[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

「夢でも見たんじゃないの?」

 ことの顛末を日向から聞いた暁斗は、そう言って苦笑いを浮かべた。

「そうなんだけどさぁ」

 そう唇を尖らせる日向に暁斗の苦笑いが深くなる。
 話しているうちに、日向もそれが本当に起こったことなのか確信を持てなくなっていた。夢でも見たのだろう、と言われてしまうと、そうなのかもしれないと思いたくもなる。
 けれどさっき、日向が八尋に告白したことは間違えようがなかった。困り切った彼の表情はまだ、日向の脳裏にありありと焼きついている。

「でも、本当に起こったんだよ?」
 散々辺りを探し回ったあとでとぼとぼと帰宅すると、暁斗が夕食に招かれていた。祖父を師匠と慕う彼とは、小学生のころからときどきこうして日向の家で夕食を食べていく。祖父はアトリエでの作業が残っているそうで、まだ帰ってはいなかった。
 夕食が終わったあと課題を見てくれるというのでお言葉に甘えた。そうして日向は、勉強机の椅子に腰かけてクロッキー帖をぱらぱらと捲る暁斗に、ついさっきの出来事を伝え終えたところだった。

「うーん、そうだねぇ」

 どことなく生返事なのは、クロッキー帖のページに真剣な目が落ちているからだ。そんなことより話を聞いてほしい、とはなんとなく言えなかった。彼は相談に乗ってくれる気さくなお兄さんでありながら、日向の学校の講師でもある。いまはどちらかというと後者のほうだ。
 至極正確な指摘をしてくれてからページを捲ると、不意に暁斗の顔がほころんだ。あ、と慌ててその手からクロッキー帖を奪い去ると、ぎゅっと胸に抱える。何気なく描いた落書きの八尋を見られたのだ。

「勝手に見るなよ……っ」
「課題のページに描くのがいけないんだろ? でも、やっぱりいちばんよく描けてるよ」

 そう笑われてしまうと、ムキになった自分がまるで子供のようだった。大学を卒業したばかりだとはいえ、暁斗は新進気鋭のアーティストとして十代のころから大人に混じって活躍している。そんな彼から見ると、日向の動向は微笑ましく見えるのだろう。

「こんなに大切に想われていることに気づかないなんてもったいないよなぁ、八尋くん」

 おもむろに立ち上がった暁斗が、ハンガーにかけられた制服のジャケットをまじまじと見た。袖口のボタンに意味ありげに触れるのを見て、意味もなくドキリとする。

「それは一応わかっているとは思うけど」
「告白して困らせたのに?」
「それは、おれがなにも考えずに咄嗟に言ったから。でも、おれのことは大切に想ってくれていると思うし……!」
「ただすきのベクトルが違うだけ?」
「そうだと思うけど」

 答える自分の声が拗ねていた。
 じっと見つめる先で、暁斗がふぅん? と言いたげに口端を吊り上げるのが見えて、わかってしまったのだろうかと内心ひやりとする。ふたつ並んだボタンは同じように見えて、実はそうではない。
 日向はあの日交換した第二ボタンを、こっそり袖口のボタンと付け替えていた。はじめて高校の制服に袖を通したとき、中学の制服のボタンと袖口のボタンのデザインがよく似ていることに気づいたことによる、ちょっとしたお守りのようなつもりだった。しかも日向はこの前の課題でこのボタンを描いたばかりだった。
 暁斗は一応日向の学校の講師という立場上、校則違反を取り締まる立場にある。一瞬身構えた日向だったが、暁斗はボタンを指ではじいたあとで元の椅子へと戻ってきた。先ほどよりもにやにやとして見えるのは、このボタンの正体に気づかれたのかもしれない。そして〝わたしのたからもの〟という課題で描かれた、このボタンの意味にも。

「告白なんてさあ、案外うまくいかないもんだよ? 絶対俺のことすきだ! と思って言ったら、そんな風には見てなかったってフラれたりとか」

 暁斗が日向を慰めるようにそう言ってくれた。まぁ粗方一般論だろうなと推測する。だって暁斗が告白してフラれるなんて信じられない。この人は八尋と同じように、女の子の注目を集める的なのだ。

「アッキーに言われても信憑性がないよ」
「ええ、ひどいなぁ。まぁ、八尋くんだって驚いたんだと思うよ。まさかひなちゃんがそういう意味で自分をすきだったなんてさ」
 その言い分はさっきの言葉よりも信憑性が高かった。それでも八尋を困らせたという事実が、日向の心に重くのしかかっている。
「本音のところ、八尋はおれのことがすきなんだと思ってた」
「でも違ったから落ち込んでる?」
「そう」

 ベッドの上に胡坐をかいて、クッションに顎を埋めて唸る。すっかりくつろいだ様子の日向に暁斗が微笑まし気な視線を向けてきた。
 落ち込んでいる、という表現では間に合わないくらい、この世の終わりを見たような気分になっていた。それを暁斗に打ち明けることですこしでも昇華させようと目論んだが、実際はどうしたらいいかわからない恐怖に押し潰されそうになっている。
 正直なところ、いまでも八尋はおれのことがすきなんじゃないかと思っている。
 そうだといいのに、と願っている。
 その気持ちに、八尋との関係性が壊れてしまったらどうしようという恐怖がのしかかってくるのだ。

