきながら、知ちゃんに説明するつもりはまったくないらしい。
兄さんのそういう態度に慣れている知ちゃんは、兄さんを無視で僕と増子くんに説明を求める。
「えっと……」
何から話したらいいのだろうかと、僕が考えている間に、増子くんが口を開いた。
「俺はその人に話があるんだが、その人は俺と話をしたくないらしく、通訳にお前を呼んだ」
「おおーっ」
状況を簡単に言うならばまさにその通りで、僕は増子くんのまとめのうまさに感動して、パチパチ手を叩く。
兄さんは毛を逆立てた猫が威嚇するように一瞬増子くんを睨んで、またそっぽを向いてしまい、知ちゃんはその隣で、額に手を当てる。
「増子、そうかもしんないけど言い方……あと聖ちゃん、今は嬉しそうにニコニコしないで、ますます清良さんがへそを曲げる」
「へそなんか曲げてない!」
知ちゃんの言葉には、にいさんはすかさず訂正を入れる。でも基本的に体ごと、僕と増子くんには背を向けている。
「話って……俺が聞いてもいいの?」
知ちゃんが訊ねて、僕はどきりとしたけれど、増子くんはあっさりと答えた。
「かまわない」
(そうなんだ……)
増子くんが兄さんに話したかったのは、みんなと同じように「憧れている」とか「好きです」とか、他の人に聞かれたくないような個人的な感情の話ではなかったのかと、僕はよくわからなくなる。
(じゃあ……何?)
考えながら横顔を見ていたら、こちらを見た増子くんとふいに目が合った。
「————!」
ドキリと心臓を跳ねさせた僕の肩を、増子くんがそっと叩く。
「こいつに……聖良に、先輩への取り次ぎめいたことはもうさせないでください。もう頼むなって、先輩が学校の奴らにきっぱり言ってください」
「え……」
まさかその口から僕の名前が出てくるとは思っておらず、僕は増子くんの顔をぽかんと見つめる。
「なんで?」
兄さんの代わりに知ちゃんが理由を訊ねるけれど、それは兄さんの気持ちと合致しているらしく、兄さんは口を挟まない。
「先輩に用がある奴だけじゃなく、聖良目的に来る奴もいるって……わかってますよね? だからお前に見張らせてるんだろ?」
後半部分は兄さんに宛ててじゃなく、実際に向き合っている知ちゃんへ向けての言葉で、知ちゃんは「まいったな」と苦笑することで、増子くんの言葉を肯定する。
「そういう奴らを炙り出して、先輩が釘を刺してるのかもしれないけど……今まではそれでうまくいってたのかもしれないけど……先輩の目の届かないところで何かないとも限らない。実際、わきまえない奴らも出てきた」
おそらくそれは、あの三人組の三年生のことを指しているのだろうなと、僕もわかる。
「それは……」と知ちゃんも、バツが悪そうに顔を俯ける。
僕は黙っていられず、口を開いた。
「でも……兄さんへの取り次ぎは、僕が自分からやっていることなんだよ」
「だけど、やらなくてもいいってことも、もうわかってるよな?」
真剣な顔でそう言われると、頷くしかない。兄さんに喜んでもらうため、みんなに喜んでもらうためとは言っても、結局は自己満足だとわかっている。
みんなにとって『特別』な兄さんの、『弟』というポジションが、僕を成り立たせる唯一のアイデンティティだったから。だから僕は、兄さんへの取り次ぎに、自分の使命のように力を入れていた。
(でも……それが無くなったら、僕はいったいどうなるんだろう)
足元にぽっかりと穴が開いたようで、そのままそこに落ちていきそうになる僕の耳に、増子くんの声が響く。
「そんなまわりくどいことをしなくても、聖良は俺が守ります」
(……え?)
意識が一気に急上昇する。
なんだろう。気持ちの上昇と下降が激しすぎて、もう感情が追いつかない。
増子くんの言動に、極端に振り回され過ぎているという自覚だけはある。
「はあ? お前いったい聖良の何なわけ?」
増子くんの発言に我慢がならなかったらしく、我関せずのポーズをかなぐり捨てて、兄さんが食ってかかる。
「何って……友だちです」
増子くんの返事は、僕にとってはとても嬉しいものだったのに、兄さんにとっては不満らしい。
「友だちねー」
ふんっと鼻で笑う兄さんを、知ちゃんが肘で小突く。
「ちょっと、清良さん」
「なんだよ」
兄さんは知ちゃんを睨んで、増子くんへ向き直り、偉そうに腕組みをする。
「それくらいで口出ししないでもらえるかな。なんてったって俺は聖良のお兄ちゃんなんだか……」
兄さんの言葉を遮って、増子くんがもう一度口を開いた。
「でも俺は、友だち以上に大切に思っています。聖良が好きです」
「————!」
僕はソファから身体が浮いてしまいそうに跳ねて、ぼっと顔も熱くなったけれど、そんなことよりも何よりも、まず先に、増子くんの言葉に重ねるように叫んでいた。
「僕も増子くんが好き!」
「————!」
兄さんは零れ落ちんばかりに大きく目を見開いて、リビングへ入って来た時以上に青い顔をし、ソファに崩れ落ちる。
知ちゃんはそんな兄さんを見ながら、「あーあ」とため息を吐いている。
「今のは清良さんがけしかけて言わせたようなもんでしょ? ほんとバカなんだから」
最後の方は兄さんに聞こえないように、小さく口の中だけで呟いていたけれど、そんなことをしなくても、もう兄さんは聞いていない。呆然自失といったふうで、完全に呆けてしまっている。
兄さんのことは言えないくらい、僕も聞いてはいなかった。
増子くんの放った——自分の放った——言葉が衝撃過ぎて、心臓に多大な負荷がかかり、もうどうしていいのかわからない。早鐘のように、心臓がハイスピードで鳴り響いている。
「聖良、ゆっくり呼吸しろよ」
僕がまた過呼吸を起こさないように助言してくれる増子くんは、一見落ち着いているように見えるけれど、頬も耳も赤い。
それを見ると、僕の胸のドキドキはますます早く大きくなる。
「うん……」
増子くんに言われたように、必死に息を整えながら、そっと隣の横顔を見つめた。
自分がきっと笑顔になっているんだろうってことは、僕を見た増子くんの目の優しさでわかる。
「あー……邪魔になりそうなんで、俺はそろそろ帰るわ」
そわそわと落ち着かない様子でソファを立った知ちゃんが、すっかり脱力している兄さんの腕を自分の肩に回して、なんとか立ち上がらせる。
「清良さんも、とりあえず引き取っとく。増子のお願いについても、説得してみる」
いろいろ一手に引き受けて帰っていく知ちゃんを、僕は手を振って見送り、増子くんは軽く頭を下げる。
「助かる」
それをふり返って見た知ちゃんは、とても嬉しそうだった。



