[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

「ひなちゃん、ごめんね」

 八尋が申し訳なさそうに眉を下げたのは、無事に館内を抜け出したときだった。それに大丈夫だと笑ったところを、お節介なひそひそ声に邪魔された。
 あの子たち手繋いでない?
 そう聞こえるやいなや、慌てたように離されてしまうのがすこし寂しい。

「ごめん、手痛くなかった?」
「大丈夫。それに、八尋と久々に繋げてうれしかったし」
「……じゃあ、あとでまた繋ぐ?」

 ちょっと周りを気にするように声を潜めてくれたのは、また余計な雑音に邪魔されたくなかったからだろうか。その申し出に頷くと、八尋に表情がすこし明るくなった。申し訳なさそうに寄せられた眉間のしわが和らいでいる。

「気にしなくていいよ、八尋。鉢合わせする可能性を避けながら回るのって結構大変だと思うし」
「でもひなちゃん、すごく楽しみにしてたでしょ? それに補習もサボってもらっちゃったし」
「八尋との約束を優先するのは当たり前じゃん。それにまた来たらいいし。今日はどっかでご飯食べて帰ろうよ」

 一応頷いてくれはしたものの、八尋はどこかまだ気にしている様子だった。自分が誘った手前、不本意に切り上げさせられたことに納得がいっていないのかもしれない。
 眉の間のしわを伸ばすように触ってやると、いやがるように首を振って、くすぐったそうに笑ってくれた。たしかにこれで帰るのは残念だけれど、八尋と一緒にいられれば結局のところなんだっていいのだ。

「八尋ってああいう子と仲がいいんだね」

 お土産だけ見て帰ろうと売店まで歩きながら、ずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。小さいころみたいにいじめられているわけではなさそうだが、それでも揶揄われて不愉快な思いをしているのではないかと探りたい気持ちもあった。八尋が一瞬だけ露骨にいやな顔をするのに、思わず笑いが零れてしまう。

「きらいなの?」
「正直面倒くさいなとは思う。市ケ谷はともかく、栖原はなんというか、すぐちょっかいかけてくるし。今日だって、ひなちゃん見たさについてきたんだよ」
「そうなの?」
「うん。俺がよく幼馴染と約束あるからって断るから」
「ふぅん。市ケ谷くんは八尋に逢えたらいいなって思って来たんでしょ?」

 そう言ってしまったら八尋があからさまに言葉に詰まった。彼らがさっきなにを話していたのかを知る術はないけれど、おそらくいま言ったことと同じようなことをみひろからも言われたのだろう。揶揄を込めて八尋を見上げると、ちょっと困ったように笑われる。

「昨日、本当にちゃんと断ったんだよ? それなのにいつもどおり過ぎて、ちょっと怖かったっていうか」

 それは日向も同様だった。諦めないという意思表示であったとしても、あんなになにもなかったように振舞えるものなのだろうか。

「メンタル強いんだなあ、市ケ谷くんって」

 ついそうぼやいてしまうのを八尋に苦笑われた。

「感心するとこじゃないから。ひなちゃんになにかされたらどうしようって、思ってるのは俺だけ?」
「だって、八尋が護ってくれるんだろ? さっきだってそうだったし」

 当たり前のようにそう言う日向に、八尋の苦笑いが深くなった。なにか変なことを言っただろうか? そういう気持ちを込めて見つめると、八尋の頬がふいに柔らかな笑みに崩れる。

「そうだね。俺が大切なのはひなちゃんだけだって、わかってもらわないと」

 不意打ちにそんなことを言われたものだから、胸の奥がきゅんと鳴いてしまった。跳ね上がった鼓動が苦しくて、頬にじわりと熱が滲むのがわかる。
 ちょっと深刻な話をしていたはずなのに、もうどうでもよくなってしまった。みひろからどんないやがらせをされようが、それが八尋の恋人でいる条件だと言うのなら耐えてやる。
 そんな気持ちになる。

「ま、まあ、学校も違うし、八尋が心配するようなことはないと思うけど」

 浮足立つ気持ちをそう言って誤魔化した。日向が八尋の学校にさえ迎えに行かなければみひろに逢う機会はぐっと減る。
 それに気をつけるべきは日向より八尋のほうだ。さっきのあれは日向に対する当てつけだろう。
 まだ諦めていないということを、見せつけるために来たのだ。

