[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

「俺に友達がいてびっくりした?」
「八尋からそういう話聞いたことなかったから。もしかして、わざと?」

 考えてみれば、八尋から友達の話題を振られたことはなかった。中学から同じ高校へ進学した共通の友人の名前はよく耳にしても、知らない名前がその口から出たことはない。日向はわりかし新しい友達のことも話していたから、てっきり八尋からも聞いているものだと思い込んでいた。
 けれど違った。確実に八尋はその話題を避けている。
 疑うような視線を向けると、八尋がうーんとわざとらしく唸った。日向よりも日向の機嫌に聡いこの男は、どんな話題が日向の不機嫌に繋がるのかをわかっているのかもしれない。そう考えると、なんだか自分がひどくわがままな男のように思えてきた。

「これからは普通に話していいから。友達の話なんだし」
「いや、言う必要ないかなって。一緒にいたら話す程度ってだけだし」
「随分と楽しそうに見えたけど?」
「それはひなちゃんの気のせいだよ。俺、こういう顔立ちだし、笑ってるように見えたんじゃない?」
「ええ? そうだったかなぁ?」

 八尋がそう言うならそうなのだ、と心の中で呪文のように繰り返した。あのシーンを思い返してみても、随分と楽しそうだったという認識は変わらない。そう実感するたびに胸の奥がきゅっとする。八尋を取られてしまいそうな、恐怖で背筋がぞわりとする。
 それでも気にしていない風を装わなければいけない。また不機嫌になって、八尋を困らせるのは本意ではなかった。八尋がそうだよと笑って話を続ける。

「それにひなちゃんは友達が多いけど、俺はひなちゃんがいればあとはなんでもいいから」
「……もしかしておれが友達の話するのいやだった?」
「ううん、俺はもう慣れてるから。それに、ひなちゃんが俺のことちゃんといちばんに考えてくれてるのはわかってるから。ね?」
「慣れてるってことは、いやだって思ったことはあるんだな?」
「……暁斗(あきと)さんに関してはちょっとだけ」
「え? アッキー?」

 いつものくせでそう呼んでしまうのに、八尋の笑みが微かに引き攣った。それを誤魔化すように身を乗り出して、日向の手にあるドリンクのストローを咥える。ひと口飲んで甘いと顔をしかめるのを見て、呆れた笑みを零してしまった。
 アッキーこと木村 暁人は五つ歳上の気さくなお兄さんで、とにかく絵が上手かった。日向の祖父がやっている絵画教室に通っていて、小学生のころからしょっちゅう顔を合わせる間柄だ。祖父は写実的な絵が得意だったが、暁人は天才肌でジャンルに囚われずなんでも描いた。わりと名の知れた画家である祖父が一目置く彼に、憧れを抱くまでに時間はかからなかった。
 はじめて逢ったときの暁人はまだ中学生くらいだったはずだが、明るく染めた髪にちょっと軽薄な笑みを浮かべているさまが、才能と相俟ってかっこうよく見えたのだ。
 そんな彼が今年の春から日向の高校に特別講師として赴任してきた。もちろん、放課後の補習も担当している。そんなわけで、八尋に話す一日の報告にも、自然と暁斗の名前が出てきてしまう。

「おれがアッキーの話するのがいやなら、言ってくれたらよかったのに」

 そう唇を尖らせてしまうのは、八尋がそのことを隠していたことがすこし腹立たしかったからだ。それに、これだけ一緒にいるくせに、そんな思いをさせていたことに気づきもしなかった自分にも腹が立っている。八尋を非難するような物言いになってしまったのは、ここで謝るのはなんだか違うような気がしたからだった。
 理不尽な気持ちを、すこし溶けてしまったドリンクと共に飲み下した。八尋はそんな日向を苦笑って、気にしなくていいのにと言ってくれる。けれど知ってしまった以上は、気になってしまうのが性というものだ。本当に気にして欲しくないことは、八尋は絶対に言わないのだから。

「これからは気をつける」
「いいよ、べつに。ひなちゃん、話してて楽しそうだし。……すきなんでしょ?」

 恐る恐る零された言葉にぽかんとしてしまった。

「え? だれが? だれを?」
「ひなちゃんが暁斗さんを」
「すきじゃないよ」

 八尋からあまりにも当たり前のように言われたので、日向はすかさず否定した。というか、暁斗に関してはすきだとかきらいだとか、そういう風に意識して見たことがなかった。才能には憧れているし、気さくだから話しやすい。それに八尋には内緒だけれど、じつはこの恋心に対する相談にも乗ってもらっている。暁斗は日向の中では心配してくれるよきお兄さんポジションなのだ。

「そうなの?」

 八尋がちょっと疑り深い目を向けてくる。恋愛対象としては見てくれないくせに、日向が仲良しな男には嫉妬する。この男の本性が、これだけ一緒にいてもよくわからないのが腹立たしい。

「そうだよ!」

 腹立ち紛れにその頬を摘まんでやれば、わざとらしく痛がって笑う。その笑みがなんだか安堵しているようにさえ見えるのは、日向の惚れた欲目なのだろうか。

「アッキーの才能には憧れているけど、ただそれだけだよ。すきだとか考えたこともない。……八尋とはちがう」

 ちょっと拗ねたような声音になってしまうのは、いくら想いを募らせようとも受け取ってもらえないとわかっているからだ。けれど日向はこの気持ちに〝いまのところは〟という注釈をつけている。だって、八尋が日向を蔑ろにすることは絶対にあり得ない。
 それだけは確実だとわかっている。だからこそ、日向はこの気落ちを明かす勇気を持てずにいるのだ。

「じゃあ、俺のこと暁斗さんより優先してくれる?」
「うん。いいよ?」
「今度の土曜日、水族館に行かない? 母さんが商店街の福引で当てたから、ひなちゃんと行っておいでってチケットをくれたんだよ」
「リニューアルしたとこ?」
「そう。一緒に行こうって約束してたよね?」
「覚えててくれたんだ」
「俺がひなちゃんとの約束、忘れるはずがないでしょ?」

 ちょっと照れくさそうに笑われると、胸の奥がむずむずした。八尋は一度閉まってしまた水族館にがっかりした日向のことを、ずっと覚えていてくれたのだ。
 聞けば招待券は毎週土曜日にしか使えないという。毎週土曜日は暁斗が講師を務める補習の日だ。余程のことがない限りは休んだことはなかったが、八尋からのお誘いは〝余程のこと〟だった。
 ふたつ返事で了承すると、八尋の顔にうれしそうな笑みが広がっていく。

「断られると思ってた?」
「だって、暁斗さんの補習は大切でしょ?」

 その言葉は曖昧な笑みで誤魔化した。言いたくても言えなかった。
 八尋より大切なことなどなにもないよ、と。