「ひなちゃんはさ、恋と友情の違いってなんだと思う?」

 そんな日向を見兼ねたのか、暁斗があからさまに明るい声でそう問うてきた。それがわかったら、こんなに苦悶はしていない。

「……ちゅーしたいなぁとか、そういうこと?」
「欲に忠実だなぁ。さすが高校生」
「アッキーだって大して変わんないじゃん。高校生ってそんなもんでしょ?」
「ひなちゃんは八尋くんとそういうことしたいんだ?」

 にやにやした笑みを向けられると、自分で応えたくせに本音のところを突かれたような気になって、じわりと頬が熱くなった。思わずぐっと押し黙る。つい唇を尖らせたくなって、子供っぽいと言われそうだと我慢した。五つしか変わらないといっても、考えてみれば出逢ったころからずっと、この人は日向にとっては達観した大人だ。

「そう想うのは自然なことだよ。だれだってすきな子とは手を繋いだり、キスしたりしたいと願うものだし」
「そう想ったら恋だ、っておれは思うんだけど」
「そうだね。でも、若気の至りっていう言葉もあるから、ちゃんと考えた方がいいとは思うけど」
「八尋をだれかに取られるのがいやだって、ごねてるだけだと思ってる?」
「長い目で見て二度と元には戻れないと考えたとき、どっちがいいのか? ってことだよ。俺から見ても、八尋くんはひなちゃんのことをだれよりも大切に想っていると思う。でも、あの子はひなちゃんより思慮深そうだし」
「ばかにしてる?」

 思わずむっとするのに、暁斗から悪びれもせずに謝られた。たしかに暁斗が言うように、八尋は物事に対して難しく考える癖がある。わりと楽観的で即物的な日向とは違って、思っていることを口にするまでにじっくりと考えていることのほうが多かった。
 幼いころはそのせいで、よくからかいの対象になっていた。いじめられていたといってもいい。いまと違って日向よりも小さかったし優しくて引っ込み思案だったので、ガキ大将の標的にはうってつけだったのだ。これをして遊ぼうと言われても、ちょっと危なそうに見えるとやろうかどうしようか躊躇する。そういう子供だったから、八尋はよく仲間外れにされていた。そんな八尋を守りたいと思ったのが、この気持ちの始まりだ。

「八尋は、おれのたからものなんだよ」
 そう口に出すと、じんわりとした気持ちが胸に染み出してきた。あんな風に、だれかに対抗するために口に出していい想いではなかった。それを後悔する気持ちは、もう取り返しがつかない。
 物心ついたときから傍にいて、一緒に育ってきた八尋のことを、ずっとたからもののように大切に想ってきた。そこにいるのが当たり前で、離れるなんて考えたこともない。笑ってくれたらうれしくて、泣いていたら哀しかった。幼かったころは一喜一憂の感情をすべて、共有しているような感覚。
 気づいたらもう、だいすきだった。
 護ってやらなければいけなかった八尋に背を越されたとき、どんどんと格好よくなっていく姿に焦った。女の子に注目されているのが羨ましかったからではない。いまならよくわかる。八尋がだれかにとられてしまう現実が、確実に近づいてきていることが怖かったのだ。

「それはさ、きっと八尋くんだってそうだよ」
「そうだったらいいんだけど」
「あのね、ひなちゃん。八尋くんから逃げたくなる気持ちもわかるよ。でも、これからもずっと一緒にいたいと思うなら、向き合わなきゃ」
「でも、無理だって言われたら?」

 そう考えたらぞっとした。
 八尋が日向の気持ちを蔑ろにしたことは一度もない。
 そうわかってはいても、困った八尋の顔を思い返すと抱いていた自信が萎んでいくのがわかる。

「怖いのはわかるよ。でも、だれにもとられたくなかったから告白したんでしょ? 振り向いてもらえますようにって、神さまに必死に手を合わせたんでしょ?」

 ちょっと非難するような口調に、ふっと肩の力が抜けた。まったくその通りだ。

「だからちゃんと気持ちを伝えて、同じベクトルですきになってもらわなきゃいけない。その覚悟があるのなら、ちゃんと八尋くんと話し合いなさい」

 暁斗の言葉に心の内が騒めいていた。手を合わせて無我夢中で祈っていたとき、日向は八尋の気持ちなど微塵も考えていなかった。日向から告白すれば、すべてが丸く収まるような気さえしていたのだ。

 ――同じベクトルですきになってもらわないといけない……

 その言葉の意味を考える。
 暁斗の言うとおり、八尋と日向は気持ちの方向性が違うだけなのかもしれない。自覚している日向と、自覚していない八尋。あれで自覚していないなんてあるか? と思わなくはないけれど、友達はそういう目で見ないと言われた声を思い出した。
 そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。その振動にびくりとするのを暁斗に笑われる。 
 取り出すと、チカチカと光る画面が八尋からのメッセージがあると教えてくれる。心臓がひやりとして、喉がごくりと鳴った。きっと様子がおかしい日向を気にして送ってくれたのだ。

「八尋くん?」
「うん」
「ちゃんと話しあうチャンスじゃない?」

 暁斗に促されてメッセージを開くと、話があるから出てこれないかという誘いだった。近くに住んでいるくせに直接家まで訪ねてこないのは、日向の意思を尊重してくれているからだとわかる。その気遣いに鼻の奥がつんとした。
 八尋のメッセージに行くと返事をすると、近くの公園で待ち合わせることになった。暁斗が帰るついでに送ろうかと言ってくれたが、目と鼻の先なので断った。彼と一緒に下へ降りて、母にちょっとそこまで出てくると声をかける。どうせ八尋だろうと呆れたように笑われてしまうのに、なんだかくすぐったくなった。