「八尋こそ気をつけろよ」
「うん、気をつけるね?」

 日向の言葉裏に潜む嫉妬心を感じたのだろう、八尋がうれしそうな甘い声で答えた。
 それになんだか胸がむずむずとして、さっさと行こうと八尋を促す。
 まだ帰るには早い時間だということもあって売店は空いていた。館内を見回り切れなかったのは残念だったが、土産品を見回りながら話しているだけで結構楽しい。

「あ、これかわいい」

 そのうち、ずらりと並んだキーホルダーに目が止まった。
 かわいらしいイラストタッチの海のキャラクターが、月ごとに様々なポーズを決めている。日向と八尋は五月生まれで、日にちも一週間しか違わない。それで幼いころはよく家族ぐるみで、真ん中バースデーを盛大に祝っていた。十七歳になったいまも、その習慣は恥ずかしながら健在だ。

「お揃いで買う? 今日の記念に」
「いいの?」
「いいよ。じゃあ買ってくるからちょっと待ってて」

 そう快諾してくれた八尋が、同じキーホルダーをふたつ持ってレジに向かっていった。それを当たり前に見送って、八尋を待ちながらひとり店内をぶらついた。イルカやペンギンのぬいぐるみはかわいいけれど、高校生の男が買うにはハードルが高そうだなぁと考えていたところで、

「俺の彼女、払ってもらって当たり前だと思ってるんだよなぁ」

 とぼやく、男の声を耳が捉えた。
 思わずはっとして声の方を見てしまうと、学生らしいグループのうちのひとりがそう嘆いている。周りから男なら当たり前だろう、なんて言われていたけれど、日向はその言葉が胸につかえてしまった。
 当たり前のように八尋に払ってもらっている、その事実に気づいてしまったせいで。
 一緒に遊んでいるとき、日向は財布を出す回数が極端にすくない。さっきだってクレープをごちそうしてもらったし、放課後もなにかしらごちそうしてもらっている。八尋から当たり前のようにそうされてしまうので気にしていなかったが、これって結構まずいのでは?
 とりあえずキーホルダーは払わせてもらおう、と意を決していると、おまたせと戻ってきた八尋に心配そうな顔をされた。どうやら随分と思いつめた顔をしていたらしい。

「ひなちゃん? なんかあった?」
「ごめん、八尋。キーホルダーはおれに買わせてほしい」
「急にどうしたの?」
「全部払ってもらってるなって……今日もそうだけど、いつもなにかしらおごってもらってるし」

 突然そんなことを言われたことに面食らったのか、八尋が目を丸くした。それから自分でもはじめて思い当たったように、たしかにそうだねと苦笑われる。

「ひなちゃんは気にしなくていいんだよ。俺がひなちゃんを甘やかしたいんだから」
「でも、流石にちょっと甘やかされすぎじゃない?」

 いままで気にもしていなかったくせに、あまりに当たり前すぎて、八尋に甘えすぎてしまっていた自覚が急に芽生えてきていた。八尋が負担に思っていない様子なのが、唯一の救いだ。

「うーん、でもいまは付き合ってるんだし」

 日向の切実さに気づいたのか、八尋がそんなことを言い出した。さっきまで八尋にごり押ししていた言葉を返されてしまうと、日向は言葉に詰まってしまう。

「え?」
「恋人なら甘やかしてもいいでしょ? それに俺、最近バイトはじめたんだよ。ひなちゃんが補習に行ってる間だけ、おじさんのとこのカフェだけど」
「そうなの?」
「うん。だから気にしないで大丈夫。存分に甘やかされて。ね?」

 有無を言わさぬ笑みを向けられると、これ以上食い下がるのが申し訳なくなってきた。八尋がいいと言うのならそれでいいのだとわかってはいる。
 あの男の子が言っていたように、八尋が不満を持っているようには見えない。だからといって甘えすぎているのも、どうかと思うのだ。

「じゃあ、せめてご飯はごちそうさせて」
「じゃあお言葉に甘えようかな」

 結局八尋が折れてくれた。
 それにほっとする日向を慮るように、本当に気にしなくていいんだよ? と笑ってくれる。
 八尋は本当に、日向の気持ちを操るのが上手い。なにを食べようか? という会話を交わしながら、日向はそう改めて感じていた。それに八尋は日向を喜ばせる言葉選びを知っている。
 恋人なら甘やかしてもいいでしょう?
 そう言われたことが今更になって、じわりと日向の胸に染み込んできた。甘やかしたいと思ってくれていたことすら気づいていなかったくせに、なんて現金な心だろう。
 けれどその言葉は、甘美でよい響きだった。